第82話 笑う門には

「なんとも頼もしい御仁だな」

 監獄の警備兵たちを圧倒するジェイウォンを横目に見ながらエイドレスはヒルデをつれて走っていた。

「……ちょっと」

 不満そうなヒルデの声がした。

「なんだ?」

 エイドレスが聞いた。

「『なんだ?』じゃありませんわ! 何でわたくしが猫みたいに首根っこ掴まれて運ばれていますの!」

 かなりの速度で走るエイドレスに向かってヒルデがまくし立てた。

「おまえよりも私の方が足が速いからな。こうして運ぶのが一番手っ取り早い」

「これは淑女の扱いではありませんわ」

「この場に淑女などというものはいないから何も問題ないな」

 エイドレスは涼しい顔でヒルデの抗議を受け流した。

「ぐぬぬ……何という屈辱でしょう……」

 ヒルデは奥歯をかみしめた。



「いったいなんだ?」

 ゲルダを先導しようとした警備兵は外から聞こえてくる悲鳴に立ち止まった。。

「ゲルダ様、私が様子を見てきます。無事を確認したら、例の手順で扉をノックします」

 警備兵はゲルダとブロンダム博士を制止すると先に部屋を出て行った。

「侵入者がもうここまできたのでしょうか?」

 ブロンダム博士が不安そうに言った。

「何にせよ、用心は必要だな」

 ゲルダは壁に掛けられた武器を手に取った。



「獣人だと!」

 エイドレスに気づいた警備兵が立ちふさがった。

「バルドヒルデ!」

「言われなくてもわかってますわよ! イグナイト!」

 ヒルデが呪文を唱えるとエイドレスの目の前で警備兵が燃え上がった。断末魔の叫びを上げる警備兵を蹴り飛ばして先に進む。

「前方に三人いるぞ!」

 警備兵を発見したエイドレスが言った。

「楽勝ですわ!」

 ヒルデが警備兵三人をまとめて火だるまにする。

 エイドレスは火を消そうとのたうち回る警備兵をかわしながらジェイウォンに指示されたとおりに監獄を進む。

「いい調子じゃないか」

「組んでいるのがあなたでなければもっと調子が出ますわ」

「そう拗ねるな。頼りにしているぞ」

「ふん、ですわ」

 ヒルデは顔を背けた。

「そろそろだな」

 エイドレスたちは順調に監獄を進み、目的の部屋の前にたどり着いた。ヒルデを下ろし、警戒しながら扉をノックした。


 部屋の中からの反応を待っていると、突如としてドアが内側からはじけ飛んだ。

 エイドレスとヒルデは魔力障壁を張りながら飛び下がった。

「ローゼンプールでは扉をノックされたらこんな風に応対するのか?」

 エイドレスは部屋から出てきた長身の女性に聞いた。女性の手には鈍く光る斧があった。

「手順を守らなかった場合はな」

 長身の女性は面白くもなさそうにそう言った。

「……あ、あなたたちがなぜここに!」

 部屋の中から声をあげたのはヴァーナー・ブロンダム博士だった。

「あら、お久しぶりですわね」

「元気そうで何よりだ」

 ヒルデとエイドレスが言った。

「貴様ら、帝国軍の者ではないな」

 ゲルダは油断なく斧を構えながら二人の侵入者を見据えた。


「察しがいいですわね。わたくしたちこそは……」

 ヒルデが言葉に詰まる。

「どうかしたか?」

 エイドレスが不思議そうにヒルデを見た。

「わたくしたちってなんて名乗ればいいんでしょうか?」

 ヒルデはエイドレスを見た。

「……そういえば特に何も決めていなかったな……」

 エイドレスも考え込んだが答えを出す前にゲルダの斧が閃いた。エイドレスは魔力をまとった爪で斧を受けた。

 ゲルダの斧にも魔力が込められており、拮抗状態となった。

「ふざけた奴らだ」

 ゲルダが言った。

「ふざけているのはバルドヒルデだけだ。私を一緒にしないでくれ」

「ちょっと! どういう意味ですの!」

 エイドレスの言葉にヒルデは声を荒げた。

「何はともあれ、帝国軍の人間でないのなら遠慮は要らんな」

 冷めた目でエイドレスを見ながらゲルダが言った。ゲルダは斧の柄に備え付けられたスイッチを押す。すると、斧の背から推進剤が吹き出し、エイドレスを一気に押し込んだ。

「物騒なおもちゃだな!」

 威力を増した斧を爪で捌きながらエイドレスが苦々しげに言った。

 ゲルダは推進機構を仕込んだ斧でさらにエイドレスを攻め立てる。

「狼さーん、手伝いましょうかー」

 うきうきとした声でヒルデが言った。

「断固として断る! おまえ、事故に見せかけて私ごと燃やすつもりだろう!」

「……ギクッ」

 ヒルデが固まった。

「……普段馬鹿にされている恨みを晴らす絶好の機会でしたのに……」

「残念そうに言うんじゃない! 仕事に集中しろ!」

 繰り出されるゲルダの攻撃をかわしながらエイドレスが叫ぶ。


「仕方ないですわねえ……」

 ヒルデは気を取り直して博士を確保しようとした。しかし、標的はこちらにクロスボウを向けていた。

「……お嬢さん、おとなしくしてくれ」

 博士はクロスボウを構えながらヒルデに警告した。

「あら、また新しいおもちゃですのね」

「これはおもちゃなんかじゃない……ローゼンプールで開発された最新型のクロスボウだ。鏃には魔石を使っている。近距離であれば機動鎧の装甲すら貫く代物だよ」

「それってすごいんですの?」

 ヒルデには説明が理解できていなかった。

「私はこんな物を使いたくはない。だが、君が従わないのであれば、私は君を撃つ」

 勇気を振り絞りながらブロンダム博士が言った。

「あらあら、手が震えていますわよ」

 ヒルデは笑いながらブロンダム博士に近づいた。


「……すまない」

 ブロンダム博士は必死で手の震えを抑えると、引き金を引いた。

 発射された矢はうなりを上げてヒルデに向かった。

 命中したのはヒルデの左腕。矢は少女の腕をやすやすと吹き飛ばすはずだった。

「……そんなバカな……」

 ブロンダム博士の目の前で魔石でできた鏃がヒルデの魔力障壁によって砕かれた。

「ちょっと痛かったですわね」

 軽く腕を振りながらヒルデが言った。

 この有様にはゲルダも言葉を失った。


「ああ、言っていなかったがバルドヒルデは私よりも強いぞ」

 絶句しているゲルダに向かってエイドレスが言った。

「当然ですわ」

 得意気にヒルデが鼻を鳴らす。

「ちっ、博士、ここはいったん退くぞ」

「逃がしませんわよ」

 ヒルデが魔力をみなぎらせる。

「ゲルダ様!」

 ブロンダム博士は部屋の壁に掛けられていたマスクを取ると、素早くゲルダに投げた。さらに、自身もマスクをつける。

 ゲルダがマスクをつけるのと同時に博士は小型の筒を床にたたきつけた。

 たたきつけられた筒から赤い煙が一気に吹き出し、部屋に広がった。


「な、なんですの!」

「息を止めろ!」

 エイドレスがヒルデに言った。

 ゲルダとブロンダム博士はエイドレスの隙を突いて破られたドアを抜け、走り去った。

 エイドレスはゲルダたちを追いかけようとしたが、真っ赤な煙の中では前後左右の判別もできなかった。

 仕方なく手探りして窓を見つけ、拳でたたき割った。

 煙が割れた窓から出て行くと、エイドレスはようやく一息ついた。

「毒ではなさそうだが……バルドヒルデ、無事か?」

 部屋の隅にうずくまっていたヒルデに声をかける。

「…………」

 ヒルデからの返事はない。

「おい、大丈夫か!」

 慌ててヒルデに駆け寄った。

「……ふふっ、あーはっはっはっ、はーっくちゅん、な、なんなん、はーっくちゅん、ですの」

 ヒルデは笑い声を上げる合間にくしゃみをしていた。

「笑気ガスと……胡椒か? 豪勢なことだな。まあ、命に別状はないか」

 淡々と状況を分析しながらエイドレスがつぶやいた。

「ちょ、ちょっと、ふふっ、冷静すぎ、はくちゅん、では、あははは、あ、ありませんこと」

 ヒルデは自分の意思とは無関係に上がる笑い声とくしゃみの発作の間に抗議した。

「他人事だからな」

 ふと人の気配を感じたエイドレスが破壊されたドアの方を見た。


「おまえさんたちか。博士はどうした?」

 ひょいと顔をのぞかせたのはジェイウォンだった。

「ははっ、博士は、取り逃が、へくちゅん、しましたあははは」

 ヒルデは懸命に質問に答えようとした。

「愉快なお嬢さんだとは思っておったが……」

 ジェイウォンは目を丸くした。

「ふふっ、こ、これには事情、はくちゅん、が……」

「じきに元に戻るから気にしないでやって欲しい」

 エイドレスが言った。

「ワシはかまわんが……とにかく、博士は取り逃がしたのだな?」

「すまないがその通りだ。連中、ずいぶんと奇妙な道具を使うな」

「ローゼンプールのブロンダム博士と言えば帝国でも噂になるほどの発明家でのう」

「もっと警戒しておくべきだったな」

「いまさら、へくちゅん、おそいですわっはははは」

 ヒルデが笑いながらエイドレスをにらむ。

「とにかく、ここにいても意味がない。ワシらもアルヴァンと合流するとしよう」

「あははは、アルヴァン様に、こ、こんな無様な、すが、へくちゅん、は見せられませんわ」

「生憎だがお嬢さんの都合を聞いてやるわけにもいかんのでな」

 ジェイウォンはエイドレスに目配せした。

 エイドレスは再びヒルデを持ち上げると、破った窓から飛び出した。



「まいたか?」

 マスクを外し、息を整えながらゲルダが言った。

「大丈夫そうです」

 ブロンダム博士もマスクを外した。

 二人は監獄を抜け、ローゼンプールの市街地の方まで来ていた。研究所で起きた爆発の混乱が収まらない市街地では未だに慌ただしく人々が行き来していた。

「博士、あの赤髪の娘と狼の獣人はいったい何者なんだ?」

 改めてゲルダが聞いた。

「私にも見当がつきません。馬車でローゼンプールを離れて帝国軍に接触しようとしたときに出会ったのですが、彼らは帝国の人間ではないようですし……」

「だが、奴らの狙いはあなただ。どうも機動鎧を狙ってローゼンプールに侵入したらしいな」

「研究所の爆発も彼らの仕業でしょうか?」

 落ち着かない様子でブロンダム博士が聞いた。

「可能性はある。だが、わたしは別の人間を疑っている」

「別の人間?」

「ベリットだ」

「そんな……いや、まさか……」

 ゲルダの言葉を聞いたブロンダム博士は服の中に虫が入り込んだかのように、自分の体をまさぐった。

「どうした?」

「……ベリットの仕業だ……」

 ブロンダム博士の手にはコインを分厚くしたようなものが乗っていた。

「盗聴器か!」

 ゲルダはブロンダム博士の手から盗聴器をひったくった。

「なんてことだ、聞かれていたなんて……」

「博士、ベリットの行き先に心当たりはあるか?」

 ゲルダは盗聴器を踏みつぶして破壊した。

「あの子は機動鎧に並々ならぬ愛情を注いでいました。おそらく行き先は……」

「格納庫か……」

「すぐに向かわなくては!」

「いや、待て、おそらく格納庫にはさっきの二人組も向かっているはずだ」

「格納庫の場所は関係者以外は知らないはずです」

「以前、どこかの都市の密偵を捕らえたことがある。そいつは獣人に雇われたと言っていた。我々は取り合わなかったが、奴が本当のことを語っていたとしたら……」

「あの灰色の狼の獣人ですか!」

「そうであれば、これは計画的な犯行だ。ローゼンプールのことも事前に調べていただろう」

 苦々しげにゲルダが言った。

「そんな……」

 ブロンダム博士が青ざめた。

「まだ打つ手はある。あの二人組は格納庫にたどり着いても機動鎧を操作することはできない。機動鎧の操作方法までは密偵にも漏れていなかったからな。ベリットの方は格納庫の警備を突破できるとは思えん」

「たしかに、あの子には無理でしょう」

 ゲルダの指摘にブロンダム博士は少し落ち着いたようだった。

「今はとにかく冷静になることだ。私と直属の部下の機動鎧は屋敷においてある。それを取ってきてあの二人組を倒し、ベリットを捕らえるぞ」



 格納庫に通じる隠し通路を走っていたアルヴァンたちは最後の扉にたどり着いていた。

「……あー、まだ耳がキーンってする……」

 ベリットは盗聴器の受信機を耳に突っ込んだままにしていたことを猛烈に後悔していた。

「大丈夫?」

 アルヴァンが気遣わしげにベリットを見た。

「なんとか大丈夫」

「いったい何があったんだい?」

 グレースが聞いた。

「お父さんに仕掛けてた盗聴器壊されちゃったんだよ……」

「え! お父さんを盗聴してたんですか!」

 コルビンが驚いてベリットを見た。

「あー、ベリット君の家庭はちょっと複雑でね……」

 グレースがなんとかごまかそうとした。

「……そうでしたか。俺にできることがあれば何でも言ってくださいね」

「あ、ああ、ありがと……」

 疑うことを知らないコルビンから目をそらしつつベリットが答えた。

「よし、ベリットさんのためにも、頑張りましょう!」

 コルビンは気合いを入れると格納庫に通じる隠し扉を開けた。三人はコルビンに続いて扉を抜けた。

 隠し扉は格納庫にある空き部屋の壁に備え付けられていた。空き部屋に侵入した四人は部屋の外の物音に注意を払いつつ、あらためて作戦を確認した。

「コルビン君がおとりになって格納庫の警備兵の注意を引いて、ボクとアルヴァン君で機動鎧を運び出す手はずだったんだけど……」

 グレースはそこで新しい仲間に目を向ける。

「ここにはあたしがいるからね。機動鎧を使って一暴れしようか」

 ベリットはにやりと笑った。

「まあ、そういうわけだね。コルビン君は手はず通りに動いてくれ。後はボクらでなんとかするよ」

「任せてください! このコルビン、完璧に陽動して見せますよ!」

 自信たっぷりにそう言うと、コルビンは外の様子をうかがってから空き部屋を出て行った。

 コルビンが行ってからしばらくすると、格納庫内で警報が鳴り響き、何人もの人間が行き交う音がし始めた。

「上手くやってくれてるみたいだね」

 満足そうにグレースが言った。

「じゃあ、ベリットのことは頼みますね」

 アルヴァンが言った。

「……ああ。ベリット君、ボクらも行こうか」

 グレースがベリットを促す。

「え、ああ、そう、だな……」

 ベリットは不満そうだったが、グレースに手を引かれて部屋を出て行った。

「……久しぶりに二人きりだね」

 一人になったアルヴァンは腰に差した漆黒の剣に語りかけた。

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