第80話 右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ

 アルヴァン、グレース、コルビンの三人は機動鎧の格納庫に向かって走っていた。

「いい具合にパニックになっているね。誰がやったのか知らないけど、ありがたいことだ」

 研究所の爆発によってローゼンプールの人々が混乱に陥っているのを眺めながらグレースが言った。

「……グレースさんってずいぶんこういうのになれてる感じですね」

 グレースの後ろを走るコルビンが隣のアルヴァンに言った。

「たくましい人ですから」

 アルヴァンが答えた。

「……アルヴァン君、ボクみたいな美少女に向かってたくましいとか言わないで欲しいなあ」

 いつの間にか速度を落として隣に来ていたグレースがアルヴァンの耳元でささやいた。

「あなたはとてもたくましい人だと思いますが……」

「君が褒めているつもりなのはボクもわかっているし、そこまで悪い気分でもないんだけど今後のためにも君にはもうちょっと紳士的に振る舞えるようになって欲しいんだよねえ」

 不満そうな目でアルヴァンを見ながらグレースが言った。

「……グレースさんってこんな人でしたっけ?」

 二人の会話を見ていたコルビンは首をかしげた。



 人混みをかき分けながら順調に進んだ三人はようやく機動鎧の格納庫に到着した。

「爆発のおかげで目立たずに動けたのはいいんだけど……」

 グレースが近くの建物に身を隠しながら格納庫の様子をうかがう。

「警備がかなり厳しくなってますねえ……」

 慌ただしく格納庫周辺を行き交う警備員を見ながらコルビンが言った。

「コルビン君、なんとかできるかな?」

 グレースが聞いた。

「そうですねえ、ここは師匠の一番弟子であるこの俺が一肌脱ぎますか」

 にやりと笑ってコルビンが言った。

「案外頼もしいね……アルヴァン君、どうかしたかい?」

 アルヴァンが会話に参加してこないのを不思議に思ったグレースが聞いた。

「……ちょっと気になるんで見てきますね」

 アルヴァンはそれだけ言うと、格納庫に背を向けて走り出した。


「アルヴァン君!」

「アルヴァンさん!」

 アルヴァンの行動に驚いた二人が声を上げるがアルヴァンはそれを無視して、走って行った。

「……どうしましょう?」

 途方に暮れたコルビンがグレースを見た。

「下手に動くのは良くない。ボクらはここで格納庫を見張ろう」

「アルヴァンさんは?」

「彼はああ見えてちゃんと考えて動いているから大丈夫だよ…………たぶんね……」

 グレースは思いため息をついた。



「……し、しんどい……あたしどんだけ体力ないんだろ……」

 研究所を爆破したベリットは格納庫に向かって走っていたが、体力の限界が訪れつつあった。ベリットは住人が逃げてしまった民家に侵入した。椅子に腰を下ろし、一休みする。

 愛用の小瓶からアメを取り出し、包装紙を破って口に放り込む。

「……あー、染み渡るわー……」

 口の中に広がる甘みを堪能していると、少しだけ疲れがとれた気がした。

「さーて、格納庫への隠し通路の入り口までもうちょっと頑張りますかね」

「こんにちは」

 自分一人だけだと思っていたベリットは後ろから声をかけられたことに心の底から驚いた。そして、ベリットは反射的にアメ玉を飲み込んでしまった。

「お……おお……」

 苦しみながらも声の主の方を振り返ると、そこにいたのは銀髪の青年だった。年齢は自分より少し上だろう。


「どうかしましたか?」

 青年もベリットが苦しんでいることに気づいたらしく、心配そうにこちらを見ていた。

 ベリットは必死になって自分ののどを指さした。

「ああ、なるほど」

 青年はうなずくと、素早くベリットの背後に回り、ベリットの背中を叩いた。

 ベリットの口からアメ玉が飛び出した。

「けほっ……けほっ……あー死ぬかと思ったわー……」

 涙目になりながら、恨みのこもった目で銀髪の青年を見た。

「アメ玉は飲み込んじゃだめだよ」

 幼い子供に注意するかのように青年が言った。

「誰のせいだと思ってんのさ!」

「……僕なのかな?」

 青年が首をかしげる。

「全くもってその通り」

 ベリットは力強くうなずいた。

「すみません」

「あれ、案外素直だ」

 あっさりと謝ってくれた青年に拍子抜けしたベリットが言った。


「それで、あんたいったい何者な訳? この家の人じゃないよね?」

「僕はアルヴァン。機動鎧を盗みに来ました。この家の住人ではないね」

「……ひょっとして帝国軍の関係者?」

 恐る恐るベリットが聞いた。

「臨時で帝国軍と協力しているところだね」

 アルヴァンは少し考えた後、そう言った。

「サヨナラ!」

 返答を聞いたベリットは慌てて逃げ出した。


「あ、ちょっと!」

 走り出したベリットは後ろからアルヴァンにしがみつかれた。

「は、離せよ! バカ!」

 ベリットは必死で抵抗した。

「いや、離したら逃げられちゃうんで……」

 アルヴァンはしっかりとベリットを抱きかかえている。

「おとなしくする! おとなしくするから離せ!」

「そういうわけにも……」

 アルヴァンの手は離れない。

「おとなしくするからあたしの胸から手を離せって言ってんだよ! あたしの胸をわしづかみにすんのやめろ!」

 顔を真っ赤にしてベリットがそう訴えると、ようやくアルヴァンも自分の手が何を握っているのかに気づいたようだった。

「……え? うそ、君、女の子?」

 ようやく手を離したアルヴァンがまじまじとベリットの体を観察した。

「人の体をじろじろ見るな!」

 ベリットの平手打ちが炸裂した。



「……本当に女の子なの?」

 ひっぱたかれた頬をさすりながらアルヴァンは改めてベリットを見た。

「そう言ってんだろうが! それとも何か、貧乳は女扱いしないってか!」

 ベリットはかぶっていた帽子を床にたたきつけて声を荒げた。

 帽子に収まっていた長い黒髪があらわになった。

「ああ、女の子なんだね」

 ベリットの長い髪を見て得心がいったというようにアルヴァンが手を叩いた。

「なんでそこで素直に納得すんだよ! おかしいだろ!」

 胸を掴んだときとの反応の違いにベリットは不満をあらわにした。

「それで、君の名前は?」

 アルヴァンが聞いた。

「その切り替えの早さは何なの……ベリット、ベリット・ブロンダムだよ」

 アルヴァンにあきれながらもベリットは自己紹介した。


「よろしくね」

「ふざけんな! よろしくできるか!」

 ベリットはアルヴァンが差し出した手を払いのけた。

「ええと、ベリットは格納庫への隠し通路の入り口を知ってるんだよね?」

「まあね、こんなこともあろうかといろいろと準備してたわけよ。そういえば、あんたも機動鎧を盗みに来たとか言ってたな……そうだ! こいつ帝国軍じゃん! 逃げなきゃ!」

 重大な事実をようやく思い出したベリットは再び走り出した。

「逃がさないよ」

 アルヴァンは再びベリットを捕まえた。

「だから! 胸を! 掴むなって! 言ってんだろうが!」

 数分前と同じ状況になったベリットが叫ぶ。

「ああ、ごめん、つい……」

 アルヴァンは手を離した。

「つい、じゃねえよ! おちょくってんのか!」

「そういうわけじゃないけど、君を逃がすわけにいかないから」

「おのれ、帝国軍め……」

 ベリットはアルヴァンをにらみつけた。

「僕は帝国軍じゃないんだけど……」

「さっき帝国軍に協力してるっていったじゃねえか!」

「ブロンダム博士と機動鎧を手に入れるまでの間、帝国軍と協力しているだけなんだよ」

「……ん? ブロンダム博士って、ヴァーナー・ブロンダムのこと?」

「そうだね。そういえば君は……」

 先ほどのベリットの自己紹介を思い出したアルヴァンがつぶやく。

「なるほどね。帝国の奴ら、機動鎧を奪うために乗り込んできたのか……」

「帝国の人たちはね」

「その言い方だとあんたは何か別のものを奪いに来たみたいに聞こえるな」

「うん、僕は君が欲しい」

「…………なんだって?」

 突拍子もないアルヴァンの言葉にベリットは耳を疑った。


「君も僕と似ているから」

 ベリットは改めてアルヴァンを見た。

「……へえ、そうか。あんたもそうなんだ。いいね。あんたと組むのは面白そうだ」

 アルヴァンの瞳の奥に自分と同じものを見たベリットが笑う。

「協力してくれるかな?」

 アルヴァンはもう一度ベリットに手を差し出した。

「しょーがない。さっきのことは水に流すか」

 ベリット・ブロンダムは差し出された手を握った。



「……遅いですねえ……」

 建物の陰から格納庫の方に注意を向けつつ、コルビンがぼやいた。

「まあ、アルヴァン君のことだから心配は要らないよ」

 グレースが言った。

「ずいぶん信頼してますね」

「何せボクの共犯者だからね」

「共犯者?」

 グレースの言葉にコルビンは首をかしげたが、彼の注意は近づいてくる気配に向けられた。


「お、来たみたいですね」

 気配の方に目を向けてコルビンが言った。

「だから心配要らないって言っただろう?」

 格納庫の方に目を向けたままグレースが言った。

「アルヴァンさんが来たのはいいんですけど、もうひとりついてきてますね」

「なんだって?」

 グレースがコルビンの方を見る。

「アルヴァンさんが連れているのはどうも女の子みたいですね」

「なんだって?」

 グレースの言葉は先ほどと同じものだったが、言葉に込められている感情はさっきとはまるで違っていた。



「紹介しますね。ヴァーナー・ブロンダム博士の娘のベリットです」

 アルヴァンは長い黒髪の少女をグレースとコルビンに紹介した。

「ブロンダム博士に娘さんがいたんですか……」

 コルビンは驚いた様子だった。

「まあ、よろしく」

 ベリットが言った。

「…………」

 グレースは不機嫌そうな顔でベリットを観察していた。

「グレースさん?」

 グレースの様子がおかしいことに気づいたアルヴァンが言った。

「アルヴァン君、ちょっと」

 グレースはアルヴァンを手招きした。コルビンとベリットから十分に離れると、声を潜めてグレースが切り出した。

「アルヴァン君、どういうことかな?」

「どうと言われましても……」

「質問の仕方を変えようか、君は彼女のどこが気に入ったのかな?」

 にっこりと笑ってグレースが聞いた。

「ベリットからは僕と同じようなにおいがするんです」

 そう語るアルヴァンはうれしそうだった。

「アルヴァン君、僕としても戦力が増えることは歓迎するよ。でもね、君がうれしそうな顔をしてかわいらしい女の子を連れてくるのを見るのは不愉快だなあ」  

「大丈夫ですよ、ベリットが女の子だって気づいたのはついさっきですから」

「アルヴァン君、アルヴァン君、その答えは良くないなあ。その返答はつまり、君にはベリット君が女の子であることを確かめる機会があったことを意味するんじゃないかなあ」

「そうですね。ベリットがかぶっていた帽子を脱いだときに髪が長いことに気づいたんです」

「そうかそうか、それはよかったよ。ボクが危惧したような事態は起きていないんだね。いやあ、君を疑って悪かったよ」

 アルヴァンの答えを聞いたグレースは上機嫌であやまった。

「僕は気にしてませんよ。そういえば、女の人の胸の大きさって人によって全然違うんですね。僕、ベリットの胸を掴んでも女の子だって気づきませんでしたよ」

 グレースの豊かな胸に目を向けながらアルヴァンが付け足した。

「……その話、詳しく聞かせてもらおうかな……」

 さっきまでの機嫌の良さが吹き飛んだグレースが低く、冷たい声でそう言った。

 快く事情を説明したアルヴァンの頬にグレースの平手打ちが炸裂した。

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