第79話 恐るべき子供

 工業都市ローゼンプールの領主、ゲルダ・ハーマンは改めてヴァーナー・ブロンダム博士を見た。

 それほど手荒く扱ったとは聞いていないが、博士の衣服は少し汚れており、眼鏡はつるが曲がってしまっていた。しかし、その表情は真剣そのものだった。

「ゲルダ様、私は帝国への亡命を図りました」

 博士ははっきりとそう言った。

「ずいぶん潔く認めたな」

 ゲルダは面白くもなさそうに言った。

「機動鎧のデータまで持って行こうとしたのですから、私の身はどうなろうとかまいません」

「で、次は娘の身の安全だけは保障してくれ、か?」


「違います。私の望みはなんとしても私の娘を捕らえていただくことです」

 あざ笑うようなゲルダの問いかけにヴァーナーは首を振った。

「なんだと?」

 ゲルダの目の色が変わる。

「ゲルダ様、機動鎧の動力源である魔石をどこから入手しているかはご存じですか?」

「妙な聞き方をするものだ。魔石の調達は自分に一任して欲しいと言ったのはあなたの方だろう。確か、魔石は発掘するのも運搬するのも細心の注意を必要とするからとか言っていたな」

 ヴァーナーの問いかけにゲルダは困惑した。

「実際のところ、それは嘘です。魔石はかなり安定した物質で、取り扱いは容易です」

「……なぜ嘘をついた?」

「私もそう説明されたからです」

「自分は魔石を調達していないというのか?」

「その通りです。私は娘の説明を信じていました。あの日までは……」

「待て、話しについて行けない。なぜここであなたの娘が関係してくるんだ?」

「なぜ娘のベリットが関係するのかというと、彼女こそが機動鎧の本当の開発者だからです」


「何を言い出すかと思えば……あなたが機動鎧の試作品を初めて持ってきたのはもう十年も前のことだぞ!」

 ゲルダはここまで博士の話を真剣に聞いた自分が馬鹿らしくなった。博士の娘、ベリット・ブロンダムは今年で十五歳だ。この男は五歳の子供が機動鎧を開発したとでも言うつもりなのだろうか。

「そうです。ベリットは私を遙かに超えた天才でした」

 ヴァーナーは真剣そのものだった。この男は嘘をついてはいない。受け入れがたいことだったが、ゲルダの直感はそう言っていた。

「初めのうちはただ発達が早いだけだと思っていました。私は我が子の成長を見るのが楽しくて、次々とあの子に知識を与えました。そして、その日はやってきました……あの日、ベリットは研究資料を見せて欲しいと言いました。そして、あっという間にレポートに目を通すとこう言いました。『お父さん、このレポート悪くはないけど、間違いが多いね』と。最初のうちは私も取り合いませんでしたが、詳しく調べてみるとベリットの指摘はすべて当たっていました……あの子が三歳のときのことです」


「そんな馬鹿な……」

 ゲルダは言葉を失った。博士は娘の成長の様子を懐かしむように、そして小さな子供に追い抜かれてしまったことを恥じるように語った。

「時間が経つにつれて、あの子の発達の速度は加速していきました。あの子が四歳になる頃にはもう私はあの子についていけなくなっていました。五歳の誕生日を迎える頃には私はもう完全に自分の仕事をあの子に任せ、あの子の助手を務めていました」

「あの頃のあなたの画期的な発明の数々は……」

「すべてベリットが考えたものですよ」

 博士は力なく笑いながらゲルダの言葉を肯定した。

「あの子はこの上なく優秀でした。ですが、あの子はおかしかった。十年前、馬車に乗って出かけた妻が事故に遭って亡くなった日、私は涙を流しながらあの子に母親の死を告げました。そうしたら、あの子はこう言いました。『そんなことどうでもいいから、これを作るのを手伝ってよ』と。そのとき、あの子が笑いながら私に手渡したのが機動鎧の設計図でした」


「……なぜ、いままで黙っていた」

 ゲルダは組み合わせた自分の両手に目を落としながら聞いた。

「娘の功績を自分の成果だと偽ることの罪悪感は天才科学者ともてはやされる喜びで薄れました。しかし、あの子の、あの嘘だけは許容できなかった……」

「魔石の件だな」

「機動鎧の動力源となる魔石はあの子がどこからか調達していました。初めのうちは私も生物の化石に含まれる魔石を採取しているというあの子の説明を信じました。しかし、ある日、興奮したあの子が言ったんです。病院でお父さんが診ている患者を何人か連れてきてくれ、と。私は聞きました。いったいなぜそんなことをしなくてはならないのかと。あの子は言いました。『いいから連れてきてよ! 今すっげーアイデアが浮かんだんだって! もう超最高な機動鎧作るからさ! 魔石の材料が要るんだよ!』ってね」

 力なく笑いながら博士が続ける。

「私は血相を変えてベリットを問いただしました。あの子は素直に白状しましたよ。化石を取り尽くしたから、私が病院で診ている患者を使って魔石を作っていたとね。あの子は病院でも私の手伝いをしていました。私の診ている患者を自然死に見せかけて殺し、魔石の材料にしていたそうです」

「なんてことだ……」

 ゲルダは告げられた真実の重さに押しつぶされそうだった。


「なにより恐ろしかったのはあの子が悪びれもせずに何もかもを正直に話したことでした。この話をするときのあの子はただただ煩わしそうでしたよ。頭の悪い父親を説得するのは面倒だ。おまえは早く『材料』を渡せと言いたそうでした。罪悪感や後悔なんて全く感じられませんでした」

「…………」

 ゲルダは何も言えなかった。父親が実の娘のことを語っているようにはとうてい見えなかった。博士は自分が生んでしまった化け物のことを語っていた。

「私は決断しました。なんとしてもこの子を止めなくてはならない」

「私に相談するわけにはいかなかったのか?」

 ゲルダはそう聞いたが、それにどんな答えが返ってくるのかはわかっていた。

「無理でした。あの子はフェイラム伯爵と組んでいたんです。どうやって連絡を取ったのかは見当もつきませんが、フェイラム伯爵は機動鎧の真実とあの子の本当の力を知っていました。もし、あなたに相談してしまったら、フェイラム伯爵がベリットを守るために動いたはずです」

「ローゼンプールがつぶされてしまうか……」

 ゲルダは奥歯をかみしめた。


「そして、あの子は完全に解き放たれてしまいます。それはなんとしても避けなくてはならなかった……」

「それでロプレイジ帝国への亡命か……」

「はい……本当であれば私が始末をつけるべきなのです……ですが、私にはできなかった……申し訳ありません……」

 ヴァーナーは頭を下げてゲルダに許しを請うた。その目には涙が光っていた。

「あやまることなどない。相手が化け物であるからといって、自分まで化け物になってしまうことはないんだ」

「申し訳ありません、申し訳ありません、ゲルダ様……」

 ヴァーナーは改めてゲルダに頭を下げた。

「顔を上げろ。泣いている暇などないぞ。これ以上ベリットの好きにさせるわけにはいかない。真実を知っていてなお機動鎧の生産を要求していたのであれば、もうフェイラム伯爵とは組めん。ローゼンプールは都市国家同盟ワイルドヘッジを離脱し、ロプレイジ帝国に庇護を求める」

「ゲルダ様、それではローゼンプールの独立が……」

 ヴァーナーが顔色を変える。

「人々を犠牲にして作った兵器で守る独立などに意味はない」

 ゲルダははっきりとそう言った。

「博士、長く苦しませてしまったな。ここから先は領主である私の出番だ。後のことは任せてくれ」

 ゲルダの力強い言葉にヴァーナーは涙した。



「うーん、どうするかなあ、あのババアが動き出すとなると面倒だなあ」

 ブロンダム博士のために作られた研究所の一室で、ベリット・ブロンダムは監獄を訪ねたときに父親に取り付けた超小型の盗聴装置で尋問の音声を聞きながら、ぐるぐると部屋の中を歩き回った。

「伯爵に連絡とっても向こうが動き出す前にあたしが捕まっちゃうよねえ……」

 散らかり放題の机の上においてある小瓶をひょいとつかむと、瓶の中からあめ玉を取り出し、あめ玉を口の中に放り込んだ。

「……よし、逃げるか」

 しばしの間、口の中に広がるねっとりとした甘みを堪能するとベリットは隠し持っていた男物の服に着替えて、長い黒髪を帽子のなかに押し込んだ。

「……あたしって生物学上はメスだよね……」

 姿見で自分を見ると、とても女には見えなかった。

「まあ、今回は都合がいいか……よっこらせっと」

 細腕に力を込めて、最低限の荷物を詰めたカバンを持ち上げる。

 警備員や研究所を出て行くのがベリットであるとは誰も気づかなかった。


「……どーしよ、スムーズに行き過ぎて怖えわ……誰もあたしだって気づいてない……これはこれでなんか腹立つなあ……」

 研究所から十分離れたところで道を行き交う人々に混ざりながらベリットがぼやいた。昼時ということもあり、通りは人で賑わっていた。しかし、男装の少女には誰も目を向けなかった。

「陽動もかねて、ちょっと八つ当たりでもしますかね……ポチッとな」

 ベリットはカバンの中に手を突っ込むと、発信器のボタンを押した。


 次の瞬間、研究所のいくつもの区画から、まばゆい閃光がほとばしった。続いて通りを衝撃が走り抜け、ローゼンプールの進んだ技術で作られた頑丈な建物を揺らした。そして落雷のような轟音が遅れてやってきた。

「……ざまあ」

 通りが騒然となるなか、すべてを心得ているベリットは一人ほくそ笑んだ。

「……むなしくなんかないぞ……」

 自分で自分に言い訳しながら、ベリットは目的地に向かって進んだ。



 爆発の少し前。

 ローゼンプールの門衛は改めて御者台のアルヴァンを見た。

「おまえ、どこから来たと言った?」

「パインデールからですね」

 アルヴァンが答えた。

「馬車には誰が乗っているんだ?」

「パインデールの領主、グレース・コンラッド様です」

「……通っていいぞ」

 門衛は手を振ってアルヴァンを促した。

 アルヴァンの乗った馬車が都市の中に入っていくのを確認すると、門衛はローゼンプール中に張り巡らされた通信装置を使ってパインデールの領主が来たことを都市の警備隊長に報告した。

「……その馬車を尾行しろ。絶対に逃がすな。それと、このことは他言無用だ」

 警備隊長は連絡してきた門衛にそう告げると、領主であるゲルダのもとに走った。

 警備隊長は知っていた。ローゼンプールとパインデールの間で起きた事件を。

 パインデールを訪れていた当時のローゼンプールの領主の息子、今の領主であるゲルダの兄がパインデールの領主の娘であるグレース・コンラッドに殺されたことを。

 あの事件を闇に葬る代わりに、グレースは投獄されたはずだった。そのグレースが今になってローゼンプールにやってきたというのだ。しかも、グレースはパインデールの領主を名乗ったという。警備隊長に対処できる問題ではなかった。

 しかし、隊長はゲルダの元にたどり着く前に研究所からの爆音を聞くことになる。



 ローゼンプール中央にある広場で馬車を止めるとアルヴァン一行は馬車を降りた。

「さて、ここからは時間との闘いだ」

 ジェイウォンが切り出した。

「ワシらは二手に分かれる。ひとつはブロンダム博士を確保するグループ。もうひとつは機動鎧を確保するグループだ。ワシとエイドレス、バルドヒルデで博士を確保し、アルヴァン、グレース殿、コルビンで機動鎧を確保する。異存はあるか?」

「異存しかありませ――」

 アルヴァンと離れることになるヒルデが口を開きかけたが、アルヴァンが隣に立つヒルデの手を優しく握ってやると、ヒルデは何も言わずにおとなしく引き下がった。

「これはあれですの、何も言わずに黙ってついてこい的な奴ですの……わたくしたちは言葉を交わさずとも通じ合っていますの」

 にやにやと笑いながらヒルデがつぶやいた。


「ここから近いのは機動鎧の方だな。アルヴァン、馬車はワシらが借りるぞ」

 ジェイウォンの言葉にアルヴァンがうなずいたとき、研究所が爆発した。

「……博士がやったのか?」

 エイドレスが言った。

「皆目見当がつかん。だが……」

「好都合ですね」

 ジェイウォンの言葉にコルビンが割り込んだ。

「おまえにしては察しがいい」

 長いあごひげを撫でながらジェイウォンが言った。

「では、博士と機動鎧を奪取して例の場所で落ち合いましょう」

 グレースがそう言うと、全員がうなずいた。

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