第78話 老兵の願い

 捕らえられたヴァーナー・ブロンダム博士はローゼンプールの地下監獄にある牢屋に放り込まれた。

 自分の行動の何が悪かったのかと牢屋のなかを歩き回りながら考えていると、看守が現れた。

 看守は少女を連れていた。少女は年の割に身長は低いが黒い髪は腰まで届くほど長く、体はやつれていると言っていいほど細い。大きな眼鏡の奥の目はこの状況を楽しんでいるように見えた。

「ベリット……」

 

 看守が連れてきたのは博士の娘だった。

 ベリットの姿を見たヴァーナーは自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。

「なぜ、おまえがここに……」

「やだなあ、お父さん、幽霊でも見たような顔してるよ」

 ベリットはヴァーナーの顔を見て明るく笑った。

「ねえ、看守さん、ここは親子水入らずでお願いできないかなあ」

 ベリットは上目遣いで看守を見ながら言った。その手は看守のポケットに何かを滑り込ませていた。

「……まあ、少しだけならいいだろう」

 ポケットの重みを確認しながら看守が言った。

「ありがと」

 ベリットは笑顔で共犯者を見送った。

「……おまえ、いったいどうやって……」

「あのねえ、お父さんの考えることなんてあたしはお見通しなんだよ」

 ケラケラと笑いながらベリットが言った。


「……悪魔め……」


 自分が娘の手のひらの上で踊らされていたことを知ったヴァーナーは奥歯をかみしめた。

「その悪魔と仲良く手を握ってた人がよく言うよ」

 ベリットは大げさに肩をすくめる。

「まあ、あたしへの悪口は水に流してもいいよ。今まで通り助手をやってくれるならね」

「断る! 私はもうおまえに手を貸したりはしない!」

「えー、それ本気で言ってんの? 機動鎧作るの超楽しいじゃん。あたし、また新しいアイディアが浮かんだんだよね。だからさあ、また何個か魔石が欲しいんだよねえ」

「いい加減にしろ! 私はもうあんなモノはつくらない!」

 新しいおもちゃをねだるように魔石をほしがるベリットにヴァーナーは怒りを爆発させた。

「……そう。あーあ、あたしはせっかく最後のチャンスをあげたのになあ……そんな風に怒られるなんて心外だなあ……」

 すねたようにベリットが言った。

「私はもっと早くおまえを止めるべきだったんだ」

「いまさらそれ言う? お父さんだって喜んでたじゃん」


「私だって喜んださ……機動鎧の真実を知るまでは……ベリット、どうしてこんなことになってしまったんだ……」


「どうしてって、あたしは自分が面白いと思えるモノを作っただけなんだけど」

 困ったような顔をしてベリットが言った。

「面白い……面白いだと! おまえはあんなモノを作るのが面白いというのか!」


「そりゃあもう最高に」


 激高するヴァーナーに対してベリットは涼しい顔でそう言った。

「……狂っている……おまえは狂っているよ、ベリット……」

 ベリットの答えを聞いたヴァーナーは心の底から自分の娘に恐怖した。

「まあ、それはどうでもいいけど、お父さんが協力してくれないって言うなら、あたし、好き勝手やらせてもらうからね……もう時間かな。じゃ、バイバイ。あー楽しみだわー、何から作ろっかなー」

 期待に胸を躍らせながらベリットは歩き出した。

「おい待て! ベリット! ベリット!」

 牢獄の通路にヴァーナーの怒声がむなしく反響した。


 

 何もできないままベリットを見送った後、ヴァーナー・ブロンダム博士は意を決して牢屋の鉄格子を連打した。

「誰か! 誰か来てくれ! 領主に、ゲルダ様に伝えなければならないことがあるんだ!」

 鉄格子が叩かれる音を聞きつけた看守が何事かと様子を見にやってきた。

「ブロンダム博士、落ち着いてくれ。あんたの尋問は領主様が直々に行うことになってるんだ。そんな風にわめかなくたってじきに領主様に会える」

 看守は博士をなだめようとした。

「それではだめなんだ! 私は今すぐにでもゲルダ様に会わなくてはならない!」

「あんたはゲルダ様から逃げ出そうとしたんだろうが。今更なにを言ってやがる」

「あんた、機動鎧が何を動力にして動いているか知っているか?」

「突然何を言い出すんだ?」

「いいから答えてくれ!」

「何って、そりゃ魔石だろ? 大昔に死んだ高い魔力を持った生き物の化石からとれる石だ……こんなことはこの都市に住んでる人間なら誰でも知ってるぞ」

 博士の異常な剣幕に押されて看守は渋々答えた。

「初めのうちはそうだったんだ……だがな、そう都合良く高い魔力を持った生物の化石なんて見つからないんだ……」

「……じゃあ、どこから魔石を持ってくるんだよ?」

「あんたの目の前にも居るだろう? 高い魔力を持った生物が」

 皮肉な笑みを浮かべて博士が言った。




 カスパール大佐の部隊はローゼンプールから少し離れた森のなかでテントを張って野営していた。アルヴァンたちはジェイウォン、カスパールとともに部隊と合流した。

「年が年なんでな、ちょっと座らせてもらうとしようか」

 ジェイウォンはちょうどいい切り株に腰掛けた。

「さて、まずはおまえさんたちの協力に感謝しよう」

「お気になさらず」

 如才なく笑ってグレースが言った。

「そうもいかんよ。こっちにはこのジジイと猪武者どもしかおらんからな」


「俺を忘れもらっちゃ困りますよ、師匠」

 ジェイウォンの言葉に割り込んできたのは両手いっぱいの薪を抱えた少年だった。まだあどけなさの残る顔立ちだが、体つきはたくましく、背中のあたりまで伸びた髪を一つに結わえていた。

「コルビン、半人前は数のうちに入らんのだよ」

 ジェイウォンはかぶりを振った。

「俺だってもう一人前ですよ」

 コルビンが反論する。

「人に挨拶もできない奴が一人前なものか」

「あっ……」

 ジェイウォンにそう言われて、コルビンはようやくアルヴァンたちに気づいたようだった。

「申し遅れました、俺は師匠の弟子のコルビンです」

 コルビンがあわてて頭を下げる。

「私はグレース・コンラッド。こちらは護衛のアルヴァンとエイドレス。それにメイドのバルドヒルデだ」

 グレースが手短に全員を紹介した。

「おお、獣人さんですね!」

 エイドレスの姿を見て興奮したコルビンが言った。

「コルビン、おとなしくしておれんのなら放り出すぞ」

 ジェイウォンが言った。


「すいません、師匠、つい……」

「やかましい奴で申し訳ない。こんなでもなかなか見込みがある男でな」

「見込みがあるってほんとですか師匠!」

 コルビンが目を輝かせる。

「放り出すぞコルビン」

 低い声でジェイウォンがそう言うとコルビンは黙った。

「……ご老体、そろそろ本題に入ってもよろしいですか?」

 いらだちを隠しきれないカスパールが言った。

「すまんな、大佐。さて、今回の我々の任務はブロンダム博士の奪還と機動鎧の入手だ。博士はローゼンプールの監獄にとらわれていると思われる。とはいえ、状況がどう転ぶのかは見当がつかん。おそらくは近いうちに領主自ら博士を尋問するだろう。その前に博士を確保したいところだな」


「となれば、ローゼンプールに乗り込むしかありませんね」

 グレースが言った。

「そうだな。ワシとあんたたちで乗り込むほかあるまい」

 ジェイウォンがうなずく。

「彼らとともに乗り込むというのですか! それでは帝国軍の作戦に赤の他人を巻き込むことに……」

 カスパールが不満そうに言った。

「ほかに妙案もないだろう。それともブロンダム博士のことはあきらめるかね?」

 ジェイウォンが聞いた。

「それは……」

 カスパールは口をつぐんだ。

「ブロンダム博士を取り戻したいのは皆同じだ。使える物は何でも使おう」

「……わかりました」

 カスパールはようやくうなずいた。

「さて、ワシらにはローゼンプールの詳細な見取り図がある。監獄の内部も把握している。博士が監獄にとらわれているのであれば、なんとか侵入して奪還できるだろう。しかし、機動鎧については話が別でな。機動鎧の格納庫と研究データの場所は皆目見当がつかん。本来であればブロンダム博士が情報を提供してくれるはずだったんだが……」


「それでしたらお力になれると思いますよ」

「何だと!」

 カスパールは驚いてグレースを見た。

「これをご覧ください」

 グレースが取り出したのはペテュールが集めた資料だった。

「これは……信じられん……格納庫の場所に警備体制、それに加えて研究データの一部まで……」

 カスパールは夢中になってグレースの資料を見た。

「こんなものをいったいどうやって……」

 カスパールはまじまじとグレースを見た。

「我々にもいろいろと手段があるのですよ」

 グレースがほほえんだ。

「ふむ、こりゃありがたい。この資料があれば、機動鎧の方もなんとかなりそうだな」

 ジェイウォンが満足げにうなずく。

「よし、ワシとコルビン、それにグレース殿一行でローゼンプールに乗り込む。カスパール大佐は脱出の際の援護を頼む」

「……承知いたしました」

 カスパールはジェイウォンの提案を受け入れるしかなかった。




 衝突によって壊れてしまった馬車をカスパール大佐の部隊に直してもらうと、一行はローゼンプール目指して出発した。

「………………」

 馬車の車中でエイドレスは隣からの視線を気にしないように努めながら正面を見据えていた。

「………………」

 エイドレスの隣に座ったコルビンは好奇心に満ちた目で狼の獣人の鍛え抜かれた体を見ていた。

「コルビン君、触りたいのなら触ってもいいよ」

 コルビンの様子を見ていたグレースがそう言った。

「ほ、ほんとですか!」

 コルビンの目が歓喜にきらめく。

「冗談ではない!」

 エイドレスの目は絶望に染まった。

「俺、獣人さんを見るのって初めてなんですよ。やっぱり筋肉の付き方とか人間と違いますよねえ、おお、毛並みもふさふさだ」

 グレースの了解を得たコルビンがエイドレスの体をなで回す。

「や、やめろ! 触るな! 撫でるな!」

 エイドレスは抵抗するがコルビンの手は止まらない。

「仲むつまじいことですわね」

 にこにこと笑いながらヒルデが言った。

「バルドヒルデ、貴様楽しんでいるな……」

 コルビンに好き放題されながらエイドレスがヒルデをにらむ。

「ほほえましい光景ですから」

 口ではそう言っているもののヒルデの笑みは意地の悪いものだった。

「よーしよしよし、よーしよしよし」

 コルビンは上機嫌でエイドレスの体を触っている。

「やめろ、やめてくれ、頼むから……」

 エイドレスの声は次第に小さくなっていった。



「いやー、堪能させてもらいました」

 すっきりとした表情でコルビンが言った。

「満足していただけたようで何よりだよ」

 グレースが笑う。

「もっと触ってもよろしいですわよ」

 ヒルデも笑っていた。

「覚えていろよ……」

 エイドレスだけが暗い表情だった。

「それでだね、コルビン君、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

「こんな素晴らしい経験をさせていただいたんですから、俺に答えられることなら何でも答えますよ」

「そうかい、それはありがたい。私が聞きたいのは君の師匠が何者なのかってことなんだよ。カスパール大佐は君の師匠に頭が上がらないみたいだけど、帝国軍の大佐よりも偉い人なのかい?」

「コホン、これはトップシークレットって奴なんですけどね、師匠の正体は……」



「おまえさん、なかなか馬の扱いに慣れておるな」

 ジェイウォンは感心した様子で自分と同じ御者席に座るアルヴァンを見た。

「そうですかね?」

 時々馬に鞭をくれてやりながらアルヴァンが首をかしげる。

「謙遜することはない。なあ、おまえさんもそう思うだろう?」

 ジェイウォンはごく自然な調子でアルヴァンの肩にとまっているフクロウに話しかけた。

「私もなかなかのものだと思いま……」

 あまりにも自然に話しかけられたローネンはつい返事を返してしまった。

「ホ、ホー……」

 ローネンはなんとか失敗を取り戻そうとした。

「ほっほ、無理をせんでもよろしい」

 ローネンを見てジェイウォンが笑う。


「……なぜばれたんですかのう……」

 ローネンが肩を落とす。

「なかなか上手くやれておるよ。だがな、おまえさんは自然の鳥とは少々振る舞いが違う」

「ぬう、身も心も鳥になったつもりでおりましたが、やはり鳥への道は遠いですなあ……」

 悔しそうにローネンがつぶやく。

「まあ、決め手になったのはおまえさんが腰にぶら下げておる剣だがね」

 ジェイウォンは布で覆ってあるアルヴァンの剣に目を向けた。

「マレビトだな?」

 アルヴァンの銀色の髪を見ながらジェイウォンが聞いた。

「そうみたいですね」

「まるで他人事のように言うな」

 アルヴァンの返答にジェイウォンが笑う。


「……で、それが簒奪する刃。魂を奪う魔剣。そっちのフクロウの御仁はその剣の力で鳥の体を手に入れたわけか」

 ジェイウォンが表情を引き締めて言った。

「そうですね」

 アルヴァンは平然と答えた。

「十七年前、帝国の遺物探索部隊はマレビトの村にある遺物を探しに行くと報告して消息を絶った。あの後いったい何が起きたんだ?」

 独り言のようにジェイウォンが言った。

「それはどうでもいいでしょ」

 アルヴァンが言った。

「そうだな。アルヴァン、ワシはおまえさんに頼みがある。聞いてくれるか?」

 ジェイウォンはアルヴァンを見た。

「いいですよ」

「ワシはある男と戦いたいのだよ。万全の状態でな。しかし、それはもう叶わぬ夢だ。ワシは今年で七十六になる。今までありとあらゆる方法を試したが、老いには勝てぬ。日に日にこの体が死に向かっているのがわかる……これは耐えがたいことだ。もっとも、こんな話はおまえさんにはわからんだろうがな」

 皮肉な笑みを浮かべてジェイウォンは隣に座る銀髪の青年を見た。

「うーん、確かに僕にはまだ理解できないですね」

「そうだろうな。だが、おまえさんにも理解できるはずだ。持てる力のすべてを出し切って敵を討ち滅ぼすときの喜びは」

「ああ、それなら理解できますよ」

「おまえさんならそういうと思っていたよ。ワシの願いはただ一つ。この朽ちゆく体を捨てて、新しい体を手に入れること。そして持てる力のすべてを出し切ってあの男と戦うことだ。それが可能になるのならばワシはおまえさんに従おう」

「たぶんなんとかなると思いますよ」

「そうか……ありがとう。ありがとう、アルヴァン。かつてロプレイジ帝国皇帝直属の特務部隊『五帝剣』の一角を担ったこの拳、今日この日からはおまえさんのために振るおう」

「お互い楽しみましょう」

 アルヴァンはそう言って笑った。

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