第77話 ローゼンプールの機動鎧

「やれやれ、どうしたものか……」

 エイドレスは最後の干し肉を味わいながらつぶやいた。

「ずいぶんと余裕があるように見えますわね」

 こんな状況でも食事にいそしむエイドレスを見てヒルデはあきれていた。

 ローネンという御者を失った馬車はかなりの速度で道なりに走っていた。

「そうはいってもどうしようもないだろう。お互いに馬車の制御なんてできないのだから」

「それはそうですが、こういうときは殿方がなんとかするものではありませんか?」

「こういうときとは?」

「可憐な淑女が途方に暮れているときですわ」

「よくもまあ臆面もなくそんな言葉が出てくるものだな……」

 エイドレスは向かいに座るヒルデをまじまじと見た。

「女たるものいつだって淑女であるべきですわ」

 胸を張ってヒルデが言った。

「私が考える淑女というのは恋敵をやり込めるために気が遠くなるほどの伝言を送りつけたりはしない存在なのだがな」

「ぐぬぬ……」

 エイドレスの指摘にヒルデは押し黙った。

「淑女というもののあり方はさておき、何かに掴まった方がいいぞ」

 窓から頭を出して前を見たエイドレスが言った。

「何でですの?」

「前方から馬車が突っ込んでくるからだ」

 エイドレスがヒルデの問いに答えたのと同時に馬たちがいななき、二人が乗った馬車は正面から走ってきた四頭立ての馬車と衝突した。




「……痛いですわ……」

 ヒルデはエイドレスの言葉を聞いてとっさに魔力障壁を張った。しかし、衝突の衝撃は強く、天井に頭をぶつけることになった。

「さすがに反応が早いな。見事なものだ」

 エイドレスはヒルデの無事を確認すると、横転した馬車から這い出した。

「さて、あちらはどうかな」

 こちらの馬車と同じように衝突によって横転した相手の馬車を見る。

「向こうも無事みたいですわね」

 エイドレスの後を追って窓から出てきたヒルデが言った。

 その視線の先では相手の馬車から眼鏡をかけた男性が出てくるところだった。

「……何で避けてくれないんだ……」

 眼鏡の男性はかぶりを振りながら言った。

「すまんな。避けようがなかったんだ」

 男性に手を貸してやりながらエイドレスが言った。

「な、なんだ、あんた、獣人か!」

 手をさしのべたのが灰色の狼の獣人であることに驚いた男性が言った。

「エイドレス・ライムホーンだ。こっちは連れのバルドヒルデだ」

 エイドレスに紹介されたヒルデは一礼した。

「わ、私はヴァーナー・ブロンダム。ローゼンプールで科学者をやっている」

 眼鏡の男性は反射的に名乗った。


「……何か来ますわね」

 何かを感じ取ったヒルデがつぶやいた。

「ば、バカな……もう追いついたっていうのか……」

 ヒルデが向いている方を見たヴァーナーは恐怖に染まった目でそう言った。

「追われているのか?」

 エイドレスが聞いた。

「……そうだ。私はローゼンプールの領主から逃げていたんだ」

「いったい何をやりましたの?」

 ヒルデが聞いた。

「私は……耐えられなくなったんだ……あの兵器をつくることに……」

「もしやその兵器というのは機動鎧のことか?」

「……あんたたち、まさか帝国の連絡員か?」

 ヴァーナーが聞いた。

「いや、我々は……」

 エイドレスが口ごもる。

「助けてくれ! 亡命の計画が領主にばれてしまったんだ! 約束通り、機動鎧のデータは持ってきている! 今すぐ私を帝国に連れて行ってくれ!」

「どういうことですの?」

 途方に暮れたヒルデがエイドレスを見た。

「私にも見当がつかんよ……」

 

 エイドレスがそう答えたとき、それはやってきた。

 それは遠目には全身鎧を着けた騎士に見えた。しかし、それが近づいてくるにつれて、鎧を着た騎士などではないことに気づく。

 大きいのだ。

 身長は大柄な獣人であるエイドレスよりもさらに高い。人間ではとうてい考えられない身長だった。その手に持っているランスはまるで大木のようだ。

「機動鎧……」

 ヴァーナーはこちらに向かってくる巨人たちを見てそうつぶやいた。

「ヴァーナー・ブロンダム博士! おとなしく投稿してもらおうか!」

 三体いる巨人のなかの一人が言った。

「クソッ、せっかくここまで来たのに……」

 ヴァーナーが毒づいた。

「ほう、これが例の機動鎧か……」

 感心した様子でエイドレスは三体の巨人を見ていた。

「貴様らはいったい何だ? 帝国の手のものか?」

「わたくしたちは通りすがりの淑女と野獣ですわ」

 機動鎧を見据えてヒルデが答えた。

「……いったい何なんだ?」

 機動鎧たちは互いに顔を見合わせた。

「見ろ、どうも馬車が衝突したらしい」

 機動鎧たちの一人が横転した馬車を指さした。

「そうか、頭を打ったんだな……」

 機動鎧の一人がヒルデを見た。


「なにやら不愉快な会話が繰り広げられていますわね……」

「ちょうどいい。我々は頭がおかしくなったのだと思わせておけ」

 エイドレスが小さな声で言った。

「頭がおかしくなったと思わせると言われましてもわたくしはどうすれば……」

「なに、いつも通りに振る舞えばいい」

「……燃やされたいのですか?」

 ヒルデが怒りに燃えた目で聞いた。

「なんだか知らんが邪魔にならんのなら放っておけ。とにかく博士を連れて行くぞ」

 機動鎧たちはヴァーナーを拘束した。ヴァーナーはおとなしく従っていた。


 


 ヴァーナーを担いだ機動鎧たちの姿が見えなくなった頃、アルヴァンとグレースが到着した。

「アルヴァン様! 会いたかったですわ!」

 ヒルデは馬から降りたアルヴァンに抱きついた。

「ヒルデ、怪我はない?」

 アルヴァンが聞いた。

「見ての通りだ。問題はない」

 エイドレスが答えた。

「そうですか」

「なんでエイドレスさんが答えてアルヴァン様もそれにうなずいていますの……」

「馬車の方はなんとかなるかな?」

 グレースはローネンと一緒に横転した馬車の様子を見ていた。

「こちらの馬車から部品を拝借すれば走れそうですのう」

 ローネンはヴァーナーが乗ってきた馬車を確認していた。

「それで、いったい何があったんです?」

 アルヴァンが聞いた。

「それなんだがな……」

 エイドレスが事情を説明した。


「おそらく君たちが会ったのはヴァーナー・ブロンダム博士だね」

 話を聞いたグレースが言った。

「知っているのか?」

 エイドレスが聞いた。

「ペテュールが集めていた資料に名前があったからね。ブロンダム博士というのは機動鎧の開発者なんだ」

「逃がした魚は大きかったようだな」

「いや、ブロンダム博士だけがいてもしょうがない。ボクらの目的はあくまで機動鎧を手に入れることだからね」

「でもあの人、帝国に亡命するつもりだって言ってましたわよ?」

「その点は問題だね。しかも、亡命計画がばれてローゼンプールに連れ戻されてしまった……どうしたものかな?」

 グレースはアルヴァンを見た。

「…………」

 アルヴァンは何も言わずに遠くを見ていた。

「……気づいたか?」

 エイドレスが聞いた。

 アルヴァンはエイドレスにうなずくと、腰に吊した簒奪する刃をすばやく布で覆った。

「あら? いつもどおりやってしまうんじゃないんですの?」

 いつもとは違うアルヴァンを見てヒルデは首をかしげた。

「今回はちょっとね……」

 アルヴァンは言いよどんだ。

 

 アルヴァンたちの元にやってきたのは馬に乗った老人と鎧を着た屈強な男だった。老人は頭は禿げ上がっていたが、白いあごひげは長く伸びており、男の方はロプレイジ帝国軍の紋章である双頭の鷲が描かれた盾を持っていた。

「おまえさんたち、その馬車に乗っていた男を知らんかな?」

 横転したヴァーナーの馬車を指さして馬上の老人が聞いた。

「あなたたちは何者ですの?」

 ヒルデが聞いた。

「質問しているのはこちらだ」

 老人の隣にいる男が言った。

「かまわんよ、カスパール大佐。失礼したなお嬢さん。ワシはジェイウォン・ミラーズ、ワシの隣にいるのはロプレイジ帝国軍のデニス・カスパール大佐だ」

 老人は自己紹介した。

「ワシらは帝国軍の人間なんだが、人と待ち合わせをしておってな。彼はそこで倒れている馬車に乗っているはずなんだが馬車に乗っていた男がどこに行ったか知らんかね?」

「その方でしたら機動鎧を着たローゼンプールの人たちに連れ戻されましたわ。なんでも亡命計画が領主にばれたとか言ってましたわね」

「なんだと! おい、詳しく聞かせろ!」

 ヒルデの話を聞いたカスパールが驚いて言った。

「大佐、落ち着きたまえ」

 ジェイウォンはカスパールをなだめた。

「ご老体、落ち着いてなどいられませんぞ! 一刻も早くローゼンプールに向かわなければ!」

 カスパールはすぐにでもローゼンプールに向かおうとした。

「君がローゼンプールに乗り込むわけにもいかんだろう。何もかもぶちこわしになるぞ」

「……それはそうですが、ではいったいどうすれば……」

「そうさな……」

 カスパールを止めはしたものの、ジェイウォンにも妙案はなかった。

「……あの、よかったら協力しましょうか?」

 ジェイウォンとカスパールのやりとりを見ていたアルヴァンが言った。

「口を挟むな! これはこちらの問題だ!」

 カスパールは怒りをあらわにした。

「……大佐、待て」

 アルヴァンをじっと見てジェイウォンが言った。

「何を言っているのですか! ご老体! 相手はどこの誰かもわからない輩ですぞ!」

「それはそうなんだが……この青年はなかなか面白そうだぞ……」

 ジェイウォンはアルヴァンを見てにやりと笑った。



「……パインデールの領主がメイドと護衛をつれて機動鎧を買いに来たというのか」

 グレースの説明を聞き終わったカスパールはそう言った。

「その通りです。我がパインデールは同盟を組んでいるシルトヴァインとの関係が決定的にこじれてしまいまして、まともにやり合っては負けてしまいますから、切り札としてローゼンプールが持っているという機動鎧を購入しに来たところなのです」

 グレースが即興でこしらえたいきさつを説明した。

「パインデールはワイルドヘッジに所属してはおらんかったな」

 ジェイウォンは長く伸びたあごひげをなでながら言った。

「フェイラム伯爵とは考え方が合いませんので」

 グレースが言った。

「ローゼンプールはワイルドヘッジに所属していない都市には機動鎧を売らんぞ」

 カスパールが指摘した。

「それは存じておりますが、我々にもいろいろと手段がありますから……」

 含みを持たせてグレースが言った。

「ワシらも君らも欲しいものは同じという訳か……」

「そういうことですね」

 グレースがうなずく。

「だからといって、協力するなどと……」

「いやいや、悪くはない案かもしれんぞ。ワシももう年だ、一人でローゼンプールに乗り込んで切った張ったをやるというのは正直心許ない」

 ジェイウォンがかぶりを振る。

「ご冗談でしょう、あなたはこの場にいる誰よりもお強い。それに、私や部下たちだってついています。ローゼンプールに乗り込むくらいは――」

「ほっほ、馬鹿なことを言いなさんな。あんたのみたいな絵に描いたような軍人には隠密行動などできはせんよ」

 笑いながらジェイウォンが言った。

「それは……確かにそうですが……」

 とっさに反論が出かかったが、カスパールはジェイウォンの指摘を認めざるをえなかった。

「そうだろう、ならばこちらのあまり目立たないご一行に協力してもらうというのも手ではないかな?」

「しかし……」

「どのみち博士が捕まってしまった時点でこの作戦は失敗したも同然だ。ここから挽回するとなれば多少の無茶はやむを得まい。連れ戻された博士がどうなるかはわからんが指をくわえてみているよりはマシではないかな?」

「……グレース・コンラッドと言ったな。もしこちらを裏切るようなことがあればロプレイジ帝国はパインデールを敵に回したものと見なす。いいな?」

 カスパールはグレースをにらみつけた。

「承知いたしました。ここはお互いの利益のために協力しましょう」

 グレースはカスパールに手を差し出した。

 カスパールはしぶしぶながらその手を握った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る