第76話 伝言ゲーム
「……で、なんでわたくしはあなたと一緒に馬車に揺られていますの?」
風を切って走る四頭立ての馬車の座席に腰掛けたヒルデが不満そうに言った。
「仕方ないだろう。おまえはまともに馬に乗れないし、私は体が重すぎて乗れる馬がないのだから」
ヒルデの向かいの席に座ったエイドレスが干し肉をかみながら言った。
「あなたは自分の足で走ればいいではないですか、そうすれば馬車にはわたくしとアルヴァン様の二人で乗れますわ」
「それは獣人に対する偏見だろう。私だって馬車の方が好きだ。うるさい同乗者がいなければなおいい」
「あら、わたくしのような淑女を捕まえてうるさいだなんて失礼な方ですわ」
ヒルデの言葉にエイドレスはむせた。
「食事の最中なんだ。笑わせないでくれ」
苦労して肉を飲み込んだエイドレスが笑いながら言った。
「今のわたくしの言葉に笑うところなんてありませんわ」
ヒルデは怒りをたたえた目でエイドレスを見た。
「私はおまえとは違う意見だな。それはそうと、アルヴァンはなかなか馬の扱いが上手いな」
馬車の窓から外を見ながらエイドレスが言った。
「アルヴァン様は何をやらせたって完璧なのですわ」
鼻息荒くヒルデが言った。
「そうだな。グレースを一緒に乗せたままあれだけの速度で走れるのだからたいしたものだ」
「なんですって!」
ヒルデは窓ガラスに顔を押しつけて外の様子を確かめた。
「君はなかなか物覚えがいいね。もうボクよりも馬の扱いが上手いんじゃないかな」
グレースが後ろのアルヴァンを見ながら言った。
「そうですか? グレースさんの教え方がわかりやすいからだと思いますよ」
手綱を握ったアルヴァンは目の前のグレースにそう言った。
二人を乗せた大型の去勢馬はヒルデたちが乗った馬車に遅れないように走っていた。
グレースはバランスをとりながら後ろにいるアルヴァンにもたれかかった。
「ライムホーンで君に抱えられたときにも思ったんだけど、君は見た目よりもたくましいね」
「僕よりもエイドレスさんの方が筋肉がついていると思いますが」
「ボクがせっかく褒めてあげてるんだから素直に喜びなよ」
少し不満そうにグレースが言った。
「でもまあ、そういうところもボクは好きだな……おや、あれは?」
アルヴァンの感触を堪能していたグレースは馬車から何かが飛んでくることに気づいた。
「どうかしましたか、ローネンさん?」
馬車の御者をやっていたローネンが持ち場を離れて飛んできたことに気づいたアルヴァンが言った。
「あー、コホン、アルヴァン殿、グレース様、ヒルデ嬢から伝言を預かってきましたのう」
ローネンの言葉にアルヴァンとグレースはそろって首をかしげた。
「彼にこんなことをやらせていいのか?」
エイドレスが聞いた。
「この馬車を引いている馬たちは賢いですから御者なんていなくても道なりに走ってくれますわ」
ヒルデが言った。
「しかしな……」
「ご不満でしたらあなたが御者をやってもいいんですわよ」
「それは遠慮しておこう。面倒だしな」
エイドレスはそう言うと再び干し肉を取り出し、食事に移った。
「……帰ってきましたわ!」
飛んでくるフクロウの姿を確認したヒルデが興奮して窓を開ける。
「ただいま戻りましたのう……」
ため息をついてローネンが馬車に乗り込んだ。
「で、わたくしの伝言は伝えてくれましたの?」
勢い込んでヒルデがローネンに聞いた。
「もちろん伝えてきましたのう……そうでなくては御者を放り出した意味がありませんからのう……というか、なんで私がこんなことをやらなければならないのですかのう……」
「あら、史上初の伝書フクロウとなるのですからあなたは誇りに思うべきですわ」
「……どう考えても体よく使われているだけですのう……」
ローネンが疑わしげにヒルデを見た。
「とにかく、わたくしの伝言をあの女狐さんに伝えたのですね?」
「伝えたことは伝えましたのう……ただ、グレース様からも伝言を預かってきましたのう」
「は?」
呆けた声でヒルデが言った。
「グレース様からの伝言をお伝えしますのう。『ヒルデ君、生憎だがボクの乗っていた馬は足を折ってしまったんだ。だからボクはこうしてアルヴァン君と一緒の馬に乗っている訳なんだ。これは不幸な事故が招いた結果であり、ボクがアルヴァン君と密着した状態でローゼンプールまで行くのは仕方のないことなんだ……結構揺れるから不可抗力でお互いの体に触れあうことはままあるし、ボクはこの状況を心の底から楽しんでいるけどね。そういうわけだから、君の『くっついてないで離れなさい』という伝言は無視させてもらうよ。悪いね』とのことですのう」
器用にグレースの声音をまねてローネンが伝言を伝えた。
ヒルデはグレースの伝言を反芻するとものすごい速度で両手を伸ばし、ローネンをつかんだ。
「な、なんですかのう……」
つかみあげられたローネンは恐る恐るヒルデを見上げた。
「ローネンさん……伝言を伝えていただきたいんですの」
凄絶な笑みを浮かべてヒルデが言った。
「アルヴァン君、結構揺れるね」
グレースが言った。
「もう少し速度を落としましょうか?」
アルヴァンが聞いた。
「いや、このままでいいんだけどさ、せっかくこんなに揺れているんだし、不可抗力でボクの体に触ってくれてもいいんじゃないかな」
後ろのアルヴァンに体を預けながらグレースが言った。
「そうですか? じゃあもうすこし抱え込むようにすると手綱が握りやすくなるんですが」
「え? いや、まあ、君がそう言うんであれば……」
予想外の答えにグレースは少しうろたえた。アルヴァンはグレースの体にやさしく自分の体を押しつけた。
「……意外と大胆だね……」
顔を赤くしたグレースがつぶやいた。
「またローネンさんですね」
アルヴァンは再び飛んでくるローネンに気づいた。
「……いいところで邪魔が入るなあ」
不満そうにグレースが言った。
「ヒルデ嬢からの伝言を預かってきましたのう」
ローネンは馬と併走するように飛びながらアルヴァンに言った。
「今度は何かな?」
「あー、ヒルデ嬢からの伝言をお伝えしますのう……『無駄な脂肪のおかげで柔らかいあなたの体であればアルヴァン様に伝わる振動もよく吸収してくれそうですわね。是非クッションとしてあなたの体を役立ててくださいまし、最近太った女狐さんへ』……だ、そうですのう」
今度はヒルデの声音をまねてローネンが伝言を伝えた。
「…………はは、ボクが太っただなんてヒルデ君もおかしなことを言うよね」
引きつった笑顔でグレースが言った。
「そうですか? 僕から見てもグレースさんは少し――」
「アルヴァン君、それ以上言ったら君は自分が口をきけることを後悔するよ」
グレースの言葉には異様な迫力が満ちていた。
何かを察したアルヴァンは口をつぐんだ。
「ローネン」
飛んでいるローネンをグレースがががしりと掴む。
「わ、私はただヒルデ嬢の伝言を伝えただけですのう……」
グレースの顔に浮かぶ表情を見たローネンが言い訳する。
「おびえることはないよ、ボクはただ伝言を伝えて欲しいだけさ」
グレースの視線の先には馬車の中でほくそ笑むヒルデの姿があった。
「そろそろやめにした方がいいんじゃないか?」
相変わらず干し肉をかみながらエイドレスが聞いた。
「まだですわ……あと少しであの女狐さんを言い負かしてやれますの……」
併走する馬に乗るグレースを血走った目でにらみながらヒルデが言った。
「言い負かすのはかまわんが、さすがにローネンが気の毒だろう……もう五十往復以上しているぞ」
「死にはしませんわ」
「そういう問題ではないだろう。だいたい、言いたいことがあるのならば本人に面と向かって言えばいいだろう。休憩のために街によったときは口も聞かないくせに、移動を始めたらローネンを使ってののしり合うなどというのは馬鹿げている」
ため息をついたエイドレスは休息と補給のために立ち寄った街でのヒルデとグレースの様子を思い出しながら言った。
「このやり方で勝利することにこそ意味がありますの」
「私には理解できんよ……」
伝言を届けに飛んでいくローネンを見送りながらエイドレスがつぶやいた。
「ふふっ、来たね。待っていたよヒルデ君」
飛んでくるローネンを確認したグレースが言った。
「グレースさん、もう終わりにしましょうよ……」
アルヴァンがグレースの様子をうかがいながら言った。
「アルヴァン君、女には引けない戦いってものがあるんだよ」
強い決意を宿した目でグレースが答えた。
「でも、ローネンさんはもうふらふらしてますし、そろそろローゼンプールに着くんじゃないですか?」
「あれくらいではローネンは死なないよ。ローゼンプールに着くまでに決着をつけるさ」
グレースはローネンがつくのを今か今かと待ちわびていた。しかし、その手にローネンが届くことはなかった。
「もう、限界ですのう……」
ローネンは馬に乗って走るグレースのもとにたどり着く前に墜落した。
「まずいな」
ローネンが落ちるのを見たエイドレスがつぶやく。
御者を完全に失った馬車は止まることなく走り続けた。
「ローネンさん!」
アルヴァンは馬を止め、墜落したローネンの元に向かった。
「ア、アルヴァン殿……」
アルヴァンがローネンを抱え上げる。
遅れてグレースもやってきた。
「ローネン、どうしてこんなことに……」
悲しげにグレースが言った。
「言いたくはありませんが半分はあなたのせいですのう……」
主人に向かってローネンは恨み言をつぶやいた。
「ローネンは無事のようだな」
馬車の窓から後方を確認したエイドレスが言った。
「あと一歩で女狐さんを仕留めてやれたというのに……」
ヒルデは悔しそうに言った。
「そんなことを気にしている場合か。あの様子ではローネンが戻るまでにかなり時間がかかるぞ」
「何か問題でもありますの?」
「この馬車には御者が必要だ」
「そうですわね。エイドレスさん、出番ですわよ」
「何を言っているんだ? 私は元領主だぞ。御者なんてやったことがあるわけないだろう」
「奇遇ですわね。わたくしも馬の扱いはさっぱりですわ」
ヒルデとエイドレスはしばし見つめ合った。
「……まずくないか?」
「……ですわね」
二人は同じ結論に達したものの、状況を打開するすべはなかった。
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