第55話 新しいおもちゃ

「召使いは終わりじゃなかったのかな……」

 両手いっぱいに今日一日で買ったものを持ちながらアルヴァンがぼやいた。

「あら、レディに荷物持ちをさせるつもりですの?」

「それはそれ、これはこれだよ」

 ヒルデとグレースは素っ気なくアルヴァンをあしらった。

 

 夜になってライムホーンの通りにはランプが灯っている。街路を三人で歩いていると街の獣人たちがどよめきだした。

「見ろ!」

「何年ぶりかしら!」

「おお! 統治者様!」

 獣人たちは跪いて夜空を見ている。


「なんなんですの?」

 人々の様子に困惑したヒルデが誰にともなく聞いた。

「もしかして、これは……」

 グレースも獣人たちにならって上を見た。

「…………」

 アルヴァンはその存在に誰よりも早く気づいていた。


 夜空に舞うのは群青の翼。その雄大な体躯は地上からでもはっきりと確認できた。

 ドラゴン。地上最強の種族にしてライムホーンの真の統治者。

 ヴァーグエヘルは地上に暮らす人々を睥睨しながら優雅に力強く空を飛んでいた。

 アルヴァンは魅せられた。竜の雄姿に。

「あれ、壊してみたいなあ」

 新しいおもちゃを眺める子供のようにアルヴァンの口から言葉が漏れた。

「まったく、君という男は本当にどうしようもないね」

 言葉とは裏腹にグレースは優しげな目をしていた。

「本当、どうしようもない人ですわ」

 ヒルデもまたほほえんでいた。

 二人の少女の視線の先で、青年は破壊への期待に心を躍らせていた。




「エイドレス様、今日も水しか口になさらなかったのですか?」

 困った顔をして豹の獣人が言った。

「ペテュール、我々しかいないのだから様付けはやめてくれ」

 ライムホーンの領主である狼の獣人はとがめるように言ったが、その顔には隠しきれない苦しみが浮かんでいた。

「エイドレス、最後にまともな食事を取ったのはいつだ? いくら強靱な体を持つ君とはいえこれでは持たんぞ」

 副官の仮面を外し、長年の友人の顔になったペテュールが指摘した。

「なに、私はまだまだ平気さ。おまえのような聡明さや魔術の素養がない私は頑丈さだけが取り柄だからな」

 エイドレスが自嘲する。


「誇り高きライムホーンの血を受け継ぐものがまたそんなことを言う。先代が泣くぞ」

 ペテュールがため息をつく。

「誇り高き血と言ってもな……先祖代々同じ因子を受け継ぐ一族はほかにもいただろう。単に私の祖先が滅ぼしてしまっただけで……」

「何を言っているんだエイドレス、領主ならばそれくらいのことをやるのは当然のことだ」

 甘いことを言うエイドレスにペテュールは鼻を鳴らして反論した。

「おまえは私などよりよほど領主に向いているな」

 エイドレスが笑う。

「全く、おまえというやつは……」

 ペテュールがかぶりを振る。


「とにかく、何かを食べてもらわなくては困るぞ。肉や魚がダメだというなら果物はどうだ? ちょうどパインデールの領主殿も滞在していることだし大陸産の珍しいものも取り寄せてもらえるんじゃないか?」

「おまえは次から次へといろいろなことを考えるな」

 ペテュールのアイデアに感心してエイドレスが言った。

「感心している場合か! おまえの体の問題なんだぞ!」

 ペテュールが声を荒げた。

「わかったわかった。グレース殿が帰ってきたらに相談してみよう」

 降参したエイドレスがペテュールの要求をのんだ。


「よろしい。それで、パインデールの新しい領主はどんな人物なんだ?」

 所用で留守にしていたため、まだグレースと会ったことがないペテュールが聞いた。

「一言で言えば才媛だな。まだきちんと話をしてはいないんだが、彼女は飛び抜けて頭が良い」

 考え込みながらエイドレスが言った。

「ほう。おまえがそこまで率直に人を褒めるのは珍しいな」

 ペテュールが牙を見せてにやりと笑う。

「ペテュール、私はそう偏屈なものではないよ」

 エイドレスは笑って弁明した。


「おまえが偏屈かどうかについては私は違う意見だがな……しかし、彼女はいったいなぜこのタイミングで現れたんだ?」

 ペテュールが表情を引き締める。

「新しい領主に就任したから挨拶に来たんだろう」

 興味がなさそうにエイドレスが言った。

「前の領主を蹴落として新しい領主になったんだろう?」

「そう言っていたな。なんでも、先代の領主の不正に気づいて幽閉されていたらしい」

「そんな状態からいったいどうやって領主に返り咲いたんだ?」

 ペテュールが疑わしげな目を向ける。


「白馬の王子様が現れたんだ」

 昨夜話をした銀髪の青年を思い浮かべながらエイドレスが言った。

「何だって?」

 予想だにしないエイドレスの言葉にペテュールは思わず聞き返していた。

「いや、すまない。外部の協力者がいたんだそうだ」

「外部の協力者か……」

 ペテュールが考え込んだ。


「エイドレス、その協力者というのがこの都市のはぐれ者である可能性はないか?」

「まさか、そんなことはありえんよ」

 エイドレスが首を横に振る。

「はぐれ者の渡航は禁じられている。彼らがどうやってこの島から外に出ると言うんだ?」

「エイドレス、おまえも知っているはずだ。奴らに協力者がいることは」

 ペテュールの表情は厳しい。

「船の管理は厳格にやっているはずだ。そこに手を出せるとすれば……」

 ペテュールの様子を見てエイドレスもまた顔を引き締めた。

「かなり上の方にいる奴だな。あるいはこの城に入り込んでいるのやもしれん。もしかしたら、おまえが日常的に言葉を交わす者の中に……」


「ペテュール、からかうのはやめてくれ」

 エイドレスはため息をついた。

「ははは、ばれたか」

 ペテュールは破顔した。

「くそ真面目なおまえに真顔で冗談を言われると私は反応に困るんだよ」

「すまない。許してくれ。まあ、はぐれ者たちが海を渡っているというのはただの噂だ。まともに取り合うような話ではない……とはいえ、グレース殿の領主就任の経緯は私も気になるな。少し調べてみるとしよう」

「そうか? 私には神経質すぎるように思えるがな」

「おまえを陰から支えるのが私のつとめだ」

 ペテュールが笑う。

「いつも頼りにしているよ、副官殿」

 エイドレスも笑った。

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