第56話 副官殿
エイドレスとの会話を終え、自室に戻ったペテュールは扉を閉めて鍵をかけると、本棚に歩み寄った。
あまり目立たない一冊を手に取るとその本を上下逆さまにして元の場所に挿した。
すると、音もなく本棚が横に滑り、隠し通路が現れた。
ペテュールは通路を抜けて隠し部屋に入った。そこには様々な魔術用品が所狭しと置かれていた。しかし、雑然とした感じはなく、よく整理されているのが見て取れた。
ペテュールは手早く魔方陣を準備すると即席の魔術回線を開いた。
「小僧、聞こえるな?」
「もちろんですよ、出資者様」
軽い調子で答えたのははぐれ者、シグルだった。
「勘違いするな、小僧。貴様は私の奴隷だ」
ペテュールが冷たく言った。
「失礼しましたご主人様。少々、場を和ませようかと思ったのですが……」
申し訳なさそうなシグルの声がした。何が場を和ませるだ馬鹿馬鹿しい。自分では切れ者のつもりのようだが所詮は薄汚いはぐれ者、程度がしれている。こんなモノでも使わないわけにはいかない自分の境遇を嘆きながらペテュールは答えた。
「くだらない気遣いなど不要だ。さっさと進捗状況を報告しろ」
「はい、パインデールの領主一行の協力は取り付けることができそうです。私を外に送り出した甲斐がありましたね」
確かにローゼンプールにコレを送り込んだのは正解だったといえる。まさかパインデールの領主が頭のいかれたクソ女だったとは……。とはいえ領主の頭がいかれていたおかげで弱みを握ることができたのだからあまり悪く言うものではないな。だが……。
「そうだな、おまえを送り込んだおかげで弱みを握れた。もっとも、おまえを送り込んだ真の目的である『機動鎧』の入手はかなわなかったがな」
ペテュールが吐き捨てた。
「ご主人様……それは……」
回線の向こうでシグルが言葉に詰まっている。当然だ。この私が苦労して船に乗せてやったにもかかわらず、コレは手ぶらで戻ってきたのだから。『機動鎧』……あれさえあれば、あの無駄に頑丈で強靱にできているエイドレス・ライムホーンを血祭りに上げてやれたというのに……。
「まあ、おまえの失態のことはひとまず放っておいてやる。問題は計画をどう進めるかだ」
「ご配慮に感謝いたします。工房のビョルクを城に向かわせる算段はできております。ビョルクが城に着いた後はパインデールの領主たちに一暴れしてもらいます」
「そうだな。パインデールの領主どもに関しては私の方でも援護してやれる。ビョルクを人質に取る作戦はうまくいくだろう」
「その後はわたくしめが領主を脅して神剣を奪い、あの空飛ぶトカゲを討つわけですね」
シグルはこらえきれない笑いをにじませながらいった。だが、ペテュールはこみ上げてくる笑いをこらえきった。
いったいどうやればこれほどおめでたい奴が生まれてくるのか。もはや奇跡的でさえある。
ペテュールは知っていた。
ドラゴンを討てる神剣などという物は存在しないことを。
神剣などペテュールが適当にでっち上げた、できの悪いおとぎ話に過ぎない。
にもかかわらず、この間抜けの頭の中は夜も昼も神剣でいっぱいなのだ。そのことを考えるたびペテュールの顔には笑みが広がった。
この魔術回線では相手の顔が確認できないのが残念でならない。あの奴隷はさぞかし間抜けな面をしていることだろう。
「そうだな。おまえはもうじき伝説となるのだ」
くだらないおとぎ話を信じたばかりに命を落とした世界一の間抜けとしてな。
「そして、あなたはライムホーンの領主となる」
慇懃な調子で言ってはいるがこの奴隷が領主の座を狙っていることくらいはお見通しだ。くだらない芝居を見せられるのは本当に不愉快だがそこは我慢できる。あの間抜けの目の前ですべての種明かしをしてやる瞬間の楽しさを想像すれば。
「……ところで、神剣を奪ってトカゲ狩りを済ませた後、今の領主はどうするのですか?」
おもむろにシグルが聞いてきた。
「特にどうもせんよ。どこへなりと好きに行かせてしまえばよい」
「かしこまりました」
事が済んでしまえばエイドレスがどうなろうと知ったことではない。それよりもこの奴隷が心配すべきなのは自分の行く末だ。なにせ、うまくことが進めばこの男はエイドレスの腹の中に収まることになるのだから。
「では、切るぞ」
ペテュールはそう伝えると無造作に回線を閉じた。
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