第35話 我に翼を

「アルヴァン様!」

 ヒルデが駆け寄っていった。

「アルヴァン様、わたくしやりましたわよ。ちゃんと勝ちましたわ」

 アルヴァンの両手を取り、ぴょんぴょんと跳ねながら勝利を報告する。


「ヒルデ、怪我してるね」

 アルヴァンは傷が残るヒルデの腕に目をやった。

 ヒルデも改めて自分の傷を見た。

「こんなもの唾でもつけておけば治りますわ」


――こんなのが聖女なんて呼ばれていたとはな。


 フィーバルがあざけるように言った。

「ナマクラは引っ込んで――」

「駄目だよ。ちゃんと手当てしないと」

 アルヴァンはそう言ってヒルデの手を取ると肩からかけた鞄から傷薬を取り出す。

「ア、アルヴァン様が手当てをしてくれますの⁉」

 ヒルデが顔を赤くする。

「ちょっとしみるかもしれないけど、我慢してね」

「ア、アルヴァン様……」

 ヒルデの興奮が高まっていく。


「……あれ?」

 不思議そうにアルヴァンが言った。

「どうかなさいましたの?」

「いや、傷が……」

 腕を見ているアルヴァンにつられてヒルデも視線を落とす。

 そこにはきれいに傷がふさがった白い腕があった。


「…………なんでですの?」


「ヒルデ嬢が興奮したせいで魔力が活性化したようですのう」

 二人の疑問にローネンが答えた。

「そ、そんな……これから『痛い? でも我慢してね? 君の美しい肌を守るためなんだ』みたいなことを言われる予定でしたのに……」

 夢見た場面が展開されないことにヒルデはがっくりと肩を落とした。


「なんとなく感じてはいたことですが、このお嬢さんは……」

 ローネンが口ごもる。

「うん。面白いよね」

 アルヴァンが言った。


――筋金入りのバカなだけだろ。


 フィーバルが言った。

「それで、あなたが魔術師さんかな?」

 アルヴァンは改めてローネンに向き直った。

「いかにも。わたしはローネン。元帝国軍魔術師部隊に所属しておった者ですのう」

 ローネンが答える。

「そう言うあなたはアルヴァン殿ですかのう」

「そうですけど、どうして僕の名前を?」

「ヒルデ嬢が言っておりましたからのう。わたくしとアルヴァン様の物語は終わらないとかなんとか――」

「イグナイト!」

 口封じのためにヒルデが放った魔術は障壁によって防がれた。


「さっきよりも術のキレがいいように感じるのは気のせいですかのう……」

 丸焼きにされかけたローネンがぼやいた。

「乙女の秘密を軽々しく口走るものではありませんわ」

「えーと……仲良くしてるみたいだけどローネンさんは敵なんだよね?」

 困ったように頬をかきながらアルヴァンが言った。


「おっしゃるとおりですのう」

 ローネンがうなずく。

「そう。じゃあ、始めようか」

 そう言うとアルヴァンは簒奪する刃を抜いた。


 その体からどす黒い魔力があふれ出す。

「ぬう……間近で見るとなんとも禍々しい魔力ですのう。コンラッドの三騎士は……」

「あの人たちはなかなかよかったね」

 懐かしむようにアルヴァンが言った。

「やはりそうですかのう。残念なことですのう……」

 三騎士の死を知ったローネンがうなだれた。


「それで、あなたはどうするのかな?」

 簒奪する刃を構える。

「死ぬまで戦わせてもらいましょうかのう」

 ローネンもまた杖を構え直した。

「まだやりますの? わたくし一人にも勝てなかったというのに……」

 困惑しながらヒルデが言った。

「ヒルデ嬢、わたしには夢があるのですよ。命を捧げるに足る夢が。一歩でも夢に近づけるのならば、わたしは何にでも立ち向かって見せますのう」

「度しがたい方ですわね。いいでしょう。それならば希望通りに燃やし尽くし――」

「ちょっと待って」

 ヒルデを制してアルヴァンが言った。


「アルヴァン様?」

 驚いたヒルデがアルヴァンを見る。

「ローネンさん、よかったらあなたの夢がなんなのか教えてくれませんか?」

「そんなことを聞いてなんになりますの? とっととこの人を燃やして二人でゆっくりと……」

「ヒルデはローネンさんの夢がなんなのか気にならないの?」

「それは……気にならないこともないですが……」 

ヒルデも疑問に感じていることを認めた。

「気になるでしょ? 僕らに立ち向かってまでかなえたい夢がなんなのか」

「うーん、そうですわね。このまま殺してしまったら聞けずじまいですし……いいでしょう。特別に夢の内容を話すことを許可いたしますわ」

「ずいぶんと恩着せがましい言い方ですのう……」

 ローネンは胡乱げにヒルデを見た。


 ヒルデはローネンの足下に魔術を放った。

「危ないですのう!」

 ローネンが飛び上がる。

「さっさと話さないと本当に燃やしますわよ」

 そんなヒルデの様子を見てアルヴァンは困ったように笑っていた。


「わかりましたから落ち着いて欲しいですのう。……コホン、わたしの夢とは……」

 ローネンはもったいぶって、ためをつくった。

「夢とは……」

 ヒルデがゴクリと唾を飲む。


「わたしの夢とは鳥になって空を飛ぶことですのう!」


 胸を張ってローネンが言い切った。

「…………そんなことなんですの?」

「なんか期待外れだね」

 二人の反応は芳しくなかった。

「人の夢にけちをつけるとは……これだから最近の若者は……」

 ふてくされたローネンがつぶやく。

「ああ、うん。なんかすみません」

 アルヴァンが詫び、ヒルデにも謝るように促した。

「なんでわたくしまで謝らなければなりませんの……」

 渋々ながらヒルデも頭を下げた。


「いいですか……鳥というのは素晴らしい生き物なんですのう! まず目を引くのはなんと言っても翼ですがあれは……」

 ローネンの熱弁が始まった。

「どうしよう」

「夢が知りたいと言ったのはアルヴァン様じゃありませんか。ちゃんと聞いてあげてくださいまし」

「ヒルデだって聞きたがってたでしょ」

「それはそうですが……」

 アルヴァンとヒルデは声を潜めながらお互いの責任を押しつけ合った。


「お二人とも、ちゃんと聞いておりますかのう!」

「もちろんです」

「ですわ」

 二人はびくっと肩をふるわせてローネンに答えた。

「よろしい。ここまで聞けばお二人にも鳥の素晴らしさがわかるはずですのう」

 同士を増やしたことに満足した様子でうなずきながらローネンが言った。

「ですが、鳥の道は始まったばかり。お二方は殻を割って生まれ出た雛のようなものですのう。よって、わたしの手で更なる成長を遂げられるよう導いて差し上げますのう。さしあたっては……」


「アルヴァン様、わたくしたち押されてませんこと?」

「僕もそう思い始めてたんだけど……どうしたらいいかな?」

 再び声を潜めて方針を話し合う。

「いっそのこと襲いかかってしまいませんこと?」

「そんなことしたらローネンさん怒ると思うよ」

「怒られたところでどうなるわけでもありませんわよ。わたくしたちの方が強いのですから」


――やっちまえよ相棒。


 フィーバルも加勢した。

「でもねえ……」


――ったく、煮え切らねえ奴だな。俺はもう寝るぞ。


「あっ、ずるいですわよナマクラ」

 小声での会議の間もローネンの長広舌は続く。




「ヒルデ、ヒルデ」

 アルヴァンは立ったままうとうととし始めた隣の少女の肩を揺する。

「……はっ」

 目を覚ましたヒルデはローネンの講義がまだ続いていることに気づき、絶望の表情を浮かべた。

「もう我慢なりませんわ。何もかも焼き尽くしてくれますわ」

 目の前の現実を打破すべく、ヒルデが魔力をたぎらせる。

「……で、あるからして……おや、わたしとしたことが少しばかりしゃべりすぎてしまいましたのう」


「少し……あれで少しですの……」

「えーと、つまりローネンさんは鳥になって空を飛びたいんですよね」

 これまでのローネンの言葉を一言でまとめた。

「その通りですのう。ですが、それは実に難しい……」

 ローネンが重いため息をつく。


「鳥に変身する魔術とかを使えばいいのではありませんこと?」

 ヒルデが聞いた。

「動物への変身魔術はありますが、結局のところ変身できるのは魔術師が頭で思い浮かべた鳥であって、鳥そのものではないのですのう。精密に鳥を思い描けば多少マシにはなりますが、完全な鳥を思い浮かべるのはわたしの知識を持ってしても困難ですのう。それに、永遠に変身していられるわけではありませんからのう」

 ローネンがかぶりを振る。

「意外と大変なんですね」


「鳥の体に魂を移すことでもできれば……いや、そんなものは夢物語ですのう」

 ローネンは妄想じみた自分の考えを笑った。

 魔術師の言葉にアルヴァンとヒルデは互いの顔を見合わせた。

「それだったら……」

「できそうですわね」

 二人の視線はアルヴァンの腰に差された簒奪する刃に向いていた。

「ホウ?」

 突拍子もない言葉にローネンは間の抜けた声を出した。




「本当にうまくいくのですかのう?」

 ローネンが不安そうな様子で聞いた。

「多分大丈夫だと思います」

 アルヴァンが答えた。

「しかし……わたしはその剣で切られるわけですからのう……」

 恐る恐るアルヴァンが持つ漆黒の剣に目を向ける。

「そうですけどあんまり痛くはないと思いますよ」

「しかし、魂を抜かれるというのは……」

 ローネンが渋る。


「だあーーもう鬱陶しいですわ! アルヴァン様! とっととやってしまいましょう!」

 業を煮やしたヒルデがアルヴァンを急かす。

「ま、待ってくだされ、心の準備が……」

「いや、もう待ってられないんで」

 アルヴァンが簒奪する刃を突き出した。

 簒奪する刃は深々とローネンの胸に突き刺さった。

「ホウ! これは……」

 未知の感触にローネンが驚きの声を上げる。

「準備はいいよね」


――何で俺様がこんなことをしなきゃならねえんだ……。


 フィーバルが文句をたれる。

「これでいいかな?」

 そう言ってアルヴァンが剣を引き抜くと、魂を奪われたローネンの体はばったりと倒れた。

「よし、次は……」

 アルヴァンは事前に捕らえていたフクロウに目を向ける。

「本当にうまくいくのでしょうか?」

 ヒルデが困惑気味にフクロウとローネンの体を見比べる。

「大丈夫じゃないかな……多分……」

 自分たちの思いつきとはいえ、アルヴァンも半信半疑だった。

 フクロウもまた首をかしげてアルヴァンたちを見ていた。


「まあ、やってみればわかるよ」

 アルヴァンは意を決して簒奪する刃をフクロウに突き立てた。

 フクロウの体がびくりと跳ねた。

 簒奪する刃を引き抜くと、フクロウはまた首をかしげた。


「どうなんですの? うまくいきましたの?」

 ヒルデがフクロウの目をのぞき込む。

「ホウ」

 フクロウが鳴いた。

「失敗かなあ」

 少し残念そうにアルヴァンが言った。

「みたいですわね」

 ヒルデも落胆した様子だった。

「では、焼いてしまいましょうか。わたくしフクロウってどんな味がするのか気になっていましたの」

「そうだね」

 ヒルデの提案にアルヴァンも同意した。

 ヒルデが指を鳴らす。


 絶妙な火加減で放たれた魔術は障壁によって阻まれた。

「これは!」

 フクロウに魔術を防がれたことにヒルデが目を丸くする。

「ホウ! 死ぬかと思いましたのう! じっくりと感動に浸る時間くらい与えてくれてもいいのではありませんかのう!」

 フクロウが口を開くとローネンの声がした。

「なあんだ、成功しましたの」

「やればできるもんだね」

「二人とも投げやりすぎやしませんかのう……」

 興味なさげなアルヴァンとヒルデにフクロウとなったローネンが嘆く。


「そういわれても……」

「ちょっとした思いつきでしたし……」

「わたしの感動がぶちこわしですのう……」

 肩を落とすように、フクロウの両の翼が垂れ下がった。 

「で、わたくしたちはあなたの夢を叶えてあげたわけですけれど、あなたはわたくしたちに何をしてくれますの?」

「上から目線ですのう……しかし、あなた方のおかげでわたしの夢が叶ったのも事実……なれば、この命、あなた方に捧げましょう」

 ローネンは右足を後ろに引き、跪くような姿勢を取った。


「それだけですの?」


 ヒルデとアルヴァンがそろって首をかしげた。

「ホウ⁉ え、いや、命を捧げると言っとるんですがのう……」

 二人の要求の高さに困惑したローネンが大きな目を丸くする。

「フクロウに命を捧げられてもね……」

「非常食になるって意味ですの?」

 二人の反応はあまりに冷たかった。


「いや、あの、わたしはこんな形ですが元帝国軍の魔術師部隊にいたのでそれなりに役には立つはずですのう……」

 ローネンはなんとか自分の価値を認めさせようと踏ん張った。

「そういえばそうでしたわね」

「そういえばって……」

 素っ気ないヒルデの言葉にローネンはショックを受けていた。


「そうだ、ローネンさんから魔術を教わればいいんじゃない?」

 ぽんと手を打ってアルヴァンが言った。

 ヒルデは露骨に嫌そうな顔をした。

「鳥類が師匠だなんてかっこつきませんわ」

「種族そのものを馬鹿にするのはやめていただきましょうかのう!」

 ローネンが羽を打ち鳴らす。


「だいぶ鳥の体に馴染んでますわね」

 怒るローネンを見ながらヒルデが言った。

「駄目かな?」

 アルヴァンが改めてヒルデに聞いた。

「アルヴァン様がそうおっしゃるのでしたら仕方ありませんわね。師匠が鳥頭であることは我慢いたしますわ」

 ため息をつくとヒルデは折れた。

「なぜいちいち喧嘩を売るんですかのう……」

「ローネンさんもそれでいいよね」

「わたしはかまいませんのう」

 ローネンがうなずく。

「よし、じゃあこれからよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく頼みますのう」

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