第34話 魔術師ローネン
去って行くグレゴールとマクシムを見送るとローネンは改めて紅蓮の髪の少女と向き直った。
「始める前にお嬢さんの名前を伺ってもよろしいですかの?」
「バルドヒルデと申しますわ」
赤髪の少女バルドヒルデは恭しく礼をした。
「これはこれはご丁寧にわたしはローネンと申します」
「意外と紳士的な方ですわね」
少し驚いたようにヒルデが言った。
「ホウ! 何せ人に名乗ることなど最後になるやも知れませんからの」
冗談めかすように言ったがローネンは震えていた。
そんなローネンを見てヒルデはクスクスと笑った。
「ふふふ、ええ。その通りですわ」
ローネンには前にいる少女が臨戦態勢に入るのがわかった。
というより思い知らされた。
赤髪の少女の体から立ち上る業火のような魔力によって。
「全く、嫌な予感ほどよく当たるものですのう」
やれやれと首を振り、杖を握り直して障壁を張る。数は五つ。過剰ともいえる防御だが、先ほどの魔術の威力はかなりものだった。警戒は必要だ。
「イグナイト」
「ホウ!」
ヒルデの唱えた呪文にローネンは面食らった。
小さな子供でも使える魔術である。
実戦で使うようなものではない。
だが、赤髪の少女が放った初級魔術は障壁を四枚まで貫通した。
最後の障壁によって、彼女の炎は食い止められていた。
「ばかげた威力ですのう。ただの初級魔術一発で四枚も……」
「わたくしの魔術に耐えられた人は初めて見ましたわ」
ヒルデは少し驚いているように見えた。
「イグナイトに対して障壁五枚などというのは、ロウソクの火を消すのに沼いっぱいの水を用意するようなものなのですがのう……」
ローネンがかぶりを振る。
「それにしても初手がこれとは、わたしを甘く見すぎですのう!」
「甘く見ているもなにも、わたくし、魔術はこれしか使えませんのよ?」
「ホウ! イグナイトしか使えないですと! いや、それは……しかし、それならば……」
ローネンが杖を構える。
「スライサー」
真空波がヒルデに向かって飛んだ。
狙うのは少女の細い首。
しかし、刃は少女の首を落とせなかった。
「何から何まで常識外れですのう!」
ローネンは感嘆と恐怖の入り交じった声を上げる。
「あら、うら若い乙女を化け物みたく言わないで欲しいものですわ」
不満そうにヒルデが言った。散らされた真空波のせいで紅蓮の髪が少々乱れているものの、体には傷一つない。
「その莫大な魔力が障壁のように機能しているようですのう」
「そのようですわね。それで、どういたします? 白旗でも振って見せますの?」
「ホウ! 甘く見るなと言ったばかりですのう! トライストーム!」
短縮詠唱での三重発動によってヒルデを取り囲むように三つの小型の竜巻が出現する。
三つの竜巻は標的をすりつぶすべく一斉に進んでいった。
凄絶な破壊の嵐が吹き荒れた。
ようやく嵐が収まったとき、そこにはヒルデが立っていた。
しかし、その両腕には数インチほどの切り傷がいくつか浮かび、血が流れていた。
ヒルデの白い腕を伝って彼女の血が地面にしたたり落ちた。
「ホウ! これならなんとかなるやも知れませんのう」
ローネンの胸にうっすらと希望が宿る。
「血を抜かれるのは慣れていますけれど、身構えているときに傷を負わされたのは初めてですわね」
赤髪の少女は切り裂かれた自分の両腕に目を落としながらつぶやいた。
「遺憾ながらあなたには傷だらけになっていただきますのう!」
ローネンは再び魔術を放とうとしたところで異変に気づいた。
笑っている。
目の前の赤髪の少女はおかしくてたまらないというように笑っていた。
「ふふっ、ふふふふふっ、ああ、楽しいですわね。街での戦いの時にも思っていたんですけれど、わたくし、これは好きになれそうですわ」
「わたしの方は楽しくないことになりそうですのう」
笑い声とともにヒルデの魔力が増していくのを感じながら、苦々しげにローネンが言った。
ローネンの言葉にヒルデは満面の笑みで応えると両腕を振って、周囲に血をまき散らした。ヒルデの血はすぐに地面に染みこんでいった。
「一体なにを……」
気が触れたかのようなヒルデの行動にローネンが戸惑っていると足下から振動が伝わってきた。
「これは!」
障壁を張れるだけ張りながら飛び下がる。
ローネンが飛び下がった次の瞬間、その足下から巨大な植物の根が飛び出した。
異常に成長した植物の根は槍のようにローネンを襲った。
「嫌になりますのう!」
何枚か障壁を破られながらもローネンがこらえる。
「そんなことを言わずにこの子たちと仲良く遊んでくださいまし」
紅蓮の髪の少女は地面を割って飛び出した根を愛でるようになでながら言った。
「お断りですのう! トライストーム!」
今度は三つの竜巻がローネンを取り囲むように出現した。
竜巻はローネンを守るかのように周囲を回り、地下から襲いかかる根を切り裂いていく。
竜巻が収まると、ヒルデが異常成長させた植物の根がぱらぱらと降り注いだ。
「魔術……ではありませんのう。血に宿る魔力を分け与えただけ……たったそれだけでこれほどのことをやってのけるとは……」
ローネンは今更ながらに痛感していた。この赤髪の少女は掛け値なしの天才である。まともな師につけば、三日で自分を追い抜くだろう。それどころか彼女の力は届きうるかも知れない。世界最強の魔術師と謳われるグロバストン王国の女王にさえも。
「惜しいですな」
少女が持つ無限の可能性に思いをはせる。
だが、所詮は夢想に過ぎない。
彼女はここで死ぬ。自分の手によって。
「ヒルデ嬢、このような形であなたと出会ったのが残念でなりませんのう」
「あら、わたくしにはアルヴァン様というそれはそれは素晴らしい殿方が――」
「いや、そう言う意味ではなく、あなたの魔術師としての才能がもったいないという話ですのう……」
間違いを正してやると少女は少し顔を赤くした。
「……コホン、わ、わたくしには才能がありますの?」
「わたしが見た中では間違いなく最高の素質の持ち主ですのう。それだけに、死なせるのが惜しい。あなたの行く末を見てみたかった」
ローネンは悲しげにそう言って杖を構える。
「言葉に気をつけてくださいまし、まるであなたがわたくしを殺せるかのように聞こえますわよ」
ヒルデの顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
「単なる事実ですのう。わたしの切り札の味をかみしめていただきましょうかのう」
ローネンの杖の先に小さな渦巻きが発生する。それは徐々に回転の速度を増していく。
「あら、ずいぶんと慎ましい切り札ですのね」
ヒルデは笑ったが、少しずつ表情が変わっていった。
ローネンの渦巻きの回転は加速度を増して、飛躍的に回転数を上げていく。
風を切る音がどんどん高くなっていき、ついには耳で捕らえられなくなった。
にもかかわらず、渦巻きは大きくならない。むしろ見えない手で握りつぶされているかのように小さくなっていった。ついには握り拳大の球形の竜巻が完成していた。
「暴食の螺旋。わたしの切り札ですのう。さあ、食われてもらいましょうかのう!」
ローネンが杖の先端をヒルデに向けると小さな球形の渦巻きを放った。
「イグナイト」
渦巻きを打ち消すべく、ヒルデは炎を放つ。
炎が渦巻きを包み込む。
ヒルデが勝利を確信したかのように笑う。
その笑みは炎が小さな渦巻きに吸い込まれるまでしか続かなかった。
渦巻きは炎を食い尽くすと、進み続けた。
次なる獲物である赤髪の少女に向かって。
「その小さな渦巻きはなにもかもを食い尽くしますのう。止められはしませんのう!」
ローネンの言葉通り、渦巻きはヒルデが矢継ぎ早に繰り出す炎を次々と飲み込んでいく。
ヒルデは再び腕を振って地面に血を飛ばす。
血がしたたり落ちた場所から、赤髪の少女を守るように異常成長した植物が飛び出した。
「無駄ですのう!」
魔力が通った、鉄よりも固い植物を小さな渦巻きは易々と散らしていく。
周囲には植物の残骸が散乱していた。
「こんなもので十分ですわね」
辺りを見回しながら、ヒルデは満足そうにうなずいた。
「何をしようとこれで終わりですのう!」
ローネンがさらに魔力を込めて、暴食の螺旋をヒルデに向かわせる。
「あら、わたくしとアルヴァン様の物語に終わりなんてありませんのよ」
紅蓮の髪の少女は笑顔を見せて片目をつぶった。
その瞬間、ローネンの視界に強烈な光が広がった。
「ホウ!」
腕で目をかばいながら、最大出力で障壁を張る。
それでも、光の圧力と熱気はすさまじく、ローネンの体は吹き飛ばされた。
「……今のは、一体……」
頭を振って、体を起こしたローネンが見たのは炎の海だった。
森全体が燃えているのではないかと錯覚するほどの火と熱気がローネンを襲った。
障壁を張り直して、なんとか立ち上がる。
「やれやれ、参りましたなあ……」
ローネンの目に入ってきたのは、炎の熱にあおられて踊る赤い髪だった。
「これで終わりですの?」
髪の持ち主である少女は艶然とほほえんだ。
「植物に与えた魔力を一気に膨張させて、爆発を引き起こしたわけですかのう」
「わたくし、魔術はイグナイトしか使えませんもの」
「普通は魔力を膨張させたところで爆発など起きないのですがのう……しかも、暴食の螺旋すら飲み込んでしまうほどの爆発を起こしながら無事でいられるとは……わたしの負けですのう」
服が少し焦げているだけで目立った傷を負っていないヒルデを見ながらローネンが言った。
「愛するアルヴァン様が待っていますもの、わたくしだけ死ぬわけにはいきませんわ」
赤髪の少女はにっこりと笑った。
「ヒルデ」
二人が声の方に目をやると、炎の壁を抜けて銀髪の青年が現れた。
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