第33話 物足りないよりは

 すべてが終わったときその場にたっていたのはヘクトルだけだった。

「エバンス、エドワルト……」

 逝ってしまった友の名をかみしめるようにつぶやいた。

 ヘクトルの目の前には彼の戦槌によって作られた巨大な穴がぽっかりと口を開けていた。穴のそこは見えなかった。


「なかなか強い人たちでしたね」


 聞こえるはずのない声がしたことにヘクトルは戦慄した。

 ゆっくりと声の主を振り返る。

 そこには銀髪の青年が無傷でたっていた。


「ありえん……」

 ヘクトルは否定しようとした。

 しかしそれは無理だった。

 ヘクトルの頭が青年が生きていると告げていた。

 青年は健在だった。

 ヘクトルは自身がこしらえた巨大なクレーターを見た。

 戦槌によって作られたそれにはもはやエバンスの痕跡は残っていない。


「ああ、僕が助かったのはこれのおかげですよ」

 ヘクトルの疑問に青年が答えた。

 青年の姿が消える。

 ヘクトルがあわてて周囲に目をやると、彼は少し離れた場所にいた。

 青年の足下にはエドワルトが突き刺した矢があった。


「転移魔術……しかも、それはエドワルトの……」

 ヘクトルの足から力が抜ける。

 彼はへなへなとくずおれた。

「便利な術ですね」

 笑みを浮かべて青年が言った。


「わたしは……なんと言うことを……」

 ヘクトルの胸に絶望が広がる。

「エバンスさんは無駄死にでしたね」

 青年の言葉にヘクトルはあらがった。

「いや、無駄死になどではない。このわたしが彼らの死を無駄になどするものか!」

 ヘクトルが立ち上がる。友の死を無駄になどしない。この青年はここで倒す。ヘクトルの体にかつてない力が満ちていく。


「よかった。まだやれますね」

 ヘクトルの様子を見てうれしそうに青年が言った。

「まだやれるとも。だが、これで最後だ」

 ヘクトルは戦槌を振り上げる。これで果ててもかまわない。いや、果てるまで力をそそぎ込むのだ。友のために、自分が仕える主のために。

 ヘクトルの魔力が戦槌に流れ込む。魔力を受けて戦槌は膨れ上がる。それは沈みかけている太陽をも隠し、あたりに一足早く闇をもたらす。


「すごい、これは逃げられそうにないですね」

 もはやどこからが空でどこまでが戦槌なのかわからなくなっていた。

「エバンス、エドワルト、わたしも今ゆくぞ」

 ヘクトルがつぶやくと空が落ちてきた。

 銀髪の青年は、ヘクトルの戦槌が作り出した闇よりも深く暗い魔力をみなぎらせる。

 落ちてきた空と地面がぶつかる。

 すべてを出し尽くしたヘクトルは衝突の刹那に見た。

 青年の漆黒の剣からわき上がる闇が落ちてくる空を受け止めるのを。

 そして、闇がこちらに向かって迫ってくるのを。

 だが、彼にはもう時間がなかった。驚くことも恐れることも悔やむこともできずに彼は闇に飲まれていった。




 アルヴァンが服に付いた土埃を払った。

「真っ暗になっちゃったな」


ーー夜目は利くだろ。


 フィーバルの言うとおり、アルヴァンには暗闇の中でもはっきりと周囲が見渡せた。

「これもこの剣のおかげなのかな?」


ーーそれもあるし、おまえの素質もあるな。


「へー」

 したたり落ちる水の音がする方へアルヴァンが歩き出す。


「ヒルデとグレースさんは大丈夫かな?」


ーー雌犬はともかく、女狐の方は大丈夫だろ。


「僕も追いかけないとね……えっと、音がする方に川があるはずだから……こっちだよね……」

 自信なさげに指さした。


ーーなんだ? 覚えてねえのか?


「ヘクトルさんがこのあたりの地形を変えちゃったからね」


ーーおまえだって一役買ってるだろ。あの野郎の最後の一撃を押し返したじゃねえか。


「ちょっとやりすぎたね」

 少しだけ後悔した様子でアルヴァンが言った。

「まあ、楽しかったからいいか」


ーー物足りないよりはずっといいな。


 フィーバルも同意した。

「じゃあ、行こうかな」

 アルヴァンは再び闇の中を歩き出した。

 ヘクトルの最後の一撃とそれすら押し返した簒奪する刃の一振りによって、すり鉢上になってしまった大地を踏みしめる。

 光すら届かないほど深い穴の底からアルヴァンとフィーバルは取り留めのない会話をしながら地上に向かって上っていった。




 強烈な揺れに立っていられなくなったグレゴールたちは森の木々にしがみついて自分の体を支えていた。

「さっきの揺れも大きかったが、今回のは一段とすごいな」

 汗の浮いた額を手でぬぐい、グレゴールが言った。

「ヘクトル殿でしょうな」

 ローネンの言葉にマクシムとグレゴールがうなずく。


「一度戻るか、彼らが勝ったはずだ」

「なりませんな」

 グレゴールの提案にローネンは厳しい表情で首を横に振った。

 反論しようとするグレゴールをマクシムが止める。

「まずはお前を確実に逃がすことが先決だ」

「……わかりました」

 グレゴールが渋々うなずく。


「ですが、あれほどの一撃を放って生きている人間などいるはずが――」

「そんなことはありませんわ。わたくしのアルヴァン様は無敵ですもの」

 三人は一斉に声の主の方を向いた。

 そこにいたのは夕闇の中でも目立つ見事な赤髪の少女だった。


「グレース様の協力者の方ですかのう」

 ローネンが背負っていた木製の杖を構え、少女の前に出た。

「わたくしはアルヴァン様の味方であってあの女狐はどうでもいいのですわ」

 赤髪の少女がぷいっとそっぽを向いた。

「アルヴァンというのはあの銀髪の小僧のことか?」

 グレゴールが言った。


「ところで、誰が口を開いていいと言いましたか?」

 少女が指を鳴らすとグレゴールの体が突然炎に包まれた。

「あっけないものですわね」

 燃え上がるグレゴールを見ながら、つまらなそうに少女がつぶやく。

「そうでもないと思うがね」

 息子が燃えているにもかかわらず動じないマクシムに少女が怪訝な顔を見せた。


 炎は出現したときと同じように唐突に消えてしまった。

「あら?」

 少女が不思議そうにグレゴールを見た。

 彼は無傷だった。

「なるほど、あなたが元帝国の魔術師ですか」

 赤髪の少女は納得した様子でローネンの方に目を向ける。

「昔取った杵柄ですな」

 ローネンは鷹揚に笑っているが、ゆだんなく杖を構えている。


「グレゴール様、マクシム様、お逃げください」

「……ローネン、お前も必ず戻れ。いいな?」

 グレゴールはそう言ってローネンに背を向けた。

「ホウ! もちろんですとも!」

 ローネンは自分が使える主に向かって力強くうなずいた。

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