第36話 グレース・コンラッド
グレゴールとマクシムはようやく森の出口近くまでたどりついた。
「父上、あと少しで森を抜けます。近くには村がありますからそこで馬を手に入れましょう」
グレゴールの言葉にマクシムがうなずく。
二人とも疲労の色は濃かったがそれでも前に進み続けていた。
道を開いてくれた三騎士とローネン、それに自分たちを慕い、協力してくれた者たちのためにも足を止めるわけにはいかなかった。
「ヘクトルたちもローネンも無事でいるといいのですが……」
走りながらも頭に浮かぶのはそのことばかりだった。漆黒の剣を携えた銀髪の青年にしろ、森で出くわした赤髪の少女にしろ尋常な相手ではない。
「何も心配はいらん。お前は彼らに必ず戻れと命じ、彼らはそれに答えたのだ」
「ええ、わたしはただ彼らを待つのみですね」
グレゴールが言った。
「いい顔をするようになったな」
グレゴールの横顔を見ていたマクシムが言った。
「お前は心根はまっすぐなのだが、少々周りの反応を気にしすぎるきらいがあった。グレースと自分を比べていたのだろう?」
「……グレースは間違いなくわたしよりも有能でした」
グレゴールがうつむく。
「だが、切れすぎる刃は何もかも傷つけてしまう。そんなものは何の役にも立たん。お前はグレースとは違う。お前にしかできないことがあるのだグレゴール。それを忘れるな」
「父上……」
グレゴールが顔を上げる。その目には光るものがあった。
「おいおい、泣く奴があるか。そんなことではヘクトルたちに笑われてしまうぞ」
「わ、わたしは泣いてなど……」
グレゴールは慌てて目元をぬぐった。
「いや、それでもいいのだ。何もかもを自分の力で解決しようとする必要などない。お前には並ぶ者のない味方がいるのだから。ときには彼らを頼ればよい」
「うんうん、身の程をわきまえるのは大事だよね」
二人には聞き慣れた声だった。
「グレース……」
「父から子へと領主の魂が受け継がれるところを邪魔してしまって悪かったね。でも、家族の団らんなんだからボクも混ぜてくれてもいいんじゃないかな?」
グレースは馬から下りるとグレゴールたちの方へ近づいてきた。
その腰には長剣が差してあった。
「わたしには娘などいない!」
マクシムが背負っていた剣を抜いた。
父の様子を見てグレゴールも剣を抜く。
「そうそう、父上のやるとおりにやらないとね」
グレースは剣を抜いたグレゴールに笑みを見せる。
「お前はあのとき殺しておくべきだった」
マクシムが苦々しげに言った。
「ひどいなあ。血のつながった娘に言う台詞じゃないよねえ、兄上」
「だまれ」
グレゴールはそれしかいえなかった。
「おや、そうじゃないでしょ? 兄上の台詞はこうだよ『その通りです父上、あのとき殺しておくべきでした』でしょ。ちゃんと父上のことを見習って動かなくちゃ」
「黙れ」
グレゴールが言った。
「兄上は父上のまねだけしていればいいんだよ」
グレースが朗らかに続ける。
「黙れ」
グレゴールが砕けんばかりに歯を食いしばる。
「だって、何をやったってボクには及ばないんだから」
「黙れグレース!」
叫んだのはマクシムだった。
「おお、怖い怖い……かわいい娘を本気で怒鳴らなくたっていいじゃないか」
グレースは大げさに嘆いて見せた。
しかし、マクシムはグレースの態度など一顧だにしなかった。
「グレース、お前には決定的にかけているものがある」
「自分で言うのも何だけど、ボクって優秀だと思うんだけど。……少なくとも兄上よりは」
笑みを浮かべてグレゴールを見た。
「グレース、わたしはお前に劣る。だがな、わたしにだってできることはある。パインデールをお前の好きにはさせない」
「なるほど、兄上の決意はよくわかったよ。じゃあ、ボクも兄上を見習って改心するよ」
「何を言っている?」
グレゴールとマクシムが困惑の表情を浮かべる。
「言葉通りさ。ボクは改心していい子になるよ」
にっこりと笑ってグレースが言う。
「バカなことを言うな!」
マクシムが言った。
「ひどいなあ、ボクは本気だよ」
グレースは大げさに肩を落とす。
「改心するだと! 今更そんな戯れ言を聞くと思うのか!」
グレゴールが言った。
「兄上も父上もわかっているはずだよ。ボクが本気になれば何でもできることはね」
グレースは自信をにじませた笑みを見せた。
「それは……」
グレゴールが口ごもる。
妹の優秀さはよくわかっていた。
確かに改心だってできるだろう。そして、妹は自分よりも優秀な領主となるはずだ。
それはつまり……。
「ならん! 認められるわけがない!」
マクシムが首を振った。
「本当にそれでいいの? ボクに任せた方がよくなるのに?」
「論外だ! お前など信用できん!」
マクシムは頑なに拒んだ。
「じゃあ、父上に信用してもらえるように変わるよ」
「ふざけるな!」
「父上、本当にそれでいいの? 今まで何度も考えてきたはずだよ、もし娘が心を入れ替えてまともになったらってね」
「何をバカなことを……」
「ははは、父上の考えていることなんてお見通しだよ」
グレースが笑う。
「父上は本当はボクを領主にしたかったんでしょ? でもそれはできないから仕方なく兄上を使ってるんだ」
「黙れ……」
マクシムの顔が白くなっていく。
「そりゃそうだよね、兄上はどうひいき目に見ても平凡ってところだもの。対するボクは超優秀。父上さえも遙かに超える才媛だからね。性格に難があるとはいえ、その優秀さは捨ててしまうにはあまりに惜しい。だからボクを殺さずに投獄したんだよね?」
「違う……わたしは……」
マクシムがかぶりを振る。
「父上……」
グレゴールが不安そうにマクシムを見た。
「ほら、兄上が疑っているよ。はっきりと言ってあげなよ。お前はとびきり優秀なグレースのできの悪い代用品だって」
グレゴールはあざけるようにそう言った妹に雄叫びを上げながら斬りかかった。
「腕を上げたねえ、兄上」
グレースは驚いた顔を見せながらも易々とグレゴールの剣を受けた。
「お前さえ……お前さえいなければ……」
グレゴールが必死になって剣を振りながら声を絞り出す。
「ははは、違う違う」
グレースはグレゴールの剣を笑いながらさばいていく。
「いなければよかったのは兄上の方だよ」
それまでの明るい口調とは打って変わって冷たく言った。
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