第24話 争いは狂奔へ

「さてと、じゃあ実験を始めようか」

 夜も更けた頃、路地の奥から表通りの様子をうかがいながらアルヴァンが言った。

「…………」

「ヒルデ?」

 反応しないヒルデに声を掛ける。


「……はあはあ、ア、アルヴァン様がこんなに近くに……」


 路地が狭いせいで二人の体は密着していた。

「えーと、そろそろいくよ」

 表の通りの方に聞こえないように、ヒルデの耳元で囁いた。


「ア、アルヴァン様……」


 ヒルデは闇の中でもわかるくらい顔を赤くしてアルヴァンを見つめた。


――いちいち発情すんな雌犬。仕事の時間だぞ。


 いらだたしげにフィーバルが言った。

「は、発情なんてしていませんわ! わたくしはただ――」

「声が大きいよ」

 アルヴァンが慌ててヒルデの口をふさいだ。

 ヒルデは不満そうな顔つきで簒奪する刃をにらみつけた。

「覚えていなさいよ、このナマクラ」


――へいへい。


「手順はわかっているよね?」

 アルヴァンが確認した。

「もちろんですわ。任せてくださいまし」

 ドンと胸をたたいて自信を示す。

「じゃあ、よろしく頼むよ」

 そう言ってアルヴァンは表通りの方へ出て行った。




 その夜、二人の水夫が行きつけの酒場を後にした。

 談笑しながら通りを歩いていた彼らの元に見事な赤髪の少女が駆け寄ってきた。

「た、助けてくださいまし」

「おうおう、どうしたお嬢さん」

 痩せた方の男が赤髪の少女に聞いた。

「わたくし、悪い男に追われていて――」


 少女はひどくおびえた様子で男たちに助けを求めた。

「そいつは大変だな。よし、俺たちがなんとかしてやろう」

 太った方の男が言った。

 通りが暗かった上に彼らは酔っていた。おまけに目の前の少女に気を取られていた。彼らが気配を消して後ろから近づいてきた青年に気づくことはなかった。


 青年は漆黒の剣を二度振るうと去って行った。


「待てよ、こんな上玉逃がす手はねえぜ」

 痩せた男が目を血走らせて言った。


 痩せた男の顔面に太った男の拳が炸裂した。


「見損なったぞ! この屑野郎!」

 太った男が倒れた男の腹を踏みつけながら叫んだ。

「テメエなんぞ人間じゃねえ! 犬にも劣るケダモノだ!」

 太った男は大声でわめきながら痩せた男を蹴りつける。


「朝日を拝めると思うなよ! テメエはここでぶっ殺して――」

 太った男の動きが止まる。足を強く押されたような感覚があった。すぐに猛烈な熱さと痛みが体を駆け上がってきた。


「俺の! 俺の足が!」


 太った男が足を押さえてうずくまる。その足にはナイフが突き刺さっていた。

「人のことをケダモノだの何だのとテメエは一体何様のつもりなんだよ!」

 痩せた男が立ち上がって叫びながら、うずくまる男の頭を蹴り飛ばした。


「テメエは何様なんだって聞いてんだよ! おい! 答えてみろよ!」


 馬乗りになって太った男を何度も殴りつける。血しぶきが上がり、折れた歯が飛び散った。


「おい! どうした! 何があった!」

 騒ぎを聞きつけた人々が集まった来た。彼らも、黒い剣を持った青年には気づかなかった。

 痩せた男が集まってきた人々に振り向いた。


「何でもねえよ! 見世物じゃ――」


 痩せた男の言葉が途切れた。痩せた男がくずおれる。

「テメエが悪い。俺は正しいことをやろうとしたんだ」

 自身の足から引き抜いたナイフで痩せた男の背中を刺した太った男が言った。

「俺は正しい。俺は正しいんだ!」

 太った男は何度も何度も痩せた男にナイフを突き立てた。


「人の店の前でなにやってやがるんだこの野郎!」


 罵声に反応して振り向いた太った男が最後に見たのは、振り下ろされる肉切り包丁だった。


「ったく客が減ったらどうすんだよ!」


 太った男を殺した料理人が吐き捨てた。

「おい」

「なんだい、今一仕事終えていい気分になってるとこなん――」

 料理人の頭に頑丈な木製の椅子がたたきつけられた。

 強烈な力で振り下ろされた椅子は料理人の頭を砕き、暗い路面に血と脳漿をまき散らした。


「人が物食ってるときになんてもん見せやがるんだクソ野郎! 死んで詫びろ!」


 料理人の店の客が叫ぶ。


「人殺しが! 死ねえ!」


 二人の女給がナイフを構えて椅子を振り下ろした客に突っ込んだ。

「兄貴になんてことしやがる!」

 客を刺した女給に男が襲いかかる。


 人々は次から次へと誰かを襲っていく。喧噪はすぐに殺戮へと代わっていった。




「すごいですわね」

 街の様子をを遠くから眺めながら、殺戮のきっかけを作ったヒルデが言った。

「うん。これは面白いね」

 簒奪する刃の柄に手を掛けながらアルヴァンが答える。


――なかなかのもんだろ。


 得意そうにフィーバルが言った。

「簒奪する刃で自制心を奪ったわけだけど効力はどれくらい続くのかな?」


――やり方にもよるが今回の連中は半月くらいはあのままだろうな。


「もっと長い期間奪うこともできるんですの?」


――当然だろ。完全に奪っちまうことだってできる。もっともできるのは何かを奪うことだけだがな。


「どういうこと?」

 アルヴァンが聞いた。


――この剣は何かを奪うことしかできねえんだよ。たとえば、自制心を奪ってちょっとしたことですぐにぶち切れるようにすることはできる。だが、自制心を与えて我慢強くしてやることはできない。まあ、やりようはあるんだが……。


「そういうことですのね。不便じゃありませんこと?」

「そうでもないよ」

 言い切ったアルヴァンにヒルデは不思議そうな顔を向ける。

「我慢強くしてあげるなら自制心を与えるんじゃなくて欲望を奪えばいいからね。結構応用が利くんじゃないかな」


――だな。


「さ、さすがですわ、アルヴァン様。腕が立つだけでなく頭も切れるだなんて。まさにわたくしの理想の王子様ですわ」

 興奮した様子でヒルデがまくし立てる。


――テメエから見ればみんな頭が切れるように見えるだろうよ。


 フィーバルが冷たく言った。

「ちょっと褒められたからって調子に乗ってるとへし折りますわよ、ナマクラ」

 ヒルデが簒奪する刃をにらみつける。

「じゃあ、具体的にどういう風に応用が利くかはこの人たちで試そうか?」

 ヒルデたちのにらみ合いは気にも掛けずにアルヴァンが後ろを向いた。


 そこにはロープで拘束され、猿ぐつわを噛まされて、地面に転がされた二人の男女がいた。

 混乱に乗じて街からさらわれてきた彼らは自分たちをさらった人間がこの殺戮を引き起こした張本人であることを知り、恐怖におびえた目でアルヴァンを見ていた。


「心配しなくても大丈夫ですよ」


 穏やかな笑みを浮かべてそう言うアルヴァンに拘束された二人の緊張がわずかに緩む。


「あなたたちはなにが心配だったのかもわからなくなりますから」


 笑みを浮かべたままそう続けるアルヴァンに彼らは心の底から恐怖した。

 だが、その恐怖もアルヴァンが簒奪する刃を振るうまでしか続かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る