第25話 一陣の風

「さてと、もういいかな」

 アルヴァンはおとなしくなった二人に指示を出して帰らせた。

「もう終わりですの? わたくしもう少し見ていたいのですが」

 街の混乱を飽くことなく眺めていたヒルデが言った。

 

 喧噪はピークに達し、あちこちで火の手まで上がっていた。

 そのうちのいくつかはヒルデの手によるものだ。

「できれば見せてあげたいけど、あまり長居するのもまずいからね」

「仕方ないですわね」

 ヒルデは名残惜しそうに町の方を見た。

「行こうか」

 ヒルデに声を掛けて喧噪から離れようとしたとき、袖口を捕まれた。

「アルヴァン様! あれをご覧くださいまし!」

 ヒルデの声の様子にただならぬ物を感じたアルヴァンは目をこらして喧噪の中心を見た。




 一体なにが起きているのか。

 混乱の収拾に当たっている衛士たちの頭の中はそんな疑問でいっぱいだった。

 酔っ払いの喧嘩の仲裁なら数え切れないほどこなしていたが、今回のこれは決定的に違った。

 暴れている人々は衛士であろうと殺すつもりで襲ってくるし、明らかに酔っていないものもいる。だが、彼らの凶暴さはもはや人間離れしていた。最初はつまらない仕事だと思っていた衛士たちも、本腰を入れるのを通り越して死を覚悟するようになった。


 もはや落ち着けだの家に帰れだのと言い聞かせるのは無意味。実力行使で行動不能にするしかなかった。それでも、彼らは徐々に押されつつあった。目の色が違う。衛士たちは群衆のように殺意に染まった目をしてはいない。怒り狂う群衆は素手で武装した衛視たちに向かっていき、歯が砕けるのもかまわずに止めようとする衛士の鎧にかみつく。

 

 とても人間を相手にしているとは思えなかった。衛士たちが恐怖に飲まれはじめたとき、一陣の風が吹いた。




「すまぬ。拝借するぞ」

 騎士は呆然と喧噪を見ていた新米の衛士から槍をひったくると魔力を込めて、全力で地面にたたきつけた。

 目の前に雷が落ちたかのような轟音が響き渡り、大地を揺らした。

 荒れ狂う群衆も身動きがとれなくなる。

 

 なんとか立ち上がった者たちが、騎士に襲いかかる。しかし、彼らの手が騎士に届くことはなかった。どこからともなく伸びてきた太いロープが彼らの体に巻き付いた。

 群衆は雄叫びを上げてロープを引きちぎろうとする。


「すごい力だな。だが、この程度では破れんよ」


 二人目の騎士が握りしめたロープに魔力を込めながらつぶやいた。


 ロープによる拘束を免れた人々が鏃の代わりに砂袋をくくりつけた矢によって吹き飛ばされた。

「おとなしく寝ててもらおうかな」

 三人目の騎士が三本の矢を同時に放つ。魔力を込められた矢は大の大人をあっけなく吹き飛ばして昏倒させていった。


「ローネン! そろそろよいか!」

 群衆を蹴散らしていた一人目の騎士が大声で呼びかける。

「ホウ! 準備万端ですぞヘクトル殿!」

 黒いローブ姿の太った小男が騎士に返事をした。


「よし! 退くぞエバンス!」

 ヘクトルの呼びかけにロープを操っていた騎士がうなずく。

 二人の騎士が群衆から離れると、魔術師ローネンが杖を掲げた。


「エアプレッシャー」


 詠唱と同時にローネンの魔術が発動した。荒れ狂う群衆の周囲で大気の圧力が急激に増し、群衆を地面に縫い付けた。

 それでも彼らはもがき、雄叫びを上げる。


「もう少しですかの」


 ローネンが再び杖を掲げる。

 大気の圧力がさらに増し、地面にひれ伏した群衆は呼吸もままならなくなる。

 ローネンが杖を納めたとき、暴れていた人々は一人残らず気絶していた。


「やれやれ、これで一段落ですかの」

 額に浮いた汗をぬぐいながらローネンがつぶやいた。

「よくやってくれた」

「相変わらず見事なもんだな」

 ヘクトルとエバンスが労をねぎらう。

「片付いたかな」

 三人の近くに突如として弓を持った青年が出現した。

「エドワルト殿もよくやってくれましたな」

 ローネンが魔術で転移してきた青年に言った。

「これくらいは楽勝だね」

 エドワルトが得意げな笑みを見せる。


「助かった。あんたたちがいなければどうなっていたことか……」

 四人の元へ駆け寄ってきた衛士隊長が言った。その顔は未だに青ざめていた。

「衛士隊長、一体何があったのだ? この騒ぎは尋常ではないぞ」

 ヘクトルが口を開いた。

「それがこちらにもわからんのだ。最初はただの小競り合いだと思っていたんだが、みんながまるで正気を失ったかのように暴れ出して……気がついたときにはこの有様だ」

 そのときの様子を思い出したのか、衛士隊長の体がわずかに震えていた。


「みんな酔ってたのかな」

 エドワルトが言った。

「酒に酔った程度で衛士相手に殺すつもりで向かっていくなどということがあるものですかの?」

 ローネンが首をかしげる。

「魔術の痕跡はないのか?」

 エバンスが聞いた。

「ありませんのう。この人数を一度に狂わせたのであれば何かしらの痕跡が残ってもよさそうなものですが……」

「魔術じゃないとすると巷で出回ってるって言う麻薬かな」

 エドワルトが言った。

「調べてみる価値はあるが、倒れてる連中の中には薬なんてやってそうにない年寄りも混じってるぞ」

 気絶した群衆の方を見ながらエバンスが言った。

「ふむ、妙ですなあ……ヘクトル殿? どうかなさいましたかの?」

 考え込んでいたローネンが一人だけ会話に参加してこないヘクトルに気づいた。


「……いや、何でもない」

 赤い髪の少女を連れた青年になぜか目を引かれていたヘクトルだったが気を取り直して号令を出した。

「原因の究明は後回しだ。けが人の手当と暴れた者たちの収容を急げ!」

 ヘクトルの言葉にローネンたちはうなずいた。  




「気づかれたかな?」

 アルヴァンが簒奪する刃に手を掛けながらうれしそうに言った。

「大丈夫じゃないでしょうか。かなりの距離がありますし」

 隣のヒルデが後ろを振り返りながら言った。

「あれが三騎士と魔術師だね。……あの人たちはいい」

 今すぐに簒奪する刃を抜いて襲いかかりたくなるのをこらえながらアルヴァンが言った。

「ですわね。確かに強そうな人たちでしたわ」


「ああ、楽しみだなあ」

 夢見るようにアルヴァンがつぶやく。

 そんなアルヴァンを見てヒルデが笑う。

「アルヴァン様ったらまるで子供みたいですわよ」

「そう言われても、実際楽しみだからね」

 アルヴァンは困ったように頭をかいた。

「お気になさることはありませんわ。楽しそうにしているアルヴァン様を見ているとわたくしも楽しくなってきますもの」

 優しい笑みを浮かべてヒルデが言った。


「そう言ってもらえると助かるよ」

「これからもずっと二人で楽しいことをしましょうね」

「そうだね。今回はグレースさんも一緒だけど……ヒルデ?」

 言葉の途中で隣を歩いている少女の様子が変わったことに気づいたアルヴァンがヒルデの方を見る。


「せっかく、せっかく、せーーーっかくいい感じになってましたのに何であの女狐の名前が出るんですのーーー!」


 大声で不満を叫ぶヒルデに慌てたアルヴァンは素早く彼女の口をふさいだ。

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