第20話 領主の妹
「でも、本当に平気なの?」
歩きながら、声を潜めてアルヴァンが聞く。
「なにがですの?」
ようやく落ち着いたヒルデが聞き返した。
「この人たちの『声』も聞こえるんでしょ? つらくない?」
「まあ、わたくしのことを気遣ってくれますの。うれしいですわ。ですが、ご心配には及びませんわ。不快な『声』はわたくしの方で遮断できますの」
アルヴァンにだけ聞こえるようにヒルデが答える。
「そう、それならいいけど、無理はしないでね」
「ア、アルヴァン様、ここまでわたくしのことを思ってくださるのですね。わたくし、涙を禁じ得ませんわ」
目を赤くしてヒルデが言った。
「うん。目立つから泣くのはやめてね……着いたね」
ヒルデをあしらいつつも通路を進んでいき、二日前に案内された部屋までたどり着いた。
ドアをノックすると、中に入るように促された。
「こんばんわ」
ドアを開けてアルヴァンが言った。
「来たな、アルヴァン。そっちにいるのが例の……」
アルヴァンたちを出迎えた大男がヒルデに目をやる。
「初めまして、バルドヒルデと申します」
ヒルデが恭しく名乗った。
「おう、あんたが紅蓮の聖女様か。あんたにはいつも世話になってるよ」
大男が笑みを浮かべて言った。
ヒルデも社交的な笑みを返す。
「それで、領主の妹さんに会わせてもらえるんですよね?」
アルヴァンが聞いた。
「ああ、会わせてやるとも。ついてきな」
大男は立ち上がると、壁にある細工を操作した。音を立てて隠し扉が開いた。
「こった仕掛けですこと」
「これもあんたの血のおかげさ」
大男は得意げに笑った。
「さあ、こっちだ」
アルヴァンとヒルデは大男について行った。
隠し通路はところどころで松明が燃やされ、十分な明るさが確保されていた。
「これはどこに続いてますの?」
「このパインデールの牢獄さ」
前を向いたまま、大男が答えた。
「領主の妹が投獄されていますの⁉」
「あの状態を投獄と呼べればな」
「どういうこと?」
アルヴァンが聞いた。
「まあ、今にわかるさ」
大男はそう答えると黙々と歩き続けた。
アルヴァンとヒルデも大男の後を追った。
「行きどまりですの?」
3人の前には、堅固な石の壁が立ち塞がっていた。
「慌てなさんな」
大男が壁の脇にある松明の影に隠れたレバーを操作すると、隠し扉が開いた。
「なんだかわくわくしますわね」
弾んだ声でヒルデが言った。
「はっはっはっ、金をかけた甲斐があったな」
大男が腹を揺らして笑った。
「さあ、入ってくれ」
大男に促されるまま、アルヴァンとヒルデは扉を抜ける。
二人がたどり着いたのは広々とした部屋だった。天井からつるされたシャンデリアが大きなテーブルを照らしていた。テーブルの上には豪華な料理が用意されており、床には毛足の長い絨毯が敷かれている。窓のない壁だけがここが地下であることを示していた。
「ようこそ、ボクの城へ」
目の前の光景に言葉を失っているアルヴァンとヒルデに向かって、すでにテーブルに着いていた少女が言った。顔立ちは中性的で髪も短めだが、濃緑色のドレスに包まれた体のラインは間違いなく女性のそれだった。
「さあ、早く掛けてくれ、料理が冷めてしまう」
アルヴァンとヒルデは互いに顔を見合わせた。
「ど、どうしましょう?」
「言われたとおりにすればいいんじゃないかな。多分」
二人は意を決して少女の正面の席に着いた。
「ボクはグレース・コンラッド。見ての通り、とらわれの美少女さ」
グレースは柔らかな笑みを浮かべるが、アルヴァンとヒルデの表情は固い。
「うーん、いまいち受けがよくないね。まあ、食事を取っていればそのうち会話も弾むようになるか」
少し残念そうに言うとグレースは指を鳴らした。すると、先ほどアルヴァンたちが入ってきたのとは別の隠し扉が開き、エプロンドレス姿の給仕が二人、ワインを持ってやってきた。
「その邪魔な物は預からせてもらってもいいかな?」
グレースがそう言うと給仕の一人がアルヴァンの横に立った。
「はあ」
アルヴァンは簒奪する刃を給仕に手渡した。給仕は剣を大事そうに抱えるとアルヴァンから離れた。それを見たグレースは一つうなずくとグラスを掲げた。
「先日いいワインが手には入ってね。さあ、乾杯といこうか」
大男がグラスを掲げる。遅れてアルヴァンとヒルデもグラスを掲げた。
アルヴァンはグラスに口を付けた。グレースの言うとおり、アルヴァンがこれまでに飲んだことのない上等なワインだった。味と香りを楽しみつつ、グレースに目をやる。
「最高だろう」
グレースのいたずらっぽい笑みにアルヴァンはうなずいた。
「いいね。酒の味がわかる客は大好きだよ。ただ、聖女様には刺激が強かったようだね」
そう言ってグレースはアルヴァンの隣に目を向けた。つられてそちらを見ると給仕におかわりを次いでもらっているヒルデの姿が目に入った。
「あるう゛ぁんしゃまー、よのなかにこんなにおいしいものがあるだなんて、わたくし、しりませんでしたわー」
頬を赤く染めてとろんとした目でヒルデがもごもごと言った。
「ああ、うん。よかった……ね」
ヒルデの変貌ぶりに面食らいながらもなんとか言葉を紡ぐ。
「ふふっ、君も苦労しているみたいだね」
「ええ、まあ。それなりに」
グレースの言葉にアルヴァンは苦笑を浮かべる。
「なあんでしゅってえ、あるう゛ぁんしゃまにくろうをかけるとはなにごとでしゅかー、こおのわたくしがせいばいしてさしあげましゅわー」
隣の席のヒルデが体を揺らしながら、呂律の回らない声で言った。
「ヒルデ、大丈夫だから君は飲んでいていいよ」
アルヴァンはヒルデのグラスにワインを注ぐ。
「わあい、このわいん、わたくしだいすきですわあー」
注がれる赤い液体をいとおしげに見ながらヒルデが言った。
アルヴァンが次いでやったワインをヒルデは水のようにあおった。
「くうーさいっこうですわー、でもでも、わたくしがほんとーにだいすきなのはーこれじゃあないんですよー。あるう゛ぁんしゃまはーかんちがいしちゃーだめなんでしゅからねえー」
それだけ言うとヒルデはテーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。
「おやおや、君は幸せ者だねえ」
にやにやと笑いながらグレースが言った。
「ええと、そろそろ本題に入りたいんですが……」
「そうかい? ボクはもうしばらくこの会合を楽しみたい気分なんだが」
「グレース」
大男が楽しげに笑うグレースに目を向けた。
「わかったよ。全く男はどうしてこうせっかちなのかね」
グレースはしぶしぶグラスを置いた。
「話はそこのガスリンから聞いているよ。この都市を乗っ取りたいんだって? そこで我々に目を付けたのは慧眼だ。実に素晴らしい。だが、問題は山積みだ。まず第一にこの都市の人々は領主が代わることなんて望んでいない。ボクを投獄した父上は実に素晴らしい領主だったし、後を継いだ兄上も――まあ、無能なりにだが――よくやっている。それに、コンラッド家にはそれはそれは強い三人の騎士が仕えていてね、彼らを倒そうと思ったら王国か帝国の精鋭が必要になると言われている。そういうわけでだ、君には隣の聖女様をおいて、お引き取りねがいたいんだよ」
グレースが指を鳴らすと甲冑を身につけた兵士たちが隠し扉から現れた。
部屋の中でも振り回せるように、兵士たちは短めの剣や斧で武装していた。
「事情はわかりました」
「すまないね。君にできることはなにもない」
グレースがグラスに目を落とす。
彼女の言葉には少しだけ申し訳なさが込められているような気がした。
兵士たちが武器を構えてアルヴァンを取り囲む。
「そろそろ頼むよ」
アルヴァンは後ろにいる相棒に声を掛けた。
――任せとけ。
頭の中に響いたその声にグレースやガスリン、兵士たちが疑問を抱いた瞬間、簒奪する刃を抱えていた給仕が剣を振りかぶって兵士たちに襲いかかった。
「なっ!」
兵士たちが驚きの声を上げる。彼らは襲われたことよりも給仕の動きの鋭さに驚いていた。給仕は鎧ごと兵士の体を切り裂き、兜ごと頭を貫いた。
「その女を始末しろ!」
ガスリンの怒号が部屋に反響した。
兵士たちは言われる前から動いていた。しかし給仕の方が速かった。彼女は人間離れした動きで壁を蹴り、宙を舞って兵士たちを切り捨てていった。
そして、給仕は最後の兵士の首を切り飛ばすとアルヴァンに向かって大仰に頭を垂れた。
「ご苦労様。もういいよ」
アルヴァンの言葉を聞くと給仕はにっこりと笑い、自分の首に簒奪する刃をあてがうと、首を切り落とした。
給仕の首の断面からは勢いよく血が噴き出し、アルヴァンのグラスのワインと混ざった。
給仕は死んだ。だが、その体が倒れることはなかった。頭を失った体はアルヴァンに向かって歩いて行き、簒奪する刃を差し出した。
アルヴァンは簒奪する刃を受け取ると、テーブルに置いてあったナプキンで剣に付いた血をぬぐった。
――やっぱりテメエの体の方がいいな。
「そういうものなの?」
――ああ、この女の体じゃあっという間に自我が消し飛んじまってこの程度のことしかできやしねえ。
フィーバルが嘆いた。
「なんてこった……」
ガスリンが呆然とつぶやいた。
「君は……一体……」
グレースが目を見開く。
「ええと、ワインのおかわりもらえませんか?」
アルヴァンが言った。
「んふふふふ、わたくしのあるう゛ぁんしゃまはむてきなのでしゅよおー」
ヒルデの無邪気な寝言が部屋に響いた。
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