第16話 港湾都市パインデール

「足が痛いですわ。お腹がすきましたわ。喉が渇きましたわ。もう歩けませんわ」

 ヒルデは次から次へと不満をまくし立てた。

「地図によると、もうちょっとだからがんばって」

 アルヴァンはなんとかヒルデをなだめようとする。

「無理ですわ。もう歩けませんわ。おぶってくださいまし」

 ついには座り込んで駄々をこね始めた。


――情けないヤツだな。


 あきれたようにフィーバルが言った。

「あなたには頼んでいませんわ。わたくしはアルヴァン様に頼んでいますの」

 そう言ってアルヴァンにすがるような目を向ける。

「しょうがないなぁ」

 アルヴァンがヒルデを肩に担ぎ上げる。

「なんで毎回こんな感じなんですの。普通、もうちょっとロマンチックな感じになるのではないのでしょうか」

 担ぎ上げられたヒルデが不満を口にする。

「このほうが運びやすいし」

 アルヴァンは淡々と告げると歩き出した。


――くくっ、お荷物にはお似合いだな。


 フィーバルが忍び笑いを漏らす。

「屈辱ですが否定できませんわね……。あら、このにおいは」

 鼻をつく匂いに気づいたヒルデが顔上げて前を見た

「だいぶ近づいたみたいだね」

 風に乗って潮の香りが漂ってきた。

 二人の前に現れたのは港湾都市パインデールだった。

「おろしてくださいまし」

 アルヴァンは言われたとおりにヒルデを下ろしてやった。

「あれが海ですのね」

 ヒルデの目には日の光を受けて輝く海面が見えていた。

「多分ね」

 アルヴァンも目を細めて海のほうを見た。

「何をやっているのです。さあ、いきますわよ!」

 先ほどまでとは打って変わって、元気よく歩き出すヒルデをアルヴァンは呆然と見ていた。




 門を抜け、二人は都市に入る。

「大きいですわね」

「大きいね」

 二人の第一声がそれだった。この都市はヒルデがいた街よりもさらに規模が大きく、 二人はついつい高い建物を見上げながら歩いていた。

「さぁ海を見にいきましょう」

「そうしようか」

 都市の大きさに圧倒されたものの、当初の目的を思い出した二人は潮の香りが強くなる方向へ向かって走り出した。

 

 建物が並ぶ通りを抜け、魚市場を抜け、二人は走った。

 そして、ついに海を一望できる高台までたどり着いた。

「これが、海ですのね」

「どこまで続いてるんだろう?」

 二人の眼下には大海原が広がっていた。港では船が行き交っており、荷下ろしを行う水夫たちの威勢のいい声が響いていた。

 二人はしばらくの間、何も言わずに海を見つめていた。


「じゃあ始めようか」

 そう言ってアルヴァンは剣を抜いた。

「あら何を始めるんですの?」

「君との戦いだよ」

 ヒルデはしばしの間、無言で切っ先を見つめた。

「アルヴァン様はわたくしを殺したいんですの?」

「少し違うけどそうでないわけではないね」

「わかりましたわ」

 ヒルデは剣の切っ先をつかむと自分の首に押し当てた。

 驚いたアルヴァンが慌ててヒルデの腕をつかむ。

「何のつもりかな?」

 不満を込めてアルヴァンが聞いた。

「死ぬつもりですわ。わたくしにはあなた様を傷つけることなどできません。ですから戦うのであれば死ぬしかありませんわ」

 淡々と、何の気負いもなくヒルデが言った。

「どうしても戦う気はないの?」

「微塵もありませんわ。アルヴァン様を傷つけることなどわたくしには考えられません。さあ、死なせてくださいまし」

 切っ先を掴んだ腕に力を込め、ヒルデは一歩前に踏み出す。

「これじゃあなあ……わかった。君と戦うのは諦めるよ」

 アルヴァンはヒルデの手を剣から優しく離した。

「アルヴァン様……よろしいんですの? わたくしはいつでも死ぬ用意ができておりますのに」

「何というか……これは、僕の望んでいる形じゃないからね」

 ため息をついてアルヴァンが言った。

「ああ、うれしいですわ。これからも一緒にいられますのね」

 ぽろぽろと涙をこぼしながらヒルデがアルヴァンに抱きつく。

「これからどうしようかな」

 ヒルデに抱きつかれたまま、海の方見ながらアルヴァンが呟いた。

「そういえば、アルヴァン様はどうして旅をしているんですの?」

「壊してみたくなったんだ。なにもかもね」

 アルヴァンは隠れ里で起きたことを手短に説明した。




「その腐れババアどもをわたくしの手で殺して差し上げますわ」

 ヒルデが怒りで顔を真っ赤に染めていった。

「それは無理だよ。僕が殺しちゃったからね」

「それはそうですけれどやはり憎たらしいですわ。アルヴァン様をこんなナマクラの生け贄に捧げるだなんて」


――誰がナマクラだ。


 フィーバルが言った。

「あら、聞いていましたの。もうずっと黙っていてくれて構いませんのよ」

 意地の悪い笑みを浮かべてヒルデが言った。


――この野郎。


「まあ、このナマクラはどうでもいいとして、この先どうするかは考えないといけませんわね」

「そうだね」

「なにもかも壊したいとおっしゃっていましたが、具体的にはロプレイジ帝国とグロバストン王国を相手にするつもりですわよね?」

「それができるといいね」

 アルヴァンがうなずく。

「そのためにはよって立つ地盤が必要になりますわね」

「地盤?」

「要するにアルヴァン様の軍隊を作るんですの」

「そんなもの必要かなあ」

 考えてもみなかった提案にアルヴァンが首をかしげる。

「アルヴァン様がお強いのはわかりますが、こういうことは軍隊を作ってやった方が効率がいいのは確かですわ」

「でも、僕には軍隊の指揮なんてできそうにないよ」

「心配いりませんわ。別の人に任せればいいんですから」

「なるほど」

「そして、アルヴァン様は存分に破壊すればいいんですわ。何もかもを」

「……やってみようか」

 ヒルデの提案を少し考えた後、アルヴァンが言った。

「そう言ってくださると信じておりましたわ。では、手始めにこのパインデールを支配しましょう」

 紅蓮の聖女はとびきりの笑顔を浮かべてそう言った。

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