第12話 わたくしの王子様
「街の人間がわたくしと同質の魔力を持っているのはお気づきですわよね? あれは住人たちがわたくしの血を薄めて、加工したものを摂取しているからですの。そうすることによって住人たちは健康で強靱な体を手に入れているのですわ。最近では病に苦しむ遠方の金持ち相手にも血を売っているそうですわ」
ヒルデは服の袖をまくって、いくつもの傷跡がついた手首を見せた。
「わたくしがここに幽閉されたのは四歳の時でしたわ。わたくしの莫大な魔力を気味悪がった両親が教会にわたくしを売ったんですの。そしてわたくしは術をかけられて血を抜かれ、ここに閉じ込められて聖女として使われているのですわ」
話し終わったヒルデはベッドの脇のテーブルにのっていた水差しからグラスに水を注ぐと、一息に飲んだ。
「話はわかったよ。つまり君を解放するにはその封印術を解く必要があるんだね?」
「そうですわ。だからわたくし、あなたを待っていましたの」
「僕を待っていた?」
「ええ。だってあなたは王子様でしょう?」
「え?」
「え?」
突拍子もないヒルデの言葉にアルヴァンは困惑し、そのアルヴァンの様子にヒルデも困惑した。
「え、だ、だって、塔に捕らわれた姫を助けるのは王子様の役目でございましょう? シスターたちがこっそり読んでいる点字の小説にも書いてありましたし……」
「あー、そんなお話もあるね。で、それがどうかしたの?」
「あの……ひょっとして……あなたは王子様じゃありませんこと?」
おそるおそるヒルデが聞いた。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はアルヴァン。この街から丸三日くらい歩いたところにある隠れ里の出身だよ」
「……お、王子様じゃない……じゃあ、わたくしは先ほど王子様ではない方にあんなことを……」
ヒルデの顔に絶望が広がる。
「死にますわああああ! やっぱり死ぬしかないのですわああああ!」
再び窓に向かって駆けだそうとしたヒルデを捕まえる。
「それはもういいから」
「よくありませんの! わたしの心に海よりも深い傷がつきましたの!」
「海って見たことないなあ」
「そうなんですの? わたくしもですわ」
「じゃあ今度一緒に行こうか」
「誘っていただけるのは有り難いのですが、わたくしには無理ですわ」
ヒルデははかなげな微笑を浮かべた。
「目のことかな? それだったら多分なんとかなると思うよ」
「え? でもあなたは王子様ではないんでしょう?」
「それはそうなんだけど、似たようなことをやったことがあるから」
「まあ、塔に捕らわれた乙女を助けて歩いているんですの? ああ、やっぱりあなたは王子様ですのね」
驚いた様子でヒルデが言った。
「いや、そっちじゃなくて封印を解く方ね」
「あ、そっちですのね」
膨らんでいたヒルデの期待が萎んだ。
「じゃあ、早速始めようか」
アルヴァンは床に突き刺していた簒奪する刃に手をかけた。
――ようやく俺様の出番か。
――また頼めるかな?
――正直あまり気乗りはしねえが、まあいいだろう。
「さっきからたまに聞こえるこの声は何なんですの? アルヴァン様ではないですわよね?」
「すぐにわかるよ。さあ、目を閉じてこっちに来て」
「わかりましたわ」
ヒルデは言われたとおり目を閉じてアルヴァンに近づいた。
「あまり痛くしないようにするから」
「や、優しくしてくださいまし」
なぜか頬を染めるヒルデに首をかしげつつも、アルヴァンは簒奪する刃をヒルデの胸に突き刺した。
漆黒の剣はヒルデの体を傷つけることなく、魔術による封印だけを破壊した。
封印の破壊を確認すると、アルヴァンは剣を抜いた。
「もう目を開けていいよ」
アルヴァンに言われ、ヒルデは恐る恐る目を開けた。
「眩しいですわね……あれ、わたくし、光が……」
十数年ぶりの光は彼女には強い刺激だったのだろう。少しの間目をしばたたかせた。
「うん、うまくいったみたいだね」
ヒルデの両目が目の前のアルヴァンに焦点を合わせた。
「……ああ、あなたがアルヴァン様ですのね」
かみしめるようにヒルデが言った。
ヒルデは慈しむようにアルヴァンの頬に手を触れた。
「えっと……」
「わたくしの王子様……」
惚けた声でヒルデが言った。
「いや、僕はね――」
「いいえ! あなたは王子様ですわ! だってわたくしを救ってくださいましたもの! 誰がなんと言おうとあなたは王子様なのですわ!」
否定しようとしたアルヴァンを制してヒルデが言った。
――こりゃ駄目だな。
フィーバルが嘆く。
「そういえばこの胸クソ悪くなる声は何なんですの? 姿が見えませんが?」
声の主を探して辺りを見回す。
「ああ、この声は僕のパートナーだよ。フィーバルって言って、この剣に封じられているんだって」
アルヴァンは漆黒の剣を軽く掲げて見せた。
――おうよ。俺様が破壊の化身フィーバル様だ。
「しゃべる剣ですか。まあ、どうでもいいですわね」
漆黒の剣を興味なさそうに見ながらヒルデが言った。
――しゃべる剣だと……いいか、俺様はな――。
「あーはいはい、おしゃべりができるなんてすごいでちゅわねー」
あからさまに馬鹿にした態度でヒルデが言った。
――相棒、やるぞ。この女、ぶった切ってやれ。
「あーら、自分で動くこともできませんの? まあ、仕方ないですわよね。まさに手も足も出ない状態ですものね」
フィーバルの状態を嘲笑いながらヒルデが言った。
フィーバルの怒りに応じて簒奪する刃からどす黒い魔力が漏れ出す。
「挑発のつもりですの? いいですわ。へし折って差し上げましょう」
ヒルデの魔力もまた業火のようにふくれあがる。
「いや、やらないよ」
燃え上がる両者に水を差したのはアルヴァンだった。
「何でですの⁉ こんなナマクラ木っ端微塵にしてやりますわ!」
――どういうつもりだ、相棒! テメエだってこの女と戦いたがってただろうが!
「だって、ヒルデと海を見に行くって約束したし」
「ぬぬぬぬぬ……そうでしたわね」
――ちっ、勝手にしやがれ。
不満をにじませながらも両者は矛を収めた。
「じゃあ、早速行こうか?」
アルヴァンはヒルデに手を差し出す。
ヒルデは差し出された手を見つめた。
「アルヴァン様、申し訳ございません。わたくしにはここで少しやることがありますの。それが終わるまで待っていただけませんこと?」
恭しく礼をしながらヒルデが言った。
「僕も手伝おうか?」
「いいえ、これはわたくしの手でやらなければならないことですの」
ヒルデの顔に浮かんでいた笑みは聖女のものではなく悪魔のそれだった。
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