第8話 嘘つき

「あれは、お父さんの草薙……」

 巨大な塔のように見える無数の刃の群れを見つめながらアーシャが呆然とつぶやいた。

「隊長……」

 里を発見した丘まで戻ったアーシャとカイルが振り返ったときに見たのは、フレドの最後の切り札が発動した光景だった。

「あれを使ったならお父さんの勝ちよ。そうに決まってる」

 アーシャはそう言ったが、その表情には陰りがあった。

 あの銀髪の青年が放つ禍々しい魔力はアーシャの心にぬぐいようのない不安を植え付けていた。


「うん。大丈夫だよ。隊長はああ見えてすごく強いからね。僕たちはこの人を連れて王国に戻らなきゃ」

 カイルがなんとか笑顔を作って言うと少女を背負い直し、里に背を向けて歩き出した。

 アーシャもついてきているようだ。

 カイルもまた不安だった。あの石造りの建物には何かの儀式を行ったような痕跡があった。

 あの里に隠れていたのは帝国の遺物探索部隊だったことを考えるとあの青年の異様な魔力の源は……。

 そこまで考えたとき、里の方から地響きが聞こえてきた。 


 二人が反射的に振り返ったとき、どす黒い魔力が刃の群れを押し流すのが見えた。

 その光景に二人は息をのんだ。


「行かなきゃ」


 先に立ち直ったのはアーシャだった。

 里の方へ駆け出す。

 その肩に手がかけられた。

「離して! あんなの普通じゃない! お父さんを助けなきゃ!」

 カイルの手から逃れようともがいた。

「駄目だ! 僕たちはこの人を連れて逃げるように言われたんだよ!」

 アーシャに負けじとカイルも声を荒げた。

「命令なんて関係ない! わたしは一人でもお父さんを助けに行く!」

 カイルの目を真正面から見つめてアーシャが言った。

 少しの間、二人はにらみ合った。


 折れたのはカイルだった。

「……わかったよ。でも、僕も一緒だ。この人にはここで待っていてもらおう」

 そう言って担いでいた少女を優しく下ろした。

「そんな! わたし一人で――」

「いいや、僕も行く」

 固い決意を込めてカイルは首を振った。

「君は僕が守る」

「カイル……わかった。一緒に行こう」

 アーシャはそう言って柔らかな笑みを見せた。




 アーシャとカイルは恐怖に押しつぶされそうになりながらも一縷の希望を抱いて走り続けた。破壊の余波を受けて変わり果てた里に入ったとき、人影が見えた。

 人影が誰であるか確認できたとき、二人の希望は潰えた。

「こんにちは」

 穏やかに挨拶してきたのは銀髪の青年だった。ベージュのマントを身につけ、大きめの革袋を担いでいる。左の腰には漆黒の剣が差してあった。そして、右の腰に差してあるのはフレドの短剣だった。

「そんな……お父さん……」

アーシャが崩れ落ちる。

「フレド隊長……」

 呆然としながらカイルがつぶやいた。

「フレドさんは強かったね」

 青年が懐かしむように言った。

「……許さない。よくも、よくもお父さんを!」

 絶望を怒りに変えてアーシャが立ち上がる。

 腰に差した剣を抜く。その片刃の剣の刀身にはわずかにそりがあった。


「面白い剣だね」

 青年が感想を漏らす。

 アーシャは片刃の剣を脇に構え、疾風と化して青年に突っ込んでいった。

「やあっ!」

 間合いに入ったアーシャが青年の首めがけて剣を振るう。

 青年はその動きに全く反応しなかった。

 勝利を確信した次の瞬間、アーシャの体は宙に浮いていた。

 なにが起きたのかを理解するまもなく吹き飛ばされて地面にたたきつけられた。

「一体なにが……」

アーシャが体を起こして青年を見る。銀髪の青年は微動だにしていなかった。

「たいしたことないね」

 落胆したように青年が言った。


「アーシャの正宗が弾かれた……」

 信じられないものを見たカイルが弱々しくつぶやいた。

 カイルの目には先ほどの攻防が見えていた。

 アーシャの愛刀、正宗が青年の首に食い込もうとしたとき、青年の体からあの禍々しい魔力が放出された。そのせいでアーシャは吹き飛ばされたのだ。

 アーシャが手にしているのはかつてフレドが王から賜った正宗だ。魔力を込めなくても大岩を紙切れのように切り裂く名刀である。その名刀にフレドの血を受け継ぎ、資質ではフレドを凌ぐと称されているアーシャが魔力を込めたのだ。切れぬものを探す方が難しいだろう。

 にもかかわらず、あの青年の首はつながっている。青年の魔力は苦もなくアーシャが魔力を込めた正宗を吹き飛ばしたのだ。


「だ、駄目だアーシャ……僕らじゃ勝てない……」

 カイルが後ずさる。

「まだよ! お父さんの仇、絶対に逃がさない!」

 アーシャの目は悲しみと怒りに燃えていた。

 立ち上がり、正宗を上段に構える。

「へえ、やるね」

 戦意を失わないアーシャに感心した様子で青年が言った。

「そうそう、フレドさんと言えば……僕もあれ、できるのかな?」

 青年は思い出したようにフレドの短剣を抜く。

「お父さんの剣に触るな!」

アーシャが憤激した。

「じゃあ、返してあげるよ」

 青年が短剣をアーシャに投げた。

「えーと、こうかな?」

 青年の両手が印相を結ぶ。すると、投げられた短剣が次々と分身していった。


「嘘……その術はお父さんの……」

 驚愕に目を見開いてアーシャがつぶやく。

「アーシャ!」

 カイルがアーシャに向かって走る。

 フレドが編み出した術を操る青年を呆然と見つめていたアーシャを突き飛ばす。

 アーシャが立っていた場所を群れと化した短剣が飛び去っていった。

 飛び去っていった短剣の群れは旋回してアーシャとカイルを包囲した。

「刃界包囲……だったよね?」

 無数の刃による包囲の外で青年が言った。


「くっ……」

 カイルが腰に差した二本の剣を抜いて構える。

 アーシャもカイルと背中合わせになって身構えた。

「どうしてお父さんの術が……」

 戦いに集中しなければならないのはわかっているがどうしてもその思いが頭にこびりつく。

「アーシャ! 来るよ!」

 カイルの言葉通り、刃の群れが二人に襲いかかった。

 迫り来る刃の群れを二人は剣を振るい、身を躱して凌ぐ。

 刃の群れは獣のように二人を襲う。左右に分かれての挟み撃ち、ひとかたまりになっての突撃など様々な動きでアーシャとカイルを翻弄した。


「なんで……何で、あんたの方がお父さんより速いのよ!」

 傷つきながらアーシャが悲痛な声を上げた。アーシャにはわかっていた。絶対に信じたくないことだったが、この青年の術はフレドよりも速く、精確で、強力だった。

「僕に聞かれても」

 青年はそう言って首をかしげる。

 青年のその態度にアーシャは激高した。

 雄叫びを上げながら青年に向かって突っ込む。

「あんたさえ、あんたさえいなければ!」

 刃の群れがアーシャを襲う。アーシャは傷を負うのもかまわず、青年の首を切り飛ばすべく走った。死のもの狂いで刃の包囲を抜け、渾身の魔力を込めて正宗を振りかぶる。

「いいね」

 青年も漆黒の長剣を抜いた。漆黒の長剣の刃よりもどす黒い魔力が青年の体からあふれ出す。

「うああああああ!」

 青年の魔力に対する恐怖をねじ伏せて斬りかかった。


 青年の体を木っ端微塵にできるだけの魔力を込めて放ったはずの一閃は漆黒の長剣によって苦もなく受け止められていた。

 青年が軽く剣を振ってアーシャの正宗をさばく。

 たったそれだけの動きでアーシャは吹き飛ばされた。

「やっぱりフレドさんの方がよかったね」

 残念そうに青年は言った。

 体勢を崩したアーシャに刃の群れが一斉に襲いかかった。

 渾身の一撃を撃ったアーシャには迫り来る刃を凌ぐ余力はなかった。

「カイル……助けて……」

 傷を負いながら包囲の外にいるカイルに手を伸ばす。

 

 だが、カイルはアーシャを見ていなかった。

 その目は自分に向かって歩いてくる銀髪の青年に向けられていた。

「君は、どうかな?」

 そう言って青年は漆黒の剣を振り上げた。

「い、嫌だ。殺さないで……」

 カイルの口から出てきたのはそんな言葉だった。

 勝てるわけがない。カイルはそう思っていた。涙があふれ、胸が早鐘を打ち、手が震える。もう剣を持っていることもできない。地面に膝をつき、青年に頭を下げた。


「助けて……ください……」


「いいよ。君はつまらなさそうだしね」

 青年は剣を納めた。

 カイルは信じられない思いで顔を上げ、青年を見た。

 助かった。それを実感すると安堵の思いが広がった。


「嘘つき」


 小さな声だったが。その言葉はカイルの耳にはっきりと聞こえた。

 弾かれたようにアーシャを見る。

 アーシャもカイルを見つめていた。

 今までに見たこともないような目で。

 失望、嫌悪、怒り、悲しみ。

 それらが入り交じったアーシャの目がカイルを射貫いた。

「ア、アーシャ……」

 アーシャの顔を見てようやく自分が何をして、なにを失ったのかを悟った。

 だが、もう遅かった。

 刃の群れが一斉にアーシャを襲う。アーシャは一切抵抗せずに自分を蹂躙する刃の群れに身をゆだねていた。その瞳に絶望の色を浮かべてカイルを見ながら。




「まあまあかな」

 分身を解いた短剣を鞘に収めるとアルヴァンが言った。


――そうか? 大したことなかったと思うが。


 フィーバルが言った。

「それでも師匠よりはよかったよ」


――あーまあ、そうだな。それはそうとアレはどうすんだ?


「アレは別にいいでしょ」

 そう言ってアルヴァンが見たのは頭を抱えてうずくまるカイルだった。

「違う……僕は悪くない……いや……でも、アーシャは……」

 カイルはぶつぶつと何事かをつぶやき続けていた。


――こりゃ駄目だな。


 あきれたようにフィーバルが言った。

「ええと、カイルさんだったよね?」

 アルヴァンが声をかけるとカイルはびくりと体を震わせてアルヴァンの方を見た。

 その顔は土気色で、体はがたがたと震えていた。

「僕はそろそろ行くから、後のことはよろしく頼むね」

 アルヴァンは言ったが、カイルの目に理解の光はなかった。


――おい! こいつほっとくのかよ⁉


「だってこの人つまらないし」


――だからってなあ……。


 フィーバルが何か言いかけたとき、アルヴァンはぽんと手を打った。

「あ、そうだ。これ返しておくよ。アーシャさんには大事なものだったみたいだから」

 腰に差していたフレドの短剣を外し、カイルの足下に置いた。

「う、ああああああああ! アーシャ! フレド隊長! 僕は! 僕は!」

 短剣を見て突然叫びだしたカイルに面食らいつつも、アルヴァンはマントを身につけると荷物を入れた革袋を担ぎ、カイルに背を向けて歩き出した。


――ありゃあもうどうしようもねえな。……で、これからどこに行くんだ?


 フィーバルが聞いた。

「うん。それなんだけどね……」

 アルヴァンは自分の考えをフィーバルに聞かせた。

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