2階のトイレ

滑川 辰弥

2階のトイレ

 最先端と言うほどでもないが、我が家の1階にはそこそこのスペックを持ったトイレが鎮座している。

 僕が近寄ると彼は話す。「おっと、君が開けるまででもないぜ。」手前のボタンを押すと高笑いをする。「尿跳ねが気になるんだろう?安心したまえ。水面に泡を張ってやる。」

 このおかげで合計何ミリリットルを便器外に跳ねさせず済んだことか。

 彼には感謝で一杯だ。

 だがある日のこと、それは突然訪れた。

 ウォシュレットが出ない。

 なにが壊れたか、その原因も、直せるのかさえ僕には全く分からなかった。

 以降紙だけで貫くならそれでもいいが、やはり水での洗浄は心強いので、その道をどうにか模索する。


 我が家には2台のトイレがある。1階のトイレと2階のトイレ。

 じゃあ2階の使えばいいじゃないかと言われるが、問題なのは2台の間にある決して埋められないスペック差だ。

 自動で蓋も開かない。便器も手動。もちろん泡なんて出ない。

 ポケモンで例えるなら、1階のトイレは全ステータスがまぁまぁ高く、中でも攻撃力はそこそこ高い「ギャラドス」のような存在だが、2階のトイレはそれ以外全て貧弱だが防御力だけ異様に高い「イワーク」のようなモンスターだ。

 当然使うのはギャラドス。だが現在ギャラドスはメインウェポンの「たきのぼり」を使えない……つまりウォシュレットが出ないのでボールに戻している。

 幸いなことにイワークはまだ技を使えるので、今だけこっちに移ろうか悩んでいる最中である。


 漏れそうだったからか決断は早かった。


 やっぱりどれだけ火力が低かろうとウォシュレットがあるのは魅力的なので、僕は2階のトイレを使うことに決めた。この先どんな修羅の道が待っているだろう。迫り来る便意を抑えながら、僕は階段を跳ぶように登った。


 一応のため持ってきたトイレットペーパーを片手にドアを開けると、そこには懐かしい光景、古くさい光景が待ち構えていた。ここ3年は使っていない。トイレットペーパーはまだある。でもそれは使いたくないので持ってきた新品と交換した。

 全身が部屋に入ると鍵を閉め、蓋を開け、くるくるするタイプの窓を40度だけ開けた。

 窓際には謎の布、謎の香水、謎の欧米版キレイキレイがいくつか置かれてある。謎の欧米版キレイキレイと持参したトイレットペーパーで便座を拭き、パンツを脱いでゆっくりと座る。

 やはり違和感。そりゃあそうだろう。普段ギャラドスに乗り慣れている者が、ある日いきなりイワークに乗り移ったのだから。前の感覚で背中をさすると、それが弱点だったのか突然激昂して暴れだすなんて事もあり得る。この先も慎重に動かねばならない。

 そんな精神をで恐る恐る用を足した。

 思えばなぜ大便をする時ついでに小便も出るのだろう。僕にだけ与えれた能力だろうか?他の人も似たような経験があるはずだ。やっぱり脳が認めたのが大きいのか?ここなら自由に出してもいいんだぜと、誰も咎めないんだぜと理解しているからこその尿意なのか?

 何度繰り返したか分からない疑問を脳に保存しておくと、そろそろ「もう出ないな」とおおよそ把握してきた。窓の外からは小鳥の鳴き声が聞こえる。


 さて、ここからが本番だ。ウォシュレットのためにやって来た。出てくれないと悲しむぜ。

 僕は「トイレ」ボタンを押し、どの角度どの水圧で狙撃されても決して飛び上がらないよう精神を限界まで研ぎ澄ました。

 ジャァァ、と音が聞こえる。来るか?来るか?僕の肛門はただただ待つ。

 だが来ない。見ると2本の管みたいなものが下へ向かって水を放っていた。

 長いこと封印していたし、これも仕方がない、こういうのは2回目から正常に戻るだろうと思い「止める」ボタンを押したその時、突如として奴が牙を剥いたのであった。

 思わぬタイミング。そして最弱に設定したはずがそこそこ強い水圧で僕の肛門を狙撃してきた。

「頭おかしいんじゃねえの」

 僕は便器に呟く。

「止める」ボタンを押したからか、数秒のラグがありやっと水は止まった。

 唐突にやって来た恐怖よりもウォシュレットが作動したという喜びが僕の心の中で上回った。


 もう一度「トイレ」ボタンを押す。すると、今度はしっかり上に噴射した。もう慣れた。この水圧に驚きはしない。「前後」ボタンで良い感じの場所に焦点を当てると、そこから始まる安堵タイム。

 思えば長かったと言うほどではないが、ここまで来れて本当に良かった。座り心地は良くないが、ウォシュレットは悪くない。自動で停止するのを待って、僕は紙で水滴を拭いた。次の紙で流れ残しがないか確認すると、念のためもう一度ウォシュレットを放ち、停止し、水滴を拭き、任務の遂行を確信した。


 僕は立ち上がる。今度もまたゆっくりと。40度ほど開けた窓から外を見ると、向かいの2階は布団を干し、手前のアスファルトは静かに陽で照らされている。小鳥もまだ鳴きやまない。今日は良い天気だ。

「大」の向きへレバーをひねると、水は爆音で渦を巻き吸い込まれていった。上の小さい蛇口から水が流れるが、あまり信用できないのでここで手を洗うのはやめにする。そしてパンツを履き、ロックをひねり、ドアを開けると、そこにはいつもの日常が広がっていた。

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