【番外編】ヤツェクの花ー2
「……君は?」
「いやだわ、エッダよ」
「エッダ?」
「エッダ・ヘアマンよ。カシミシュから聞いてるでしょ?」
おしゃまに笑うエッダはヤツェクの予想より幼かった。
12か、13。それくらいに見える。
——もしかして、急ぐ話ではないってそういうことか?
まだ子供じゃないか。
動揺するヤツェクをよそに、エッダは棲ました顔で寝台の横の椅子に座っている。
「えーと、エッダさんは……なぜここに?」
「怪我をしたって聞いたから、お見舞いに来てあげたのよ」
「聞いた? 誰から?」
ふふふ、とエッダは笑った。
笑うとさらに幼くなる。
「パウルが大きな声で話しているのを、うちのカシミシュが聞いていたの。それで心配になって来てあげたのよ」
カシミシュに聞いたのに、一人でここにいる。ヤツェクは嫌な予感がした。
「家の人はここにいること、ちゃんと知ってる?」
案の定、エッダは目をそらして、黙り込んだ。
「……子供がひとりで出かけたら、心配するだろう」
そう言うと、ムキになって言い返した。
「子供じゃないわ! もう14よ」
思った以上に年嵩ではあったが、ヤツェクから見て子供であることに間違いはない。
不貞腐れた横顔は、確かにこの辺りでは珍しい、洗練された雰囲気を持っていた。
ヘアマン家の娘ということもあり、誰もがちやほやしてくれていただろう。
だけどそれくらいで、ヤツェクの心は動かない。
「大した怪我じゃないんだ。気持ちは嬉しいけど、もうお帰り」
「いやよ!」
「この足では送ってあげられない。明るいうちに出たほうがいい」
「だったら、今日はここに泊まるわ」
なんでそうなる?
ヤツェクは頭を抱えそうになった。
ふと、部屋の様子がいつもと違う気がして当たりを見回した。
「あ、それ?」
エッダが嬉しそうに立ち上がった。食卓の上に、赤い花を挿したコップが置かれていた。
「山で摘んできたの。好きでしょ? この花」
このあたりの山に自生している、ふわふわした花弁が愛らしい花だ。
ヤツェクは魅入られたように、花を見つめた。
「どうしたの?」
黙り込むヤツェクにエッダが問いかけたが、
「エッダ様! こんなところに!」
ヤツェクが答える前に、血相を抱えたカシミシュが飛び込んできた。
ひとしきり、いやだ、帰らないというエッダのわがままを聞かされたが、ばあやらしい使用人が現れることで、ようやく収まった。
すべてを寝台で眺めていただけのヤツェクだったが、去り際のカシミシュに、これだけは、と念を押した。
「断っておきますが、私が呼んだわけではありませんよ、この足です」
意外にもカシミシュはすんなり同意した。
「わかっています。私が不用意なことを言ったせいで……あれから姿が見えないから探していたのですよ。まさか本当にお一人で来るとは」
普段からエッダに困らされているのだろう。ヤツェクは少し可笑しくなった。
だが、
「そうそう、ヘアマン様から、怪我が治り次第、お屋敷に来てくださいとの伝言を預かってます。ちゃんと伝えましたからね。改めて迎えの者をよこします」
カシミシュにそう言われ、慌てた。
「え? ちょっと待ってください」
娘がこれなら、親はもっと強引だろう。できれば関わりたくない。
とっさに断ろうとしたヤツェクだったが、その前に扉は閉められた。
——仕方ない。足がなかなか治らないとでも言って、断り続けよう。
仕方なく寝ようとしたヤツェクだが、エッダの置いていった花をもう一度見つめてしまった。
見つめると、目が離せない。
なにかを思い出す、その赤い花弁。
「……余計なことを」
毛布を頭からかぶって、ヤツェクは呟いた。
そこからは、朝までその花を見ないようにして、寝た。
足の痛みのせいもあり、その夜はいつも以上に眠れなかった。
‡
結局ヤツェクは断れなかった。
「どうぞ、ヤクブさん。遠慮せず召し上がってください」
「恐れ入ります。ヘアマンさん」
骨折してなかったのは幸いだが、そのおかげで、腫れが引くとすぐヘアマン家にに招待されることになった。
「バナードと呼んでください」
「では……バナードさん」
勉強熱心で、新しいものを取り入れるが好きだと噂のバナード・ヘアマンは、知的な眼差しの紳士だった。
「とても、美味しいです」
「それはよかった」
エッダの兄は留守だったので、バナードとエッダ、そしてヤツェクの三人の食事だった。
「おかわりもありますよ」
「いえ、大丈夫です」
ぎこちない会話が続く。
給仕されての食事は久しぶりだ。使用人がいるのは、この町でここくらいだろう。
——食べたらすぐ帰ろう。
そう思って、ヤツェクは当たり障りのない話を懸命に紡いだ。エッダも父親の前ではおとなしく、主にバナードばかり話していた。
なのに。
「ヤクブさん、こちらにいらっしゃいませんか」
食事後、バナードはヤツェクをバルコニーに呼んだ。
「今日は満月ですから。ここで月を見ながらお茶でもどうですか」
酒は飲まないと食事の際に告げていたので、気を使って茶にしたのだろう。
エッダが、甘えたように父親に言う。
「お父様、私も」
「だめだ、お前はもう部屋に戻っていなさい」
意外にもバナードは、エッダを追い払った。
「大人の話があるんだ」
そこまで言われると断れない。ヤツェクはバナードと月を眺めてお茶会をすることになった。
男二人、並んで椅子に座る。
なんなんだ、これ。
笑いを堪えるのに必死だったが、なるほど、確かに月は美しかった。
「いい月ですね」
「本当に」
「どうぞ気楽にしてください」
ヤツェクは苦笑した。
神殿の下働きが大地主に緊張しないはずはない。普通なら。
だからヤツェクは、緊張しているふりをした。
そんなヤツェクをどう思ったのか、
「エッダの母親は、早くに亡くなりまして」
ヘアマンは唐突に語り出した。
これは長くなるな、とヤツェクは表情には出さずに覚悟した。
「今でも妻と過ごした短い時間を思い出します。幸せでした」
「そうでしたか……」
バナードは頷いて、続ける。
「エッダは、妻によく似ていることもあり、かなり甘やかしてしまいました。恥ずかしながら、わがまま放題で。使用人のことも随分困らせているようです」
「ほう」
だろうな、と思いながら相槌を打った。
「だけど、あなたに出会ってから、自主的に勉強し、家の手伝いをし、家畜の世話をするようになったんですよ」
「ふむ?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「ですから、私としてはあれのお願いを聞いてやりたいと思っています。二人の気持ちがそこまで固まっているなら仕方ない。あと数年は家に置いて花嫁修行をさせるつもりなので、その後になりますが」
二人の気持ち?
話が思わぬ方向に飛び火し、ヤツェクは思わず止めた。
「待ってください。なんの話ですか?」
「なんのって……あなたとエッダの結婚の話ですよ?」
「は?」
「神殿の下働きということで、最初はどうかと思いましたが、お会いして、エッダが気に入るのもわかりました。私としては認めるつもりです」
「私は誰とも結婚するつもりはありません!」
「え?」
「カシミシュさんから頂いたお話のことでしたら、改めてお断りするつもりでした」
「カシミシュ? 何のことですか? あなたがエッダと結婚したいと言うから、それで呼んだのですよ?」
話が噛み合っていない。
ヤツェクは息を整えて、静かに、ゆっくりと繰り返した。
「神殿に仕える身として、私は誰とも結婚するつもりありません。一生」
「おかしいな」
ヤツェクはため息をついて言った。
「カシミシュさんをここに呼んでください」
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