【番外編】ヤツェクの花−3(終)
「申し訳ございません!」
問い詰められたカシミシュは、平謝りに謝った。
「エッダ様がどうしてもヤクブさんと結婚したいと言い張るので、私としてもお願いを聞いてあげたくなった次第です」
つまりは、すべてエッダの計画だった。
カシミシュに神殿に向かわせ、バナードが結婚を認めていることを、ワドヌイとヤツェクに告げる。
その一方で父親に、ヤツェクがどうしても結婚したいと言っているからと食事に付き合わせ、なし崩しに認めさせる。
「カシミシュさんが神殿で言った、娘婿には、それなりの地位が用意されるとか、持参金とかは嘘だったんですね?」
「はい……エッダ様が、バナード様はそれくらいするだろうから、と」
「そうですね。実際、あなたにそれくらいのものは与えるつもりでした」
「みなさん、エッダさんに甘すぎますよ……」
「申し訳ございません!」
「本当に申し訳ない、ヤクブさん、今すぐエッダにも謝らせます」
「いえ、それは待ってください」
エッダを呼ぼうとしたバナードを、ヤツェクは止めた。
「エッダさんからの謝罪は結構です」
「どうして」
「子供のしたことですから。むしろ、そんな子供に巻き込まれた大人たちの方が、しっかり反省してください」
カシミシュとバナードはバツが悪そうに俯いた。
「それではこれで失礼します。ごちそうさまでした」
やれやれ、やっと帰れる。
ヤツェクはほっとして帰り支度を始めた。
だが。
「ヤクブさん、どうだろう、きっかけはこんなことでしたが、真剣に娘婿になってくれませんか。私は本気であなたが気に入りました。下働きにしておくのはもったいない」
ふと、才覚を生かしたらどうだと言ったワドヌイを思い出した。
エッダが立てたのは穴だらけの計画だったが、もしもヤツェクが今の状況から抜け出したいと思っていたなら飛びついていただろう。
だが、ヤツェクの答えは同じだ。
「私は、神殿で骨を埋める覚悟です。何があってもそれは変わりません」
「……わかりました」
バナードはそれ以上引き留めなかった。
‡
「なんと、そんなことだったとは」
一部始終を報告すると、さすがのワドヌイも驚いた。
「そういうわけなので、私をまだここに置いてくださいね」
ヤツェクはやれやれと花茶を飲んだ。
「もちろんです。ですが、エッダさんの謝罪を受け入れなかったのはどうしてですか?」
「簡単に終わらせたくなかったからです」
どうもエッダの周りの大人はエッダに甘すぎる。ヤツェクが心配したのはそこだった。
「もし私がヘアマン家の乗っ取りを企む悪い男なら、大変なことになっていたのですよ。少しは自分のしたことの大きさわかってもらいたかったのです……あの調子では、まだまだまわりはエッダさんを甘やかしそうですし」
私が偉そうに言うことではありませんが、と付け足すと、ワドヌイは穏やかに微笑んだ。
「エッダさんにその気持ちが伝わるといいですね」
どうでしょう、とヤツェクはコップを空にした。
‡
見覚えのあるお下げ髪が、ヤツェクの小屋の前で待っていたのは、それから数日後のことだった。
「また一人で来たの?」
半ば予想はしていたので、驚きはしなかった。エッダは、ほっとしたように口を開いた。
「ううん、一人じゃないわ。カシミシュが向こうで待ってくれているの」
「それで、どうしたの?」
家に入れるつもりはなかったので、扉の前で立ち話をした。
「ごめんなさい……」
エッダは素直に頭を下げた。
「もういいよ」
ヤツェクは本心から言った。
「それより、どうしてあんな面倒くさいことをしたの?」
するとエッダは、年齢に似合わない苦い笑みを浮かべた。
「だって、普通に縁談を持ちかけてもヤクブさんは断ったでしょう?」
「……なぜ?」
「見てたもの」
「見てた?」
「私、ずっと、ずっと、ヤクブさんのとを見てたもの。誰か他の人のことを考えてることくらい知ってた」
「そんなこと……」
「あの花も、ほんとは好きでしょう? だから飾ってあげたの」
「どうして? 誰にもそんなこと言ってないのに」
エッダはお下げ髪を手で押さえて言った。
「あるときね、ヤクブさん、重そうな木材を担いでいたのに、ふと足元に目を向けて、あの花を踏まないように回り道したの。だからあの花が好きなんだってわかった。大事なんだって」
まったく覚えがなかった。エッダは笑う。
「それを見て、あなたと結婚したいと思ったの。そんな男の人、この町にいなかった。きっとこれからもいない」
「買い被っているよ」
「そんなことない」
「……日が暮れる。もう帰ったほうがいい」
「また来ちゃだめ?」
「ダメ」
エッダは泣きそうな顔になったが、何も言わずに突然、走り去った。
遠目で、カシミシュがこちらに一礼するのがわかった。ヤツェクはそれに小さく礼を返した。
‡
その夜。
もう寝ようと灯を消したヤツェクは、少し欠けた月の光が窓から差し込むのを眺めていた。
エッダが挿した花はまだ枯れずに残っていた。
捨てようとしても、捨てられなったのだ。
「踏もうとして、避けた? 覚えていないけど」
全然記憶に残っていないが、そんなこともあっただろうな、とヤツェクは思った。
——そのふわふわした赤い花弁は、あの人のドレスを思い出させるから。
だからきっと、それだけで、無意識に踏まなかったのだ。
それだけのことで、自分と結婚したいと思ったエッダを、ヤツェクは心から気の毒に思った。
「……本当の私を知らないからそんなことを言えるんだ」
バナードもエッダも、ヤツェクを善人だと勘違いしている。
ヤツェクが「ヤクブ」だから。
彼らだけじゃない。パウルも、ハンクも、それ以外のみんな。全員。
休みなく朝から晩まで働くヤツェクをいい奴だと受け入れても、それは「ヤクブ」だからだ。
そんな善人じゃない。
本当の自分を知ったら、きっと唾を吐く。石を投げる。出ていけと足蹴にする。知らないから受け入れているだけだ。
「情けない……」
いつの間にか流れた涙を拭いながら、ヤツェクは呟く。
贖罪はまだ始まったばかりなのだ。
いつ終わるともわからない。
この体に詰まっているのは、後悔ばかりだ。
どこをどう間違った?
いつまで後悔すればいい?
永遠に?
——今でも時折、みっともないほど痛烈に会いたい。
情けないのは、強く湧くのがそんな感情だからだ。
あの人に会いたい。
眠れない夜は、どんな後悔よりそんな気持ちが強く自分を苦しめる。
赤いドレスで背筋を伸ばして、塔に幽閉された、あの人に。
会いたい。
会えるわけないのに。
会っても何してあげられないのに。
結局、何一つ、してあげられなかったのに。
「……寝よう。寝なくては」
ヤツェクは明日のために、明日働くために、なんとか眠ろうと目を閉じた。
欠けた月が、赤い花をずっと照らしていた。
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