【番外編】リシャルドの弱点ー完結
「はあ?」
突然の提案にユリウスは、大きな声を出した。
リシャルドは笑みを深くした。
「詳しく話そう」
しかしそこで、耐えかねたようにユゼフが口を挟んだ。
「なあ、それ飯を食いながらでもいいだろ? いい加減、俺、腹減ったよ」
きゅるるる、とタイミングよくユリウスの腹も鳴り、一旦料理を運んでもらうことにした。
‡
一度に大量の料理が、テーブルに並べられた。ゆっくり話をしたいからと、給仕を断ったからだ。
「つまり、俺に情報屋と護衛騎士の両方をしろと言うんだな?」
身に付いた自然なマナーで肉料理を食べながら、ユリウスは言った。
ワインを傾けながらリシャルドは頷く。
「そういうことだ」
「これ旨いな」
骨付き肉にかぶりついて、ユゼフは小さく呟いた。
リシャルドは続ける。
「今まで、私がレオンでも怪しまれなかったのは、リシャルドの存在が知られてなかったからだ」
キエヌ公国に留学している前提のリシャルドは、社交界に顔を出すことが少なかった。そのため、レオンとして動くことが可能だった。
だが、それももう出来ない。あまりにも有名になりすぎたのだ。
「だから、レオンは引退だ。だが、役割を引き継ぐ者は欲しい。それが君だ」
一応、筋は通っている。
だが、とユリウスは眉を寄せた。
「別に、俺じゃなくてもよくないか?」
ルストロ公爵家ともなれば、影で動く間者を何人も抱えているはずだ。彼らに引き継いでもらうことも可能だろう。
「影で動ける人物なら誰でもいいわけではない」
ワインを揺らしながら、リシャルドは言う。
「表でも裏でも動いてくれる、優秀な人物が欲しいんだ」
ははっ、とユリウスは乾いた笑いを漏らした。
「表向きは公爵令息の護衛騎士、裏では情報屋ってわけか。そんなうまくいくか?」
「だから君に頼むんだ。言っただろ、優秀な人物がほしいって。もちろん報酬も弾む」
合格と言っていたのは、ユリウスの実力を測ってのことだろう。
認められるのは悪い気分ではなかったが、すぐに頷けなかった。
リシャルドはそれを見抜いたかのように言った。
「まあ、返事は今すぐじゃなくていい」
「ええ?!」
てっきり即決を求められると思ったので、ユリウスは驚いた。
「君も今の生活に馴染んだところだろ? 以前とは違う立場とはいえ、宮廷に戻ることになるわけだし、しばらく考えてから返事をくれたらいい」
軽い口調に、ユリウスの方が慌てた。
「いいのか? 俺がこのことを言いふらして逃げたらどうするんだ?」
リシャルドは屈託なく笑った。
「情報屋レオンが公爵令息のリシャルドだったと? 誰が信じる?」
「それはそうだけど……」
スープにパンを浸しながら、ユゼフが言った。
「ユリウスは心配してんだよ。そういう奴だ」
「馬鹿! 違うよ!」
とっさに反論したユリウスは、唇を尖らした。
「俺はただ……そんな簡単に俺を信用していいのかと思っただけだ」
リシャルドは目を細めた。
「ユリウス・マエンバーが、真面目な騎士だったことは聞いている。少々、融通が効かないところもあったそうだが、今の君は、物事がひとつの面だけで成り立っているわけじゃないことを、もう知ってるはずだ」
それを聞いたユリウスは、なぜか泣きそうになった。
なにも泣くようなことは言われてないのに。
リシャルドは呟いた。
「レオンは引退したんだ。もう、どこにもいない。だが、新しい問題は次から次に生まれる。庶民の視点を私に伝えてくらる者が必要なんだ」
もしかして、とユリウスは思った。
こんなふうに、自分に声をかけなくてはいけないほど、今の宮廷は外から見るほど順調ではないのではないか、と。
「おっと、いけないね」
唐突に雰囲気を和らげて、リシャルドは自分の胸元に手を入れた。
「もうこんな時間だ」
懐中時計を取り出して時間を確かめ、頷いた。
「私はこれで失礼するよ。返事はユゼフにしてくれたらいい」
「……断るかもな」
ユリウスの憎まれ口を、リシャルドは気にも止めなかった。
「いい返事を待ってるよ」
そう言って部屋を出ようとした、そのとき。
「おっと」
ちゃんと仕舞われてなかったのか、リシャルドの胸元から懐中時計が転げ落ちた。
「ほれ」
足元に転がってきたそれを、ユゼフが拾った。
首を傾げて、リシャルドに手渡した。
「これ、留め金が緩んでるぞ」
落ちた拍子に開いたのだろう、蓋が開いていた。
「修理しろよ」
ユゼフが言うと、リシャルドは今までに見たことのない柔らかい表情で答えた。
「修理に出すと、その間、手元から離れるだろ?」
「まあな」
「それが嫌なんだ」
ユゼフは肩をすくめた。
リシャルドは笑って、今度こそ部屋を出た。
「お先に失礼する」
部屋の外で、護衛騎士たちが待ち構えていた。
‡
庶民の夜は早いので、町はすでにしんとしていた。
声をひそめながら、ユゼフは言う。
「いい話じゃないか」
ユリウスが間借りしてる宿屋まで歩きながら。
「そうか?」
月明かりが、うっすらとした二人分の影を作っていた。
「だってお前、このままじゃ、ずっと自分を責めた気持ちで生きるだろ? いい加減、自分を許してやれよ」
それに、とユゼフは付け足した。
「あれほどの男が、こんなに丁寧に人を集めているんだ。今の宮廷は思ったより大変なのかもしれないな。力になってやってもいいんじゃないか」
ユリウスは立ち止まった。
「いいのか? 本当に」
同じように立ち止まったユゼフに向かって、ユリウスは言う。
「俺が責めなきゃ、誰も俺を責めないんだぞ? 何もできなかったのに。それでもいいのか? おっさんのその傷だって」
ユゼフは首を手で押さえて言った。
「こんなのなんでもない」
ユリウスは黙り込んだ。
それを見たユゼフは、突然上着に手をかけた。
「もうこれ、脱いでいいよな」
上着を脱いだユゼフは、襟つきのシャツだけになって、上着をぶんぶんと振り回した。
ユリウスが顔をしかめた。
「なんだよ、危ないな」
気にせず、そのまま踊るように歩きながら、ユゼフは言った。
「なあ、俺にはこんな格好、一日が限界だけど、お前はそうじゃないだろ」
「なんの話だよ」
ユリウスがふてくされても、気にせず続ける。
「着たり脱いだりしてもいいんじゃないか?」
上着を振り回すのをやめたユゼフは、ユリウスを見た。
「もういいんだ。やりたいことをしろ」
そして笑う。
「嫌になったら、また港一本に戻ればいい。うちは大歓迎だぞ」
「なんだよそれ」
ユリウスは、悔しそうに口を尖らせた。
「挫折するの前提かよ」
「そうじゃない」
ユゼフは首を振る。
「誰にだって弱点はある。いつでも逃げ込める場所が必要だってことだ」
ユリウスはため息をついて、しゃがみこんだ。
「どうした?」
近寄るユゼフに、小さな声で言う。
「……敵わねえな」
ユゼフを見上げて言った。
「おっさんもあいつも、弱点とかあるのか?」
「そりゃ、あるさ」
「俺からはわかんないよ」
「光栄だね」
上を見て、月を眺めたユゼフは、リシャルドの落とした時計のことを思い出しながら言った。
「今頃、あの男もこの月を見てるかもしれないな」
「なんでだ?」
「弱さと強さは紙一重だってことだ」
呆れたようにユリウスが立ち上がった。
「わけわかんねえよ」
落ちた拍子に二重底が開いた懐中時計には、一枚の小さな肖像画が隠されていた。
——美しい貴族の令嬢が微笑んでいる絵だ。
おそらく、婚約者のオルガ・モンテルラン嬢なのだろう。
留学が終わり、しばし離ればなれになった若い恋人たちのことをユゼフは思う。
リシャルドが、修理に出す間、手放すのも惜しいくらい大切なものだと言い切ったのは、婚約者に対する思いの強さの現れではないか。
豪華な貴族の館で、月を見上げながら、完璧なヒーローと名高いリシャルド・ヴィト・ルストロがため息をついているとしても、なんら不思議ではない。
誰にだって、弱点はあり、逃げ込む場所は必要なのだから。
「おっさん、なにしてんだよ? 行くぞ」
いつまでも歩き出さないユゼフを、ユリウスが促した。
「ああ、今行く」
ユゼフは答えた。
月明かりに目を細めて、明日も晴れだなと思いながら。
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