【番外編】ローゼマリーの恋7ー少しですよ

フリッツ様は続けます。


「今の大神官様は人望厚いお方ですが、年齢も年齢ですし、健康面で不安がささやかれています。次の大神官がエリック様だとは、かなり前から言われていますよね。年齢が若いことだけが難ですが、デヴァンシュを一言一句すべて暗記しているのはエリック様しかいません」


デバンシュとはゾマー帝国が編纂した聖典です。とにかく膨大な量なので、分冊されているのですが、それでも百冊以上になります。

読み通すだけでもかなりの時間がかかるそれを、エリック様は全部暗記しているというのです。

フリッツ様は呟きます。


「まあ……エリック様の場合は、頑張って覚えようとしたわけじゃなく、単に好きで読み込んだに近い気がするのですが」


同感です。

こほん、とフリッツ様は気を取り直したように続けます。


「それだけでなく、誰にでも公平な態度のエリック様は、庶民人気も高い。ただ、エルヴィラ様もご存知の通り、大神官は、枢機卿団の投票で決まりますので、重要なのは庶民の人気ではなく、枢機卿団への前評判、つまり根回しです」


わたくしは頷きました。


「噂話が足を引っ張る可能性は大いにあるというわけですね。エリック様以外の大神官候補はどなたなのですか?」

「次点がコンラート・ボチェク様、その次がウラジミル・ビーナ様ですね。ただ枢機卿の中からも、エリック様を推す声が強いので、小細工などしても無駄に思えますが。できることならなんでもしたくなるものかもしれません」


わたくしはため息をつきました。小細工などする方に大神官になって欲しくありませんのが、正直な気持ちです。

フリッツ様が続けます。


「ローゼマリー様は普段からエリック様と交流があった上に、エルヴィラ様付きの侍女ということで目立っていたので、噂に信憑性が出ると思われたのではないですかね。自分が有利ではないから、相手を貶めようというわけです」


わたくしはしばらく考え込みました。フリッツ様はわたくしの言葉を待っております。心なしか、楽しそうな表情で。

沈黙はそれほど長い時間ではありませんでした。わたくしは口を開きます。


「祈るときは別として、聖女としてのわたくしは、ゾマー帝国の守護者にして象徴という位置づけです。ですから、大神官選出に関しては、本当に何も言いません。聖女が選出に影響するという前例を作りたくありませんので」


フリッツ様は、前のめりになって言いました。


「では、大神官の選出以外では?」


わたくしは目だけで微笑みました。


「多少、動きます」


少しですよ。


          ‡


その翌日。

わたくしは神殿に向かいました。


「しばらくお待ちください」


応接室に案内してくれた若い修道士が頭を下げて立ち去ります。

すぐに、足音が聞こえてきました。


「これはこれは……聖女様」


最初に顔を出したのは、一番年上のコンラート様でした。わたくしは立ち上がって挨拶を交わします。


「お忙しいところ、突然お伺いして申し訳ありません」

「いえいえ、こちらこそお待たせして」


今の大神官様ほどではありませんが、コンラート様もかなりのご年配です。剃髪は義務付けられておりませんが、髪の毛は一本もございませんでした。


「まもなく二人も参ります」


コンラート様の目尻の深いしわは、微笑みとともに動きます。

やがて、バタバタともう二人分の足音が聞こえ、ウラジミル様とエリック様もいらっしゃいました。


「ようこそ、妃殿下」

「エルヴィラ様、いらっしゃいませ」


ウラジミル様は、コンラート様よりはお若いとは言え、エリック様よりも年上で、背が高くほっそりとした、どこか植物のような方でした。

エリック様はいつものように気さくな雰囲気を漂わせています。

代わる代わる挨拶を交わし、もう一度硬いソファに座ったわたくしは本題に入りました。


「実は、お三人に折り入って、お願いしたいことがありますの」

「なんでしょうか」

「近々、孤児院に寄付を募るためのバザーを、王都の広場で開催いたします。僭越ながら、皇太子妃としてのわたくしが主宰いたしますの」

「存じております」


コンラート様が言い、他の二人も頷きました。


「その日、皆様にそれぞれお説教をしていただけたらと思うのですが、いかがでしょうか」

「お説教ですか? 神殿でなく広場で」


コンラート様が首を捻りました。他の二人も同じ疑問を顔に浮かべております。ええ、とわたくしは答えます。


「せっかく大勢の人が集まる機会ですもの。説教台は作りますわ。お一人だと大変でしょうから、お一人一回、合計三回、時間を開けて。大神官様には許可を頂いております。もちろん、ご都合悪ければ、断ってくださって構いません」

「私はやりますよ。広場でお説教だなんて楽しいなあ」


間髪入れずに答えたのはエリック様でした。目がキラキラしています。


「では私も」

「私も」


残りの二人も答えます。

ありがとうございます、とわたくしはお礼を申し上げました。

そして、そういえばと付け足します。


「その日、騎士団も演習の一環として、小規模な勝ち抜き大会を行いますの。よかったらどうぞそちらも見学してくださいませ」

「勝ち抜き大会? バザーをしながら? 変わった趣向ですね?」


コンラート様が言います。


「大勢の方に集まって頂いて、少しでも多く寄付を募りたく存じますので」


ウラジミル様も言いました。


「失礼ながら、皇太子妃殿下なら、バザーなどせずとも、孤児院に今まで以上の予算を振り分けることができるのでは?」


わたくしは頷きました。


「もちろんできます。けれど、それではわたくし亡き後、どうなるかわかりませんもの。寄付を募ることをきっかけに、皆様が孤児院の現状に目を向けたり、慈善精神がさらに芽生えることが目的です」

「さすがです」


コンラート様が頷きました。

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