56、最後の聖女になろうと思います

わたくしの回復が早かったこともあり、程なくして、わたくしたちはゾマー帝国に帰りました。



「お帰りなさいませ!」


わたくしとルードルフ様を、いろんな方が出迎えてくださいました。


「ただいま戻りました」

「長い間留守にしてすまない」


ほっとしながら皆様にご挨拶します。


「エルヴィラさん! お帰りなさい」

「クラウディア様!」


皇帝陛下と皇后陛下、いいえ、お義父様とお義母様が駆けつけてくださいました。


「まあ、お二人とも、お忙しいのに」

「何言ってるの。いろいろ大変だったわね」

「ありがとうございます……」


賑やかな出迎えに、わたくしは暖かい気持ちでいっぱいになりました。


         ‡


荷物を運び、私室に戻って、窓の外を眺めます。

ゾマー帝国の景色が広がっていました。


「帰ってきましたわ」


わたくしは、そんな当たり前のことを隣のルードルフ様に呟きました。

ルードルフ様は、わたくしの手をキュッっと握って仰いました。


「おかえり、エルヴィラ」


同じところから帰ってきたのに、おかしいですよね。

ですが、わたくしは頷きました。


「ただいま戻りました、ルードルフ様」

「うん、おかえり」


         ‡


その夜。

久しぶりの広すぎる寝台に、ルードルフ様と横になりました。

トゥルク王国での寝台の狭さが懐かしく思えたわたくしは、思いきって申し上げました。


「……ルードルフ様……その、もう少しそばに行ってもいいですか?」

「どうぞ……!」


ルードルフ様も驚いたのでしょう、言葉少なげに固まってしまいました。

ですが。


「抱きしめてもいいですか?」


すぐに、そんなふうに仰いました。


「は、はい」


はいと答えたものの、どうしたらいいのか。

わたくしも、固まってしまいます。

すると、ルードルフ様は、そうっと、わたくしの頭の下にご自分の腕を差し込みました。


こ、これは、腕枕?!

腕枕というものですよね?!


心臓が高鳴りました。

ルードルフ様が仰います。


「エルヴィラ、すまない」


なぜここで謝罪を?


そう思いましたが、ルードルフ様は心底申し訳なさそうな顔をしております。


「何のことですか?」


わたくしが聞きますと、


「君をたくさん危険な目に遭わせた」


と、沈んだ声が帰ってきました。

わたくしは、いいえ、と答えます。


「わたくしこそ、申し訳ありません」

「エルヴィラはなにも謝る必要はない。私がちゃんと守れなかったから」

「守ってくださいましたよ?」

「いや、慰めてくれるのはありがたいが」

「だってわたくし」


ルードルフ様を遮って、わたくしは言いました。


「ルードルフ様が最後に必ず来てくださると知っていました」


ルードルフ様は難しい顔をします。

どうでもいいのですが、これ、腕枕をしながらする会話でない気がします。


「それでも、エルヴィラを危険な目に遭わせたことには違いない」


案の定、ルードルフ様は自責の念に駆られているご様子。

わたくしは、強く言い返します。


「危険だなんて、思ったことありません」

「なぜ?」

「だって、ルードルフ様はわたくしが喋らなくても、わたくしの気持ちをわかってくださる天才ですから」


——私はあなたの些細な表情の変化も、見逃さないでいたいと思っています。そこにあなたの本心があるなら


温室でそう言ってくださったことを、忘れたことはありません。


「いつでも、ルードルフ様がわたくしを見てくださっていることを知っていますもの。だから、安心してました」

「エルヴィラ……」

 

わたくしは、ずっと考えていたことを申し上げました。


「ルードルフ様」

「なんだい」

「わたくし、大神官様の最後の言葉をずっと考えておりました」


ああ、とルードルフ様も思い当たる顔をしました。


——悪魔なんてその辺にいますよ、わざわざ表明するゾマー帝国か、胸の内に飼っているトゥルク王国か、それだけの違いです。


「それで思ったのですが……」


口に出すのもはばかれるような気がして、ためらいましたが、思い切って言います。


「わたくし、最後の聖女になろうと思います」

「最後?」


ルードルフ様がきょとんとした顔をされています。

そうですよね、突飛なことを申し上げてますよね。

うまく言えるかわからないのですが、わたくしはなんとか説明します。


「ゾマー帝国には、聖女様は現れておりません。なぜなら皆様、お一人お一人の胸の内にいらっしゃるから」


わたくしは『乙女の百合祭り』のことを思い出します。

あのときわたくしは、皆様の中に聖女様がちゃんと存在していることを感じました。


「ですから、ゾマー帝国では、聖女様がわざわざ顕現する必要がなかったのですよね……トゥルク王国も、そうなっていけたらいいのでないでしょうか?」

「しかし、そうなれば、『乙女の百合』も咲かなくなるんじゃないか?」


ルードルフ様の言葉にわたくしは頷きます。


「寂しく思いますが、『乙女の百合祭り』でゾマー帝国の皆様が手にしていた紙の百合も、同じくらい素晴らしいとわたくしは思っていますので」


もしかして、大それたことを申し上げているのかもしれません。

最後の聖女だなんて。

ですが、同じことを繰り返さないために。

皆様が日々を安心して暮らすために。


「わたくしは、わたくしにできる最善を尽くそうと思っているのですが……」


やはり、うまく言えず、そこで途切れてしまいました。

気持ちだけが先走って、具体例が浮かびません。

こんなことではダメですね。本当にわたくしと来たらーー。


「エルヴィラ」


ルードルフ様がわたくしにおおいかぶさるような体勢になって、仰いました。


「応援するよ」

「……ありがとうございます」

「だから、一人で頑張りすぎないでほしい」

「ですが」

「いろんな人の力を借りてもいいんじゃないかな」

「そうでした……」


わたくしはまた大切なことを忘れかけてましたね。

もう、一人で決めて、一人で頑張らなくていいのです。


「エルヴィラ」


ルードルフ様の顔がさらに近くになりました。

あら?


「……触れてもいいかな」


待って!


もちろん、はい、と答えたいところですが、恥ずかしさから即答できません。


「ですから……わざわざ聞かなくても、ルードルフ様にはわたくしの気持ちがわかるはずなので……」


ルードルフ様は、くすりと笑いました。


「聞きたいんだ」

「意地悪ですのね?」

「可愛くて」

「!」

「じゃあ、質問を変えよう、エルヴィラ」

「……はい?」

「キスしていいかな」

「!!」


完全にからかってますね?

わたくしは悔しくて、わざと反対のことを言ってやりました。


「……ダメです」


ルードルフ様はわたくしをじっと見て言いました。


「嘘だね」

「嘘じゃありま……」


最後まで、言えませんでした。


         ‡


エリー湖に行けたのは、そこから半年ほど経ってからでした。


「エルヴィラ様! ようこそ!」


町の皆様が歓迎してくださいます。

エリー湖とその周囲は、とても素敵な湖畔の町になっておりました。


「水が枯れていたとは思えませんね」

「ああ、不思議だろう?」


今日は、この地域の豪族の別荘に泊めていただくことになってます。

夜になると、降るように星が見えるとのことで、ぜひバルコニーに出てくださいとのことでした。 


「まあ、なんて綺麗……」


本当に満天の星空でした。

わたくしは、星を見つめながら、言いました。


「ルードルフ様、わたくし、とても幸せですわ。ルードルフ様と結婚して」

「?!」


ルードルフ様はわたくしの不意打ちに、赤くなりました。暗くてもわかります。


「なんで急にそんな?」

「なんとなく、わざわざ言葉にしたくなったのです」

「やられた……」

「なにがですの?」

「素直なエルヴィラもかわいい」


わたくしはここぞとばかりに申し上げます。


「ルードルフ様はいかがですか?」


ルードルフ様は背中からわたくしを抱きしめました。


「もちろん、幸せだよ」


星が降るような夜でした。





【本編完】

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