49、鋭い痛みが走った

その夜。


「みんな! わしのおごりだ! 飲んでくれ!」


王都の外れのバルは、大盛り上がりだった。アドリアンの孫の結婚式が無事に行われたのだ。


「いいぞ爺さん!」

「おめでとう、爺さん。ひ孫の顔まで見ろよ!」


幸福の余韻冷めやらぬアドリアンは、バルで誰彼構わず、酒を振る舞っていた。


「爺さん、飲み過ぎだぜ」


端の席に座っていたユリウスが、呆れたように言った。

しかし、ユゼフは知っている。

仕方なく参加したという顔をしているユリウスが、わざわざ休みを取って来たことを。

ユゼフは明るく言った。


「祝い事だ、いいじゃないか。お前も飲めよ」

「いや、いい」


騒がしいのは嫌いなのかとユゼフがユリウスの顔を見ると、


「お前……一杯目でそれか?」


すでに真っ赤だった。


「こっち、水くれ!」

「あいよ」


ユゼフは店主が運んできた水を、ユリウスに手渡した。


「これでも飲んどけ」


ユリウスは大人しく頷いた。よほど弱いのだろう。


「じゃあ、これは俺が」


余った杯をユゼフが取ろうとしたら、


「いただき」


と、背後から手が伸びた。


「レオン、来てたのか」


振り返ると、情報屋のレオンがそこにいた。一見ただの優男のだが、なかなか詳しい情報を持っているのだ。


「今来たとこだ」


レオンは笑って、杯を一気に空けた。ユゼフは顔をしかめる。


「全部飲みやがったな」


レオンは肩をすくめた。


「親切だよ。お前だって飲みすぎて、いいことないだろ。また治りが遅くなるぞ」


ユゼフの首の傷のことだ。まだ包帯が巻かれている。

申し訳なさそうに縮こまっているユリウスのためにも、ユゼフは軽く言った。


「もう治った」

「早いな」


あの夜、門の外でユゼフを待っていたのはレオンだった。

血だらけのユゼフに驚きながらも、この程度で済んでよかったと手当てしてくれた。

情報屋から医者まで、一人何役もして忙しい、と笑いながら。


そうだ、アドリアンが捕まっている牢屋の場所は、レオンから買ったのだった。

情報屋が情報源を明かすことはないにしろ、一体どうやってあんな場所ーー。


「そうだ! うちのハンナは王国一だ!」


アドリアンのご機嫌な声に、ユゼフの思考は中断された。


「もう一度乾杯だ! みんな杯を持て」


周りはまた盛り上がった。


「まただよ、爺さん! 飲みたいだけだろ!」

「飲まないのか?」

「飲むさ!」

「ユリウス、お前はこれにしろ」


ユゼフは、ユリウスには新しい水を持たせ、


「レオンは次に何を飲むんだ?」


と振り向いた。


「レオン?」


しかし、いつの間にかレオンがいなくなっていた。忙しいのだな。

アドリアンが叫ぶ。


「乾杯!」


ただの水を飲み干したユリウスは、それでも満足そうに、ユゼフにぼそりと呟いた。


「騎士団を辞めようと思うんだ」


そうか、とユゼフは頷いた。


「これからどうするんだ?」

「わからない。父にもまだ話してない」


その「父」が、騎士団長であること、本当ならこんなふうに一緒に飲むことのない身分であること、わかっていたが、それでもユゼフは言った。


「追い出されたら、港にくればいい」

「港?」

「いくらでも仕事を紹介してやるぜ。お前さん、体は丈夫そうだ」


ユリウスは一瞬動きを止めて、ユゼフを見た。

そして笑った。


「それもいいな」

「その代わりビシバシいくぞ」

「おっさんよりは動けるさ」

「なんだと」

 

          ‡


誰にも気付かれずにバルを出たレオンは、薄暗い路地で、小汚い老人からメモを受け取った。


「確かに」


金貨を一枚渡すと、老人はすぐに消えた。メモを読んだレオン——リシャルドの目付きが一気に鋭くなった。


「妹は頼むと言ったはずだぞ……義弟殿」


そして再び歩き出した。


          ‡


さらわれたエルヴィラは隠し通路を使って、東の塔に運ばれた。

そこには、ロベルトによって厳選された秘密を守れる兵士と、メイドが付くはずだった。


しかし。

その前に異変が起きた。


最初に気づいたのは、エルヴィラを運んだ兵士たちだった。

部屋の中の豪華な寝台にエルヴィラを横たえさせた兵士たちは、その途端、ふわっとした風を感じた。


「なんだ?」


すきま風かと思ったが、だんだん強くなっていった。


「……くっ?!」

「これは?」


ついには腕で顔を覆わなければ、目も開けていられないほどの強風になった。

兵士たちは一旦寝台から離れたか、それでも足元がぐらついた。

仕方なく、体を低くして、様子を伺う。


「なんなんだ?」

「一体どこから吹いてんだ?」


高い位置に窓はあるが、それほど大きいものではない。部屋の中から吹いているとしか思えない風だった。

一人が、怖気付いた。


「の、呪いじゃないか」


だが、別の一人が、寝台のエルヴィラを見た。


「偽聖女が呪えるか?」


バンッ!


「うわあ!」


一際強く、風が吹いた。

兵士たちは転がされるように、外に出た。


ガシャ!


勢いで扉が閉まったので、慌てて開けようとすると、


「痛っ! なんだ?!」


取っ手を握っただけで、刃物で切られたように血が出た。


「これは……?」




アレキサンデルは、これら一連の出来事についてすぐ、秘密裏に報告を受けた。

ロベルトを連れて塔に足を運ぶ。

そこには、中に入れなかった兵士たちが、怪我の治療もできず、立ち尽くしていた。


「言われた通り、エルヴィラ様を寝かしましたら、急に風が吹いて、押し出されたんです」

「それから扉が勝手にしまったんです」

「ものすごい勢いで風が吹きました」

「扉に触れません」


皆、どこか怯えながら口々に言う。

兵士たちの手は血塗れだった。

アレキサンデルは苛立った。

この扉が開かなければ、エルヴィラに会えないからだ。

この塔はそういう構造だった。王族を幽閉するために建てられた。


「馬鹿馬鹿しい」


アレキサンデルは扉に向き直った。


「あ、お止めください!」

「うるさい」


止めるのも聞かず、鉄の取手に手をかける。

ところが。


「痛っ!」

 

触れると同時に、鋭い痛みが走った。


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