43、我々はエルヴィラ様こそ聖女だと確信を抱いております
結婚式の次の日。
早速、わたくしたちは『聖なる頂き』へと出発しました。
と言っても、直接登ることはできません。
フレグの町にあるグレの山が、眺めるのに一番近い尾根なので、まずはそこを目指します。
わたくしたちは、何日か馬車に揺られながら、注意深く移動を続けました。
グレの山の中腹にある、小さな神殿が今回の目的地でした。
馬を使わなくては登れませんので、わたくしも乗馬服姿です。
「エルヴィラ、大丈夫?」
同じく乗馬服姿のルードルフ様が、心配そうに聞いてくださいました。しかし。
「大丈夫です!」
我ながら全開の笑顔で答えてしまいました。ルードルフ様は、目を丸くされました。
「もしかして、乗馬、得意なの?」
「得意と言いますか……好きなのです。小さい頃、いろんなところで祈れるようになりたいとわたくしが言ったものですから、お父様が練習させてくださったのです」
立場上、あまり乗ることはできませんでしたが、解放感溢れる乗馬は、わたくしの密かな趣味でした。
ルードルフ様は、なあんだ、と笑いました。
「先に聞いておけばよかった。国へ戻ったら、一緒に遠乗りしよう」
「本当ですか? 嬉しいです」
「嬉しいのはこっちだよ。そんな元気なエルヴィラ、なかなか見られないからね」
「あ……失礼しました」
「全然失礼じゃないさ」
とそこへ。
「エルヴィラ様、こちらを」
クリストフが馬を連れてきてくださいました。
「おとなしい馬だと聞いております」
わたくしは、その子をそっと撫でます。
「いい子ね。よろしくね」
ぶるる、と鼻息がかかりました。
ところが、呑気なことを言っておられたのも、そこまででした。
「これは……おかしいな」
ルードルフ様が呟き、わたくしも頷きます。
神殿に向かう途中で、元気のない羊や山羊の群れをいくつか見かけたのです。羊飼も側にいないようでした。
「降りてくる時期ではないはずなのですが」
今頃は、冷涼な気候と新鮮な草のある山頂で放牧されているはずです。
「神殿なら、理由をご存じかもしれません。伺ってみましょう」
「ああ」
わたくしの言葉に、ルードルフ様が頷きました。
勾配がきつくなってきたと思うと、目の前に一本のロープが見えました。その向こうには、小さいながらも神殿があります。
「到着だね」
「はい」
わたくしたちは、馬から下りました。
神殿に入る前に、どうしても足を止めて景色に見入ってしまいます。
「ああ」
そこからは、向かいの『聖なる頂き』が一望できました。
「うわぁ」
「ほほう」
騎士たちも、後ろで感嘆の声を上げております。
白い雪が連なった山陵は、見事でした。
「これは、荘厳だね」
ルードルフ様も、じっくりと『聖なる頂き』を観察しておりました。
わたくしも胸が一杯です。
「何度見ても、ため息が出ますわ」
『聖なる頂き』は、白い雪をまといながら、輝いているようでした。
「本当に雪が残っている」
「はい。夏でもそのままなので、山の民はあの冠雪をとても神聖視しております」
と、そんなことを話していますと。
「ようこそいらっしゃいました」
山の長老、ワドヌイ様がわたくしたちを出迎えに来てくださいました。
「ワドヌイ様、お久しぶりです」
「エルヴィラ様、お元気そうで」
日に焼けたお顔の刻まれた皺が、ほんのわずかに深くなった気がいたしますが、それ以外は昔から変わらないワドヌイ様です。
今日も、張りのあるお声で仰いました。
「皇太子殿下殿、エルヴィラ殿。ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ワドヌイ様には、アレキサンデル様との婚約破棄からの一連の出来事を、あらかじめお伝えしておりました。
ご心配もおかけしたでしょうが、目の前のワドヌイ様は、安心したようにわたくしを見つめてくださっています
そして、仰いました。
「帝国の皇太子ご夫妻に足を運んでいただけますこと、光栄でございます。神官も定住していない小さな神殿で、ご不便をおかけすると思いますが、ご容赦ください」
いいえ、とわたくしは首を振りました。
「ご無理を申し上げたのはこちらです」
この『聖なる頂き』で祈りを捧げることが、今回の訪問の一番の目的でした。
こう申し上げては失礼ですが、結婚式はそのための口実です。
「普段は静かな山に、とんだご迷惑をおかけしたことと思います」
ワドヌイ様は、優しく目を細めました。
「迷惑なんかじゃありませんよ。正直、もうお会いできないかと思っておりましたので、元気なお姿を拝見できてありがたく存じます。皇太子妃様に申し上げるには、失礼かもしれませんが、あの小さかったエルヴィラ様が……すっかり大人になられて」
「ありがとうございます……ワドヌイ様」
ほっとしたわたくしは、あらためてワドヌイ様に質問いたしました。
「ところでワドヌイ様、途中の道で、時期外れの羊の群れを見かけたのですが……」
「ご覧になりましたか」
ワドヌイ様は、重々しく答えました。
「『聖なる頂き』が崩れて以来、こちらのグレの山の牧草が、生えなくなってしまったのです。仕方なく、ふもとのわずかな草を奪い合いっている次第でございます」
「そんなことが?」
彼らにとっては、死活問題です。
「宮廷はこのことを把握しているんでしょうか?」
「何度も報告はしましたが……特にご返事はいただけておりません」
すると、ルードルフ様が仰いました。
「山の民や、ワドヌイ殿は、その原因をどうお考えですか?」
「もちろん『聖なる頂き』が崩れたこと、つまり聖女様への信仰が薄れたことが原因と思っております。山の民の信仰が薄れたのではありませんよ。国全体の信仰がです」
「申し訳ございません」
わたくしは、思わず謝ってしまいました。
国民の信仰が薄れる一因は、やはりわたくしの油断にもあったでしょう。
その皺寄せが、この山に来ているのです。
けれど、ワドヌイ様は微笑んで仰いました。
「エルヴィラ様が謝ることではありませんし、ご安心ください。ここではエルヴィラ様を悪く言う者は誰もおりません」
「誰も?」
ルードルフ様は眉を上げました。ワドヌイ様は頷きます。
「誰も、です。エルヴィラ様はお小さい頃から、ここへ何度も、足を運んでくださいました。その姿に、我々はエルヴィラ様こそ聖女だと確信を抱いておりました。人間、一度抱いた確信は、なかなか変わるものではありません」
ワドヌイ様は微笑みました。
「それでなくても、山の民は頑固です。我々はエルヴィラ様が咲かせた百合こそが、本物の『乙女の百合』だと今も思っています。宮廷の発表より、自分たちの目で見たエルヴィラ様を信じているのです」
「ありがとうございます……」
「ですから、エルヴィラ様が帝国の聖女様になられたと聞いて、みんな本当に祝福しているのですよ」
わたくしは胸が熱くなりました。
一方的に汚名を着せられたわたくしの無実を確信してくださる人々がいるのです。
ルードルフ様も納得したようでした。
「それで」
ワドヌイ様はさらに、仰いました。
「先程の答えと重複しますが、山の民の総意としては、信仰が薄れたと天に判断された原因は他にあると思っています」
「と言うと?」
ルードルフ様の問いかけに、きっぱりと仰いました。
「一度もここに来ないのに、聖女を名乗るナタリア様というお方のせいだと思っているのです」
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