38、ワインも果物も高くなったっていうのに

——トゥルク王国の、王と聖女の結婚式より数週間前。



「ギルド長、穀物がまた、予定より少ない入荷になるそうです」


港の倉庫で、作業員から報告を受けたユゼフは、また干ばつか、と頷いた。

作業員を下がらせてからも、思わず独り言を言う。


「……もうすぐ、王と聖女が結婚するのに、どうしてだ?」


ここ最近の、トゥルク王国の民の話題は、もっぱら王の結婚についてだった。

なぜなら、相手が聖女だからだ。

今までは、王が誰と結婚しようと、雲の上の出来事にしか思えなかったが、聖女となら話は別だ。


……王様が聖女ナタリア様と結婚するんだから、もう大丈夫だろ?


農民たちは、そんな話をしながら作業したし、町民も、同じだった。

しかし、手放しで安心する民ばかりではなかった。


「ちょっと、このパン、前よりも小さくなってない?」


パンを買いに来たおかみさんは、パン屋の亭主にそう文句を言った。

亭主もうんざりと答える。


「仕方ないさ。小麦がまた高くなったんだ」

「はー、やだやだ。ワインも果物も高くなったっていうのに、パンまで」

「どこ行ったってこんなもんだ、あちこち不作だからな」


おかみさんはうらめしそうに、小さいパンを手に取った。 


「いつまで不作なんだろう。王様と聖女様が結婚するのに、どうして災害は収まらないのさ?」

「さあな。今度、行商人がきたとき、いい話がないか聞いておくよ」

「はあ。お願いね」


行商人たちは、物だけでなく情報も持っていた。自分たちの住む場所から離れられない農民や町民は、彼らからの情報を心待ちにしていた。


港の商品管理を仕切っているユゼフは、行商人と同じく情報が手に入りやすい立場だ。

そのユゼフですら、農民たちと同じことを思う。


もうすぐ、王は聖女と結婚する。

それで、何もかもうまくいくはずだ。

なのにどうして。


「……外の空気でも吸うか」


ユゼフは、倉庫の外に出た。

磯の匂いがした。

復興作業に勤しみながらも、港は活気にあふれていた。

人々は一生懸命、目の前の仕事をこなしている。

なのに、どこか歯車がずれたような気持ちになるのはなぜだろう。


——やはり、エルヴィラ様が偽聖女だとは思えないのが、しこりになっているのだろうか。


ユゼフは、一度だけ、エルヴィラに会ったことがある。

聖女候補としてあちこちで祈っている公爵令嬢として、港にも来たのだ。


……ここで働く皆様が怪我などなさりませんように。


まだ、子供と言っていい年齢のエルヴィラなのに、背筋を伸ばしてそう言う姿には、威厳さえ感じられた。


もともと敬虔な聖女信仰の信者だったユゼフは、そのときからエルヴィラに好感を抱いていた。


エルヴィラが王妃なら、この国も大丈夫だろう。


そんなふうに思っていたのに。

ある日突然、偽聖女だったと聞かされた。

ユゼフは納得できなかった。


「案の定、その後、国中に災害が広まったな……」


ユゼフの港も被害にあった。

船が不可解な沈み方をしたのだ。


視察に来たアレキサンデル王は、明らかに、損失ばかり気にして、民の顔を見ていなかった。


問い詰めると王は、エルヴィラが偽聖女を名乗ったから、災害が起きたと断言した。そして、ナタリアという新しい聖女がお披露目をするから大丈夫だと言った。


ユゼフは、王の言葉が信用できなかった。

本当にエルヴィラが偽物なのか、ナタリアが本物なのか、自分の中ではっきりとした確信が欲しかった。


だからユゼフは、率先して王都に商品を納めに行き、なんでもいいから、聖女について聞き込みをするようになった。


それでわかったのは、思った以上にナタリアが、庶民から人気があったことだ。


庶民出身で、自分たちの気持ちをわかってくれる王妃様だと期待されていた。

お披露目のときもかなりの人数が集まったようだったが、参加した人々の感想は、大きく三つに分かれていた。


ドレスが派手なこと。

宝石が豪華だったこと。

そして、『乙女の百合』がよく見えなかったこと。


もちろん、人々はそれでも感動していた。

酒屋の娘は、興奮した表情で、ユゼフに語った。


「遠かったけど、キラキラしていたよ。普通の百合はキラキラしないから、やっぱりあれが『乙女の百合』なんだよ」


だが、珍しい商品をたくさん見てきたユゼフは、それくらいでは納得できなかった。

遠目で済むなら、人の力でも作れるのではないか?

例えば、水晶を薄く削って花弁のようにしたら?

そこに金粉を振りかけたら? 


もちろん、金も技術もいる。

ユゼフの知る限り、それをできるのは王都でも一人か二人だろう。

でも不可能じゃない。

そこまで考えたユゼフは、目を見開いて自分を恐れた。


——待て。俺は今、何を考えている?


『乙女の百合』の贋作は今までもたくさん作られてきた。

だが、どれも触ったらすぐにバレた。


いくら精巧でも、本物の花と宝石では、感触も匂いも違うのだ。

本物の花を染めることもできるが、それもずっとは染まり続けない。

やがて剥げる。

そもそも、『乙女の百合』の偽物を作ることは重罪だ。

国がそれを禁止している。


——だけど、その国が認めていたら?


まさか。

ありえない。

そんな罰当たりな。


だが、一度考え出すと、頭からその考えは離れなくなった。



たかだかギルド長の自分にできることは限られている。

わかっていたが、可能性を当たらずにはいられなかった。

聖女に対する冒涜を、見逃すわけには行かない。


そして、聞き込みを続けていたユゼフは、ついに、王都で偽物の『乙女の百合』を作りえるほどの技術を持っているのが、ノヴィの店のアドリアン爺さんだということころまで突き止めた。


爺さんが、孫の結婚式のために受けた割りのいい仕事から帰ってこないことも。


だけど、これ以上は、どうしていいかわからない。


ユゼフが無力感にさいなまれていると、エルヴィラがゾマー帝国の皇太子妃になったことを耳にした。

帝国で、聖女と認められたことも。

港で働くユゼフだからこそ、知りえた最新情報だった。

多くの国民は、まだエルヴィラが偽聖女だと思っているだろう。

ということは、つまり。


——俺にしかできないことがあるんじゃないか。


ユゼフは、煩悶した。




そして、王と聖女の結婚式の日。



「食材の搬入? ああ、裏に回ってくれ」


食材の業者になりすましたユゼフは、ついに宮廷に乗り込んだ。

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