27、ゾマー帝国の皇太子妃になられたそうです

トゥルク王国では、相変わらず災害が続いていた。


干ばつ、豪雨、不作、ありとあらゆる悪い報告が王の元に届く。


アレキサンデルは、毎日、頭を抱えていた。


国民や貴族の間では、やはりエルヴィラが聖女ではないのかという噂が囁かれ出していた。


それを耳にしたナタリアが拗ねて、余計に祈りを捧げない。

そんな悪循環にも陥っていた。


あげくの果てには、もう一度聖女認定をやり直すべきではないか、という話まで、じわじわ出てきている。


そんな噂を立てる奴は即刻拘束しろ、と命令しているが、肝心の騎士団からも、エルヴィラを懐かしむ声が上がる始末だ。



「大変です! 大変です!」


今日も、ヤツェクが大慌てでアレキサンデルの元に駆け付けてくる。


うんざりだ、とアレキサンデルは思う。

もはや心は動かされなかった。


「どうした、ヤツェク」


形だけそう聞き返すと、若き宰相は、息を整えて、いつになく深刻な声で告げた。


「……エルヴィラ様の居場所がわかりました」


これにはアレキサンデルも驚いた。


「なに?! どこにいるんだ?」

「国内ではありませんでした」

「やはりキエヌ公国か? 母親のいる——」

「ゾマー帝国です!」


珍しく、ヤツェクはアレキサンデルの言葉を遮った。


「ゾマー?」


アレキサンデルはルードルフのことを思い出した。

やはりあのいけすかない皇太子が絡んでいたのか。


「連れ戻せ」


アレキサンデルは短く言った。

ところがヤツェクは固まって動かない。


「どうした? すぐにゾマー帝国に人をやって連れ戻せ」


——これでなんとかなる。


アレキサンデルは、思わず大きな息を吐いた。


滞っていた業務も。

もしかしたら災害も。

聖女の力など嘘っぱちに決まっているが、民衆の気持ちは落ち着くはずだ。

アレキサンデルは、エルヴィラの理知的な瞳を思い出した。


あの、いつも人を見下しているような、冷たい瞳。


だが、さすがのエルヴィラも、婚約破棄は堪えただろう。

素直に謝るなら、ナタリアと二人で聖女にしてもいい。

聖女の地位に執着していたエルヴィラだ、それなら承諾するだろう。

もう逃さないように、やはり側妃にしておくべきか。

私が何度も頼めば、最終的に受け入れるだろう。

エルヴィラには、そういう甘いところがある。

冷たいようで、情が深いのだ。

長い付き合いだ。それくらいわかる。

そうなれば今すぐにでも——。


「無理です」


気持ちよく考えを走らせていたアレキサンデルは、ヤツェクの絞り出すような声でそれを中断した。


「なんだと?」


アレキサンデルは眉を寄せた。ヤツェクは恐る恐る言う。


「連れ戻すのは、無理です」

「あの皇太子か? それなら——」

「陛下、私たちが調べたから、エルヴィラ様の居場所がわかったわけではないのです」

「じゃあなんでわかったんだ」


言いにくそうに続けた。


「先方から、打診がありましたので」

「打診?」

「正式に訪れたいと仰っています。今のトゥルク王国にこれを断ることはできません」

「どういうことだ? エルヴィラはゾマー帝国で何をしているんだ?」


大使か何かとして訪れるのだろうか。

アレキサンデルがそう考えていると。


「ゾマー帝国の皇太子夫妻から、国王夫妻、つまり、陛下とナタリア様の結婚式に出席したいがいいか、と打診されました」


ヤツェクが一気に言った。


「それとエルヴィラとどう関係あるんだ?」

「陛下」


ヤツェクの声は同情の色を含んでいた。


「エルヴィラ様は、ゾマー帝国の皇太子妃になられたそうです」

「皇太子妃……?」

「はい。ですから、もうトゥルク王国の人間ではありません。無理やり連れてくるのは不可能です。この訪問で怪我でもさせたら、即戦争になります」


アレキサンデルは少し考えてから、笑った。


「ヤツェク、そんなわけはない。皇太子妃? エルヴィラが? まさか、人違いだろう」


ヤツェクは泣きそうな声で言った。


「いいえ、私もそう思って何度も確認したのですが、エルヴィラ・ヴォダ・ルストロ様に間違いないそうです。ゾマー帝国の聖女様でもあり、皇太子妃です!!」


ガタン! 


アレキサンデルは大きな音を立てて、立ち上がった。


「そんな馬鹿なことがあるか!」

「陛下……」

「今すぐ、エルヴィラをここに連れてこい! エルヴィラは、トゥルク王国の聖女だ! ここにいるべきだ! そうだろ?」

「ち、違います」

「何?」

「トゥルク王国の聖女は……ナタリア様です! 陛下と神殿がそう決めました」


ガシャーン!


執務机の上のインク瓶が、ヤツェクの背後に投げられた。


「……うるさい」


アレキサンデルはそれだけ言うと、荒々しい足音を立てて、執務室を出ていった。

取り残されたヤツェクの額から、ポタポタとインクが滴っていた。

怪我はなかったが、ひどい有り様だ。


「はあ……」


ヤツェクは、壁にもたれてずるずると、滑るように座り込んだ。


インクは部屋中に飛び散り、なかなか消えない滲みを作った。

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