28、ドレス選びに時間をかけるのはもう終わりだ
執務室を飛び出したアレキサンデルは、歩きながら近くにいた者たちに指示を出した。
「神殿に向かう、準備しろ、大神官にもそう伝えておけ」
はい、と返事が返る。誰が言ったのかはわからない。誰でもいいのだ。結果として神殿に行ければ。
用意された馬車には、ロベルトが同乗した。ロベルトはのんびりとした口調で聞いた。
「私に声がかかるとは珍しいですね。ヤツェクさんは執務ですか」
アレキサンデルは答えなかった。
「神殿に向かうということは、結婚式の打ち合わせかなにかですか」
それにも答えなかった。ロベルトは不思議そうな様子だったが、それ以上は口を開かず、外の景色を眺めていた。
神殿では、すでに大神官が待っていた。
「陛下、突然どうされました」
「話がある。人をはらえ」
二人きりになったところでアレキサンデルは切り出した。
「エルヴィラがゾマー帝国の皇太子妃になっている」
「皇太子妃! そうでしたか、あのとき……」
大神官はそれだけで、いろいろと察したようだった。
「探してもいないはずです。皇太子にやられましたな」
アレキサンデルは、神官を睨み付けた。
「お前のせいだ」
「私の?」
「お前があのとき逃がして様子を見ろと言ったから」
大神官は心外そうな顔をした。アレキサンデルは、さらにイライラして言った。
「なんとかしてエルヴィラを、この国に引き止められないか考えろ」
大神官は首を捻る。
「引き止めてどうなさるおつもりで」
「決まってるだろ、エルヴィラにこの国の聖女として働いてもらうんだ」
大神官はぽかんとしてから言った。
「無理でございますよ、それは」
「なぜだ!」
「あの皇太子が許すはずありません。今、帝国に睨まれていいことはなにもないでしょう」
「じゃあどうしたらいいんだ! 訪問を受け入れて、そのまま帰すのか」
「それが普通では」
「嫌だ!」
大神官は呆れたような息を吐いたが、少しだけ低い声で呟いた。
「……まあ、確かに邪魔ですな……帝国にエルヴィラ様がいるというのは」
「だろう?」
しかし大神官は、アレキサンデルの予想とは違うことを言った。
「国中の災害について、なにかと横槍を入れてくる可能性があります。いっそ、訪問を拒否することはできませんか」
何を言っているんだ、この男は、と、アレキサンデルは思った。
せっかくエルヴィラが現れたというのに。訪問を拒否するだと?
そんなことをしたら、エルヴィラに二度と会えないかもしれないではないか。
アレキサンデルはカッとなって言った。
「災害があるのは、神殿の怠慢ではないか! なんとかしろ!」
大神官は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに納得するように頷いた。
「陛下は、なにがなんでもエルヴィラ様をひき止めたいのですな?」
「当たり前だろう」
「しかし、難しいことですよ、なんせ帝国の皇太子妃様です」
「そこを神殿の権限で、なんとかできないかと言ってるんだ!」
「権限ねえ……」
そもそも、国力に圧倒的な差があるのだ。まともに考えたら無理だろう。
しかし、大神官は言った。
「手はないことはないです」
「本当か?」
「要はエルヴィラ様ご自身がここに残ると言ってくださればいいわけで」
「そうだ! その通りだ! 出来るのか?」
「考えはあります。しかし、ひとつ問題がありまして」
「問題?」
「ナタリア様が駄々をこねず、素直に祈ってくださればいいのですが、最近はご機嫌斜めなようで」
「ナタリアが祈る? それが必要なのだな」
「はい。エルヴィラ様を国に引き留めるために、ナタリア様を祈りの場につれてくる必要があります」
「……わかった」
アレキサンデルの瞳に暗い色が灯った。
エルヴィラの訪問についてまだ何も知らされていないナタリアは、日々、結婚式の準備に勤しんでいた。
今日もデザイナーを呼んでの打ち合わせだ。
「ドレスはもっと鮮やかな色がいいです」
「しかし……」
ドレス作りでは、王都で一番だと言われる腕を持つダニエル・ノヴァックは、ナタリアの希望に終始困惑した。
「陛下と王妃様の結婚式なのですから、やはり伝統的に白がいいかと……」
「伝統って言えばよく聞こえますけど、誰もが着たことのある色じゃないですか」
白は、『乙女の百合』を象徴する色でなので、トゥルク王国では、庶民も結婚式で白いワンピースを着る。貴族など、余裕があるものは、それに青い宝石の装飾品を身に付けるのだ。
「装飾品が、あのサファイアのネックレスというのはいいんですが、それならドレスも真っ青にしません?」
「それではサファイアが目立たなくなります」
「じゃあ、赤?」
赤いドレス?
ダニエルは絶句した。
「せっかくなんだから、誰も着なかった色を着たいんです。ダメですか?」
ダメに決まっている。
だが、ダニエルの立場では、思ってもそうは言えない。代わりに営業笑いを浮かべる。
「一度、陛下にお伺いを立ててみるのはいかがでしょうか。陛下の許可なければ、私共はどうにもできません」
「着るのはナタリアなのに……」
と、そのとき。
その場に、ズカズカと入り込む人物がいた。
そんな傍若無人なことができるのは、宮廷で一人だけだ。
「陛下?」
突然現れたアレキサンデルに、ナタリアは満面の笑みを浮かべた。
「うわぁ! すごい嬉しいです。今、お伺いしようと思っていたんです。ねえ、陛下、陛下もやっぱりドレスの色は白じゃなく——」
「ドレスの色など何色でもいい」
ナタリアは笑顔になったが、ダニエルは絶望的な顔をした。
ナタリアはアレキサンデルに駆け寄った。
「陛下、ありがとうございます!」
しかし、アレキサンデルはいつものようにナタリアを抱きしめなかった。代わりに冷たい声で言う。
「ドレス選びに時間をかけるのはもう終わりだ。他のことも適当に決めろ。時間がもったいない」
「適当? そんな! ひどいです!」
アレキサンデルはナタリアの嘆きを無視した。
「これからしばらく近場に何ヵ所か、祈りにいけ。神殿が新しい祈りの方法を考えてくれたそうだ。その練習も兼ねている」
「えー、祈りですか……」
ナタリアは、うんざりした顔になった。
神殿ならともかく、出向いて祈るのは嫌だと前も言ったのに。群衆が文句を言うのだ。
「ナタリア、気が進みませんって前も——」
パアンッ!
突然、乾いた音が部屋に響いた。
頬に熱さを感じたナタリアは、その場に倒れ込んだ。
アレキサンデルが、ナタリアの頬を叩いたのだ。
「な、ナタリア様!」
ダニエルが飛んできた。
メイドたちも慌てて動き出す。
ナタリアは呆然としたまま、動けなかった。
アレキサンデルは、感情のこもらない声で言った。
「ゾマー帝国の皇太子夫妻が、私たちの結婚式に来るそうだ」
ゾマー帝国?
皇太子夫妻?
それが一体?
ナタリアの疑問をよそに、アレキサンデルは続ける。
「覚えているか? 聖女認定の場で、お前が馴れ馴れしく話しかけて咎められたあの皇太子だ。エルヴィラはその皇太子妃になっている」
ああ、とナタリアは思った。
だが、なぜナタリアがこんな目に遭わなくてはならないのかはわからなかった。
「……皇太子妃を祈りの場に連れ出すから、お前はそこで完璧に祈れ。わかったな」
ナタリアの疑問に何一つ答えないまま、アレキサンデルは部屋を出ていった。
「ナタリア様、これを」
メイドがようやく冷やした布を持ってきた。
ナタリアの目からぽろぽろ涙がこぼれた。
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