25、それがあなたの異義なのですか


落ち着いた深い緑色のドレスを着たローゼマリー様は、丁寧な口調で仰います。


「ローゼマリー・ゴルトベルクと申します。まずは、エルヴィラ・ヴォダ・ルストロ様が聖女様に認定されましたことを、お祝い申し上げます」


きちんとしたお辞儀をし、わたくしも返しました。

と、そこに。


「ローゼマリー?! お前何を?」


ご家族の方でしょうか。奥から貴族の男性が出てきました。ですが、エリック様が彼を制します。


「ゴルトベルク伯爵、いかなる者も、異義を退けることはできません。ローゼマリー様は異義を申し立てる権利があります」


ゴルトベルク伯爵は真っ青な顔をしていましたが、エリック様は、先を促します。


「ローゼマリー様、どういった異義なのですか」

「異義と言いますか、お聞きしたいことがあるのです」


ローゼマリー様はエリック様ではなく、わたくしを見つめて仰いました。


「エルヴィラ様は、元はトゥルク王国の王妃になる予定だったと伺っております」


あら、とわたくしは思いました。

周りの貴族も戸惑っている様子です。

それもそのはず。

そこに言及するということは、わたくしを皇太子妃に選んだ、ルードルフ様や、クラウディア様、皇帝陛下に対する不敬になる可能性もあります。

事実、ルードルフ様のものでしょうか、剣呑な気配をを背中に感じたわたくしは、しゃんと伸ばした背筋を見せることでそれを制さなくてはなりませんでした。

ですが。

この方のおっしゃることに間違いはありません。


「エリック様」


わたくしはゆっくりと申し上げました。


「僭越ながら、わたくしがお答えしてよろしいでしょうか」

「では、お願いします」


ゴルトベルク伯爵が倒れそうになっております。


「ローゼマリー様の仰る通りです。わたくしはトゥルク王国の王妃になるために幼い頃から教育を受けてきましたが、その約束が反古にされたので、ルードルフ様のお導きでこちらに来ました」


周りがひそやかにざわめきますが、わたくしは胸を張って、聞き返しました。


「それがあなたの異義なのですか?」


ローゼマリー様は緊張した様子で仰いました。


「いいえ、まずはそれを確認したかったのです」

「確認、ですか?」

「はい。やはり本当だったのですね……」


どんな批難の言葉が飛んでくるのかと思いましたら、ローゼマリー様は、潤んだ目をしてわたくしにすがり付きました。


「お願いします! エルヴィラ様、帰らないでください!!」


帰る?

どこに?


「あの、なんのことでしょう」

「結婚式を挙げたら、トゥルク王国に視察に向かうと伺っております」


それはそうだったので、わたくしは頷きました。


「もうここへは戻ってこないのではないのですか? それを考えたら辛くて辛くて、どうしてもお伺いしたかったのです」


エリック様がそこでわたくしに仰いました。


「ローゼマリー様は、特に熱心な信者なのです。聖女信仰の」

「ああ……」


ローゼマリー様は続けます。


「王妃候補であり、聖女様になるほどの尊いお方を、トゥルク王国が手放したのは、エルヴィラ様を陥れたかったからだと聞いております」


まあ、そうでしょう。

わたくしは黙っていることで、ローゼマリー様の言葉を肯定しました。


「そのこと自体は、トゥルク王国の落ち度なので全然、全く、本当に、心底いいのですが、心配なのは、あちらの国の図々しさです」

「図々しさ?」

「エルヴィラ様の母国をそのように申し上げる非礼をどうかお許しください! だけど、エルヴィラ様はとても……お優しい方だと聞いております! ご自分を無体な目に合わせたトゥルク王国でも、謝ってきたら許してしまうのではないでしょうか? そう考えたら不安で胸がいっぱいで、眠れなくなるのです。お願いします。ずっとここにいてください」


そういうことですか。

恥ずかしながら、わたくし、ほんの少し、勘違いしておりました。

ローゼマリー様はルードルフ様の婚約者候補などで、わたくしに異義を申し立てることでもう一度その立場に成り代わろうとしたのかと、身構えておりました。

全然違いましたね……。


反省を込めて、わたくしは、ローゼマリー様の手を取りました。その手は、震えており、随分勇気を持って声をかけてくださったのがわかります。


「ローゼマリー様。わたくしは、確かにトゥルク王国の王妃になるべく教育を受けて来ました。聖女候補でもありました」


ですが、とわたくしは、ローゼマリー様だけでなく、その場にいる皆様にも申し上げました。


「わたくしはこのゾマー帝国の聖女です。トゥルク王国に行くことがあっても、いえ、それ以外のどこに行っても、帰る場所はここなのです。どうか、そんなわたくしを受け入れてください」


エリック様が拍手をしました。

ルードルフ様がそれに続きます。やがて先程よりも大きな拍手が神殿を包みました。


「先ほども申し上げましたが」


エリック様が仰います。


「よくぞこの国に、来てくださいました。お礼申し上げます」


そして、神殿を見上げて真摯な瞳で仰いました。


「せっかくですから、最後はお祈りで締めくくりましょう」


不思議なことに、エリック様の声だけは拍手の中でも聞こえました。


「ご存じのように、この世界は、『清らかな世界』と『汚染された世界』の二つがあります」


お説教が始まります。


「単純に、『あちらとこちら』、『この世とあの世』などとも呼んでいますね」


わたくしたちは全員、目を閉じ、胸の前で手を組みました。


「この二つの世界の違いを理解するには、『清らかヒュプシュ』という言葉の意味を考えてみる必要があります」


エリック様の言葉は続きます。


「『清らかヒュプシュ』は、『聖女がこの世界をめぐること』と同じ意味です。先ほど、聖女様が誓った海、山、大地、空、地下、天、六つの世界を聖女様が生まれ変わって巡ることで、『清らかヒュプシュ』が循環するのです」


そこまでは、わたくしもトゥルク王国で聞いていたお説教と同じでした。

でも。


「一方、汚染された生き物、『悪魔トイフェル』は、汚染された六つの世界を巡ります」


あら、とわたくしは思いました。


「『清らかな世界』と『汚染された世界』は、決して交わることがありません。この世界と聖女様に祈ることによって、私たちは、『清らかな世界』で生きていけるのです」


悪魔トイフェル』というのは耳に新しかったので、わたくしはまだまだ勉強しなくては、と気を引き締めました。

トゥルク王国では、聞いたことがなかったのです。



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