21、今は、なんでも私のもの
鮮やかなオレンジ色のドレスを着たナタリアは、ファーストダンスをアレキサンデルと踊った。
「なんてお美しい」
「さすがは聖女様」
「結婚式が待ち遠しいですわ」
人々の注目が、ナタリアを満足させる。
こんな綺麗な色のドレス、昔は、欲しいと思うことさえ許されなかった。
今は、なんでも私のもの。
「ナタリア様、素敵でしたわ!」
「本当に」
ダンスが終わると、あっという間に人に囲まれた。
「ありがとうございますぅ。ナタリアも皆様にお会いできて嬉しいです」
アレキサンデルはヤツェクと少し離れたところで、人垣を作っていた。
音楽は鳴り止まない。
「ナタリア殿! 実に見事でしたな」
ハスキーヴィ伯爵が、満面の笑みで近寄ってきた。
「わあ、伯爵。ありがとうございます」
エサイアスは、人の輪には入らず、壁際に移動した。
ナタリアはそれを見逃さなかった。
「ハスキーヴィ伯爵、さっきまで近くにいたあの方は?」
ハスキーヴィ伯爵は振り返って、ああ、と眉をひそめた。
「エサイアス・シルヴェン、シルヴェン伯爵の跡取りですよ」
「シルヴェン……」
「パトリック王弟殿下の婚約者アンナ様の兄です」
「アンナ様の?!」
兄がいるとは聞いていたが、あんなに美しいとは知らなかった。ナタリアは目で追いながら、ハスキーヴィ伯爵に聞く。
「どうして今まで見かけなかったのかしら?」
「こういう場所はあまり好まないらしいですな」
「ふうん?」
ナタリアはエサイアスの横顔から、目が離せなかった。
お話に出てくる王子さまみたい。
「めったに来ない人なら、話してみたいわ。伯爵、呼んできてくださらない?」
ハスキーヴィ伯爵は、一瞬固い顔になったが、すぐに笑顔を作ってお辞儀をした。
「すぐ連れてきます」
ハスキーヴィ伯爵に連れてこられたエサイアスは、ナタリアの前で深々とお辞儀をした。
「ご挨拶が遅れましたことを、お詫びします。聖女ナタリア様。エサイアス・シルヴェンと申します」
「アンナ様のお兄様なの?」
「はい。至らない妹がご迷惑をおかけしていると思いますが、どうぞ聖女様の広いお心で見逃していただければと存じます」
「もっと普通に喋ってくれていいですよ。ナタリアは、堅苦しいのが苦手なんです」
「いえ、私が聖女様に不遜な態度を取ることはあり得ませんので」
あらぁ、とナタリアは内心首を捻る。
見た目より真面目なのかもしれない。
こちらから近付かなくてはいけないのかも。
「そうだ! いいこと考えました」
ナタリアは、アレキサンデルに「見る者を蕩けさせる」と言わしめる微笑みで、告げた。
「だったら、エサイアス様が、ナタリアに堅苦しいことを教えてくれませんか? ナタリアは知らないことばかりで、ずっと勉強中なんです」
ここ数ヵ月で、自慢の美貌はさらに磨かれた。たいていの男性は、これで優しくなる。
しかし。
「滅相もございません」
エサイアスは、ためらいなく首を振った。
「ハスキーヴィ伯爵がいらっしゃるのに、私など不要です」
「でも」
「ありがたいお言葉ですが、領地のことも気になりますので、ご期待に沿うことは無理です」
「そうなんですか……」
ここまではっきりと言われると、一旦引くしかない。ナタリアはがっかりした。
不埒なことは考えていない。
単純に、エサイアスのような見た目に美しい相手から、いろいろ教えてもらえたら楽しいだろうなと思ったのだ。
諦めきれない気持ちで、次の思い付きを口にした。
「じゃあ、せめてナタリアのお茶会に参加してください」
いい考えだと思った。楽しい時間を過ごせば、またナタリアに会いたくなるだろう。
しかし、エサイアスは困惑した声を出した。
「お茶会? 開催するのですか?」
「ええ! 今思い付きました。皆様もどうぞいらしてください」
あたりを見回してナタリアが声をかける。
ところが、皆、うつむいたり、扇で顔を隠したりして、ナタリアと目を合わせようとしなかった。
「各地で災害が起きていると聞いています」
エサイアスが冷ややかに言った。
「晴れて聖女様に就任しましたナタリア様においては、現場に赴いて、祈りを捧げるのが先決かと」
聖女が祈りを捧げれば災害なくなるという認識が、貴族の間でも、民の間でも広まっていた。
ナタリアが聖女としてお披露目された今、やっとそれが叶うと、現地の民は特に待ち望んでいた。
しかしそれで思い付きを引っ込めるナタリアではなかった。
「でも、一日くらい大丈夫ですよ」
ナタリアは笑った。
「は……?」
「災害の原因も、ちゃんとわかってないじゃないですか。ナタリアが行く意味ないかもしれないって陛下が仰ってました」
「意味があるとかないとか……」
「あらためて招待状を送りますね!」
「ナタリア様、陛下がお呼びです」
ヤツェクが、ナタリアにそう声をかけた。
「はぁい。ではエサイアス様、失礼しますね」
エサイアスはなにも言わず、ナタリアを見送った。
音楽が代わり、人々は新たなパートナーとダンスを踊った。
ナタリアは、恥ずかしがるヤツェクと踊るようだ。
エサイアスはそれを見物しながら、そっと耳を澄ませた。
喧騒の中でも、いくつもの囁きが交わされている。
ひそやかな囁きは、最後には一つの名前に収束されていた。
「それで……エルヴィラ様はどうしたんだ?」
「ルストロ公爵夫妻も、姿を隠しているそうじゃないか」
「このところの災害は、エルヴィラ様が偽聖女だと偽ったせいらしいが……」
「まさか」
「だが、こんなことは、今までなかった」
王領だけではなく、自分の領地が被害に遭っている貴族も少しずつ出てきた。今は無事な貴族たちも、他人事ではない。
なんとか出来るなら、そうしたい、そう思うのだろう。
「ナタリア様が聖女になったんだから、落ち着くだろう」
「しかしお茶会とは」
「庶民出身だから仕方ない」
エサイアスは、それらの囁きを注意深く聞き、そっと呟いた。
「あんな人をなぜ……」
ヤツェクとダンスを踊っていたナタリアには、もちろんそれらすべて聞こえていなかった。
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