20、ほとんどの貴族が待たされているうちに終わったあれのことですか

——その頃。


トゥルク王国では、ナタリアが聖女となったことを祝って、王家主催の舞踏会が開かれていた。

主役のアレキサンデルとナタリアは現れていなかったが、宮殿の大広間で有力な貴族たちはすでに集まり、おしゃべりに興じていた。

そこに、


「まあ、シルヴェン伯爵の御子息……」


金色の髪と、青い瞳を持つ青年貴族が現れ、若い令嬢たちが次々と頬を赤らめた。


「エサイアス様も招待されていましたのね」


扇で口元は隠しながら、噂話が交わされる。


「このような場所はお嫌いかと思っていましたけれど」

「やはり今夜は特別なのですわ」


しかし、令嬢たちの熱っぽい視線を断ち切ったのは、ひとりの中年の貴族だった。


「エサイアス様ではないですか」


エサイアスは振り返って、笑みを作った。


「これはこれはハスキーヴィ伯爵。ご無沙汰しております」

「近々、領地に引っ込むと聞きましたぞ?」

「ご冗談を。少し様子を見に行くだけです。追い出さないでください」


ハスキーヴィ伯爵は、でっぷりとしたお腹を揺すって、大きな声で笑った。


「これはこれは失礼しました。私の勘違いだったようですな。てっきり、エルヴィラ様が偽聖女だと断定されたショックで、引退されるのかと思っていました」

「本当に。根本的なところで何か勘違いされているようですね。引退するには、私も父もまだ早いでしょう」


エサイアスは、挑戦的な目でハスキーヴィ伯爵を見た。


「妹のアンナも、パトリック王弟殿下の婚約者として、微力ながら精一杯努めておりますし、見守らなくてはいけません」


ピリッとした空気があたりに立ち込めた。

ハスキーヴィ伯爵は、それを破るように温和に笑った。


「ああ、そうですな。そうですな」

「伯爵家も、ますますご興隆とお聞きしました。ナタリア様の後見人になられたとか」

「ええ、まあ。ズウォト男爵からぜひにと頼まれたので仕方なくですよ。他にいい人がいるんじゃないかと言ったんだけどねぇ」

「いえいえ。ハスキーヴィ伯爵が側におられることで、ナタリア様も安心されたのではないですか」

「いやいや、私なんぞ」


はっはっは、とまんざらでもなさそうに笑うハスキーヴィ伯爵に、エサイアスは余裕を持った口調で聞いた。


「ところで、聖女のお披露目はいつですか?」


聞き耳を立てていた者たちは、自分の耳を疑った。

ハスキーヴィ伯爵は愉快でたまらないというように、さらに腹を揺すった。


「領地に引っ込む前から、もう呆けてしまわれましたか? 先日、お披露目をしたばかりではないですか。ほら、神殿で貴族たちが集まって、ナタリア様が百合を持ってらっしゃった。エサイアス様もいらっしゃったはずです」


エサイアスは、ほう、と目を丸くした。


「もしかして、ほとんどの貴族は神殿の外で待たされているうちに終わってしまったあれのことですか」


今度こそ、周りは確実に静かになった。エサイアスは悠然と続ける。


「私、あれはなにかの練習かと思いました。あまりにいつもと違い過ぎて。そうでしたか、あれがお披露目でしたか。私は中にいたのですが、遠すぎて、『乙女の百合』もちゃんと見れませんでした。後見人である伯爵は、もちろん近くでご覧になったんですよね?」

「……もちろんだ」

「羨ましい。さすが伯爵です」


伯爵はエサイアスを下から睨みつけた。


「エサイアス……貴様……何が言いたい?」

「何も? 見たままを申し上げただけです。それが、どうかしましたか? 何か、事実と違うことを申し上げたなら、お詫びします」


ハスキーヴィ伯爵が、顔を真っ赤にしてエサイアスに近付いたそのとき。

ホール全体に、声が響いた。


「——国王陛下と聖女ナタリア様のご入場です」


雰囲気は一転し、人々は、慌てて、意識をそちらに向けた。

陽気な音楽が一斉に演奏され、アレキサンデルとナタリアがホールに入場する。

人々はさっと場所を開けた。

その間を練り歩きながら、ナタリアは、何回見ても、気持ちいいわ、この風景、と薄く微笑んだ。

この間まで庶民上がりだとバカにされていた私に、みんなが場所を譲っている。

隠しきれなくなった微笑みは、隣にいるアレキサンデルに向けることで、誤魔化した。


「陛下、私、とても幸せですわ」


若き王は、そんなナタリアを、かわいくて仕方ないというふうに、頷いた。


平民上がりの男爵令嬢をここまでの地位に登り詰めさせたのは、他でもない自分だ。

ナタリアを幸せにしているのは、私だ。

そう思いながら。



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