14、今さら、なにもかも失うなんてできない

ナタリアは思わず呟いた。


「どうして……?」


こんなことで諦めるわけには、行かないのに。


「どうしてよ!!」


目の前にあるのは、突然枯れ出した『乙女の百合』の鉢だ。

それまでは、次から次につぼみを開かせていたのに。

鉢はいくつかあるが、どれも同じ状態だった。


「ダメ……! ダメよ! 咲いて…」


ナタリアが、必死で散った花弁を集めていたそのとき。


「ナタリア!」


ヤツェクから報告を聞いたアレキサンデルが飛び込んできた。


「陛下……」


ナタリアは、目に涙をいっぱいためて顔をあげた。

アレキサンデルの顔は、絶望に満ちていた。


ナタリアも聞いている。

このところ、自然災害が続き、何もしていないのに船も沈んだと。


やはりエルヴィラが聖女だったんじゃないかと、人々が噂しているのも知っている。

でも、ナタリアは引き下がれない。


ナタリアは、自分のことを努力家だと思っていた。

平民出身なのに、もうすぐ王妃になること自体、努力の賜物だ。


母が死んですぐ、ズウォト男爵に引き取られたのは、運がよかったが、それ以外は全て、努力の結果だ。


ズウォト男爵はナタリアの美貌を、成金の商人の後妻にしようと思っていた。

ナタリアの父親より年上の、好色な男だ。


だが、ナタリアは、それを知っても諦めなかった。

そこから、いろんな舞踏会に精力的に参加した。

自分を救ってくれる人を探すために。


場末の仮面舞踏会で、いかにも貴族のお忍び、といった格好のアレキサンデルと知り合えたときは嬉しかった。


アレキサンデルは、自分のことを、「貿易商の息子のアレックス」だと偽った。

どう見ても貿易商の息子以上の育ちのよさなのに、隠し通せていると思っているアレキサンデルが可愛かった。


ナタリアはそれを信じるふりをした。


何度か二人きりで会ったあと、ナタリアは「ただのアレックス」を本気で好きになったと、打ち明けた。

その上で、自分は、成金の商人の後妻にされてしまう運命だから、ここでお別れしましょう、と泣いた。

引き取ってくれた父を裏切ることはできない、と。


賭けだった。

しかし、勝算はあった。


王族としての自分をもて余していたアレキサンデルは、自分そのものを受け入れてくれた相手を、手放すことはできなかった。


結婚しよう、とアレキサンデルは言った。


僕なら、君を助けることができる。

そのためなら何でもしよう。


その言葉に嘘はなかった。

アレキサンデルは、大神官に相談し、政略結婚の相手を追い出す算段を始めた。

大神官がそんなことを協力するのに少し驚いたが、向こうには向こうの事情があるのだろう。

ナタリアには関係ない。


初めは側妃で充分だと思っていた。


しかし、


「どうせなら、側妃ではなく、正妃になりましょう」


と、ヘルマンニ・ハースキヴィ伯爵とやらが、影から申し出てきた。

父も、神殿も、ナタリアも、それに乗った。

出来すぎる婚約者に不満を抱いていたアレキサンデルも。


生まれてからずっと公爵令嬢で聖女候補のお嬢様を追い出すことに、罪悪感はなかった。


だって、きっと、お嬢様はふかふかの布団で眠ったことしかないんでしょう?

お妃教育だか何だか知らないけど、いつもつまらなそうじゃない。

ナタリアがいると、みんな笑顔になるから、ナタリアの方が、いいと思うの。


だって、その方が、喜んでくれる。

アレキサンデル様も、お父様も、大神官様も、ハースキヴィ伯爵も。


だから。

だから。


ナタリアは、こんなことで諦めるわけにはいかなかった。


今さら、何もかも失うなんてできない。

ナタリアは泣きながら言った。


「ナタリア、祈ります……」


アレキサンデルは黙って、ナタリアを見つめている。


「エルヴィラ様がしていたように、祈ります。そうしたらきっと、天も許してくれるはずです。ナタリアを聖女だと認めてくれるに違いありません」

「しかし……」


アレキサンデルは、無残に散った百合の花弁を見て呟く。

ナタリアはそっと、アレキサンデルの手を取った。


「だから、陛下……お願いがあります」


アレキサンデルはおそらく、ナタリアの言うことを予測しているだろう。

ナタリアが後に引けないのなら、アレキサンデルだってそうなのだ。


「秘密を守れる、腕のいい、細工師をご存知じゃありませんか?」

「ナタリア……それは」

「今だけでいいんです。ナタリアがちゃんと祈ったら、ナタリアが聖女になるんですから。お披露目のときだけ、本物そっくりの百合で誤魔化しませんか?」


あまりにもストレートなナタリアの言葉に、アレキサンデルは何も言えなくなった。

だが。

確かに。

ナタリアの言う通りかもしれない。


ナタリアは、そっと付け足す。


「このままでは、パトリック王子に、王位を奪われるかもしれません。ナタリア、陛下が頑張っているのを知っています。そんなの許せません」


パトリックの名前に、アレキサンデル頬が引きつる。


「今だけ、です」


ナタリアは、涙をぽろぽろと溢す。


「そうだな、今だけ……だ」


アレキサンデルは頷いて、その涙を指で拭った。



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