9、たまたまが今だったんだろ、それだけだ
不思議なことに、どんなに探してもエルヴィラは見つからなかった。
もしかして、トゥルク王国内にはいないのではないか。
そんな意見も出てきた。
一方。
「もう無理ですぅ。アレキサンデル様」
最近の執務室では、書類の山と格闘するナタリアの姿が見られるようになった。
「まだ少しではないか」
それでもすぐに弱音を吐くので、アレキサンデルは、その度たしなめた。
「だって、ナタリアは、今日も百合のお世話と儀式の手順を覚える練習で、疲れているんですよ?」
仕方ないだろう、それがお前の役割なのだと、アレキサンデルは怒鳴り付けたいのを、我慢した。
そうなるとナタリアは泣いてしまい、余計に、仕事をしないからだ。
アレキサンデルはため息をついて、ナタリアに聞いた。
「百合は咲いているか」
「はい。ナタリア、すごくたくさんがんばりました」
がんばっているもなにも、エルヴィラの咲かせた『乙女の百合』だった。
アレキサンデルはそれを近いうちに、ナタリアが育てたと言って、国民に大々的に見せるつもりだった。
ナタリアがすっかり書類を放棄して言った。
「陛下、早くエルヴィラ様を呼んでください。ナタリアだけじゃ無理です。ナタリア、がんばってエルヴィラ様とも仲良くしますから」
「そうだな」
アレキサンデルは頷いた。早くエルヴィラに戻ってほしいのは、アレキサンデルも同じだった。
「今探している。全く、どこへ逃げたのか」
「やっぱりあのとき、捕まえておけばよかったんじゃないですか?」
「だが、大神官が、今はまずいから泳がせろと言ったのだ」
耳打ちされてその通りにしたら、逃げられた。
忌々しい。
そのとき。
「失礼します」
宰相の息子であるヤツェク・リーカネンが部屋に入ってきた。
「おお、ヤツェクか」
アレキサンデルは、先代の王の時代から仕えている重鎮をうるさがって、ヤツェクのような若手をどんどん起用していた。
ヤツェクは、騎士団長の息子であるユリウス・マエンバーと並んで、アレキサンデルのお気に入りだ。
アレキサンデルがナタリアと出会った仮面舞踏会でも一緒だったくらいだ。
「まあ、楽にしろ、どうした?」
「はっ」
ヤツェクは持参した書類を広げて言った。
「報告があります」
「待ってたぞ」
エルヴィラが見つかったのか、とアレキサンドルは喜んだ
しかし。
「北の山が一部崩れているそうです」
求めていた情報ではなかった。アレキサンデルは一気に興味を失った。
「山? なぜだ?」
「わかりません」
「被害は?」
「今調べているところですが、今のところ死者は出てないようです」
ヤツェクの説明によると、北の山の「聖なる頂き」と呼ばれている場所の一部分が崩れたらしい。
牧羊民である山の民が、遠くからそれを見て報告してくれたとのことだ。
「なんだ。驚かせるな」
アレキサンデルは、鼻で笑った。
「地盤でも緩んでいたんだろ。放っておけ。そんなことに金も時間もかける必要はない。調査も適当に切り上げるように言え」
これにはヤツェクも驚いた。
「し、しかし、陛下。地盤が崩れるにしては、このところよい天気が続いていましたし、山の民は不安がってます。調査は必要なのでは」
「たまたまが今だったんだろ、それだけだ」
これ以上仕事を増やしたくないアレキサンデルは、そう言った。
アレキサンデルが言い出したら聞かないことはわかっている。
ヤツェクは、それならば、とナタリアに向き合った。
「それでは、聖女様にお出ましいただけますか?」
「え? ナタリアですか? どこに?」
「もちろん、聖なる頂きを見渡せる向かいの尾根ですよ」
「そんな遠く? どうしてですか?」
「どうしてって……崩れたのが聖なる頂きという、山の民にとって神聖な場所だからです。みんな聖女様に祈りを捧げてもらいたがってます」
「聖なる頂き」は、人が入れないほどの高さにある山頂だ。山の民は、一日の始まりと終わり、遠くからでもそこに向かって礼をする。
山の聖霊が、そこから山の民を見守ってくれていると考えているからだ。
こんな初歩的なことを聖女であるナタリアが知らないのはなぜだろうと思いながら、ヤツェクは説明した。
「わあ、そうなんですね! ヤツェクは本当になんでも知ってますね」
そう言って笑うナタリアは、いつものように愛らしかった。
しかし。
「でも、陛下が仰った通り、放っておいていいんじゃないですか?」
その答えには驚いた。
ヤツェクは思わず言った。
「ナタリア様は聖女でしょう? 民のために、国のために、祈らないのですか? エルヴィラ様は聖女候補のときから、求められたらどこへでもいって、祈りを捧げてましたよ」
ナタリアは瞬時に涙を浮かべた。
「ひどい……ナタリアより、偽物の聖女のほうがよかったって言うんですね」
「あ、いえ、そう言うわけでは」
「出てってください! ナタリアはすごく悲しいです!」
どうしたものか、とアレキサンデルをちらっと見たら、こちらも、さがれ、と言わんばかりに手を振った。
「山の民にはお前からうまく言え」
仕方なく、ヤツェクは部屋の外に出た。
廊下に出ると、深いため息が出た。
エルヴィラが早く戻ってくればいいのに、とヤツェクはしみじみと思った。
そうすれば、聖女補佐として、祈りを捧げてくれただろうに。
だが、いないからには仕方がない。
山の民には、新しい聖女様は忙しくて来れないと説明しよう。
山の民が反感を抱くかも知れないが、本当のことだ。
ヤツェクは重い足取りで歩き出した。
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