8、そんな傷ならいくらでもつけてもらいたい

その日の真夜中。


お父様とお母様の強い薦めもあり、わたくしはルードルフ様の妻として、すぐにゾマー帝国に発つことになりました。


ごく少数の精鋭のお付きの者たちだけを共に、ゾマー帝国に向けて出発します。


「エルヴィラ、体に気をつけてね」

「お父様とお母様も、どうぞお気を付けて」


お二人とも、微笑んでわたくしを見つめてくださっていました。

次会うのはいつになるか、わかりません。

お父様とお母様はこのあと、お母様の母国、キエヌ公国に向かうことになっていました。


「ゾマー帝国ほどではありませんが、あそこの警備もしっかりしています。心配しないで」

「お兄様とオルガ様によろしくお伝えください」

「ええ。あなたがルードルフ様に嫁いだことを聞いたら、驚くでしょうね」


わたくしはほんのり頬を染めました。

なんとなくですが、お兄様は喜んでくれる気がしました。

アレキサンデル様のことを、以前から好ましく思っていないご様子でしたから。


「それでは行きましょうか」

「はい」


わたくしとルードルフ様を乗せた馬車が動き出します。

もちろん、身分を隠した、控えめな装飾です。

生まれた国を離れることに、不安はありますが、きっと大丈夫。

自然と、そう思えました。


しかし、ひとつだけ気がかりなことがあります。


「偽聖女と言われたわたくしを妻にしては、ルードルフ様の評判に傷がつくのではないでしょうか」


馬車の中で、わたくしはルードルフ様にそう申し上げました。

ルードルフ様は、微笑みます。


「そんな傷ならいくらでも付けてもらいたい。でも、あなたの名誉のために、なんとかしなくてはね」


少し考えてから、ルードルフ様は仰いました。


「確かに百合は咲いたのですよね?」

「間違いありません」

「我が帝国の神殿に、相談してもよろしいですか? 信頼できる人物がいます」


わたくしに異存はありませんでした。






「いない? どういうことだ?」


翌朝。

大神官の報告に、アレキサンデルは不機嫌に問い返した。


「ルストロ公爵家に向かった使いの者たちの話によると、屋敷はすでにもぬけの殻だったそうです」

「馬鹿な!」

「別邸も、本邸も、誰もいなかったようで。実に素早い奴らです」

「昨日の今日だぞ? どこかに隠れていたんじゃないか」

「それが、下働きの者たちも突然、長い休みをもらったとかで。突然のことなのに、一人一人に充分な休暇の間の生活費を渡してあり、みんな公爵に感謝していたそうです」 

 

自分以外の他人への称賛の言葉が嫌いなアレキサンデルは、見るからに苛立った顔になった。


「うるさい! 結局エルヴィラを呼び戻せなかったということだな?」

「申し訳ございません」

「それで済むか! 見ろ! あれを」


アレキサンデルは、執務机の上の書類を指差した。


「エルヴィラが自分の仕事をしないせいで、ここにまで書類が回ってきている! 信じられるか? あれでまだ1日分なのだぞ?」


今までエルヴィラに押し付けていた書類の山だった。

さらに。


「ナタリアに任せようとしたら、聖女の作法とやらを学ぶのに忙しくて無理だとか言うのだ」


右腕となるべきナタリアも役に立たない。

アレキサンデルは、自分をこんな目に遭わせるエルヴィラが憎かった。

せっかく、側に置いてやろうと言ったのに。

勝手な女だ。


「なんとしてエルヴィラを探せ! すぐにだぞ!」

「かしこまりました」


大神官は、そうだ、というように提案した。


「陛下さえよろしければ、お仕事のお役に立てると人物がいるのですが、手伝わせてよろしいでしょうか? ロベルト・コズウォフスキと言いまして、わたくしの甥にあたります」

「ふん、使えなければ追い出すぞ」

「お心のままに」


もちろん大神官は、優秀な文官をひとりいれたところで、エルヴィラの代わりにはならないことは知っていた。

自分の地位をさらに磐石にしたかっただけだ。


それにしても、と大神官は考えた。

はやくエルヴィラを捕まえなくては。

まあ、人を増やせばいずれ見つかるだろう。

手間をかけさせて、困ったものだ。




しかし、ゾマー帝国の精鋭に守られたエルヴィラたちは、追っ手に気取られることなく、ゾマー帝国に到着した。

婚約破棄から十日後だった。


そこからだった。


誰も気付かなかった異変が、目に見えるようになってきたのは。


——最初は、山だった。


「なんだ、あれは?」

「山崩れだ! 逃げろ!」


大雨も降っていないのに、山の土砂が崩れ出した。


それは、エルヴィラがゾマー帝国の国境に足を踏み入れたのと同じタイミングだった。


聖女の加護が、切れたのだ。



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