第26話:貧乏村・ナザレ包囲!強制説法開始

 俺が向かうナザレの村は小さい。100世帯も無い貧相なあばら家が並ぶ。

 ユダヤ社会でも屈指の貧乏村だろう。


 数千人規模に膨れ上がった俺の弟子集団。

 元々は1000人くらいの予定であったのが、どこからともなくゾロゾロ集まってきた。

 で、ほとんどが病人とか、貧乏人だ。中には夜盗寸前のゴロツキみたいなのまでいるのだった。

 まあ、俺の弟子の中核がチンピラゴロツキのようなものだ。

 今さら、どうということはないが、数が問題だ。


「先生、なんか、群衆どもがハラ減った、奇蹟でなんか食わせろと言ってますぜ」

「マジか? ペドロ」

「まじっす。どーしますかねぇ」


 付き合いの長いペドロは、俺が奇蹟の力で食べ物を増やせることを知っている。

 そして、それが危険なことも知っているのだ。

 それは喰わない限り、停止することをしらず、倍々に増えていく奇蹟だ。

 たった1粒のパン屑が、あっという間に山のようになる。

 放っておけば、この地上をパン屑が埋めてしまう。


 裁き日が来る前に、人類全滅である。

 それくらい、恐ろしい奇蹟の力なのだ。


「ユダぁぁ~」


 俺は離れたとこにいたユダを見つけ、そして呼んだ。銭の管理はユダに任せてあるのだ。

 ユダはこっちにやってきた。


「なんでしょうか、イエス先生」

「ついてきた群衆が食い物欲しいって騒ぎ出してんだよなぁ」

「え…… だって数千人いますよ」

「近くの街にいって、食い物、買ってこれね?」

「うーん…… 教団のお金では無理ですよ」

「えーー ダメかぁ」


 金で解決できる問題はなるべく金で解決した方がいい。

 奇蹟の力は、人知の及ばぬどうにもならなくなったときに、使うべき物だろうと思うのだ。

 食い物を増やすのは金さえあればどうにもでなるのだ。

 人類滅亡のリスクに怯えながら、行う奇跡じゃない。


 しかし、このままでは数千人の俺の信者は餓えた暴徒になりかねない。

 それは、それでまずい。非常にまずい。


「しょうがねぇかな……」


 俺は自分のもっていたパンの欠片を奇蹟で増やそうとしたときだった。


「パンも魚もここにあります! さあ、お好きなだけ食べてください!」


 声が聞こえた。絶対に忘れるはずのない声。

 マリアちゃんだ。マグダラのマリアちゃん。

 それに、彼女と行動を一緒にしている何人かの女信徒が、かごを持って食べ物を配ってまわっていた。 

 遠くに何台かの荷車がある。そこに、大量の食い物が積んであるのだ。


「いつのまに…… あの女……」


 面白くなさそうにペドロが言った。

 ユダは「ふっ」と苦笑ともいえるような笑みを浮かべている。


「マリアちゃん…… なんで? いつの間に」


 俺は、食べ物を配っているマリアのところまで行った。

 金色の長い髪はベールの下だ。それでもその美貌は一際目を引く。


「ああ、イエス様。アナタの奇蹟の力でこんなに食べ物が」


 田舎芝居のようなわざとらしさで、マリアが言った。

 美貌の持ち主で教養もあるのだが、演技力だけはなかった。


 俺はチョイチョイとマリアを呼んで、人目につかないとこまで引っ張っていく。


「なにこれ? どーしたの?」

「買いました」

「買ったの?」

「はい」

「お金は?」


 教団のお金はユダが管理している。マリアちゃんがお金を持っているはずが…… あ……


「もしかして、あの屋敷のお金か?」

「はいそうです。一時的に私が預かっていますが、全てイエス様に寄進したものです」

「そっかぁ…… まあ、いいけどね」


 金持ちに囲われ、愛妾となるべく教育を受けていたマリア。

 彼女が囲われてた屋敷が売りに出され、代金が全部、俺に寄進されることこになっていたのだ。

 今まですっかり忘れていた。

 

「まあ、これで数千人の餓えた暴徒をナザレに突っ込ませることはなくなったというわけか……」

「そうです。イエス様。これも、アナタの起こした奇蹟のひとつなのです」

「ま、金で起こせる奇蹟なら、安いもんだ」


 つーことで、マリアちゃんのおかげで、俺は奇蹟の力を使わず、数千人を腹いっぱいにすることができた。

 対外的には、俺の奇蹟ということになっているのではあるが。それは大人の事情なのである。


        ◇◇◇◇◇◇


 ナザレの村にはかつてない緊張感が漂っていた。

 数千人規模。俺の率いる病人と底辺民、チンピラゴロツキの集団がゾロゾロとやってきたのだ。

 後で聞いた話だが、ナザレ村の中には「ローマ軍に通報しろ」というアホウもいたらしい。

 こんな、税金もとれねーような、貧乏村に軍隊を動かすほど、ローマも暇じゃない。多分。


 ナザレの村は相変わらずド貧乏。極貧の底辺村だった。

 しかしだ。

 こういうド貧民こそが、俺が救わねばならねーわけだよ。マジで。

 

「よう! 元気にしてたぁ?」

 

 ビリビリとした空気を緩めようと、俺は歩いてたジジイにあいさつした。

 確か、数少ないヤギを放牧して、辛うじて食っていたジジイだ。


「おめぇ…… あのマリアのとこの倅(せがれ)か」


 ここで言うマリアは、俺のかわいいマリアちゃんではなく、俺の母親のマリアのことだ。

 この村一番の淫売で、ビッチ。

 村の男たちをほとんど兄弟にしているという恐るべき存在だ。

 

「ああ、そうだよ。今じゃ一応、先生(ラビ)だから。弟子がいっぱいいてなぁ。入りきれないんだよ。この村には」

 

 これは誇張ではなく。マジだった。


「外を囲んでいる、チンピラゴロツキどもは、オマエの手下か……」


「チンピラじゃねーよ。弟子だよ。救いを求める迷える子羊なんだよ。分かる?」


「あああああ!!! キター!! マリアのとこの、こ倅が、チンピラゴロツキ連れて、お礼参りに来たのじゃぁぁ!!」


 絶叫して走り回るジジイ。

 街の外にいた人間が蜘蛛の子散らすように逃げていく。

 呆然とする俺。

 

 元々、人口密度の低いナザレの村が、スカスカになった。

 村の中に、空っ風が吹き抜けて、背骨がひゅーーっと音を立てそうな気分となる。

 

「なんだ? これ?」


 確かに俺は、いじめられていた。虐げられていた。

 しかし、そんなことを暴力で復讐しようなどという人間ではないのだ。

 つーか、神の子なのである。

 

「おい、家の中に逃げた奴ら、残らず広場に呼び戻せ」


 ムカついた俺は命じた。


「分かりやした! 先生!」


 ペドロが返事をする。そしてペドロが他の弟子たちに指示を出す。

 なんだかんだいっても、この元漁師が俺の一番弟子なのだ。


「この広場で、説法かます。ナザレの奴らも救わねばならんからなぁ。徹底的に、容赦なき説法だ!」

「さすが、先生!」


 ペドロの頭はハゲからほとんどアフロになりつつある。

 もはや、「ペドロ」ではなく「シモン」にしておけばよかったというのは後知恵だ。


「おらぁぁ! てめぇら、先生がご所望じゃ!! 隠れている奴ら、根こそぎ、連れてくるんじゃぁぁ! 病人も老人もガキも根こそぎじゃぁぁ!」

「おお!! 分かりやしたぁ!! ペドロの兄貴!」


 俺の屈強な弟子たちが、雄たけびを上げながら、ナザレのあばら家に突撃していく。

 そして、隠れていた奴らを根こそぎ引っ張ってくるのだった。

 なんと、頼りになる弟子たちなのか。


 俺は感動していた。

 俺は、故郷で凱旋し、一撃必殺の説法をかまさねばならぬと決意したのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


 ぞろぞろと、連れられてくるナザレ村の住人。

 会堂(シナゴーグ)も出来たらしいが、小さくで入りきらない。

 なので、広場で説法である。


「全員! 正座じゃぁぁ! イエス先生のありがたい説法を聞くんじゃ! だらけた態度で聞くんじゃねぇ!」


 ペドロが叫ぶ。いつもにもまして気合いが入っている。

 だいたい、4~500人くらいであろうか。これで、全人口なのだから、過疎の限界集落だ。

 しかも、年寄りが多い。若い奴は出かせぎに行っているのも多いだろう。


 俺は、すっと息を吸いこんだ。

 そして、説法を開始する。


「オマエらぁぁ!! いいかぁぁ! 神の国が来るんだぁぁ。そこ、そこまで来ているかもしれん。あああ、キタって感じ? で、どうする? 神の国きたらどーすんの?

 ナザレの人たちは? ええ? 裁かれちゃうよ。いまのままだとぉぉ! もうね、永遠の炎でガンガン焼かれて、ずっとだからな。そんでもって、死んでも裁くから。神は裁く。だから、悔い改めるんだ。悔い改めるってわかる? いい、ちゃんと神に感謝して、生活するんだよ。いいか、人は一人では生きられない。だから神様が見守っているのである! よって、裁かれたくなければ、神に祈れ! 祈ることこそが、神との対話であり、救いの道なのだ。だから、やれ。いいか分かったかぁぁ!」


 俺の説法絶好調。

 ペドロは、涙を流して、崩れ落ちた。感動しているのだろう。


「イエス様よ……」


 見覚えのあるおっさんが、立ち上がって俺に話しかけてきた。

 多分、俺の母親と関係がある奴だろう。というか、ここの男は全員そうだと思った方がいい。


「救いとか、いいんだが、奇蹟できるんだろ?」

「奇蹟か、できるけど。なにか?」

「んじゃ、なんかやってみせてくれよ」


 クソだと思う。俺を魔術師かなんかと勘違いしているのか?

 いいか、俺は神の子であり、オマエラを救うために、説法をしているのだ。

 奇蹟は、そういった説法を信じるなら必要ないものなんだよ。本来は。


 しかし、愚昧で無教養な貧困村の住人である。

 何かしらの奇蹟は見せる必要はあるだろう。


「んじゃ、どっか、体の悪い奴いる? 治すよ」

「あ! じゃ俺、俺、なんか最近右肩がいたくて、仕事が辛いんだよな」


 ビシッと手を上げた男。上げたのは左手だった。確かに。


「んじゃ、ちょっと来い。治してやるから」

「じゃあ、治してよ」


 男はやってきた。

 俺は肩に手を当て治した。


「お! マジだ。 治ったぞ!」


 男は右手をグルグルまわした。


「ほらよ。奇蹟なんて簡単なんだよ。それよりもさぁ、神の国――」


「おおお!!! 俺もだぁ! なあ、イエス。このパンを増やしてくれ! 食べ物を増やせるんだよな!」

「俺もだ! 俺も食い物と、そうだ。酒だ。酒を増やしてくれ!」

「俺は、水を酒にしてくれぇぇ! それをしてくれりゃ、なんでも信じるぜ」

 

 ナザレ村の奴らが一気に奇蹟を求めてきた。

 全て、己のことしか考えてないような要求である。

 

 ぐぬぬぬぬ――

 なんという愚昧な連中なのか……

 俺はこんな民度の低い村で育ったのか……


 俺は拳を握りしめ、プルプルと震えた。


 ナザレの村の奴らは、俺の説法などどうでもいいのだ。

 なんか、奇蹟によって、己が楽するという現世の利益しか求めていないのである。

 こいつらは、持たざるものであるが、精神においては、更に何ももっていない。最悪だ。


「ああああ! バーカ! オマエら、ナザレのアホウども、奇蹟ばっか、求めやがって! アホウか!! 死ね」


 俺は叫んだ。哀しみともにだ。その叫びは俺の故郷への決別の叫びだ。


「くそが! オマエラだけは、救われねーぞ。もうな、なにがあってもナザレ村の奴らは救われねぇ! バーカ!」


 俺は断言した。コイツらはダメなのだ。

 俺を受け入れない。

 要するに、俺はここの貧乏大工の息子であり、なんか外で偉くなって帰ってきた嫉妬の対象だったのだ。

 そして、過去に俺をいじめた記憶のある奴にとっては、復讐される可能性のある恐怖の対象だ。


 俺が復讐などしないと分かったとたんに、俺はいっきに「貧乏大工の息子」いや「淫売の私生児」になったのだ。

 成り上がった私生児だ。


「あああ、なんてことを言うの…… 私のイエス……」


 聞きおぼえのありすぎる声。聞いただけで、精神がささくれそうな声。

 俺の母親、淫売・ビッチ・パンスケのマリアだった。

 心配そうに、周囲に弟妹がいる。俺を見つめている。


 で、なにそのお腹?

 なんで、そんなにふくれているの?

 とっくに閉経しているよな……


「ああ、新しい妹か弟も生まれるというのに…… なんで、そんなことに、あの優しいイエスはどこにいってしまったの?」


「アホウか! そんなもん最初からいねーよ。クソが! 閉経してまでも腹をパンパンに膨らませやがって!」


「これも、奇蹟なの! 神の奇蹟―― ほら、アブラハムの妻・サラも閉経して妊娠したのよ」


「おめーは、違うよ。ぜってーに!」


 だれだ? 父親は?

 俺は群衆を見回す。一斉に男たちが目をそらした。

 クソだ。

 この村はクソだ。

 まじで、どうしようもねぇ……


「呪われろぉぉぉ! ナザレぇぇ!! 死ね! マジで!」


 俺は叫ぶ。予言者は故郷に受け入れらない。

 そのことを心に刻みながら俺は慟哭していた。

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