第27話:安息日に麦食ったら文句言われた。ムカつく

 極貧の淀んだ空気が#澱__おり__#のようにたまったナザレ。

 俺の生まれた村だ。俺の故郷への凱旋は失敗というか、妬みと嫉妬に晒されただけだった。

 奴らは救がいらねーのか。

 それよりも、目の前の奇蹟で食い物やら金が欲しいということなのか。


 クズだ――

 ムカつく。呪われてしまえと思うわけだ。

 頭に来た俺は、このまま帰るのも何なので、他の街で説法して回ろうと思った。


「しかし、ハラ減ったなぁ……」


 つぶやく俺。絶食修行40日に耐えた俺だが、今はもう無理。キツイ。

 それに、絶食したからと言って救われるわけでもねーよ。

 ハラ減ったら食えばいいと思う。


 数千人のナザレを包囲していた俺の弟子たちは現地で解散させた。

 とりあえず、マグダラのマリアちゃんが食料を配ったので、家に帰るまでは持つだろう。

 しかし、それで食料は無くなったのだ。完全に尽きた。


 だから、俺と俺と一緒の弟子たちは空腹を抱えて進んでいるわけだ。


「あ、イチジクの木ですぜ! イエス先生!」


 ペドロがイチジクの木を発見した。

 さすが、一番弟子である。ときどきシモンになるだけのことはある。


 駆け寄る俺。

 

「マジか! あ、マジじゃん!」


 イチジク木があったのだ。俺はイチジクが結構好き。甘いしな。

 ただ食いすぎると口の周りがかゆくなるので困る。

 

 俺はイチジクの木を見やった。


「あれ? 実がねーんじゃね? どーなってんの?」


 確かにイチジクの木なのだが、実が無い。

 実の無いイチジクの木など価値などないのだ。また、ムカつく俺。最悪じゃねーか!


「くそが! 呪われろ! 枯れろ! イチジク! 死ね!」


 呪いの言葉が自然に出てきた。

 その瞬間、イチジク木がマジで枯れた。


「すげぇ…… 先生、マジですか……」

 

「ああ…… マジみてぇだな…… 枯れるんだなぁ」


 俺自身も、神からもらった奇蹟の力を把握し切れてない部分がある。

 少なくとも、植物は呪うと枯れてしまうようだ。

 なんか、あまり使いようのない奇蹟だが……


「とにかく、しょうがねェ、次の街まで行って、説法だ!」


 この俺のムカつきは、説法にて晴らすしかないのである。

 

        ◇◇◇◇◇◇


 一面の麦畑だった。

 小麦が黄金色になり、その穂を風の中で揺らしている。

 この豊かな大地も本来であれば神の物であり、我々ユダヤのものである。

 それが今では、収穫されればローマにごっそりと税金で持っていかれるのだ。

 また、俺はムカつく。

 なんというか、この世の中ムカつくことばかりじゃねーか!


 マジで早々に神の審判を行って、罪人どもを焼きまくらねばダメだと思った。


「お、これ結構食えますぜ、先生!」


 ペドロが麦をむしって食い始めた。

 

「おい、それ食えるの? 生だぞ」


 いくら貧乏を極めたナザレ出身の俺でも、生の小麦は喰ったことはない。

 腐りかけの魚は野良猫と奪い合ったことがあるが。

 

「結構いけますぜ!」


 もぐもぐと稲穂から小麦を食いだすペドロ。


「お兄ちゃん。今日、安息日。ダメ。収穫。ダメ、ゼッタイ」


 2メートル30センチのアンデレが兄に向かって言った。


「え~ 安息日だっけ? 今日」

「そう。安息日の土曜。麦の刈り取り、イケナイ」


 弟のアンデレが正しい。今日は安息日なのである。

 金曜の日没から、土曜の日没までは安息日だ。

 安息日というのは、基本的にどんな労働もしてはいけないのである。

 火すら起こせないので、食事の準備すら前日にやって、前日に作った物を食うくらいだ。 


 ユダヤ教の絶対的な戒律である。


 ペドロが麦を食ったのを「麦の刈り取り」と考えれば、それはアウトだ。

 どーすっかなぁと俺も思った。

 俺も、今日が安息日とか忘れてたし。

 つーか、ペドロが喰えるツーから、食おうと思ったくらいだ。

 ハラ減っているから。


「これ、収穫じゃねーだろ? 食ってんだろ? 食事はいいだろ。火を起こさなければ」

「そうか…… 兄ちゃん、頭いい」


 アンデレが感心して言った。

 そして、でかい手で、麦の穂をむしりとると、そのまま、ムシャムシャと喰い始めた。

 オマエは馬か?


 何人かの弟子たちも食べ始める。


「旨くはないが、まあ食えないことはないか……」

「いや、結構いけるだろ?」

「ハラ減っているから、この際これでもな」


 色々なことを言いながら、麦の穂をバラして小麦を食い始める弟子たち。

 

 しかし、動かないふたりがいた。

 マグダラのマリアちゃんと、イスカリオテのユダだった。


「マリアちゃんとユダは食べないの?」


 もしかして、隠し持っている食料を食ったのでハラ減ってないのか?

 マリアちゃんはそれでも許すけど。ユダだったら許さん。


「生の小麦はベータ化しているので、消化できませんわ」


 マリアちゃんが言った。なにそれ「ベジータか」?

 金持ち貴族の愛妾になるための教育を受けたせいか、マリアちゃんの言うことはときどき難しい。

 でも、そんなマリアちゃんもかわいいので俺は好き。で、マリアちゃんも俺にガチ惚れだし。


「商隊(キャラバン)時代に、生麦、生米、生卵を食べるとハラを壊すと聞いたことがあります」


 親父が金持ち商人のユダが言った。

「なまむぎままごめなまたまご」かぁ~

 確かにハラを壊しそうだ。


 俺もハラは減っていたが、なんとなく食わずにいた。

 弟子たちが、少しでもハラいっぱいになればいいかと思った。


        ◇◇◇◇◇◇


 日が暮れてくる。

 俺たちの長い影が、荒れた大地に伸びていく。

 夕闇が濃くなる前に、適当な野営地を決めないといけなかった。


「あの岩場のあたりでいいのではないですか?」


 ユダが見つけた場所を俺は見た。

 岩が外に突き出て、ちょうど天井のようになっている。

 もし、雨が降っても濡れることが無さそうな場所だ。


「んじゃ、そこでいいかな」


 俺たちはそこで、野営する。

 火を起こし暖をとる。このあたりは日中は気温が上がるが、夜は一気に冷え込むのだ。


「晩飯作りましょうぜ」


 ペドロが火に鍋をかける。

 

「材料あるのか?」


「昼間の小麦がありますぜ。食べ残しなので、収穫ではないですぜ。へへへへ」


 そう言いながら、鍋に小麦をいれて、小麦のお粥を作り始める。


「アナタの弟子、ひとりもお腹壊さないわ」


 俺の隣に座ったマリアちゃんが不思議そうに言った。


「まあ、半端な胃袋してねぇからなぁ。みんな、元貧乏人だし、チンピラゴロツキみたいなもんだったからな」


「先生、自分は、真っ当な漁師ですぜ!」


「ああ、そうだなペドロ」


 ペドロは漁師だ。

 弟のアンデレと「毎日毎日、僕らは漁船の上で揺られて、やになっちゃうよ」と思っていたところを俺がスカウトしたのだ。

 やっぱり、ペドロはシモンの方がよかったのではないかと、なぜか頭をよぎる。


「丈夫なのね。この時代の人は……」


 マリアちゃんが口の中で小さく何かをつぶやいたが、俺には聞こえなかった。

 でも「え? なんだって」とか俺は聞きかえさない。

 どーでもいいことだ。


 で、お粥ができたので、全員で食う。

 それなにり、腹の膨れる量はあった。


「誰か、来ます―― ひとりではないですね」


 鋭い視線で周囲を警戒し、ユダが言った。

 そして、立ち上がった。

 周囲は闇だ。まっくら。なんで、分かるの?


「あ、本当だ。なんだ? いったい」


 ペドロが気付く。同時に俺も気付いた。

 松明をもって、何人かの男がこっちに来やってくる。

 夜盗の類には見えない。つーか、夜盗程度であれば、返り討ちにできる人材には事欠かないのである。


「イエス! ナザレのイエス! いるんじゃろうがぁぁ! 出てこんかい!」


 俺を呼ぶ声が闇の中に響く。うっせーまじ。

 なんだ?


「クソどもがぁぁ、安息日だっちゅーのに、麦の穂を刈りやがってぇぇ! てめぇらは、ユダヤの戒律破りしたことわかっとるんかい! ワレぇ! 指詰めるだけじゃ済まさんぞ、ゴンタレが! ユダヤ教から破門じゃぁ!」


 上から目線の声がビリビリ響きやがる。

 

「なんだよ…‥ また、パリサイ派の律法学者かよ。本当にしつこいねぇ。他にやることねーのかよ」


 俺は頭をポリポリかきながら立ち上がった。

 ゆっくりと歩みでる。

 やっぱり、糞の律法学者だった。

 

 最近、俺の行くとこに出現し、俺に文句を言うのだ。

 で、結局俺に論破され涙目になって敗走し「プギャーーwwww」される存在である。


 こんどは、安息日に麦を食ったことに文句を言ってきた。

 ペドロのいい訳そのまま使うか、俺は思った。


「うっせぇな! てめぇ! 文句あるなら、こっちこいや! また、論破してやるよ! バーカ! 食って悪いか? 収穫してねーよ!」


「てめぇ! 御託は聞きたくねぇんじゃぁッ! オマエのくそ弟子が、麦の穂を勝手に喰らったのは、目撃されてるんじゃぁぁ。腹斬らんかい、ワレェ!」


「食って悪いのかよ? 収穫じゃねーだろうが」


「アホウかぁぁ! モーゼの十戒もしらねーのか! 穂から摘んだ時点で、それは刈り取りなんじゃぁぁ。おう、オマエラも、そう思うよな!」


 律法学者が何人かいた。仲間に同意を求めた。

 懲りぬ奴らである。


「そうじゃぁ! クソが! 死ねや! 今ここでタマとったろうか? 戒律やぶりやがって!」


「なにが、食ったから、刈り取りじゃないじゃぁ! ガキのいい訳じゃ! 死ね! 戒律やぶりは、殺すしかないのじゃ!」


 なんか、ペドロのいい訳が通用しない。

 なんか不味いな。つーか、俺食ってねーよな。

 でも、ここで俺は喰ってないよって、弟子を見捨てるわけにはいかねーんだよ。

 このクソどもが……


 すっと俺の隣に立った男がいた。

 ユダだ。イスカリオテのユダだった。


「ダビデ王の話―― お歴々はご存じはないですか?」


「ん? なんじゃワレ? 何もんじゃい!」


「弟子の末席を汚す、イスカリオテのユダというものです」


 焚き火の明かりに照らされたその横顔。

 笑みさえ浮かべた穏やかな顔だった。


「神の神殿でダビデ王は、安息日に司祭とともに、食することを禁じられた祭壇の供物を食しました」


 ざわつく、律法学者。もにょもにょと相談している。


「なんじゃぁ! それかぁ! それは、神殿の中で祭司がおれば、安息日の戒律は適用されないという決まりがあるんじゃぁ! この、ニワカが!」


 相談がまとまったようで、そいつに言い返されるユダ。

 オマエな。ダメだよ。理屈で責めるなよ―― まあ、結構相手の顔色変えたけどな。

 コイツら、暇にあかせて、律法書ばかり読んでやがるんだから。それだけじゃだめだ。


「いえ、神殿よりも、祭司よりも尊い者がその場におわしたのですよ。お分かりになりませんか?」


「なんじゃそりゃぁ!」


「イエス様です。神殿が神の家であるならば、イエス様のいる場はそれよりも尊いということです――」


「狂っとるんか! 貴様ぁぁ! 吐いた唾飲むじゃねぇぜぇぇ!」


 殺気だった律法学者が詰め寄る。

 ユダの理屈でよけいにテンションが上がってきやがった。

 しかし、ユダ―― やるじゃねぇか。


 俺は、一歩前に出た。


「アホウかぁぁ!! オマエら、死ねよ! バーカ! 俺がいいって言ったらいいんだよ! 弟子はそれでいいんだよ!」


「なんじゃ、イエス! てめぇ……」


「そもそも、安息日ってなんだよ? ああん?」


「それは神が定めた。世界と人を6日で作り上げ、7日目を――」


「それは、人間を創ったからだろうがぁ! 人間のためだろうがぁ! だから、安息日なんだろうがぁ!」


 俺の絶叫がビリビリと、夜空に響く。天空の星までが震えるようだった。


「なんだそれは! 聞いたことない……」

「テメェが、シラネーだけだろうが! いいか、神は安息日を人のために創りました。だって、神は全知全能だから、休む必要ないしなぁ! アンダスタン?」

「ぐぬぬぬぬぬ!」

「いいか、安息日の意味すら分からねーで、学者を気取るんじゃねぇ! 去れ! いなくなれ! 邪魔なんだよ! クソバエどもが!」


 ひとりが怒りのあまり、たいまつを地面に叩きつけた。

 下からの炎の明かりが、律法学者の形相を更に、兇悪に変えていく。


「てめぇ…… イエス。その言葉、エルサレムに、報告してやる……」


「口げんかに負けたガキが、お母ちゃんにいいつけてやるか? オマエはガキか?」


「ぐぬぅぅぅ!! 行くぞ!」


 律法学者は踵を返した。そして去っていく。

 クソどもだ。本当にクソなのだ。


 そして、あのクソどもの総本山がエルサレムなのだ――

 聖地――

 そう呼ばれる場所である。


「こりゃ、俺もエルサレムに行かなきゃならねーか」


 俺のつぶやくような声にマグダラのマリアがおどろくような顔で俺を見つめた。

 パチパチと燃える焚き火。

 その炎が彼女の白い肌を赤い色に染めていた。

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