第12話:イスカリオテのユダ
会堂(シナゴーグ)悪霊祓い事件の当事者であるナザレのイエスの名前はガリラヤ地方に響きわたっのであった。
その現場を目撃していた男性(放牧業28歳)は語った。
『ええ、それはもう、すごいもんですよ。イエス先生の悪霊祓い。いやぁ、あるんですね。奇蹟ってやつが。
私も、熱心なユダヤ教徒ですからね、色々なラビの説法は訊きましたよ。
でもね。ちがうんですよ。イエス先生の説法は違いますよ。
まずね、分かりやすい。それでいて律法学者のような権威を感じます。
え? 奇蹟ですか?
んん~ そりゃね。ユダヤ教徒ですから聖書に書かれた奇蹟は信じてますよ。
だから言うんじゃないんですけど。あの先生は本物ですよ。とんでもないです。
なんでも、水の上を歩いたり、パンや魚を増やしたりするんでしょ。弟子たちが言ってましたよ。
もう、半端じゃないですよ。
そして、あの悪霊祓いですよ。もう、すごかったですよ。
え? 本当か? って――
アンタね、分かってないね。あの先生を分かってない。
悪霊ですよ。
私もユダヤ教徒を長くやってますからね。でも、あんな悪霊を見たのは初めてです。
あんなもんが出たら、人間じゃどうしようもない。
いや、正確に言うなら、人間には悪霊をどうにかできる技が無いってことです。
神にすがるしかないです。
でもね、先生は違うんだね。だって、神の子だから。なんでも、修行中にサタンに勝った、て話ですからね。
え? 嘘? それはないでしょ。
まあ、素人さんが信じられないのもしょうがないですけどね。
見事でしたよ。悪霊憑きの男にタックルからのマウントパンチ。
あれじゃ、悪霊もたまらんでしょうねぇ~。
え? 本物かって? 本物ってなに?
イエス先生が本物の救世主(メシア)かって? うーん、どうですかね……
部外者の身でどうこうは言えませんや。ただね、あの方がメシアであればいいと心底思いましたね。私は――』
「――というような意見も出ております」
すっと背筋を伸ばし、その男は言った。
理知的な瞳をした男だった。ただ、その瞳の奥底では何を考えているのか分からない感じがした。
「危険だな――」
男の話を聞いていた男が、ポツリとつぶやいた。その手が口元をかくす。
玉座のような豪華な造りの椅子に座り、落ちくぼんだ目がジッと目の前の男を見つめていた。
「カパヤ大司祭様は危険とお思いになりますか?」
カパヤと呼ばれた男。彼はユダヤ教の大神殿の司祭であった。
先代の娘婿として今の地位に着いた者だ。
古代ユダヤ社会。ユダヤ教という価値規範が支配する中では、最上位に位置する存在といっていい。
「その話が、本当であれば、危険極まりないな」
カパヤは静かに言葉を続けた。
「左様ですか。ローマの支配が崩壊し、新たな体制の成立―― 預言に示された神の国の――」
「性急にすぎる。第四宗派の引き起こした悲劇を繰り返すのか?」
ユダヤ教の宗派は大きく3つに分かれる。
自身を正当と考え、神殿を支配し主流となっているファリサイ派。
そして、ユダヤ富裕層を中心とするサドカイ派。
更に世俗から離れ、小集団で暮らし信仰を続けるエッセネ派だ。
第四宗派――
それは、ローマ支配を否定し、完全なるユダヤの独立を目指す集団だった。
30年ほど前に、ガラリヤ地方で蜂起。
ゲリラ活動展開し、ローマを苦しめるも、鎮圧。
その結果は都市は焼き払われ、2000人を超える人間が処刑された。
(ナザレのイエスとやらが、生まれた年あたりか……)
カパヤはふとそのようなことも思った。
「その男のこと、もっと知らねばならぬか」
カパヤはつぶやくようにいった。
そして天を仰ぐ。聖堂の天井は高かった。
「あの男の弟子となれ、そして調べろ。我らにとって災厄となる存在なのどうか、それを見極めろ」
「もし、本物の――」
「関係ないのだよ。今はメシアなど必要ない。問題は、ローマだ。メシアと名乗る者が、民を扇動し、それが大きなうねりとなった場合――」
「カパヤ様」
「私は守らねばならぬのだよ。大罪であろうと、民を守らねばならない。ユダヤの民をだ」
「はい」
「行け、奴を見極めよ――」
男は了解したことを態度しめした。
そして、立ち上がり、その場を去った。
◇◇◇◇◇◇
「今、俺の弟子って何人いるの?」
俺は、イチジクをむしゃむしゃ食いながら言った。
熟れてて甘い。
俺のスポンサーというか、支援者になった金持ちの家にいるのだ。
「さぁ、俺にはさっぱりです。先生――」
漁師出身のパウロというか元シモンは俺の質問に答えられない。
こいつは、数を数えることすら危うい。低学歴である。
つーか、俺もそう。よく分からんのは同じ。元漁師と元底辺大工だからなぁ。
建設現場で数が数えられなくて、バカにされたことを思い出した。
クソ。腹立つ。なんで? ムカついてきた。呪いたい。
「ここにいない弟子はどうしてんの?」
「自分の家にいるんじゃないですか?」
「そっかぁ」
俺の周囲に人が集まりはじまた。
なんか弟子希望者が増えたのだ。俺は、基本来る者は拒まない。
なもんで、どんどん増える。
「これだけの弟子がいる俺ってすごくね?」
「凄いですよ。先生!」
「やっぱそうだよなぁ」
そろそろ、ナザレ村に行こうかなと俺は思う。行って、錦を飾るというか、凱旋しようかなって感じになってきた。
俺を「パンパンで売女の息子」と馬鹿にした奴ら。そして「無能な底辺労働者」と俺をさげすんだ奴ら。
全員に目に物を見せてやろうと思う。マジで。
ナザレの奴らは、救われないって言ってやろうか。あっはは。
まあ、悔い改めの態度次第かねぇ。
俺がそんなことを考えていると、弟子が俺を呼んだ。
「先生、弟子希望の男が来てますけど。どうします」
「いいんじゃね。弟子にしてやれよ」
「なんか、先生に会いたいそうですけど……」
「え~ なんで? 男だろ? いいよ別に。弟子にしてやるんだからいいじゃん」
「でも、ちょっと今までの弟子希望者とは違うんですよね」
「ふーん。そうなの?」
聞いてみると、そいつは金持ちの息子だった。確かに珍しい。
しかも、帳簿をつけることができるとのこと。
俺たちは、数字に弱い。つーか、弱いどころじゃねぇ。
数を満足に数えることすらままならぬのだ。
そいつは、なんでもオヤジが商人で、大儲けしているらしい。
その三男坊とのこと。
以前の俺なら、敵である。金持ちは敵なのだ。全て。
しかし、悔い改めて俺の弟子になるというのなら、見どころがあるのかもしれん。
「じゃあ、とりあえず面接するかぁ~」
「じゃ、連れてきます」
そう言って弟子のひとりは外に出て行った。
俺の弟子は貧乏人とか、食い詰め者とか、老人とか病人とかばっかなのである。
こういった毛色の変わったのもいいかもしれんなぁと思った。
弟子に連れられて入ってきた男を見た。
いい身なりをしている。金持ちなのだろう。
「ふーん。キミ、弟子になりたいの? なんで? 金持ちなんだよね?」
俺は質問した。なんか、頭の切れそうな顔している。
こっちのことを見透かしたような眼差し。ちょっと気になる。
男はちょっと考えると口を開いた。
「アナタの奇蹟の噂を聞きました。イエス様」
「ふーん」
「アナタは、本物のメシアなのかもしれません。民を救う者かもしれません」
「さあね、俺は俺だよ。俺以外のものじゃねーな」
「アナタを間近で見たいと思いました」
「弟子になりたいってことだろ?」
「まあ、そうです」
「いいんじゃね。好きにすればいい。俺は来る者は拒まないからな」
「ありがとうございます」
「んで、アンタ名前は?」
真っ直ぐな視線が俺を捉える。
そして、男はやけにゆっくりと口をあけた。
「イスカリオテのユダです――」
自分の名を告げた。
「ふーん、ユダね……」
俺はよくある名前だなと思った。
そんだけ。
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