第9話:シモンっぽい弟子が出来た

 俺はカファルナウムをウロウロする。


「ああ、腹減った……」


 40日の絶食修行をしてから、逆に俺は空腹に弱くなった気がしている。

 俺は、漁師のいる湖畔に向かって歩き出した。

 なぜというに、食事をするためである。


 飯はガリラヤ湖の漁師が落していった、魚を拾って喰う。

 金が無いので仕方ない。

 漁師も黙認しているのだ。落ちた魚は売り物にならぬからだ。


 食物連鎖ヒエラルキーの中で、野良猫とニッチの座を争う存在。

 それが、今の俺。

 

 よく考えてみたら、底辺大工(テクトーン)だったときより生活水準が下がってるんじゃね? って思った。

 有名な預言者であるヨハネも主食はバッタだったし……

 どうなんだろうな、この生活……

 

 元々栄養失調ギリギリだった身体は、更に絞り込まれ、エッジが効いた骨と皮だけのようになっている。でも、魚は好きだ。

 

「俺も、あの物乞いと大差ないのかもしれんなぁ……」


 あの足の悪い物乞いのことを思った。

 なんか、怒りが消えている。腹の方が減って、今はそっちが最優先になっているからだと思う。

 よー考えると、 俺自身も、あのみすぼらしい物乞いと大差ない生活をしているわけだ。


 なんでだろう? この街は豊かなのだ。

 物は溢れている。人が分け合うには十分な量があると思うのだ。

 人の胃袋の大きさなど、金持ちも貧乏人も大差ない。

 

 つーか、どこに行っても、貧乏人はいるのだ。バッタくらいどこにでもいる。

 この街だってそうだ。一見栄えた街だが。貧乏人はいっぱいいる。


「よくばりが多いからだな。これは――」


 俺なりの結論だ。

 貧乏人が多いのは、豊かになった分をみんなで分け合うことがないからだ。

 だって、豊かな奴は、もっと豊かになりたいからだ。

 

 その点は学のない、元大工の俺でも分かる。

 大邸宅に住んで、良い物を喰っている奴らは、たいていロクなもんじゃねぇ。

 親から引き継いだ、財産やら地位やらを独占してやがるのだ。クソだ。


 大地主。

 金貸し。

 祭祀階級のやつら。

 

 こいつらは、言うだろう。

 貧乏なのは自己責任であると。

 しかし、古代ユダヤ社会では、自己責任を越えた社会の中で固定された貧困があるのだ。矛盾なのだ。


 だいたい、自己責任とか言う奴はクズ。

 古代ユダヤ社会に巣食うガンである。

 ローマ帝国の支配の中で同じユダヤ人を喰らっているクズなのだ。


「神に断罪されて、滅ぶべきである」


 思わず声にでる。心の言葉。


 俺が、底辺大工時代からずっと思っていたことだけどな。

 あの物乞いの男だって、この街の不平等な社会状況がなければどうなっていたのか?

 クソ野郎ではあるが、そうしなければ食っていけない現実もあるのだろう。


 とまあ、こんなこを考えつつ、俺はガリラヤ湖の湖畔まで来た。

 薄汚い。ボロ船が並んでいる。

 俺は船の周囲をさがす。落ちている魚がないかなって。


 多少痛んでいても、40日の断食を耐えた俺の消化器官は耐えきることができるのだ。

 野良猫が喰わない魚でも俺は喰える。さすが、神の子だった。 


「ないな…… 魚がないな…… なんで?」


 今日は魚が落ちてないのだ。

 これは困る。

 俺は落ちている魚が主食なのだ。いや、命綱。無ければ、生命の危機になる。


「おい、なにしてんだ? 兄ちゃん?」


 俺に声をかけてきた者がいた。

 ボロくさい船の上で、網をかたずけている男だ。

 仕事はもう終わりってのが分かる。

 

「いや、救いを求めている魚がいるかぁなって思って探してた」


 俺は言った。俺が魚を拾って食べるということはそういうことなのだ。

 神の救いである。だって、魚は人に食われるために神が作ったから。


「魚は落ちてねーよ。今日はダメだな。全然とれねぇ」


「マジか?」


「マジだよ。ダメだな」


 気さくな感じで俺に話しかけてくる漁師。

 若禿げで、妙に鼻のデカイ男だった。


「あんた、最近、街中で説教している預言者かい?」


「うーん…… まあ、似たようなもんだな」


 俺は預言者なのかどうか、自分でもよく分からん。

 神の子らしいが、最近は、主と交信ができていない。

 まあ、パパも忙しいんだろうとは思う。


「マジで魚いないのか?」


「今日は全然ダメだな。仕事にならねーよ」


 男は苦笑いする。

 

「困ったな……」


 俺の腹が鳴る。ぐーって鳴る。


「最近は獲れる魚も減ったな。まあ、獲りすぎなんだよな。欲かきすぎだぜ」


「ほう」

 

 なるほど、乱獲によって漁獲量が減っているということか。

 まあ、大消費地のティベリアスがあるのだからな。

 そういう事態もあるだろう。


 で、俺は良いことを思いついた。


「なあ、俺が魚を獲ってきていいか? 網かしてくんね?」


 周囲には、人がいない。いるのはこのハゲで鼻の大きい漁師だけ。

 

「なに? おまえさんが、獲るの? 魚を?」


「まあ、獲れると思うんだけど。なんか、獲れる気がする。網があれば」


「漁師なめんなよ。そんな簡単なもんじゃねーよ」


 ムッとして男は言った。

 

「ダメか?」


「まあ、やるなら勝手にやってみな。ほらよ」


 そう言って、漁師は俺に網を渡した。


「船を使うのかい? だしてやってもいいぜ。どうせ、獲れねぇだろうけどよ」


「いや、俺には必要ねーよ」


 そう言って俺は、ガリラヤ湖に足をふみいれる。

 水面で足が止まる。俺は水面をトコトコと歩くのだった。

 神のくれた奇蹟の力だ。


「え!! マジか!! マジかよぉぉ!! すげぇぇ!! 魔法か? おまえさん、魔術師なのか!」


「奇蹟だよ。神の奇蹟――」


 俺は言った。でもって、適当なとこで、網を放り投げた。

 で、引き上げる。

 やっぱりだった。網には魚がいっぱいかかっている。

 人を救うことが出来るならば、魚をすくうことができないはずがないのだ。


 俺は戻って、魚ごと漁師に渡した。


「すげぇ、すげぇ! なあ、おまえさん、何て名前なんだい?」


「イエス。ナザレのイエスだよ」


「あ、俺は、漁師のシモンっていうんだ。ペドロでもいい」


 目をキラキラさせながら、シモンとかペドロと名乗った漁師は俺を見ている。

 なんか、いけるんじゃね?

 コイツを俺の弟子にできるんじゃね?


「なあ、魚獲るより、いいことやらねぇか?」


「え? なんだい? それは?」


「この世界を変える。救うのさ。人間をとる漁師になるんだよ」


「人間をとる漁師……」


 ハゲで鼻デカの漁師は網を持って固まった。

 頭があまりよくないので、理解できないのか?


「俺の弟子になれってことだよ」


「おい! アンデレ! アンデレ! 起きろ!」


 男は船の中で声を上げた。なんだ? もうひとりいたのか?

 むっくりと起きあがった男。

 でかいな。

 アンデレ・ザ・ジャイアントって名前か?


「なんだい? 兄ちゃん?」


「なんか、面白いぞ。なあ、弟子になれってさ」


「へえ、面白いならいいよ」


 兄弟か?

 漁師の兄弟だ。


「なあ、いいぜ。面白そうだし、こんなクソみたいな漁師つづけるより楽しそうだ」


「よっしやぁぁ!!」


 俺はグッと拳を握る。


 俺に弟子ができたのであった。

 

 美少女ではない。

 ハゲで鼻のデカイ男。それに、なんか「アンデレ・ザ・ジャイアント」て感じの男。

 でも、まあ悪くはない。


 これが、俺の底辺からの成り上がりが始まる、その一歩なのだから。

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