第7話:俺はサタンの誘惑を受けたけど

「なんだここ!!」

 

 俺は周囲を見ながら言った。

 風の感じが違う。砂埃を含んだ風じゃない。 

 なんか、高いところにいる……


「エルサレム神殿の屋根ですよ。下みてくださいよぉぉ。高いでしょ、ね!」


 サタンが言った。ニヤニヤしながら言った。

 俺は下を見た。目がくらむ。ヤバい。古代ユダヤ人たる俺は、高いところに登ったことがない。

 せいぜい、ガキのころの木登りくらい。大工だけど、地べたで作業が多かったから。


「高いな…… 確かに。マジ」


 ヤバいくらい高い。

 高さというのは無条件で根源的な恐怖をかきたてる。

 しかし、それよりも、俺をこんなとこに連れてきたアホウに対し、怒りが湧いてくる。

 クソ。ぶちのめしてェ……


 俺は立とうとするがダメ。

 腹が減って、足がふらふらする。


「神の子ですよね。イエスは?」


「それが、なんだ?」


「飛び降りてみてくださいよ」


「なんで?」


「神の子でしょ?」


「しらねーよ! 主はそう言ったけどさ、実感ねーよ!」


「さあ、天使が助けてくれますよ。飛び降りなさいな」


「いや、天使が助ける、助けない以前に、飛び降りる意味が分からん!」


「神の子なら飛び降りても平気ですよね……」


「すでに空腹で平気じゃねーよ!」


「ユー・キャン・フライ!」


「うるせぇぇぇ!! 腹減ってそれどころじゃねぇんだよ! こっちは、40日なんも食ってねぇんだ! 殺すぞ! サタン!」


 俺はブチ切れた。一瞬、サタンの顔色が変わった。

 空腹で気が立っている人間に対して「飛び降りろ」とか言えばブチ切れるのは当然である。

 そこに何らの論理性もないのであるからして、俺の怒りは当然と言えた。


「お腹すいてるんですか? 神の子なのに?」


「関係ねーよ! すくよ! 腹ペコだよ!」


 サタンは人差し指を唇に当て、思案気にした。首を傾け考える。

 最初から整った顔をしているなぁと思っていたが、よく見るとすげぇ美形だった。

 整ったどころじぇねぇ。ムカついた。なんか、ムカついた。


 ゴリッという音をたて、俺の肉体の奥底でもがく音がした。


 獣だ――

 やばい。

 空腹が俺の中の野獣を呼び起こす――


 40日の絶食は俺の肉の内に野獣を育てていた。

 俺は40日間、野獣とともにいた。

 マルコの福音書の通りだ……


 いいかい?

 天使どころじゃねーぞ。

 サタン、どうするんだよ?

 この野獣が目覚めたら、サタンよ――

 一切オマエの身の安全は保障できない。


「じゃあ、この世界をアナタにあげるってのかはどうです? イエス?」


「おきゃぁぁぁ!! 知るかボケ! 世界なんかいるか! 食い物が先じゃぁぁぁ!!」


 限界だった。俺は吼えた。

 サタンに対し、一直線に突き進む。

 間合いを潰した。

 その口を大きく開けて、かみついた。

 もはや、空腹は限界だったのだ。


「ぎゃぁぁあ!! いてぇぇ!! なんだ! イエス! 喰うな! 俺を喰うな!! あばばば!」


「もがががああああああああ!!(ユダヤの戒律にサタンを喰ってはいけないは無い!)」


 俺はサタンの手にかみついていた。

 しかし、普段から栄養失調気味の上に、断食で体力の落ちている俺には、サタンの肉を引きちぎる力はなかった。

 枯れ枝のような俺の細い身体は、サタンの手で振りまわされていた。


「はなせ! 喰うな! サタンは食べ物ではないですよぉぉぉぉ!」

 

 サタンはブンブンと右手を振りまわす。

 ハンマー投げのハンマーのように俺の身体は遠心力で浮き上がる。

 

 ずぼッ――


 離れた。

 俺の交合力不足だった。

 

 サタンは俺に噛まれた右手をさすって「ひーほー」言っている。

 くっきりと歯型がついていたが、流血はしていなかった。


「アンタ、人間じゃねーですよ! サタン喰うなよぉぉ!」


「だって、俺、神の子だから……」


「神の子でも、サタンは食わねーよ」


 サタンは涙目で訴える。 


「俺をヨハネのところに戻せ。もう、腹減った。修行は終了!」


「アンタさぁ……、オヤジそっくりですよ。その、傍若無人なところ! 血は争えないつーか、あの神(おや)にして、この神の子ありというか……」


 神にそっくりというのは、褒め言葉なのかもしれないが、なぜか俺は釈然としなかった。

 とにかく、いやがるサタンに言うことを聞かせ、俺はヨハネたちのところにもどった。

 

        ◇◇◇◇◇◇


 俺はもう修業は十分だなと思った。

 40日断食の荒行だ。箔もついたことだろう。

 ヨハネは近くの街に、街宣活動にでかけている。

 

 普段は「荒野で叫ぶ人」なのだが、ときどき街でも叫ぶ。


「あ~あ、本当に神の国がきて、アホウどもが焼かれてしまえばいいのになぁ」

 

 俺は、焼き魚を喰いながら言ったのだ。

 魚というか、食い物を増やす奇蹟は危険なので、あれからやってない。

 下手すると、パレスチナ全域というか世界が魚で埋まってしまうかもしれないのだ。


 俺が持っているチート能力。神の奇蹟には病気を治すというのもある。

 これは試したことが無い。だって、ここのやつらは健康だから。

 バッタばっかり食っているのに健康。


 弟子を作るにはどうすればいいのか?

 俺は考えた。

 

 たぶん、俺が独立して、ヨハネの元を出て行けば、何人かは俺についてくるだろう。

 つーか、ヨハネを含め全員がついてくるかもしれん。それはやだ。

 なんか、こうヨハネの跡継ぎ、ヨハネ2世みたいな感じになる。


「なんか、違うよな……」


 俺だけの弟子を作るには、俺が街にいって街宣活動とか、スカウトをする必要があるわけだ。

 まず「神の国が来て、罪人は断罪される」とか言えばいいわけだよな。

 端的に言って、民衆の不安を煽って、どうすれば救われるのかのヒントをちらつかせる……

 で、信じない奴には奇蹟の力を見せればいい。病人を治せば評判にもなるだろうし、信用も上がる。


 弟子とか信者を集めるノウハウというのは、そんなもんだろうと考えた。

 

「ああ、どこかに、悪霊に憑りつかれたかわいい女の子はいないかなぁ……」


 俺は思った。どうせ治すなら女子がいい。可愛い女の子。


 で、俺は、シナリオを練った。それに没頭した。

 悪霊に取りつかれた、ヒロインを救いだす俺。

 奇蹟の力が唸りを上げる。 


『去れ! 悪霊よ! このイエスが命じる!』

『うぎゃぁぁ!! 死ぬ! この俺が…… 最強の悪霊と呼ばれた俺が……』

『ふッ…… 俺の前ではオマエの力など、ゴミ同然だ。お前はもう、祓われている――』

『ああああああ!!! あばばばびぉころぉぉ!!』

『ああ! ここは? いったい、私は何をしていたの?』

『安心しろ。俺が悪霊を殺した。もう、オマエの身体に悪霊はいない』

『素敵…… イエス様……』


 俺は自分の身体を抱えて転げまわった。

 なんという感動だろうか。

 

「すげぇ、カッコいいんじゃね?」


 俺は想像した自分のカッコよさに鳥肌が立った。痺れた。

 

 そうなれば、それを見た一般大衆は、俺を尊敬するだろう。

 底辺大工の俺をだ。学もなく文字も読めない俺をだ。

 人生の一発逆転である。


「もしかして、30歳にして、嫁ができるかもしれん……」


 そして、重要なことは、その女の子は俺を尊敬して、俺に全てを捧げるのではないかということだ。

 これは、非常に重要なことだった。

 古代ユダヤ社会で、30歳で嫁がいないというのはあり得んレベルなのだ。それだけ、俺が底辺だったかという証左だ。


 しかし、それも終わりを告げる日が来た……


「よし!! ガリラヤに帰って、街宣活動するかなぁ!」


 俺は立ち上がった。

 もう、眉毛は生えそろっている。

 

 ヨハネはいないが、まあいいだろう。

 残っている奴に伝言しておこう。


 俺は、ヨハネと別れ、伝道という名の街宣活動を行うことを決めた。

 そう、俺は新たに旅立ったのであった。

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