第14話 洗濯物が乾かない

「土砂降りですね」

 バケツをひっくり返した雨は一昨日からやまない。街はあいにく勾配のない平地のため、水は貯まる一方だ。

「あと3日はやまないですよ」

 彼に話を振っても、ふーんくらいの反応しかない。生存本能がないのだろうか。

「1階は水没してますし」

「うん」

「ここも時間の問題ですし」

「うん」

「食料も水も数日分しか」

「水ならあるだろ」

 ペラリとページを繰って言う。

 置いていこう。私は静かに決意した。


 荷造りを始める。

 カッパ、着替え、化粧水、まな板、包丁。

「あと思いつかない」

「んなもんいらないだろ」

 ふんぞり返ったまま詰める荷物に文句を言う。あ、あとメガネの換え。

「何が起こるかわからないですよ」

「大荷物だと俺が乗れない」

 パチリと瞬きひとつ。

「……来るんですか?」

「行かないとは言ってない」

 なんなんだ。私はバックのチャックを締めた。

「3階の倉庫に、ボートがあった」

「何でそんなものがあるんですか」

「今回のためだろ」

 知りませんし、と言おうとすると遮られる。

「雨の中、渡っていくのは得策じゃない。3階まで浸水してから出た方がいい」

 確かに、体が冷えてしまえば体力も失っていくだろう。グッと息を飲み込む。

「毛布も積んでおこう」

 私は3階へ上がった。

 ひどくホコリっぽい。しばらく開けてなかったからなぁとロウソクで中を照らす。ざぁざぁ耳障りな音が響く。雨じゃなかったら明日は生誕祭だったのに。街中の明かりが色とりどりに灯されて、空へ上がっていくのは壮観だ。この街一番のお祭り。

「あった」

 ほぼ新品同様だった。買ったはいいが使い前がなくて押し込んだもだろうか。モーター付きだが生憎ガソリンがない。オールになりそうなものを探すと2本見つけた。そう急ぐ旅でもない。二人乗っても充分そうな広さだ。

「準備できましたよ」

「あぁ」

 彼は本に飽きたらしい。床に寝そべって、目を伏せている。床で寝たら冷えるのに、と私も火を消して横になる。

「早く晴れるといいですね」

 真っ暗な中、私は言う。

「そうか?」

「そうですよ。でないと、洗濯物が乾きません」


 結果的に、きっちり3日で雨は止んだ。

 ただ3階まで水が入り込む事はなかった。

「どうしましょう」

 3階へ上る階段で頬杖をついてぼやく。2階で腰が浸かるほどの水は、チャプチャプ壁にぶつかり遊んでいる。

「ボート降ろすしかねぇか」

 本を片手に彼もぼやく。

「私一人じゃ降ろせないですよ」

「わかってる。手伝うから」

 せめて逆であって欲しかった。私達は立ち上がる。

「せーの」

 ガガガガ。床が傷ついているが今は仕方ない。どちらかといえば船の底の方が心配だ。

「せーの」

 ガンガンガン。

「ゆっくりな!!」

「ゆっくりですね!!」

 荷物を乗せて、船は陸を動く。拭っても拭っても、汗が止まらない。

「いいか、潜伏させんなよ」

「はい」

 慎重に階段を降りていく。彼もここ数年見ない真剣な顔だ。

「せーの」

 ザパン。波が立つ。やったーと私の両手が上がった。彼は汗を拭っている。波が足を撫でた。船が進む。

「あ、ダメダメダメ!!まだ行っちゃダメ!!」

 急いでボートの縄を引き、階段に引き寄せる。

「どうぞ」

 不満げな私の顔を見て、彼は笑う。

「どうも」

 たぷんと揺れた。私もすかさず乗る。

「誰が漕ぐ?」

「交代ですからねっ!!」

 喉で笑う彼を睨み、オールで漕ぎ出す。ちゃぷん、と音が響いた。


「おい、窓は右だ」

「わかってますよっ!!」

 難しい。意外と、というか予想はしてたが、水が重い。

「下手くそだなぁ」

「代わってください!!」

「ゆっくりでいい」

 盛大に舌打ちをしてしまう。もう1度、水を掻く。ゆっくり、船は動いていく。どうにか窓から外に出れたのは、夕日が傾きだしてからだった。

「お疲れ」

 本から顔を上げて彼は言う。鼻にしわを寄せて、オールを突き出した。

「交代ですよ」

「まぁ、このまま流されてみようじゃないか」

 何なんだコイツ。何で一緒に乗ってんだ。彼は愉快そうに笑ってパンを齧った。

 夕日はどんどん沈んでいく。オレンジ色の光が水に浮かんでいる。

「綺麗ですねぇ」

「雨上がり特有だもんな」

「世界が沈んでいくんですね」

「明日は晴天だろうよ」

 日焼け止め持ってくればよかった。私は夕日を見送り、ロウソクを取り出す。

 船は漂う。伽藍道のビルの合間を、ゆっくりゆっくり進んでいく。このまま行けば、遊園地だ。もうずっと動いていない観覧車に、胸が踊る。


「タイミング悪かったですね」

「何が」

「生誕祭です。楽しみだったのに」

「あぁ、好きなのか?」

「大好きですよ」

 だったら、と彼は水面下を指す。

「見えるぞ」

「え?」

 水を覗き込んで、息を飲んだ。光っている。ピンク、黄色、黄緑色の光が、ぷかぷか泳いでいる。

「うそ、きれい」

「空に登れなかった連中だな。しばらくさまようんだろ」

「あの光って、何でしょうかね」

「さぁ」

 それきり彼は黙った。私も、沈んだ街の中でピカピカ光る無数の球を見つめていた。

 いのち、のような気がした。

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