第12話 時報

「午前3時42分10秒をお知らせします」

 カチ、カチ、カチ、カチ、ぽーん…

 受話器から聞こえる無機質な声と、振り子時計のようにカチカチと刻み続ける音が心地いい。


「まもなく、午前3時42分30 秒をお知らせします」

 ぽ、ぽ、ぽ、ぽーん…


 手すりに寄りかかって見上げた空は雲がかかっている。街の光を吸い込み、オレンジと白の混じった色をしている。タバコに火をつけて空に吐き出せば、雲になりたがった煙は宛もなく登っていった。


「まもなく、午前3時43分ちょうどをおしらせ」

 電話を切る。はぁとため息がひとつ。明日も仕事だ。今日はやたらと信号に引っかかる日だったから、せめて明日はその半分くらいでお願いしたい。


「なにか悩み事ですか」

 後ろから声をかけられ飛び上がった。振り向く勇気もないが、私に声をかけたのは間違いない。逃げ腰でおそるおそる振り返ると、パーマのかかったガタイのいい男が半笑いでたっている。


「今日は星も見えないのに天体観測とは」

「い、え。もう、帰ります」

 かすれる声で答えると、


「この時間ここでしか聞けないラジオをご存知ですか」

 彼は紳士的に微笑む。いかがわしい話か。とっとと帰ろうと脇へずれながら、お構いなくと呟いた。


「乙女座からの時報が、聴けるのですよ」

「……へ」

 ひっかかった。男は嬉しそうにこちらに寄ってくる。脇に抱えた年季の入った古いラジオをポンと叩いた。


「乙女座の民は、機密性の高い時計を作るのに、長けているんですよ。1秒たりとも遅れない、歯車の詰まった振り子時計でね、予言のように淡々と報じる」


 足元にラジオを置き、しゃがみこんで男はチューニングを始めた。

 男女の対談、聞き古されたフォークソング、眠りを誘うピアノ協奏曲が、遠慮気味に通り過ぎていく。しばらくしてピ、ピピ、と途切れ途切れで電波が届いた。


「まもなく、蝶の羽ばたきをお知らせします」

「え?」

 ぽ、ぽ、ぽ、ぽーん……

 男は黙って微笑んだままだ。こちらの反応を楽しそうに見ている。私は戸惑うことしか出来ない。


「なんの、番組ですか」

「時報だよ。ここからが面白い。あそこの生垣を見ていて」

 指さす方向に目を向ける。電灯の青白い光に照らされた、青々とした生垣だ。


『まもなく、春爛漫をお知らせします』

 ぽ、ぽ、ぽ、ぽーん…

 目の前で一斉に花が開く。ピンク色と白色のツツジが、生垣一面に広がった。

「はっ?」


『まもなく、採石場跡をお知らせします』

 ぽ、ぽ、ぽ、ぽーん…

 ツツジが花落ちていく。萎み落ちた花弁は地面でキラキラと硬い石へと変化する。自ら発する柔らかいピンク色が足元で広がった。


「どうなってるんですか?」

「乙女座にチューニングを合わせただけだ。時報を消せば、すべて消える」

「幻覚、ですか?」

「いや現実だ」


『まもなく、渡り鳥の横断をお知らせします』

 ぽ、ぽ、ぽ、ぽーん…

 石がはじけて消えた。かわりに東の空がぼんやり白く光って見える。見上げるとおよそ20羽ほどの白鳥のような白い影が、翼を広げて上空を横切っていく。


「気は晴れたか?」

「いや、もう、びっくりで……」

『まもなく、落葉色をお知らせします』

 ぽ、ぽ、ぽ、ぽーん…

 街路樹の葉が赤、黄、茶になり一斉に地面を目指し始める。ひらひら、ひらひら、視界を秋色が埋める。


「そろそろ電波が途切れる頃だ。また落ち込んだら、ここへ来なさい」

『まもなく、木枯らしの踊りをお知らせします』

 ぷつり、と彼が電源を切る。一瞬にして、情景が元に戻った。

 どんより曇り空に立ち尽くす電灯、まだ色の明るい生垣と、火の消えたタバコ。

 男はろくな挨拶もせずに立ち去っていった。


 私は電話を耳に当てる。

「まもなく午前4時ちょうどをお知らせします」

 ぽ、ぽ、ぽ、ぽーん……

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