第7話 チョコレート禁止法
男は靴を鳴らして歩いていた。
煤で壁が汚れ、道の端にはゴミが散乱している。
まだ22時だ。大通りは茶会にダンスと盛り上がっているだろう。周囲を確かめながら、男は路地を曲がる。
「まずいわよ」
付いてきていた娘が言った。男のアシスタントであり、立派なチョコレート中毒者だ。男は小声だが、鼻で笑って言った。
「俺が何年チョコ売り捌いてると思ってんだ?防衛団は間抜けしかいねぇ」
二つ目の角を曲がる。街灯は設備されていない。換気扇スレスレを曲がり、男と娘は足早に駆け出した。
「逃げるなら何で堂々と靴鳴らしてたの?」
「男はいつでもカッコつけとかねぇと。そこの足場にして屋根登るぞ」
右手の木箱が積み重なった山に駆け寄ると、身軽に上へと登っていく。娘はスカートの裾をたくしあげて、後に続いた。追っ手の足音が聞こえる。男は木箱を蹴った。ガラガラ崩れ落ちた木材に立ち往生する姿をみて、男は声をあげて笑った。
「あー本当に阿呆ばかりだなぁ」
「そんなことばかりしてるから、お尋ねもの扱いされるのよ。まったく」
「だぁから、この道何年やってっと思ってるんだ。ほら、銀チョコ」
「ありがとうございます!」
瓦の上で、彼女は渡した銀の包み紙を破って空に掲げた。行儀のいいネオンの色と、星の瞬きで茶色いつぶは仄かに艶を見せた。彼女は嬉しそうに口に放りこんで、それきり黙る。
「このまま店まで行くぞ。落ちるなよ」
男は屋根の上を歩き出す。目指す場所は3件先の黄色い屋根だ。
「ボスはチョコレートの製造方法を知ってるの?」
十分にチョコレートを味わった彼女が問いかける。男は肩をすくめた。
「知ってたらこんなこと毎晩やってねぇよ」
「趣味でやってるのかと思ってたわ」
そういう彼女は数年前まで優等生であったが、法で禁じられたチョコレートの魅力に取り憑かれて、片っ端からチョコレートの情報をかき集めていた。麻薬、アルコール、タバコにチョコレートの情報は、表立って公開されている事は無い。彼女は、犯罪ギリギリの脱法チョコレートを食べていた。
「チョコレートって何で出来てるのかしら。何かの実かな」
「ほぉ」
「実を割ったら、中からトロっとした甘い液体が出てくるのよ。あぁ、早く本物を食べたい」
うっとり、彼女は頬を抱える。男はくつくつ笑いながら、まだ食べさせるわけにはいかないと内心嘲笑っていた。
「下が騒がしくなってきてる」
「バレる前に店に入るか」
目的の屋根の雨樋にロープを巻き付けて何度か引いて強度を試す。幸い、路地に防衛団はまだ来ていない。
「レディファーストでどうぞ」
「どうせ囮にするんでしょ」
娘は鼻息荒く言い放ったあと、ロープを手にした。
グッと雨樋をけって、少しずつ、壁伝いに降りていく。娘が降りきったのを確認してから、男はロープの根をナイフで半分ほど切った。そして、するりと降りていく。
足と地が5cmほど離れているところでロープが切れた。ダン、と着地する男に娘は心ばかりの拍手をする。ロープを巻きとって、二人は店へと入った。
「よお今日は遅かったな」
カウンターの白ひげの男が黄色い歯を見せて笑った。娘は肩を竦め、男はタバコに火をつけた。
「隣国の渡し屋が若造だったんだ。手際悪くて防衛団に嗅ぎつけられた」
「お前らしくないなぁ」
カウンターにジョッキに入ったビールが出てくる。娘は首を振った。
「私アルコールは好きになれないの。二人でやって」
「お嬢ちゃんはおねむの時間かな?」
ジョッキを手にする男に、舌を出して娘はぐいと襟元を掴む。
カサついた男の唇にキスをした。
「まぁ大胆なことで」
「本物のチョコのためよ」
腕を組んで仁王立ちする娘に、男はジョッキを煽る。
「濃度の高いチョコレートはなぁ、もっと溶けてしまうほど甘いんだ。今みたいな事務的なもんじゃ意味ねぇよ」
「だって口付けは好きな人としたいわ」
「あれ、お嬢さんは俺が好きじゃなかったのか?」
「痴話喧嘩はよそでやってくれ。せっかくの酒がまずくなる」
カウンターの男に言われて、ふんと娘は2階の戸を開けた。
「明日は脱法チョコレートの日だ。よく休んどけよ」
「仰せのままに」
娘はパタン戸を閉めた。くすくす笑いがおきる。
「お前とんでもねぇのにチョコ食わしちまったなぁ」
「あぁ、でもここまで熱心にやってくれるのはありがたい」
男はビールを飲む。貴重なアルコールだ。こんなにうまいものは、早々ない。
「国の上層部も絶対浸かってるだろうけどなぁ」
「うまいもんは独り占めしたくなるもんだ」
ビールが終わると、ウィスキーの瓶が持ってこられる。男はウィスキーとチョコレートを共に嗜むのが何より好きだった。
「そんなに中毒者増やして、反発団でも作る気か。名誉なこった」
きっと明日の脱法チョコレート配りを言っているのだろう。親の買い物を待っている子どもにひっそり渡す大事な仕事だ。
「いや、防衛団とやりあうつもりは無い。ただ」
男はチョコレートの欠片を齧った。ほろ苦くまろやかな甘みが口中に広がり、口直しにウィスキーを舐める。至福のときだ。
「名声なんかいらねぇ。俺は他人の足を引っ張るのが大好きなんだ」
白ひげの男は一瞬ぽかんとしたあと、声を上げて笑った。
「名誉なこった」
娘の寝床を見上げて、もう一度笑う。男は毎度のように形の肩を竦めて、チョコレートをかじった。
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