現在、俺は幼馴染の部屋の前に来ている。


「どうぞ」と中に入る許可を得た後で、ゆっくりとドアノブを引いた。

 伊波いなみの部屋に入るのは、三年ぶりくらいになるだろうか。見知ったはずの場所なのに、妙な緊張感が走る。


 いくら幼馴染といえど、女の子の部屋。


 思春期真っ盛り、恋愛経験皆無の俺からすればハードルはそこそこ高いみたいだ。


「‥‥‥あ、あんまジロジロ見ないでよ」

「いやあんま変わってないなと思ってさ」

「そうでもないわよ。漫画とか増えてるし、この前クローゼットだって一新したんだから」

「へえ‥‥‥」


 折りたたみ式のテーブルを挟んで、伊波と向かい合う位置に腰を下ろす。

 俺の目が合うと、伊波はあさっての方角に視線を逸らしてきた。それを受け、つい俺の方も視線を逸らしてしまう。


 気まずい空気が流れる中、伊波は挙動不審になりながら。


「それで、い、一体なんの用? 久我があたしの部屋に来るなんて久しぶりな気がするけど」

「あ、ああ‥‥‥そのえっと‥‥‥」


 早速、俺が来た理由を訊ねられる。


 だが、その答えはすぐには出せず、言い淀んでしまった。


 もちろん、ちゃんと目的があってココに来た。けれど、その内容はなかなかに言い出しにくい。


 伊波の方もある程度察しがついているのだろう。

 表情がぎこちないし、さっきから冷や汗が止まってない。


 一旦、俺は深呼吸する。気持ちを落ち着かせてから、本題に入ることにした。


 これは非常に神経質な問題。本来であれば、俺が介入すべきではないだろう。

 ‥‥‥が、もうこの際白黒付けたほうがいい。


 でなければ、今後どうやって伊波と付き合っていけばいいのかわからない。‥‥‥覚悟を決めろ俺。


「‥‥‥た、単刀直入に聞くけどいいか?」

「は、ははい。ど、どうぞ」


 さながらお見合い当日みたいな居た堪れない空気の中、俺は慎重に切り出した。

 伊波は、初めてバイトの面接に来た人みたいに背筋をピンと伸ばしながら、ゴクリと唾を飲み込む。


「その、伊波には好きなヤツがいる、よな?」

「‥‥‥っ。単刀直入すぎてビビるんですけど」

「だから先に断ったじゃんか」

「そうだけど、まさかそこまで真っ直ぐに来ると思わなかった。久我デリカシーなすぎ」

「うぐ、悪かったな。俺にそういうのあんま期待すんな」

「たしかにそうね」


 伊波は苦笑い気味に言う。頬は上気していた。


 この反応だけで、彼女に好きな人がいるのかいないのかは、ほとんど分かるのだが、一応言質を取っておこう。


「で、どうなんだ?」

「い、いますけど。それがなにか?」


 せめてもの抵抗なのか、伊波はつっけんどんな態度をとる。開き直っているみたいだが、耳や首まで真っ赤だ。


「そうか」

「うん」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

「‥‥‥え? それで終わり?」


 いや、終わりなわけではない。むしろここからが本番だ。


 だが、こっから先を切り出すのが勇気のいる行為だった。‥‥‥しかし、今更後には引けない。


 期せずしてだけど、伊波の秘密を知ってしまったわけだし。このまま何事もなかったように過ごすのはダメだ。絶対。


「じゃあ、ズバリ聞くけどさ‥‥‥」

「‥‥‥う、うん」


 俺が口火を切ると、部屋の中に緊張が走った。


 空気中の酸素量が減ったような息苦しさが襲ってくる中、俺は腫れ物に触るようにゆっくりと口を開く。


「伊波が好きなヤツって‥‥‥?」

「‥‥‥‥‥‥は?」


 俺の質問に対する伊波の返答は一音だけだった。


 伊波は呆気に取られたように目をパチクリさせる。

 さっきまで赤面していた顔色は元に戻り、真顔だった。


 さすがにデリカシーに欠けた質問だったかもしれない。けれど、これはハッキリさせた方がいいと思ったのだ。


「えっと‥‥‥俺たちって幼稚園からずっと一緒だしさ。交友関係もわりと同じだろ? てことはさ、場合によっちゃ伊波に協力できると思うんだよ」

「‥‥‥ごめん。久我の言ってることがよくわかんない」

「え? だから、伊波って幼馴染の誰かのことが好きなんだろ。てことはさ、多分俺も知ってる人間ってことだろ? だったら、俺に協力できることがあるんじゃないかと」

「‥‥‥‥‥‥お前マジか」


 伊波がゴミを見るような目で俺を見ている気がするが、別に変なことは言ってないよな? 


 伊波が短冊に願ったのは『幼馴染と恋人になること』だ。

 最初見たときは、勝手に俺のことだと決め付けていたが、それは恐らく勘違い。


 幼馴染ってのは、何も物心ついたときから一緒に居るヤツのことを指すわけではない。


 人によってその線引きは異なるだろうが、幼稚園か小学校か、はたまた中学校の同級生まで幼馴染にカテゴライズするパターンもある。

 つまり、伊波にとっての幼馴染は俺の他にもいるのだ。


 であれば、幼稚園から高校まで一緒の俺なら、伊波に協力できると思ったのだ。


 結果的に彼女の秘密を握ってしまったわけだし、この際協力関係にあった方がいい。伊波とギクシャクするのは、望むところではないしな。


「なにか俺、変な事言った?」

「別に‥‥‥平常運転なんじゃない?」

「なんか貶されている気がするんだが」

「てか、なんであたしの部屋に久我がいるわけ?」

「え? いや正規ルートで入れてもらったんだけど」

「幼馴染だからって、勝手に部屋に入んないで。ほんっっっと無神経! 早く出てって! もう帰って!」

「なに急にキレてんだよ。‥‥‥まだ話も終わってないし」


 困惑する俺に、伊波はしっしっと片手を振ってくる。


「久我と話すことなんてないから。可及的に速やかに帰って。あと、短冊のことは忘れて。記憶から抹消しないと許さないから!」

「‥‥‥え、ちょ‥‥‥」


 ぐいぐい背中を押され、俺は半ば強制的に部屋の外に出される。すぐにバタンと扉を閉められた。


 ご丁寧に鍵まで閉めてくるあたり、もう中に入れる気は無いのだろう。伊波の機嫌を損ねてしまったらしい。理由はわからないが。


 俺は頭を掻きつつ、


「‥‥‥なんなんだよ急に‥‥‥」


 独りごちるのだった。

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