七月七日。午後三時過ぎ。


 あたし、伊波朱莉いなみあかりは商店街から猛ダッシュで帰宅した後、軽く鬱モードに突入していた。


「詰んだ‥‥‥完全に詰んだ」


 部屋の隅っこで体育座りをしながら、あたしは魂が抜けたような声を上げる。

 もうダメだ生きる気力が湧いてこない‥‥‥。


「‥‥‥はあ」


 それにしても、迂闊だった。

 あんな事になるくらいなら、いっそのこと短冊を回収しに行くんじゃなかったなぁ‥‥‥。


 いや、後悔するならもっと前か。そもそも、短冊に願い事なんて書かなきゃよかったのだ。


 ほんと、あたしって空回りしてばっかり。



 一旦、今に至るまで流れを整理しよう。


 今日、商店街で七夕祭りが開催されることを知っていたあたしは、事前に短冊に願い事をたくさん書いていた。そして、午前中のうちに短冊を笹に括り付けた。


 けれど、家に帰った後でやっぱり人目を気にしたあたしは短冊を回収することに決めたのだ。


 しかし、そこで問題が起きた。

 再び戻ってきた商店街にて、あたしは偶然にも幼馴染と遭遇。反射的に声をかけてしまった。


 そして色々あって、あたしが書いた短冊の内容を見られてしまった。


 一応、まだあたしが短冊を書いたと確定はしていないものの、確定演出が出ているようなものだ。弁解もせずに走って逃げちゃったし‥‥‥。



「‥‥‥うわああああああほんともう何やってんだろ! せめて、適当な言い訳の一つでもするべきだったでしょ、絶対!!」


 あたしは、髪の毛をぐしゃぐしゃに掻きむしる。


 ずっと心内に秘めていた想いがバレた。

 しかも、一番バレちゃいけない人にバレた。


 こんなの耐えられそうにない。元より、あたしは豆腐メンタルなわけで。

 告白して振られるのが怖いから、ずっと気持ちをひた隠しにしていたのだ。


 それなのに、七夕に浮かれて、短冊に願い事を書くくらいなら‥‥‥と、妙な行動力を出してしまった。


「うおおおお時間よ戻れええええええ!」


 あたしは、近くの壁に何度も頭を打ち付ける。


 傍から見たら、狂気の沙汰だけれど、今はもう藁にもすがる気持ちだった。不可能だと知りつつも、時間が巻き戻ってほしくて仕方ない。


「ちょ、ちょっと何してるの? やめなさい朱莉」


 突然、聞き慣れた声が割り込んでくる。

 振り返ると、青ざめた顔をするお母さんがいた。


「ああ、母君ですか」

「母君って‥‥‥いつからそんなにお母さんのことを敬うようになったのよ」

「いえいえ、いつもいつも尊敬しておりますとも、さて、此度はどうされましたか?」

「アンタ、熱でも出してるんじゃないの?」

「大丈夫ですわ、お母様」

「どう見ても大丈夫じゃないわね」


 お母さんは、頭を抱え小さく首を振る。


「小太郎君が家に来てくれてるんだけど‥‥‥その調子じゃ帰ってもらったほうがよさそうかしら」

「え? 久我が来てるの⁉︎」


 小太郎ってのは、幼馴染の下の名前だ。


 あたしは、勢いよく立ち上がり、お母さんとの距離を詰める。


「ええ来てるわよ。部屋に上がってもらった方がいい?」

「うん。上がってもらって! あ、でも、五分。五分だけ時間頂戴」

「わかったわ」


 お母さんは、部屋から出て一階へと戻っていく。あたしは即座に部屋の片付けを開始した。


 さして散らかっているわけじゃないけれど、一通り整理整頓がしたいのだ。

 大急ぎで部屋中を駆け回り、室内を掃除する。


 多分、これで大丈夫。綺麗な女の子の部屋だ。


 あたしは、腰に手をつき額の汗を拭いとる。一仕事した後の達成感はなかなかに充実感をくれる。


 さて、そろそろ久我が来る頃だけど──



「──え、ちょっと待って。なにこの展開」



 ふと、あたしは冷静になる。


 久我が家に来てくれたことで勝手に舞い上がっていたけれど、よくよく考えてみたらこれはかなりヤバいのでは? 


 短冊の一件があった直後だ。家に訪ねてきた理由はそれ関連しかないだろう。

 あたしは、冷や汗を浮かべながら狼狽する。意味もなく、部屋中をグルグルと歩き回った。


「‥‥‥どうしよどうしよどうしよう。や、やっぱ帰ってもらった方がいいかな。でも、せっかく来てくれたんだし。でもでも──」

「──入っていいか?」


 あたしが独り言を呟いていると、扉の外から声が聞こえた。少し低めの男の子の声だ。


 こうなったらもう後先考えてはいられない。あたしは覚悟を決める。


 動き回っていた足を止め、床に腰を下ろす。

 そして、緊張で裏返りそうな声をどうにか調整しながら。



「‥‥‥ど、どうぞ」



 彼を部屋の中に招いたのだった。

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