2

 雷光が這い上がる邪鬼を蹴散らしつつ、川縁に押し寄せる邪鬼を排除。

 風流は地獄から這い上がってくる者を押さえつけ、水面の固定。

 緑水が地獄へ通じる入口全てを、施錠する為氷結。

 全ての任を完遂し、残るは周りに溢れている邪鬼たちのみとなった。地獄から地上への唯一の道を塞がれ、氷の下では邪鬼たちがひしめき合い騒いでいる。一息つくヒマもなく広場で暴れる邪鬼たちの浄化に取り掛からなければならない。

「はー…やっと終わったのに…次はこっちかー…」

「まだイケるか!?力使い切ってないだろーな!」

「雷光は余り過ぎです。風流が普通なのですよ。私も正直言えば少し休憩したいですね…まっ無理でしょうけ…ど!」

川縁に浮いていた緑水へ下から邪鬼が飛びかかった。緑水は剣を一振りしそれを排除。ふうっとため息をついた。

「ちょっと力はあまり自信ないかも…しばらく槍だけでいくよ」

「なら…ほら、槍こっちにちょっと突き出せ」

 少しだけ風流の元に近づき、片手を出して槍を貸せと言ってきた。風流は意味が分からなかったが、言われた通り、手の上に槍を近づけた。雷光は掌に稲妻の塊を作り、突き出された穂先にそれを押し付けた。

「ちょ!何するのさ!」

引っ込めようとした槍をグイと掴まれ、強く引き留められた。

「まー待ってろ…ほい、出来た」

雷光の手が離れ、槍の重みが一気に手に伝わる。慌てて槍を持ち直し、穂先のそれに気づいた。

「これって…」

「おう!俺の雷の気をくっつけといた。これでしばらくはやり過ごせんだろ。槍だけに」

「こんな時にダジャレ?」

「こんな時だからだろ。俺が力を貸してやったんだ。しっかりやれよ」

槍の穂先にバチバチと戯れる稲光。心なしか、槍の重さが軽くなった気がした。

「すごい…こんな事出来るんだ…ありがとう」

「お前が風だからな、誰とでも出来るぜ?今後なんかあったら他のヤツにでも貸してやるんだな」

「今度試してみるよ」

雷光はそのまま駆けだしていき、邪鬼の中へ突っ込んでいった。風流は未だ欄干の上でバチバチと鳴る槍を持って、どう切り込んで行こうかタイミングを計っていた。

「きた…じま君?」

声が聞こえた。だが、空耳なのか実際に聞こえているのか分からない程、小さい声だった。風流は前者だと考えて放っておいた。そのまま宙に軽く浮き、邪鬼のいる方へ近づいていく。

「やっぱり!北島君!!北島君!!」

今度は、はっきりと声を聞き取れた。女の子の声。けれど、閻魔王でも天羅でも陽火でもない。どこから聞こえているのか辺りを見回し、邪鬼のいる一帯辺りで、必死にこちらへ来ようと掻き分けながら進んでいる者があった。掻き分けながら『北島君!』とずっと叫んでいる。

 目をこらし、その人物の正体を探ろうとしたが、肌がどす黒く、邪鬼の見た目と似てそっくりだった為、あまりよく分からなかった。風流はもっとよく確かめようと、構えかけていた槍を横にだらんと垂らし、邪鬼のいる一帯に行こうとした。

「何やってるんですか風神様!武器を放棄するとは何事です!?敵はまだこんなにいるというのに!」

側で剣を振るい、ひたすら邪鬼を浄化していく阿形にそれを咎められた。しかし自分の生前の名を呼ぶ者に刃物を向けることは、したくなかった。

「知り合いが!いるかもしれないんです!名前を呼ばれて」

「当たり前じゃないですか!邪鬼は堕ちた魂です、知り合いが一人や二人、いても何ら不思議ではない。自殺や殺人を犯した者はもれなく地獄へ送られる。あなたもご存じではないのですか?」

 知っているー。正確には、知っていたが忘れていた。余りにも邪鬼の姿が醜く、元、人だったという事実を心から排除してしまっていた。

 邪鬼は元・人だった者。生前、他人を殺めてしまったり、自分の命を自分で終わらせた者。人を殺めるに値する過ちを犯した者が地獄に堕とされ、暗く、臭気の溢れる閉ざされた世界で、堕ちた魂は互いを罵り合い、罵倒し、醜い姿に成り下がる。

 生前の行いを悔いることなくただただ恨み続け、ひたすら他人を憎み続ける。長い年月をかけ、堕ちに堕ちた魂は次第にどす黒く、見た目も醜い姿へ変わっていく。驚いたことに、そういった変化に本人たちは全く気付かないのだ。

 その中の一人、髪が長く、タンクトップを着ている女性がこちらに必死に向かってきている。風流は一度立ち止まり、その者の動向を探ると共に、よくよく顔を見た。

「どっかで…見たような…」

 そんな気がした。

 女性は段々とこちらへ邪鬼を掻き分けながら近づき、ある一定の距離でその足を止めた。

「ねぇ、北島君でしょ?覚えてる?私、クラスメイトだった藤上奈美ふじがみなみ。一回だけ隣の席になったこともあるわ…覚えて…るわよね?」

 藤上奈美。確かにそう言った名前の女生徒がクラスメイトにいた。目の前にいる彼女にも見覚えがあった。けれど、隣の席になった記憶は覚えていなかった。

「ごめん…君の事は覚えてるけど、隣の席になったかどうかは…あまり…思い出せない…どうして、そっちにいるの?」

 正直に思っている事、感じたことを言った。すると彼女の顔は、明るげな表情から、パッと瞬時にショックを受けたような悲しい顔に変わり、今にも泣きだしそうな表情へと変化した。

「覚えててくれて嬉しいのに…隣になった事覚えてないの?教科書を貸してあげたこともノートをあげたことも覚えてないの?私が、ポケットに内緒で突っ込んだ手紙…読んでくれたでしょ?」

「て…がみ?」

「そうよ?あなたが授業に集中している時にこっそり忍ばせたの。読…んで、ないの?なんで?どうして?あんなに一生懸命書いたのに…徹夜で、何度も何度も書き直したのに!!!どうして!?」

悲しみに暮れた表情をみるみる怒りの表情へと変えていき、藤上奈美の顔は怒気を含んだ、臭気溢れる顔色へと一変した。身近だったものが、こうも変貌を遂げる様は見ていてとても不快で受け入れがたいものだった。

 怖気づき、恨みを真っ直ぐに放たれた風流はつい、後ろへ一歩後退してしまった。

「馬鹿!下がんな風流!!」

雷光の注意も空しく、下がった表紙に橋の段差に足を取られ、尻もちをついてしまう。

「うわっ!!」

後ろへ倒れ込んだ風流へ、邪鬼が襲い掛かろうと押し寄せてこようとした。

「どけ!!!これは、私の物だ!誰にも譲らない!!」

 怒気を含んだ声音が響き、襲い掛かろうとした邪鬼を静止させる。そこからぴょんと躍り出た何者かが、風流に襲い掛かり押し倒した。

「北島君…私ね…ずっと好きだったんだよ?どうして…どうして気づいてくれなかったの?どうして死んじゃったの……やっと、会えた…今度は離さない…」

藤上奈美だ。さっきの怒声は彼女が放ったものだった。奈美は風流の上に跨り、その首元へ手を回した。

「何してる風流!!さっさとそいつを引きはがせ!!!死にたいのか!!」

雷光も必死で怒鳴りつける。が、風流の手は動かなかった。

「でき…ないよ…」

 彼女は泣いていた。悲しみに顔を歪めながら、黒い涙を流していた。その涙は風流の衣服に黒いシミを作り、延々と流れ続ける。

「藤上さん…ごめんね…僕、気づいてあげれなくて…ごめんね」

風流はこれ以上刺激しないように、奈美に生前の謝罪をいれた。手紙はきっといじめっ子たちが処分してしまったに違いなく、風流は欠片も悪くないのだが、この場合は仕方がなかった。恐らく、説明しても通じない。なら否を認めるしか方法がなかった。

「ほんとに?ほんとにそう思ってくれてる?」

「うん。思ってるよ。だから、手、外してもらっていいかな?」

 未だに風流の首には、奈美のひんやりとした冷たい手が重ねられていた。力は入っておらず、ただ添えられているだけ。けれど、あまり気持ちのいいものではない為、一刻も早くその手をどかしてほしかった。

 奈美の手は、するりと首元から移動し束縛がなくなる…かに思われた。

「じゃあ私と一緒にいてくれるよね?私ね一人で寂しいの。だからこれからはずーーーっと一緒にいれるよね?ね?」

「あ…僕、やらないと、いけないことがあって…」

「一緒に来てくれないの?」

首元から離れかけた手がピタリと静止する。

「ごめん…」

途端。彼女の手が強く、首えお掴み締めあげ始めた。

「くる…し…い…よ…ふじ…が…みさ…っ」

「来て…くれないのなら…私の物になってもらう。ずっと…一緒よ…北島君…誰にも、渡さない」

風流はもがいた。首に絡められた指先を解こうと、彼女の細い手首を握って引きはがそうとした。だがビクともしない。恨みに染め上げられた腕は女性の物ではない、とてつもない腕力で風流の首を締めあげる。

「がッ…は…っ」

腕を振り解こうにも力が強すぎて、指の一本すら振り解けない。次第に息が出来なくなり、気が遠くなる。

「あはっははは!!あとちょっと!あとちょっとで私の物…早く!早く!!」

彼女が笑っている。必死に気道を確保しようともがくも、風流の腕力は彼女に敵わない。先ほどの力の放出と、段々と薄くなる意識によって、腕力は通常の半分以下に低下していたからだ。

「うおりゃああああああああああああ」

雄たけびをあげながら誰かがこちらへ突っ込んでくる。奈美はいち早く察し、風流の首根っこを掴んだまま、空高く跳び上がる。

「離れろ邪鬼!!!そいつを離せ!!!」

怒りくるった雷光が、体ごと突っ込んできた。突進は空振りになり、馬乗りになって風流の首を締めあげていた手は離れることなく、そのまま頭上へとジャンプをし、雷光のタックルを躱した。

「誰だ貴様!私と北島君の邪魔をしないで!彼は私と共にいくの。誰にも渡さない奪わせない!」

首元から手を離し、ぐったりと気を失った風流を小脇に抱え、奈美は怒鳴った。最早言葉の通じない邪鬼、そのものだ。

「その小脇に抱えてるヤツを置いてとっとと立ち去れ!そうすればお前を見逃しておいてやる」

グッと奈美を睨みつけ、バチバチと体中から火花を放ちながら、雷光は言い放った。けれど、怒りで己を見失った奈美にはその言葉は正に火に油。大切なものを奪おうとするものに敵意しかない。

「ふざけるな!!また、また引き離されるのはいやだ!!折角同じ場所へ行こうとこちらへ来たのに!北島君はいなかった…やっと会えた…もう、どこにも行かせない!!」

「狂ってんじゃねぇぞ鬼!!お前らの行く場所はもうここにはない。帰り道はさっき塞いだ。大人しく魂を差し出せ。楽にしてやる」

「黙れ!!どいつもこいつも私の邪魔ばかり…あいつらも…いつもいつも彼の周りでウロチョロウロチョロ…目ざわりだ!!!」

奈美は駆けた。邪鬼が渦巻く間を縫って、小脇に羽の生えた風流を抱えて。

「っくそ!!!」

 弓に矢を番え、思いっきりそちらへ矢を穿つ。奈美の通り道、行くであろう前方へ複数の矢が放たれ、進路を塞がれた奈美は怒り狂い、横にいた別の邪鬼を土台に跳び上がり、矢の放たれていない数メートル先まで跳んだ。

「行かせねぇ…よ!!」

雷光も雲に飛び乗り、下から跳び上がってくる邪鬼に見向きもせず、真っ直ぐ飛んだ。奈美が進む進行方向にあるのは、黒く染まってしまった一本の木。風の層へと続く木が立っている場所だった。

「まだ追ってくる…」

奈美も周りの邪鬼を掻き分け必死で進む。と、

「おい、ねえちゃん、そいつどこ連れてく気だ?わしらにそいつを寄越せ。食わせろ」

風流の片翼をいきなりひっ掴み、奈美を引き留める者が現れた。年老いた邪鬼だ。力が強く、長年地獄で過ごしたその体からは臭気が溢れ、角も牙も生えていた。

「誰だお前!これは私の物だ!勝手に食うな!」

奈美は急いで握り込まれた翼を引きはがしジャンプ。跳び上がり様拾ったロープで風流の体を翼ごと縛りつけた。

「待てガキ!寄越せ!その天使を寄越せ!!」

老人は追ってくる。騒動に気付いた周りの邪鬼たちを巻き込みながら、着地した奈美を取り囲んだ。

「独り占めは良くないぞ嬢ちゃん。食うならこちらにも分け前を寄越せ」

「ダメだ!彼は渡さないし、食べるために連れてくんじゃない!これは私のだ!私と生涯添い遂げるために連れてくんだ!」

「はははは!!ここへきてまで恋愛ごっこか?生涯もなにも、わしらにはもう次も何もない。一生地獄暮らしだ。天使を食えば、上に上がれるかもしれん…そいつを寄越せ!!」

老人の邪鬼も、周りを取り囲む邪鬼たちも、風流を奪い取ろうとジリジリとにじり寄る。奈美は特に力が強い訳でも、並外れた身体能力を持っている訳でもなかった。自分より背丈のある風流を抱えながら逃げきれるハズもなく、アッという間に組み伏せられ、抱えていた風流を奪い取られてしまう。多勢に無勢。当然の結果だった。

「返せ!!私のだ!!返せーーーー」

怒り叫ぶ奈美を何人かが踏みつけ、動かないように押さえつけた。その間もひるむことも痛みを感じることもなく、ただ「返せ」と怒鳴っていた。

「うるさいおなごだな。お前だけにいい思いはさせない。そこでわしらが生まれ変わるのを見ておれ。終わったら指一本くらいはお前にくれてやる」

「いやだ!何言ってる!全て私の物だ!髪の毛一本もお前らなんかに…お前らなんかにいいいいいいい」

奈美の怒気が強まり、辺りに臭気が漏れ出す。彼女の体は膨らみ、二回りほど大きく膨れ上がった。その姿は鬼。そのものだ。もう藤上奈美だったという面影すらなくし、欲望のままに蠢く鬼、そのものに変化を遂げた。

「なんだこいつ!!う、うわああ!!」

奈美を押さえ込んでいた何人かが踏みつぶされ、遠くへ投げ飛ばされる。最早、言葉も、自我があるのかすら怪しい風貌だった。目は釣り上がり瞳孔は開かれたまま、牙と爪は長く伸び、角まで生えていた。その風貌に誰も、近づこうとはしなかった。

「まさか…鬼になった…だと…久々に限界を超えたものを見た…しかしこいつは渡さぬ。わしは生まれ変わるんじゃああ…」

老人が風流を食おうと首元に噛みつこうとしたその時、老人の体は後ろへ吹っ飛び、ピクリとも動くことなく命を落とした。老人の上には地面に埋まっていた灯篭の先端が突き刺さり、それを飛ばした張本人は、ドカドカと風流を肩に担ぎあげ、木の洞へ行こうとした。

「待て鬼!風流を離せ、そいつを抱えて向こうへ渡ることは俺が許さない!」

騒動の行く末を、少し離れたところから見ていた雷光は、隙を見て風流を掻っ攫おうと少しずつ距離を詰め、にじり寄っていた。風流が食われようとしたその時も、駆けだそうとしたが、それよりも早く、目の前を灯篭が飛び越えて行った。唖然としてしまった雷光を他所に、鬼と化した奈美は風流を担ぎ上げ、動き出したのだ。

「お前も…邪魔…する…殺す」

奈美の声はドスの聞いた男の声に変わり、言葉もカタコトになっていた。

「こいよ鬼、俺が相手してやる!」

「雷光!!鬼と化した邪鬼は厄介です!気を付けて!!」

遠くで成り行きをチラチラ見ていた緑水が注意を促した。しかし雷光は返事をすることが出来なかった。鬼と化した奈美が光の速さで雷光の元へ突進し、衝突しかけたからだ。

「っぶね…なんつースピードだよ…」

ギリギリで躱し、ギリギリまでスピードをあげて避けた。相手はまだ、肩に風流を担いでいる。迂闊に攻撃は出来ない。

「逃げた…」

「逃げたんじゃんねぇ!避けたんだよ!」

 雷光は鬼へ躍りかかった。自分の倍はある鬼へ向かって突進する。

 隠し持っていた風流の槍を、鬼へ突き出した。鬼は片手でそれを握り込み、雷光と鬼の力比べの状態になる。

「くっそ馬鹿力だな!女だろ!女ならもっとおしとやかに大人しくしやがれってんだ!」

「黙れ。人の、邪魔、するな!」

鬼はさらに力を籠め、その巨体をうまく使い全体重を押し込むように、槍をググっと押してくる。雷光は後ろへ押され、数歩下がらされてしまう。

「こんなやつに…負けるかよ!!!」

ビリビリと電気を体にまとい、雷光は槍を握る手に力を込めながら、同時に雷を流し込んだ

 鬼の、槍に触れている手から、体へ電気が通り抜ける。その電流はもちろん肩に担がれている風流にも届いたが、あちらへ連れていかれるよりはマシだと判断し、躊躇なく雷光は雷を注いだ。槍を握る鬼の手から煙があがり、効果があることを示していた。

 雷光は機を逃さず、そのまま力任せに槍を押し込む、力が少し弱まっているのか、簡単に押し返すことが出来た。雷の挿入も依然として止めていない。時間の問題だと思われた。

「う…あ…」

鬼の肩で気を失い担がれていた風流から、声が漏れた。雷光が流し込む雷により、目を覚ましかけている。雷光はこれを待っていた。風流を助けるよりも、自力で抜け出してもらう方が話が早いし、何より人質状態が一番厄介の為、早くその枷を取ってしまいたかった。

「起きろ風流!!そんなとこで寝てんじゃねぇ!!!お前のやるべきことを忘れんなよ!さっさと目ぇ覚まして手伝いやがれ!!」

「北島君…起きた?」

鬼もそれに気づき、風流へ目を逸らす。雷光はその一瞬を逃さなかった。

「りゃあああああああ」

思いっきり槍を押し出し、気を横へ逸らした鬼の懐へ突き入れた。

「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

槍は見事鬼の横っ腹に突き刺さり、物凄い悲鳴をあげさせた。突き刺さってもなお、風流は肩の上だ。雷光はさらに雷を流し込み、肩の上から拘束された風流を落とそうと躍起になった。

「おりゃあああ!!これでどうだ!!さっさとそいつを落とせ!死ぬぞお前!!」

「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!」

鬼も、突き込まれた槍を引き抜こうと、必死で槍を握ってくる。が、刺さった槍はなかなか抜けなかった。

 雷光が放つ雷は神聖な力を持つ。体内へ叩き込まれれば例え鬼神であってもその力に影響を及ぼす。ただの鬼が、それも邪気から進化したばかりの鬼に影響が出ないはずはなかった。

 指し口から煙を立たせながら、片手で槍の柄を掴み押し返そうともがいていたが、槍はさらに体に食い込み、雷光の押し込む力の方が勝っていた。

「なぜだ…なぜ…抜けない…なぜ!」

「へっ!当たり前だ!俺のはただの雷じゃねぇ、神聖な光を集約して溜め込んだもんだ。たかが一介の鬼なんぞに防げるかよ!」

鬼は焦っているのか、とうとう肩に担いでいた風流を落っことし、両手で槍を引き抜こうと躍起になった。

 雷光はその瞬間に待ってましたとばかりに槍を引き抜き、光の早さで雲に股がり風流をかっさらった。

「っしゃぁぁぁぁ!!!」

叫びながら、そのまま鬼を置き去りにして邪気たちの群れから抜け出した。

「こっちです雷光!そのまま上へ!」

「おう!!」

緑水からの先導により、さきほど、氷結させた川の方へ雲を駆り、邪気の少ない辺りの頭上を通り抜け、一気に川まで駆け抜けた。下ではまだ、閻魔王の戦士たちと緑水が邪気と戦闘をしている。

「起きろ風流。目を覚ませ!いつまで寝ている気だ」

風流を縛っていたロープを解き、翼を自由に解放すると激しく揺すった。

「ん…う…あ…れ?らい…こ…?」

「あれ?じゃねーだろ全く何回捕まれば気がすむんだお前は…おまけに翼まで縛られるなんて…人から足を奪うみたいなもんだぞ?知り合いだか何だか知らねーけど、気は抜くな」

 まだ焦点の定まらない瞳で、風流はその声の主の顔を見上げた。少し、怒っているように見える。

「え…あ、うん…なんか、ごめん…」

 意識を飛ばすつもりも、彼女を逃がすとか,そういうつもりもなかった。ただ、彼女に戻ってきてほしかった。恨みに覆われた暗い、闇の世界から、希望と光あふれるこちら側へ。一度堕ちてしまった魂は二度と生まれ変わることも、光を見ることもない。そんな暗い中へもう一度堕としてしまうのではなく、ちゃんとお礼を言って、明るくいい人生だったと思わせて浄化しようとしたのだ。だが甘かった。邪鬼は所詮邪鬼だ。自分の罪を悔いることも、他人を許してやることも出来ない、堕ちた魂なのだ。

「お前がそんなだから、あの女、鬼になったぞ。ちゃんと最後まで相手してやれ。それがお前に出来る唯一のあいつへの救いだ」

「鬼?鬼って、邪鬼の憎しみが頂点に達して、恨み度が増幅したらなるっていうあの?最近は出現数は減少してるって聞いてたのに…」

「お前は悪くないさ。お前を食おうとした連中から、お前を取り戻そうと爆発させちまった。あいつはもう戻れない…あそこにいるデッカイのがそれだ。行けるか?」

 雷光が指さした先、邪鬼が蠢く一帯にそれはいた。

 周りの邪鬼よりも二回りくらい大きく、腕を振り回し暴れている。横腹からはどす黒い体液が流れ出し、もうそれほど長くないことを物語っていた。このまま自然に死なせてしまっては意味がない。ちゃんと浄化して、魂を楽にし、解き放つ。それが、風流にできる最後の、彼女への救いの手だった。

「ちょっと、あそこまでは遠いなぁ…」

 鬼がいる一帯にはまだ邪鬼が蠢いている。というか、殺されまいと、鬼神のいる風の層へ邪鬼が押し寄せ、我先に洞へ入ろうと乱闘騒ぎにまで発展していた。このままではマズイ。

 邪鬼同士が争い、数が減るのは構わないが、死した際に放つ、強烈な毒気が辺り一帯に散布され、閻魔の間も地獄と化してしまう。その事態だけは絶対に避けねばならない。

「雷光!このままだと、こっちにも死人が出る。なんとかしないと!」

「数が多すぎる、それに、上下に重なるようにいるからな。上だけ消してもまた下のやつが上へ這い上がってくる。それじゃあ意味がねえ」

「その為に私がいるんですよ」

 二人が振り返った先、少し高い場所にいつの間に移動したのか、緑水がいた。緑の瞳の瞳孔を猫のように細くし輝かせ、左手の甲に右手で触れると、左手を高く掲げた。龍を呼んだのだ。

 流れる水のように体をくねらせ、エメラルドのように輝く肢体を持った、見事な緑龍が雷光と風流の頭上付近に現れた。緑水は緑龍に飛び乗ると、下にいる二人へ下がるように言った。

「少しだけ回復したので、一発なら光を打てます。目標は洞の周辺一帯。少し貯め込みにお時間いただきますので、もしもの場合は援護をお願いします」

「よっしゃ!これで俺らの勝ちだな!ドーンと打ちかませ!」

 風流も答えようと口を開きかけ、また口をつぐんだ。その一帯には奈美だった鬼がいる。緑龍の光に包まれれば、狙い通り彼女も浄化される。けれど、それではダメな気がした。ちゃんと、風流が行かなければいけない気がした。

「雷光…ここ、一人で大丈夫だよね?」

「あ?あーまぁー問題はねーけど…ってお前!まさか…」

「ちゃんと話をしておきたいんだ。僕のせいで彼女を死なせてしまったみたいだし…」

「はぁ?そんなのカンケーねぇだろ?またやられたいのか!?」

「大丈夫だよ。彼女は…あの鬼はもう致命傷を与えられて、長くはここに留まれない。なら、ちゃんと伝えて、納得させて、成仏して欲しい…今なら、きっと届く。そんな気がするんだ…」

 風流は飛んだ。後ろで雷光の引き留める声が聞こえたが、もう迷わなかった。

 少し離れた場所で静止し、彼女を誘い込む。風流の動向を見ていた鬼はすぐに気づいて食いついてきた。

「いいぞ。そのままこっちへ来て。藤上さん…僕がちゃんと終わらせてあげるからね」

 ドカドカと足音を響かせ、洞へ押し寄せる邪鬼の波に逆らい、鬼は風流の元へ辿り着いた。

「北島…君。行かないで…私といてよ…」

「藤上さん…君はなぜ、死んでしまったの?」

質問を投げかけられ、鬼は動きを止めた。

「私は…悲しくて…辛くて…お葬式行っても…納得できなくて…だから、こっちから会いに、行こうと思って…そしたら会えた…私は…間違ってなかった…」

 やはり、彼女の死因は自殺。界・景兄弟と同じく、風流の死により、死なせてしまった一人だった。

「僕のせいで…ごめんね…藤上さんまで…こっちに来させてしまった…」

「違うよ!北島君は…悪くない…悪いのは、あいつらだもの。あいつらが、優しい北島君を追い詰めて殺してしまった…あいつらだけは、許さない…」

鬼の周りが、また怒気に溢れた空間に包まれる。「いけない!」風流はそう思い、話題を切り替えた。

「僕の事、好きだったの?」

「大好き…大好きだったの…一緒に、ご飯食べたり遊園地行ったり、楽しい事いっぱいしたかった…いっぱいお話ししてみたかった…」

いつの間にか、カタコトの鬼の言葉でなく、藤上奈美個人としての言葉に戻り、彼女は涙を浮かべながら話してくれた。

「ならさ、やっぱり、君はこっちへ来てはいけなかったんだ…」

「どうして?どうしてそういう事言うの!?」

「君には生きて、生きて僕の分まで生を楽しんで欲しかった。僕が経験できなかった、いろんな事を経験して欲しかった…」

「北島君…」

「僕はね、友達と楽しくおしゃべりしたり、遊びに行くとかそういう経験は出来なかったんだ。だから、君は僕の出来なかった事を、やりたかった事をして、僕はそんな君を上から眺めていたかった。こんな形ではなく、笑う君を見ていたかったんだ」

「あ…わた…しは…」

 脇腹の傷が広がったのか、鬼の姿の奈美は片膝をつき、痛みに歪んだ表情を浮かべた。

「傷…痛む?」

「少しだけ…でも、こんなの、いいの。もう、いい」

 傷口を見ることもせず、鬼の目は風流から目を逸らさず真っ直ぐ見つめ続ける。鋭かった目つきはそのとげとげしさをなくし、苦しみと笑顔の中間のような表情へ変わった。

「私ね、ほんとは…気づいてたの。あいつらに全部抜き取られて、何も北島君に渡らないことも、影でいじめに合っていたことも…でも、私は何も出来なかった…私だけじゃない。クラスのみんなも、みんな気づいてた…けど、あいつらが怖くて…誰も…何も言えなかった…あいつら、真面目を装ってて、先生からの評価高いし、私たちみたいなのが声を張り上げても全然取り合ってくれないし…だから、見て見ぬふりしてたの…私も、あいつらと一緒…知ってて止めなかったんだもの…私もあなたを苦しめてた…」

「そんなことないよ」

「え?」

「さっきちょっとだけ、思い出したんだ。藤上さんが、いろいろ気にかけて貸してくれたり、たくさん…たくさん声かけてくれた事。僕、空気みたいな存在だと思ってたから…ちゃんと声けて貰えたの、嬉しかったよ…ありがとう…」

鬼の目からは流れ出ることのない、透明に澄んだ綺麗な涙がこぼれ出る。それは、地獄に堕ちれば二度と流れることのない後悔と懺悔の涙。許しと感謝を含んだ浄化の涙だった。

 流れでた涙はポタポタと膝へ流れ落ち、浄化の気を含んだ涙は落ちた場所から煙を立たせた。これでもう彼女は大丈夫。そう、確信した。

 風流は距離を取って対話していたが、グッと距離を詰め、彼女の肩に触れた。冷たく、腐臭を放っていた先ほどと違い、少しだけ温もりを含んだ、フワッと女性らしさの香る彼女は、もう鬼ではなくなっていた。

 通常、鬼から邪鬼へと戻ることはない。それと同様に一度堕ちてしまった魂が、もう一度上へ這い上がってくるこもない。けれど、雷光により与えられた致命傷と、目の前に現れた最愛のものにより、負の力が弱くなり、許しの心を取り戻した。

 彼女はきっと消えてしまう。けれど、邪鬼としてではなく、一つの魂として終焉を迎えるだろう。

「藤上さん、これ…よかったら持って行って。いつかきっと、また会おう」

自分の翼から、羽根を一枚差し出し、彼女手渡した。地上で天使と呼ばれる風の力を秘めた、加護の力を持つ羽根だ。風の導きにより、道を見失ってもまた会えるようにと願いを込め、手渡した。奈美は手を差し出し、羽根を受け取ると風流を見あげた。

「これ、北島君の?」

「うん、僕の翼のやつ。良かったらもらって」

「ありがとう…大切にするね」

羽根をギュッと握り込み、ここへきて初めての満面の笑みを浮かべた。同時に彼女の体は崩れるようにその場から消えて無くなった。

 ちゃんとここに何も残すこともなく、彼女はいなくなった。

「逝ったか」

いつの間にこちらに来ていたのか、雷光が側によってきていた。

「うん。ちゃんと」

「一度堕ちた魂に、生まれ変わりはない。いいのか、ウソ伝えて」

「いいんだ。彼女には笑っていて欲しかったし、悲しみながら逝くよりずっといい。それに羽根、渡してあるから、もしかするかもしれないし」

「甘いんだよ、お前は」

「雷光に言われたくないけどな」

「どーゆー意味だよ」

「さーね」

「お前、緑水さんに似てきたな…」

緑水の守りを閻魔の部下に任せ、こっそり、こちらへ邪鬼が雪崩れ込まないよう配置についていたのはバレバレであった。雷光も風流に甘々である。

「緑水さんの方に戻ろう」

「いや、このまま木の元に行くぞ。あっちはもう終わったっぽいからな。俺たちで後片付けだ」

 雷光と風流は、緑龍により蹴散らされ、大半が、浄化されいなくなった邪鬼の元へと武器を抱え向かった。

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