結・ここから

 外で大の字に寝転がり、汗を滴らせ肩で大きく息をしながら、雷光は空を眺めていた。

緑水とのケンカはいつもの如く負けた。力ではもちらん雷光のが上だ。だから雷光は、今日こそ一発は殴って、緑水に一泡吹かせてやろうと思っていた。だがやはり、緑水のが一枚も十枚も上手うわてだった。外へ先に出ていた雷光は、広場で仁王立ちをして待ち構えていた。しばらくして出てきた緑水は、社の入口から一歩も動かず、雷光を汗だくの状態にした。

「っくっそ…許さねぇ…言いたいこと全部言いやがって…」

緑水は、力は敵わないが、他は雷光よりも優れまくっていた。

 頭を使って勝負したのだ。

 有り余る知識と経験と無駄知識をフルに使い、雷光へありとあらゆる事実を含めた言葉を吐いて罵った。雷光は言い返す間も与えられず、恥ずかしいことや、なぜ知っているのか耳を疑う秘密を、緑水の口から延々と漏らされ、耳に手を当て、言葉が入り込まないよう大声を出して、汗を拭きだしながらわいわいと騒いだ。それなのに、緑水の冴えわたるような澄んだ声は塞いだ事実を物ともせず響いた。

 空気中の水分に声を乗せ、体に流れる水分へと流し込み、響かせたのだ。

 龍神は侮れない。いつもそう感じた。でも、今日こそはイケるはず!といつも向かっていき、いつも返り討ちに合ってしまう。

「いつも…どっから俺の情報仕入れてくんだよ…ストーカーかよ…」

「あなたのストーカーにはなりたくないですね」

がばっと起き上がり、そこに腕を組んだ緑水と、驚いて突っ立っている風流がいた。どうやら話がついたようだった。

「天羅様に伝えたか?」

「ええ。今から出発です。立てます?」

雷光は、馬鹿にすんな。と言わんばかりに反動をつけ、飛び上がるように立ち上がった。

「どうしたの雷光?平気?」

風流の純粋な気遣いが今はただ恥ずかしい。

「大丈夫ですよ風流。彼は自分で勝手に暴れて自分で勝手に疲れてるだけですから」

ニコニコと笑顔を向ける緑水の向こうで、雷光の瞳がギラギラと輝き睨んでいる。緑水へ指さしながら瞳を鋭くさせ、叫んできた。

「おまっえが!!あーーーー!!もういい!!行く!行くぞ!!洞だったよな!!行くぞ風流!!そんなやつ置いてけ!!!」

ズンズンと、怒りを形にしたような不思議な歩き方で進み始め、呼ばれた風流はオロオロと緑水をチラ見した。

「どうぞ行ってあげてください。私は後ろからついて行きますので。あれはなかなか頑固だから大変かもしれませんが…」

「あ…じゃあ…ちょっと鎮めてきますね」

小走りで雷光の元へ駆けつけ、まだ落ち着きの戻らない雷光を、精いっぱいのボキャブラリーを駆使し、なんとか普段の状態まで沈下させた。単純な雷光は洞の前へ着く頃にはいつも通りへと戻っていた。


 洞の前には、そこを守護する神官が一人立っていた。彼は深くお辞儀をすると、

「お待ちしていました」

と、持っていた杖を木に叩きつけ、大木に光を宿した。眩しく光る大木を見上げ、今から何が始まるのかと、不謹慎だがワクワクした。案の定、それは閻魔王のいる場所へと繋ぐ一連の作業に過ぎず、これから戦いに行くという、ワクワクのカケラもない行程だった。

「この洞は閻魔様へと通じています。危険はないかと思いますが、何分初めての試みなので、その辺だけご了承ください」

神官はそう告げると後ろへ下がり、洞の前の道を開けた。

「なあ、神官さん、ここ潜っていきゃ着くのか?」

突然自分へ話しかけられ、戸惑いながらも神官は答えた。

「そ、そちらに入って頂ければ、後は勝手に動きますので、身を委ねるだけで大丈夫でございます」

「そっか!ありがとな!じゃ行くか!」

「準備運動とかしなくていいの?」

「いや、プールかよ!」

くすくすと緑水も後ろで笑っていた。でも、心構えは必要だと思っている。いきなり入るのはやっぱり怖い。

「俺は先に行ってるから、後からゆっくり来い」

尻込みしている風流を置いて、雷光はさっさと中へ入り、いなくなった。

「雷光?」

呼んでみたが返事はない。

「どうやらあちらに行ったようですね。さて、風流どうします?私が先に行きましょうか?」

最後になったら、絶対あっちに行く気力を無くしてしまう。そう思った風流は前へ進み出た。

「いえ、僕、行きます」

「分かりました。お先にどうぞ」

風流は雷光のいなくなった、真っ暗な洞の中へ足を踏み入れた。途端、ふわっとした感覚が体を包み込み、真っ暗な筒の中を滑り台のように下っていく感覚になると、遠くに見える光る点に向かって落ちて行った。

 落ちる度に段々と光が大きくなり、目の前が眩しい光に包まれ、目を開けていられなくなった。一瞬目を閉じ、次に目を開いた時には、ドスンという音を響かせ、柔らかい何かの上に着地した。

「あ、着いた?」

「おい…そこどけろ風流…」

声は下から聞こえた。真っ暗でよく見えない辺りをまず確認し、下を見る。着地した柔らかい物の正体が雷光であると察するまでに、時間はかからなかった。

「わ!ごめん!」

すぐに飛びのき、雷光へ手を差し出し、引っ張り起こす。なぜ自分の真下にいたのかは何となく分かるが、すぐ動けば巻き込まれなかったのに。と心の中で愚痴っておいた。

「お前来るの早すぎ。もちょっと時間かけて来るかと思ったのに」

「緑水さんが、行かないと先に行くって言うから…」

「あいつ、けしかけたのか…」

 はぁーっと大きなため息を吐き、さっきまで自分がいた辺りを見つめる。緑水の到着を待っているのだ。

 風流は、そちらではなく、辺りをよく見まわした。暗くてはっきりとは見えないが、何もない四角い空間の真ん中辺りに二人は立っていた。左の壁辺りに、長方形の光が縁取るように漏れていたので、きっと出口はそこだ。出ようと思えばすぐ出れそうだが、雷光は律義に緑水の到着を待っている。こういう律義なところが、雷光のいいところだ。

 暗い場所でしばらく経つと、小さな点が突如現れ、段々強くなっていくと、人型サイズまで膨らみ、突如また消失した。光が消えた後には、長い髪をぱさりと揺らす、緑水の姿があった。

「遅いぞ。緑水さん」

「ちょっと、神官の方にお礼等をお伝えしていたので、少々遅くなりました。何かありましたか?」

「なんもねーよ。行くぞ」

 四角い扉へ向けて、雷光、風流、緑水の順で歩き始め、暗い空間から明るい光が差す向こうへの扉を開いた。

 扉を開けた向こう側は、思ったよりも明るい訳ではなかった。薄明かりが室内を差し、先ほどの部屋よりも広めの無機質な空間が広がっていた。ただ、そこには十名ほどの人がおり、全員が開いた扉から出てきた三人へ視線を向けていた。その中に1人がこちらへ近づき代表のように話しかけてきた。

「ようこそ選別の間へ。あなたたちが天羅に遣わされた方々ですね?」

見た目は小学生のように幼く、まだあどけない顔をしていたが、着ている物の豪華さだけが、その存在を示していた。後ろで聞いていた緑水が雷光を掻き分け、前へ進み出た。

「お初にお目にかかります。龍神・緑水と申します。あなたが閻魔王ですか?」

「そうだ。わらわだ。幼い体なのでな、初めて会うやつらには、いつも子供が紛れ込んでいると間違われる」

クスクスと笑う幼い姿。まさかと思っていたが、やはり閻魔王だった。閻魔と言えば、子供を震え上がらせる強面の顔、二本の角と鋭い牙、大きなガタイを有していると思っていたし、確か風流はそっちの閻魔王に会ったことがある気がしていた。でも実際の閻魔王は小柄で、角も牙もなく、あるのはあどけない顔と体、くりくりとした丸い瞳の小動物のような少女だった。

「お、女の子?閻魔王って言うからてっきり…」

「なんだお主。先に名を名乗るのが礼儀ではないのか?龍神を見習え」

体は小さいのに、雷光のようなことを言う少女だった。とはいえ、挨拶は最もな理由だったので、この幼い閻魔王に丁寧に挨拶をかわす。

「すみません。僕は、風神の風流と言います」

「俺は雷神。雷神の雷光だ…です」

ぎこちないながらも頑張って敬語を使おうとしている雷光へ、閻魔はぎろりと視線を向け、

「無理をしなくてもよい。見た目がこんなだからやりにくかろう。楽にせい」

鈴のなるような綺麗な声で、精いっぱいの虚勢を張っている。それがまたなんともかわいいなと風流は思った。

「そこの風神。わらわを抱きかかえよ」

「僕?ですか?」

「お主が風神であろう。他に誰がおる。さぁ、はようせい小僧」

ん!と両手を目いっぱいに広げ、小さい子供がするように抱っこをせがんだ。風流は恐る恐る近づき、脇へ手を差し込むと軽々と持ち上げ、片腕に座らせるようにして抱き上げた。

「よい。やはりちょうどいいな。よし、閻魔がおなごでビックリしたか三神共。目がくりくりして泳いでおるぞ」

「私はそうでもありませんが、他の二人はそうみたいですねふふ。ところで、閻魔王は風神がお気に入りですか?」

 緑水は口角をにやりとしながら、風流の腕の中にぴたりと納まっている閻魔へ向けて、意味深な言葉を発した。

「お主…天羅から聞いていたな…」

「さぁ、どうでしょう」

ニコニコとはぐらかし、違う方向へ視線を向けたが、明らかに緑水は知っていたようだった。二人よりも驚きが少なく、対応の早さがそう教えていた。

「全く。あのおなごは…まぁよい。わらわはこの者が気に入ったのでな。しばらくは世話になるぞ風神!」

「え?あ…はい…」

「閻魔王の好みのお顔はそちらでしたか…少々残念です…」

あからさまに眉毛を下げ、残念気に肩を竦ませがっくりと落としていたが、口が笑っている。面倒に巻き込まれなくてラッキーとでも内心は思っているんだろう。

「お主は、聞いていた通りのやつだの。綺麗な顔して針が山ほど突き出ておる」

「お褒めに預かり光栄です」

「褒めてはおらぬ」

 首に小さな腕を巻き付けられ、ぎゅっと締められそうになりむせかけた。ギリギリで力が緩み、大きなため息を聞こえないように深呼吸の中に封じ込めて吐いた。

そんな中、よく話す緑水とは対照的に、いつも賑やかな雷光が一言も発していなかった。ずっと閻魔王をガン見し見つめ続けている。

「雷光、大丈夫?汗、すごいよ…」

はっと気づき、汗を腕でゴシゴシと拭った。

「なんでもない」

「なんだお主。まだ緊張しておるのか?おい、風神、もちょっと近づけ」

閻魔王に言われ、雷光との距離を詰めていく。雷光は後ろへ後ずさりしようとしていたが、それを緑水が塞いだ。

「女性から後ずさりするとは、失礼ですよ雷光」

「ぎぇ…」

変な声が漏れていた。ついに、雷光との距離はあと一人分の空間を残すのみとなった。閻魔王はまだだ。と風流と雷光が今にも密着しそうな距離まで近づき、雷光の汗ばんだ腕をがしりと掴んだ。

「捕まえたぞ小僧。何を怯えておる?わらわがそんなに怖いか?」

「い…や…違う…子供が…苦手なんだ…」

 思いもよらない苦手宣言だった。あの、横柄で素行の悪い雷光が一瞬で黙り、汗を撒き散らすほどの恐怖に包まれるとは、予想の範囲を超えていた。

「ほほう…なるほどな…お主…昔、我が子を目の前で惨殺されたのか…それもわらわと同じくらいの年のおなご…」

「やめろ!!!それは…言うな…」

雷光はその場にへたり込み、頭を抱えるように沈み込むとブルブルと震えだした。

「風神。下へ…」

風流は座り込んだ雷光と目線を合わせるように、しゃがみこんだ。

「すまぬの。わらわはこれが生業なのだ。許しておくれ…だが、わらわはお主の娘ではない。ちゃんとこちらを見てくれぬと困る。過去を忘れろとは言わぬ。だが、今見ている物も見ず、後ろばかり振り返っているお主を見て、その者が喜ぶと思うのか?前を見ろ。お主にはやるべきことがあろう。次にそのおなごに会う時、胸を張って生きたと言える存在になれ。今を生きろ」

強く、芯のある声で閻魔は語った。見た目は風流と同い年か少し上に見えたのだが、昔の雷光は家庭を持ち、子供のいる立派な父親だったのだ。こちらの世界ではいくらでも見た目は変えられる。

 雷光は出来事が起こる前の、幼かった昔の自分の姿に戻り、こちらで生活をしていた。記憶を封じ。辛かった出来事を忘れた。閻魔王はその記憶を底から引っ張り出し、水面に浮上させ、雷光へ現実を突きつけた。忘れてはならないと。乗り越えなければいけないと釘を刺し、真正面で受け止めさせた。

 俯いて、耳を塞ぐように頭を抱えていた雷光は、顔をあげ、閻魔王を見た。

「それでよい。わらわを見よ。お主の娘ではなかろう?」

悲しみを含んだ目でじっと閻魔王を見つめ、こくんと頷く。

「違う。俺の…多華子じゃない」

「多華子というのだな。…お主の娘は風の層におるぞ。父が迎えに来るのを何百年とずっと待っておる…。乗り越え、さっさと会いに行ってこい。その者は思ったより身近にいるかもしれんぞ?」

頭を抱えていた手を下ろし、一度下を見てから勢いよく立ち上がった。それから天井を見上げ、思いっきり息を吸い、耳をつんざく程の雄たけびをあげた。全員が耳に手を当て、険しい顔で音の侵入を防いだ。

「お主!阿呆か!この上には邪鬼がうじゃうじゃいるんだぞ!聞こえておったらどうするんだ!!馬鹿者!」

雷光は口元を腕で拭い、はぁーーと深めの呼吸をした。

「すっきりしたーーー!!すんません、気づかれたら俺が蹴散らすんで大丈夫っす!」

「もうよい。それより、さっさと作戦を説明するぞ。風神、あそこへ運べ」

 閻魔王が指さした先には、小さなイスがちょこんと置いてあった。イスの側には、三名ほどの男が腰に剣を差して、イスの真後ろと、少し手前の左右に立っている。ほっそりとしているが、目つきが鋭くなんとなく怖い。風流は底の方にわずかにある勇気を呼び起こし、イスのある場所まで脇目も振らず歩き、閻魔王をそこへ降ろした。

「ご苦労。では、これからの流れを説明する。阿形あぎょう吽形うんぎょう、頼んだぞ」

イスの前、左右にいる二人が閻魔王へ深くお辞儀をし、風流の方へ手であちらへ戻れと指示してきた。下がるタイミングを逃し、どうしようかとしていた所への指示だった為、怖かったが同時に有難かった。風流は緑水と雷光がいる位置に急いで戻り、ふうっと一息ついた。閻魔王は軽い、軽いが長時間あの体制は正直緊張するしきつかった。

「解放されてよかったですね風流」

「他人事だと思ってます?」

フフと笑った緑水が少し羨ましく、その何かを含んだような笑顔が策士だなと思わずにはいられなかった。

 風流は二人と合流でき、知っている顔がいる居心地の良さに安心した。知らない場所で知らない人に囲まれるのは少し怖い。

「では、作戦を説明します。私の名は阿形。横の青いマントを纏った者が吽形です」

阿形と名乗った物は、ひょろりとしているわりに声が低く、吽形とは違う色の赤いマントを纏っていた。吽形はぺこりとお辞儀をしただけで、特に何も話さなかった。

「地獄への川は知っていますね?三途の川と呼ばれる物です。あなた方がこちらに来る際に渡った橋の下に流れているのですが、覚えていますか?」

阿形はこちらへ問いを投げかけた。誰が会話へ発展させるかは目が合った人。そういった感じだ。風流は目を逸らせ、下を見ながら考えるフリをした。

「確かに橋渡ったなー川もあったような?気がする?」

雷光が何気なく呟き、そのまま流れるように会話に持ち込んだ。

「俺があそこ渡ったの、百年以上前だしなーんー」

「こちら側の形は長年変わっておりません。その橋で間違いはないでしょう。そしてその橋から二十メートル程先に、地獄へ落ちる魂が流れ落ちる穴があります」

「その穴塞げばいいのか?」

雷光が話を遮り、質問を被せた。阿形はギロリと鋭い眼差しで返した。

「最後まで聞いてください雷神様。その穴から橋までの間二十メートルの区間。そこを塞ぎます」

「マジかよ…広範囲すぎる…」

「はい。ですから、あなた方に助けを要請致しました。私たちだけでは、あの大きさの範囲を囲って潰してしまうのは不可能です。ですので、雷神様、龍神様、風神様、お力をどうかお貸しください」

一瞬の沈黙が、場に流れた。

「そのつもりでこちらに降りてきたのですが、そちらには伝わっていなかったのですか?」

ケンカを売っているのかいないのか、穏やかな声音で緑水が口を開いた。

「申し訳ありません。一応確認をせねばと思いまして…」

「伝わっていたようで良かったです。ですが、その辺の気遣いは無用ですので、時間を無駄にしない為にも、お話を先に勧めて頂いてもよろしいですか?」

作ったような張り付いた笑顔が、阿形へ向けられた。阿形は一度、グッと唇を噛むと、ごほんと咳を入れてから話を続けた。

「で、では、具体的な作戦なのですが、その二十メートルの範囲外で未だに溢れ湧いている邪鬼は、我々と雷神様にご対応をお願いします」

「うおっしゃ!任せろ!」

「…風神様、龍神様には、その範囲の水面の封鎖を、風と水の力を使いお願い致します」

「なるほど、やはりそう来ましたか…」

「封鎖って…」

風流はまだ風の扱い方がそこまで上手ではない。けれど、それは全く関係なく、重要な位置づけに置かれてしまっていた。作戦を告げた阿形は、こちらの動きを次にどう出るかじっと見ていた。

「風神サマ。不安デスカ?」

吽形がここで初めて言葉を話した。なぜかカタコトだったけれど。

「あの、僕はまだなったばかりで…その…」

「心配には及びません。風神が入れ替わったという情報もこちらへ入っております。ですのでそこを考慮した配置です」

「力の扱い方は私が教えますよ風流。コツは、同じようなものですから」

緑水の助け船に、風流は土下座しそうな勢いだった。元々風を使うことはそんなに上手くはなかったので、コツだけでも学んで恥をかかないようにしたい。

「作戦は一時間後くらいに開始する。それまでに各々準備を。わらわは少し奥で休む」

阿形・吽形の奥にいた閻魔王は、もう一人のイスの後ろにいた従者に抱かれ、奥へと引っ込んでいった。残された者たちは、準備運動したり、武器を磨いたり、ただ単にぼーっとしていたりと様々だ。風流は緑水の元へ行き、指示を仰いだ。緑水は指先から、野球ボールくらいの大きさの水を出現させた。

「では、この水の塊を風の力を使い、四角に変えてください。コツはイメージすること。空気を自在に操れると自分を信じる事です」

「四角…イメージ…」

緑水の指先の上でプカプカと浮かんでいる水塊に両手をかざし、力をこめる。イメージ、四角…空気を…水塊がべしゃっと潰れた。力を籠めすぎたのだ。

「力みすぎですね…もうちょっと肩の力を抜いて…う~んとそうですね…砂をいじるイメージで」

「それだと分かりづらいだろ。アレだ!粘土、触ったことあんだろ?あれを丸から四角に作り変えるイメージだ。出来るだろ風流」

「分かりやすい例えですね雷光。たまには役に立ちそうです」

「たまに、は余計だ」

緑水は再び指先に水塊を作り、風流の手元まで差し出した。風流は肩の力を抜き、深呼吸を一度すると、両手をかざし、粘土をイメージした。丸く捏ねた粘土を、手の中で四角く作り変えるイメージ…。すると、水塊がボコボコと動き始め、丸い部分が少しずつ押しつぶされていき、小さな四角い水塊へと変わった。

「出来た…」

「さすが俺が見込んだ男だ!うんうん!」

「やりましたね!では、何度かこれを大きい塊でやっていきましょう。極力、力の浪費は避けたいので、三回だけですが、あなたならきっと大丈夫です」

「はい!ありがとうございます!」

グレープフルーツサイズの水塊、サッカーボールサイズの水塊、ビーチボールサイズと三段階で大きくなっていき、一つずつ、時間をかけてゆっくりと慎重に取り組み、球体から四角い姿へ変化させていった。

「まぁこのサイズが出来れば大丈夫でしょう。一時間でよくここまで頑張りましたね風流」

 全ての水塊の形を変え、緊張の糸が切れてしまった風流は、その場にペタリと座り込んだ。汗を滲ませ、力を放出し続けた両手は緊張が解け、小刻みに震えていた。

「緻密なコントロールが、ここまで大変だとは思わなかった…」

「お前さ、力みすぎなんだよ。本番はもちょと肩の力抜けよ。じゃないとお前が先にぶっ倒れちまうぞ」

「うん、分かってる。初めてだからちょっと緊張してただけだよ。出来るってわかったからもう少し楽にできると思う」

「だといいけどな」

 風流が座り込み、壁にもたれかかって十五分ほどすると、奥から閻魔王が従者に抱っこされて現れた。座ることなく、ずっと立っていた阿形と吽形は仰々しくお辞儀をすると、閻魔王がイスに座るのを待ち、こちらへ目配せをすると、一歩イス側へ近づいた。言葉には出さなかったが、こちらへ来いという合図みたいだ。

 雷光も風流も座っていた体制から立ち上がり、緑水はもたれかかっていた壁から背中を離し、腕を組みながら近づいた。

「みんな揃っておるな。では、今より作戦を開始する。三神共はこやつらが出て行った後、最後尾にて出撃してくれ。戦線の開始だ!」

『おーーーー』というドスの聞いた声が響き、横にあった螺旋の階段へ、阿形を先頭に戦士たちが突っ込んでいった。

「俺のアト、ツヅク。イイカ?」

どうやら、戦士たちの最後尾に吽形がつき、風流ら三人を先導してくれるみたいだ。

「サキに、雷神イク。龍神、風神ミチビク。我々モ、カワにフタリヲ、ミチビク」

 吽形の後ろに雷光、その後に風流と緑水が続けという意味みたいだ。最後の戦士が階段を登り始め、吽形はそれに続いた。順番通り三人も後ろに続く。

 階段を登り切り、開けた講堂のような場所に出た。そこではも戦闘が始まっており、閻魔の戦士と邪鬼が入り乱れている。数の少ない閻魔の戦士は、持っている剣や槍を振り回しあっという間に倍以上いる邪鬼を浄化していく。思った以上に戦士が強く、邪鬼が弱かった。それも当たり前で、鍛え抜かれた者と、ただ地獄から這い上がってきただけの者と差があるのは当然だった。

「これ、俺いらなくね?」

「ココ、マダ少ない。外ウジャウジャいる。アッチヤバイ」

「外のがヤバイってか?上等だぜ!!俺が片付けてやる」

雷光は雲を出し、そこに飛び乗った。

「行くぞ二人とも!外突っ切ってさっさと終わらせようぜ!」

さっさと講堂の出口へ向かう雷光は弓矢を構え、入口付近にいる邪鬼を薙ぎ払い、一気に道を切り開く。

「全く、無理しますねあの子も」

と言いながらも緑水は優雅に歩を進め、雷光が切り開いた道へ滑り込んでいく。風流も後に続き槍を片手に進んでいった。時折、こちらを襲ってくる者もいたが、緑水の双剣が弧を描き、踊るように薙ぎ払い、次々と浄化されていった。

「まじかよ。やっぱ強いな。神ってやつは…」

遠くから、戦士の一人がそう呟くのが聞こえた。優雅に舞うように剣を滑らせる緑水はそれだけで美しく、まるで剣舞を見ているようだった。目を奪われるのは納得が出来る。

「うお!マジだ!外やべぇ…ゴミみたいにウジャウジャいるし、真っ黒すぎてキモイ…」

我先にと入口に到着した雷光は、着くなり外を見てそう叫んだ。最も、邪鬼は飛べないので、頭上を行けば、あっという間に川まで辿り着けるのだが、そのことに閻魔も阿形たちも触れなかった。つまり頭上を飛んではいけないということだ。

「あーもーじれったいな!地べたをのろのろ行くのは性に合わねぇ!!」

「耐えてクレ、雷神。頭上はキケン。ヤツラ、ジャンプ力すごい。カエルミタイ。ドッカラ来るか予想ツカナイ」

「飛ぶのかあいつら!?あっちではそんな気配なかったじゃん…」

「恐らく天界では抑圧され、思うように動けなかったのでしょう。こちらではその制約もないので動き放題なんでしょうね」

なるほど、こちらを見つけ次々と向かってくる邪鬼には、天界の時のようなノロノロさはなかった。素早いというほどでもないが、人間の時の行動力そのままに動けていた。少々めんどくさい。

「風流!この辺一帯を薙ぎ払います。少し、下がって頂けますか!」

緑水の声に、後ろへついていた風流は、多めに間隔を開けた。そこへ緑水の剣舞のような双剣が弧を描きながら次々と邪鬼を退け、浄化していく。上下左右に突き出される剣は美しく。とてもしなやかだった。

「これじゃあキリがない!!やっぱ上から行こうぜ!そっちのが手っ取り早い!」

「まぁ仕方ないですね。下からのやつは私が防ぎましょう」

ビュンと雷光が上に飛び上がり、緑水が水分で足場を作り跳び上がる。風流も遅れないよう翼をはためかせた。

 三人が上昇し、吽形と戦士たちがあっけに取られ、戦いながら上を器用に見上げていた。緑水は、手にたいらに直径一メートルくらいの水塊を出現させ、それをポトリと、真下へ落とした。落とされた水塊は、緑水の足元辺りで静止し、じゅわっと染み入る様に横に広がっていった。それは邪鬼のいる頭上を覆い、三人の進行方向へと流れていき、止まった。

「これで下から飛んできても水の壁にぶち当たって終わりです。さぁ進みましょう」

「これ、始めっからやってりゃ早かったのに」

「無理言わないでください。力は温存しておきたかったんですよ。最後に大仕事が待っていますしね」

 三人は、邪鬼のもじゃもじゃとした波を一気に駆け抜け、川縁へとものの数秒で到着した。

「やっぱこっちのが早かったな…てゆーか、まだ出てきてねぇ?どんだけいるんだよ…」

「まずは、この流れを立たないといけませんね、雷光」

「わーかってるよ!」

全身をバチバチとさえ、弓矢を思いっきり引き、矢を数百本と川から上がってくる邪鬼へ向けて一斉に放った。邪鬼たちは、くっついていた壁から剥がれ落ち、粉々になって浄化され消えていった。川から這い上がってくる者は、雷光が止めてくれている。今のうちに緑水と風流とで水面を凍らせ、封じなくてはならない。

「風で、抑え込めばいいんですよね?」

「はい、その後、私が端から凝固させていきますので、しっかりお願いしますね風流」

邪鬼が跳んでこない川の中央、氷結予定の二十メートル幅、丁度真ん中辺りに配置につき、深く深呼吸をして、両手を川へ合わせて突き出し、思いっきり風を発生させ川面へ吹き付け拡散した。思いっきり噴射し、風で水面を押さえつけ、邪鬼が出てこようとするのを防ぐ。ずっと風を発生し続けなくてはならず、思ったより重労働だった。

「っく…、重い…」

川の下には地獄が広がり、そこから這い上がろうとする邪鬼たちが、川面を押し付ける風を押しのけようと下から押してきていた。風流は負けないよう必死で力を籠め、緑水へとバトンを渡そうと気力で押さえつけた。

「緑水さん!」

風流が青筋を立てながら叫び、バトンを繋いだ。準備をしていた緑水は橋があるのとは逆方向の川の端その中央に陣取り、手をかざし、水面を氷で覆い始めた

「っぐ…くそっ…大人しくしててくれよ…」

 下から突き上げるようにガンガンとした刺激が手に伝わり、地響きのように響く。上へ這い上がろうと必死にもがく邪鬼の力がダイレクトに響き、押さえつける手に力が籠り、震えが始まる。

「耐えろ耐えろ耐えろ。僕は、お前らなんかに負けない!っくそ!!」

 言葉にして、なんとか自分を奮い立たせ、風を放出し続ける。横を見る余裕もなく、周りが今どうなっているのかも分からない。合図があるまで、風流はひたすら耐えるしかなかった。段々と邪鬼が集まってきているのか、底から突き上げる力が強くなってきていた。このままでは時期に破られ、突破されてしまう。そう考えていると、ふいにフッと突き上げる力が軽くなった。

「よっしゃ!ヒットぉぉぉぉ!」

雷光の声だ。雷光が稲妻を放ち、入口付近に溜まりまくっていた者たちを、下へふるい落としたのだ。

「ありがとう雷光!軽くなった!」

「おうよ!」

どういった顔をして、どういった行動を今しているのか、こちらから見ることは出来ないが、恐らく川の側に居座り、這い出てくる邪鬼へ次々矢を放ちながら、こちらに目を配りつつ戦ってくれている。下から突き上げる力が薄くなり、さっきよりもだいぶ楽に没頭することが出来た。

 緑水が凍らせた部分からは、押さえの風を除かせていき、力を放つ部分が徐々に狭まって行った。雷光が蹴散らした邪鬼も時間を追うごとにまた集まり、押し上げてくる。その度に雷光が稲妻を放ち、地へ突き落した。

「風流!後半分です!頑張って!」

「はい!なんとか!いけそうです!」

「残り突っ切るぜーーー!!!」

雷光のテンションの高さは、緊張感に包まれている風流の心を解し、指揮を上げる力があった。風流は風の力をさっきより多めに放出し、地獄から侵入しようとする魂を圧で押さえつけた。

「やるじゃねぇか風流!俺も負けてらんねぇなぁぁぁぁぁ!!!!」

雄たけびのような声を発し、明るい閃光が視界の端に強烈に移り込んだ。雷光もラストスパートをかけたようだった。

「もう少し…頑張って…」

緑水の声がとても近くで聞こえた。二十メートルあった範囲の半分、十メートルを凍らせ、ついに風流の飛んでいる地点にまで到達した。風流はそれを確認すると、風の力を放ちながら、邪鬼のいない橋の欄干の上まで飛び退り、そこから作戦を続行した。

「イイゾ!サスガ神、我々、ヒツヨウナカッタ」

いつの間にか、吽形ら一行も邪鬼を蹴散らしながらこちらへ辿り着いていた。

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