夢の中で、風流は昔受けていたいじめの真っただ中にいた。

 自分のネクタイで手首を後ろ手に縛られ、数人から殴られていた。地面に無理やり膝立ちで立たされ、サッカーボールのように蹴られながら、ひたすら暴力に耐え、痣を増やしていった。蹴り疲れたいじめっ子たちは、蹴るのをやめ、地べたにうずくまる相手の髪をぐしゃりと掴み、その辺からむしり取った雑草を口の中へ押し込んだ。無理やり顎を動かし、口の中の雑草を噛み砕かされ、中へ水を流し込むと、吐き出さないように口をテープで塞ぎ、そのまま手を離し地面に転がした。

 口の中で草と水が大雑把に混ざり合い、パンパンになったまま塞がれ、行き場を無くしたそれらは、地面へ倒れ込む衝撃で半分ほど胃の中へ直行してしまった。その際咳き込み、口から吐き出すことの出来ない空気は、鼻の中から抜けようと道を作り、空気と水と雑草とが混ざり合った物が、鼻から鼻水と共に漏れた。周りにいたいじめっ子たちはこれ見よがしに携帯で写真を撮り、面白そうに側にいた全員へ送り共有した。

 雑草が喉に詰まったままなので、咳は止まることはなく、そんな姿に危険を感じた一人が勢いよく口のテープをはがした。途端、口の中にあった物は全て吐き出され、その圧迫感がなくなったからなのか、吐き気が押し寄せ、胃の中の物も全て嘔吐してしまった。それを見た周りの者たちは『きったねぇ』とか『ゴミくずのくせに』とか『顔面トイレ』とかありとあらゆる暴言をかけながら、倒れ込んでいる相手を無理やり立たせ、両脇に腕を突っ込み固定すると、側にあったホースがついた蛇口の水を、ホースの先を押しつぶし、勢いよく水を浴びせかけた。全身に、鋭く、勢いのついた水が浴びせかけられ「痛い」と叫ぶも止まることはなく、両脇を固定され逃げることもままならない。顔を必死で俯かせ、顔面へ当たるのを避けていたが、それも気づかれ、側に立っていたもう一人に無理やり上を向かせられると、ホースの水を的のように口の中目掛けて放ち、口の中へ直接当てた人の勝ち。というゲームまで始まった。頑張って閉じていた口も、水圧に負けてこじ開けられそうになり、鼻の中へも何度も水が入り咳き込む。全員一周し、二巡目に入った時、界が口の中へ見事に水を当て、このゲームは終わりを迎えた。両脇を抱えていた者たちが離れ、これで満足したのか、崩れ落ち、地面に倒れ込んだ瞬間、縛られていた手も自由になった。全身ビショビショで、地面に撒かれた水の上に倒れ込んだ為、更に泥だらけになったが、なかなか起き上がることができず、長い時間そのままだった。

 ようやく自力で起き上がり、震えあがるほどの悪寒に襲われたが、壁を使ってどうにか立ち上がることが出来た。気付くと目の前に人の足が見えた。黒く、淀んでおり、とても人のそれではないように思えたが、形は人の足だったので、人だと思った。おぼろげな目でその人物を確かめようと目線をあげると、景がいた。顔はまだ黒く染まっておらず、足元から黒い何かがゆっくりと浸食していき、体全体を黒く染めていっていた。恐ろしくなり、一歩後ろへ後ずさると足がもつれ、尻もちをついてしまった。景はゆっくりと歩み寄り、

「逃げないでよ、ねぇ、どうして行っちゃったの?ボクと遊ぼうよ」

と言いながら近づいてきた。金縛りにあったようにその場から動けず、黒く染まっていく景を震えながら下から見つめ続けた。

 足元まで迫った景は、真っ黒く淀んでしまった顔面をにゅっと突き出し、目の前まで迫ると、

「ねぇ、聞いてる?」

と目の前で目を見開いて言葉を放ち、右手で首を掴もうとした。出しかけた悲鳴は喉の奥に仕舞いこまれ、ただ恐怖にまみれたまま目を閉じ…


 目が覚めると、そこはベッドの上だった。

「う…ん…」

「おっ!目ぇ覚めたか!おーい!風流が目を覚ましたぞ!!」

白い天井に白い壁、眩しい光がどこからか降り注ぐ、明るい室内に置かれたベッドの上で風流は目覚めた。斜め横で雷を出しながら、手元で形をいろんな物に変化させ、時間をつぶしていた雷光が気づき、違う部屋で事後処理に励んでいる二人を駆け出していき呼び戻した。

「おい!大丈夫か!?体、なんともないか!?」

 天羅と緑水へ呼びかけた雷光は、すぐさま側へ舞い戻り、瞬きだけを繰り返す風流の元へ駆け寄ると、具合がどうかを聞いてきた。まだボヤボヤとする頭を使い、体中の状況をなんとなく探ってみたが、毒気や痛みのようなところは特になかった。

「うん…なんとも…ないみたい…痛みも…引いてる…」

「そか!よかった!!あーーマジ勘弁だわ…」

それだけ確認すると、雷光は視界から見えなくなり、どさりという音が聞こえた。風流は固まってしまった体を起こし、ベッドから起き上がると、壁にすがって項垂うなだれている雷光へ視線を向けた。

「だい…じょうぶ?」

「それはこっちのセリフだろーが…力全部持っていきやがって…」

「え…?何の話?」

記憶が悪鬼に捕えられている状態で止まってしまっている風流には、ここがどこかも、なぜ自分の傷が治り、毒気も払われ、ここで雷光が座り込んでいるのかも何も分からなかった。

「ねぇ、雷光…僕は…いったい…」

ここがどこなのか、気を失っている間のことを聞こうとしたとき、入口から二つの人影が現れた。

「風流!よかったですわ!わたくしこのまま目覚めなかったらどうしようかと…」

「無事に目覚めたようですね、お体の中で何か変な箇所などはありませんか?」

入ってきたのが、緑水と天羅だったので、なんとなく場所だけは分かってきた。とりあえず、違和感のある所はなかったので、それを緑水へ伝えた。

「そうですか、なら大成功ってところですね」

「何が大成功だよ…こっちはヘトヘトだっつうの…」

「おかしいですね、わたしたちはわりと平気なんですが…」

「バケモンかよ…」

相当疲れてしまっているのか、さっきまで風流が寝ていたベッドに寄り掛かり、頭をのっけると、そのまま眠り始めた。

「え、寝ちゃうの?え?」

「安心して、疲れが出てきたのでしょうね。とりあえず、算段が決まるまで彼を寝かせてあげましょう」

「起きてても役に立たなそうですし。その時まで、力を取り戻して貯め込んでいただかないと」

算段?力を貯め込む?風流には意味が分からなかった。

「あのー、僕ってどうしてここにいるんですかね?雷光…なんでこんなに疲れてるんでしょう?僕、記憶が…なくて…」

「ああ、そうでしたね。あなたが気を失った所くらいからお話ししましょう」

緑水は腕を組み、今まであったことを簡潔に語り始めた。

 風流が気を失ってから、リリが助けに入ったこと、身代わりに下へ落ちて行ったこと、風の戦士たちは水晶の中に避難し、彼らとその民たち、雷光と天羅、緑水が浄化の力を風流へ注ぎ込み、なんとか毒気を出して傷を塞いだこと、そして、リリは今、炎の層から移動し、水の層にいるはずで、陽火が穢れた風の層へリリと入れ替わるように残っていることを話した。

 風流は黙って話を聞きながら、自分を助けるために尽力してくれたみんなのことを思った。生きていた頃、蔑まれ、散々馬鹿にされてきた風流には、考えられない出来事だった。

「僕…なんかの為に…みんなが…リリさんまで…」

「なんかではありません。あなたは立派な風神ですもの、変わったばかりでまた風神が入れ替わるなんて、そんなの前代未聞過ぎて、わたくしもイヤですわ」

「ということですので、今更、愚痴、あるいは反感は一切受け付けませんので、文句があるなら雷光に言ってやってくださいね」

「いや…それはだいぶ…恐ろしいことになりそうですので、やめておきます…」

 別に言いたいことも何もなかったのだが、雷光へ問い詰めたら、きっと倍に怖い感じで返ってきそうだったので、そこは否定しておいた。一応横で寝ているし、もしかしたら起きていて聞いているかもしれないので、後で詰め寄られないようにと思ったから。

「まぁそれは冗談として…」

「冗談なんですね…」

「終わったことをグチグチ言っても無駄ですからね。そんなことよりもこれからどうするかです。雷と炎、水の層はあと少しで事態の収集が可能と知らせが入りました。陽炎とは未だに連絡がつきませんし、私の層に連絡を取ってリリの所在だけは確認が出来ましたが、今のところ情報はこんなところですね」

肩を竦めて話ながら、今現在把握していることを風流へも伝えた。

「風の…風の層は…もう…」

「風の層は悪鬼へ奪われてしまい、それからの現状が分かっていませんが、恐らく今も地獄から邪気が這い上がってきているでしょう。そこで提案なのですが、一度閻魔王の元へ行き、地獄の入口を閉じてしまおうかと思っているのです。先ほどまで、閻魔王へ連絡を取ろうと通信を行っていました」

「閻魔とは、密かに連絡を取っていたのですが、あちらもずっと地下に隠れている為、事態の把握に時を要しているようです。わたくしたちは今、連絡を待っているところなのですが、風流としてはこの作戦、どう思いますか?」

 言われたことを言われた通りやろう。と話を聞きながら思っていたので、可否を問われ一瞬迷った。といっても、事はもう始まっているので、いいか悪いかを言うだけでいい。だが、いい加減な回答は、頭をひねって真剣に考えた人に失礼だと思い、真剣に頭を巡らせて答えを出した。

「上が塞がれているなら、元を断つのは大事だと思います。ただ、今の人数だけだと難しい気がするんですけど…そこは大丈夫なんですか?」

「人数は問題ありません。閻魔の元にも強いものが何人かいるので、彼らにも力を貸してもらうつもりですしね…という事で、このまま作戦を続けていきましょう。閻魔王から連絡が入り次第お伝えするので、風流はこのまま、雷光の子守りでもしながら休んでいてください」

「僕はもう大丈夫です。緑水さんこそ、休んでいないのではないですか?」

尋ねると、意外だったのか、端正な顔をキョトンとされ、少し微笑みながら、

「私はわりと図太いので、大丈夫です。ご心配ありがとうございます」

風流の頭をぽんと叩くと、そのまま出口に向かって歩き、部屋から出ていった。後を追うように天羅も出口の方へ向かい、振り向きざまに風流へ向き直った。

「緑水はああやって強がってはいますが、わたくしも彼も休養が必要です。ですので、しばらくこちらで休んで頂いて、わたくしたちにお休みの時間を稼がせてくださいな。頑固な緑水を言いくるめるにはこれくらいしか出来ないので、ご協力、お願いしますね」

と、小さく告げると、同じ方向へ消えていなくなった。あとに残ったのは、隣でイビキをかきながら寝ている雷光と呆然と座っている風流の二人だけだった。部屋では雷光のイビキだけが響き渡り、それ以外の音は一切しない。話し相手もいないため、どうしたものかと思っていると、

『よう、風流。お前、危なかったぞ』

不意に声が頭の中に響いた。横を見たが雷光は未だに寝こけている為、彼ではない。首をひねって、辺りを見回し、思い出した。失念していたが、風流の中には祐樹がいる。彼が話しかけてきたのだ。

「見てたの?」

『なんとなく』

「何で今まで黙ってたのさ」

『や、なんつーか、タイミング?失って?みたいな?』

「みたいなって何だよ」

『だからなんとなくだよなんとなく!』

フフフと小さく笑いをこらしながら、変わらない友の声色に嬉しさと懐かしさを感じた。

「で、何かあったの?話し掛けてきたってことは何かあるんでしょ?」

『ん?得にってほどではないんだけど、風流が気を失ってる間、俺には一応まだ意思が残ってて、声だけは把握できたんだ。こいつ…雷光だっけか、めっちゃお前のこと心配してたぞ。目覚めたら礼いっとけよ。ここまで運んだのもあいつだし』

横で無邪気に眠る雷光を見やり、普段は口の悪い彼の、温かい部分に間接的に触れた気がした。

「うん。起きたら言うよ。で、それだけ?」

『え?あーうーんと、景?だっけ…あいつはヤバイ…からもう関わるの止めとけよ。あいつのお前への執着心は異常だ。お前昔、あいつと、何があったんだ?』

 何があったか。それはあまり口に出したくない内容だった。言ってしまうと、きっと軽蔑されてしまいそうな、そんな内容だった。だが、ここまで大きく膨れ上がってしまった事態を、自分の内だけに留めておくのはイケない気がした。

「昔話として、聞いてほしいんだけど…僕、あいつに脅されてて…逆らえなくて…トイレで…裸にされて…尿を…かけられて…そのまま…個室に閉じ込められて…一時間我慢したら…服返してくれるって…言うから…逃げられなくて…裸だし……殴られた後…とかにも…服の上からかけられたりも…何度も…」

『まじかよ…あいつ極度のドSなの?』

「…だと思う。いつも楽しそうな顔してたし、首絞められて、死にそうになったことも何度もあったし、何でも言うこと聞くペットみたいだって、界が言ってた。娯楽の一つなんだよ」

『気色わりーな。ただ単に自分のモノだと勘違いでもしてんだろーな…キモッ』

祐樹の言い分は最もだ。風流も何度も吐き気を催して、何度も吐いた。思い出すだけでも気持ちが悪くなる。最後の方にはその行為がバレ、教師などに相当怒られたらしく、やり方と場所が変わり、もっとひどくなった。河川敷の橋の下で大人数での暴行後、景一人が残り、どこで手に入れたのか、スタンガンを持ち出して、ボロボロになった所へ打ち込み、気絶するまで何度もやられた。

「何で僕なんだろうって何度も思った…別にお金持ちでも、成績がいいわけでもないのになんでだろう…って…」

『お前、それマジで言ってる?』

「大真面目だけど、何で?」

『妬ましかったんだろーよ。自分では気づいてないかもしれないけど、風流、お前…相当イケメンだぞ?』

「いや、まさか…それはないよ…僕そんなに目立ってなかったし、いっつも顔に痣作ってたし、告白されたことだって別にないし…」

『平和だな…平和ボケだな…そんだけ顔がよければ妬まれる。おまけに本人に自覚がないのは最悪だ。立派すぎる標的だな。告白されなかったんじゃなくて、出来なかったんだろうさ。どうせ、そいつらが全部握りつぶしてたんだろ…手紙の事とか女子に聞かれたりしなかったか?』

 昔の事を思い出してみた。確かに教室移動の際や、パシリで、買い出しに購買へ行かされている時、何人かの女の子に、手紙読んだか聞かれたような記憶があった。もちろん受け取った覚えは一切なく、不思議な顔を向けると、そのまま返事も聞かずに駆けだしていったので、それが何だったか分からず、記憶の奥底に仕舞いこんでいた。

「あった…かも…」

『だろ?きっとそいつらが、早めに登校するかなんかして、ラブレターなるものを片っ端から排除してたんだろうな。全く…女の子の純粋な気持ちを握りつぶすとか最低・最悪だな、そいつら…で、悪魔に堕ちたのか…なるほどな…』

「僕…全然気づかなかった…」

『とりあえず、自分が人より、並外れた容姿を持っていることを認めるんだな。優しいし、身長もあるし、肌白いし、モッテモテだったんだぞお前絶対。自信持て!あいつらが、風流のツラを汚したり穢したりしたのは、お前がそいつらより優れていたからだ。人は…自分より優れている者の事を、持っていないものを妬む生き物だからな。それが自制できないやつらはただのケモノだ。猿以下だな』

 もしも、靴箱や、机の中にあったかもしれない、ラブレターを受け取っていたら、昔の状況は少しでも変わっただろうか…。終わってしまった事に、もしもは存在しないけれど、もし、自分を認めてくれる人が側にいたなら、きっと状況は大幅に変わっていたと思う。少なくとも、自分の価値に気付くことが出来て、地獄のような生活からは脱却出来ていた気がする。だが、そうはならなかった。風流は気付くことなく、そのまま地獄の中で生き続け、一度生を終えた。けれど、こちらで天国と呼ばれる場所で生活し、無くした青春を取り戻そうと、祐樹という新しい友と共に、夢のような日々を再スタートすることが出来た。悪くはない日々だった。

「手紙を…もらってたとしたら、悪いことしちゃったな…」

『受け取ってないんだから、風流は悪くないさ』

「でも、出してくれたのは間違いないんだし、ちゃんと、受け取ってあげたかったな…怒ってないといいな…」

クラスメイトにいた女の子の顔は、もう思い出せない。生前の記憶は、ほぼいじめ時の強烈な記憶が占めていて、細かいことはモヤが掛かり、よく分からなかった。でも…自分に一つも価値がないと思っていたことが、偽りであったことが嬉しかった。自分の価値を見出してくれた、女の子たちに感謝を伝えたかった。と思った。

「顔とか、思い出せないけど…僕が死んだあと、悲しんでくれてるといいな。僕が生きてたこと、覚えててくれてるといいな…」

「お前、何さっきから独り言いってんだ?」

ハッと気づくと、さっきまでイビキをかいて寝ていた雷光が、頬杖をついて不審げに風流を見上げていた。

「え…いつから起きてたの…?」

「う~んと、記憶があるのは、告白されたことがない。って所くらいから」

ちょっと前から会話を聞かれていたみたいだ。正しくは独り言だが…。別に気まずい内容は聞かれていないので、もごもごする必要はないのだが、なんか、恥ずかしかった。

「…声…かけてくれたっていいのに…」

「半分寝ぼけてたし、いつ気づくか見てるのも面白かったし、ほっといた。で、独り言は楽しかった?」

「独り言じゃないし!祐樹と…祐樹と話してたんだよ。雷光には聞こえないかもしれないけど…」

「あーやっぱりか。ま、こっちに聞こえてはいないけど、そっちのオトモダチには聞こえてんだから、実質聞こえてるよーなもんだろ」

「その理屈おかしくない?」

「そーか?」

「そうだよ」

寝て起きたばかりの雷光と、会話を不意打ちで聞かれて恥かしくなった風流の間に、しばしの沈黙が訪れた。雷光はまだ眠たそうに目元をこすりながら、横で大きなあくびを出している。風流は天井を見上げ、

『ごめん。祐樹、またあとで話そう』

『いいよ。雷光様の相手してあげなよ。ヒマそうだし。俺はいつでも、ここにいるからさ』

それっきり声は聞こえなくなり、祐樹はどうやら奥に引っ込んでいった。風流は意識を現実に戻し、横にいる雷光へ声をかけた。

「あのさ」

「なんだよ」

「ありがとう。僕、いっぱい雷光にお世話になったみたいだから」

「な!だ、誰から聞いたんだよ!あ!そいつか!祐樹ってやつか!あいつ…余計な事伝えやがって…元に戻ったら一発殴る」

「暴力は良くないよ?教えてくれたんだから、感謝しないと」

深く深呼吸をしながら、ベッドに突っ伏し、

「うっせ…忘れろ…」

うつぶせたまま、布団に声を半分吸収され、こもった声が雷光から漏れた。どうやら柄にもなく照れているみたいだ。

「なんで照れてるの?」

返事はなかった。その代わり、空いていた手でドシっと軽く風流のお腹にパンチを入れた。

「ちょっと、なんで殴るのさ」

「痛くないだろ、こんな赤ん坊みたいなパンチ」

相変わらず突っ伏したまま、もごもごと話している。雷光が照れると少しめんどくさいなと、小突かれたお腹をさすりながら思った。

「二人とも、こちらへ来ていただけますか?」

ふいに声がした出入り口の方を見ると、緑水が手招きしながら二人を呼んでいた。ベッドへ突っ伏したていた雷光も顔をあげ、そそくさと立ち上がる。

「なにぼーっとしてんだ、行くぞ」

さっきまでの彼はどこへ行ったのか、何事もなかったように緑水の元へ歩き出した。風流も遅れまいと急いで二人の元へ駆けつけ、三人で目的の場所へ行く。

「天羅様、二人を連れてきました」

「ご苦労様です。緑水」

緑水へ案内された場所は、階段を上がった所にある、あの転生の間だった。天羅はそこで水晶とにらめっこをして、険しい顔で見つめていた。

「わたくしたちが行きます。道だけでも確保して頂けますか?」

『善処しよう』

強い意思を持った、天羅とは別の女の人の声が、部屋に響いた。どうやら、天羅と会話をしていた水晶の中の人物の物のようだった。女の声はそれきりしなくなり、訪れた静寂が通信の終わりを物語っていた。通信を終えた天羅は、一度大きなため息を吐くと、入ってきた三人へ視線を戻し、先ほどまでの会話の内容を語り始めた。

「閻魔王と話がつきました。あなた方は、あちらへ行って地獄への扉を閉じる任について頂きます。道は閻魔側が開けてくれますので、行き方に心配はいりません」

「待ってくれ。この人数で行くのか?天羅様はここ動かないんだろ、三人だときつくないか?」

「閻魔の部隊が何名かこちらへついてくれますので、人数の心配はいりません。わたくしはこちらに残って状況の把握をしなくてはなりません。あなた方があちらへ行っている間に、雷・炎・水と連絡を取り合いながら、風への侵攻へ向けて作戦を練っておきます」

「あの!」

声を出したはいいが、今の空気で聞いていいものか迷い、尻込みしてしまった。全員の瞳が風流へ集まる。なかなか話そうとしない風流にくたびれた雷光が、肘で風流を小突いた。

「何黙ってんだよ。さっさと言えよ」

いつもなら腹が立つところだが、キッカケをくれた雷光に感謝した。

「あ…あの、リリさんは、無事だったんでしょうか?」

「彼女は無事ですよ風流。今、清めの泉につかって汚れを癒しているところみたいです。後で私の者に頼んで通信を繋いでもらいましょう」

「ありがとうございます!緑水さん!」

ずっと気になっていた引っ掛かりがなくなり、ストンと何かが抜けた。

「ずっと気にかかっていたのですね。これで取っ掛かりはなくなったかしら?」

「すみません…もう、大丈夫…です」

話の流れを急激に折って逸らしてしまい、恥ずかしくなった。

「では、話を戻しますね」

天羅はにこやかに笑ってくれているが、風流はなかなか顔をあげられなかった。

「準備が整い次第、天のうろからあちらへ向かいます。出口は閻魔のいる地下側に設定し直したそうなので、邪鬼から襲われる心配はありません。あちらに着いてからは、指示は閻魔から直接もらってください。わたくしは一切介入が出来ませんので悪しからず」

つまり、閻魔側に着いたら、こちらからの救援は一切受けられないということだ。力を万端に整え、万全の状態で行かなけばならない。そうしなければ、行ってすぐこちらへ舞い戻ってしまう状況になりかねない。

「私からも一ついいでしょうか。風の層に行ったまま連絡が途絶えていた陽火から、連絡が入りました。彼女は今、悪鬼に捕らわれ、洞に縛りつけられているそうです。足と翼を汚されたらしく、自力で動くことは不可能。つまり、早くしないと彼女の魂も危険です。幸いなことに、悪鬼たちはやはり、神聖な場所である風の社へはまだ近づけないみたいです。今はひたすら、邪鬼と共に大地を黒く染めあげているようです」

「閻魔との作業が終わり次第、こちらへ戻ってきて頂き、風の層へ参ります。まだ作戦は練っている途中ですので、あなた方が戻られるまでには、他の層の者たちと吟味しつつ整えておきます」

ここで天羅と緑水からの話は終わった。重苦しい空気は一気になくなり、明るい、いつもの雰囲気が流れる。

「よっしゃ!じゃ、行くか!」

「え、もう行くの!?」

「話、聞いてました?全く…小さい脳みそちゃんと動かしてくださいよ雷光」

「あーーーー!!!言ったな!!!緑水さん!!!殴る!!!ぜってぇ殴る!!!ちょっとこっち来い!!!」

部屋中に響き渡る大声で雷光は緑水にケンカを吹っ掛けた。だが、緑水はすました顔で全く動じず、清々しいまでの微笑みを浮かべ、清々しいまでの毒を吐いた。

「全く。血気盛んな若者はこれだから…一昨日来やがれカス野郎。です」

雷光は顔を真っ赤に染め、今にも飛びかからんと踏み出したが、何かを悟り、急にその動きを止めた。

「ここではアレだから表でろ」

「昔懐かしのヤクザですか、あなたは…」

「ヤクザじゃねぇ!どっちかっつうとヤンキーだ!あんな野蛮な集団と一緒にすんな」

ふんと鼻を鳴らしながら、雷光はこの場を出て行った。折角穏やかな空気に戻ったのに台無しである。

「ちょっと子供の子守りしてくるので、後お願いします」

「フフフ…程々にね、緑水」

怒りの源が去り、何故かふわふわとした空気がその場に流れた。出て行こうとする緑水へ、フフフと笑いながら、天羅は手を振り緑水を見送った。

 天羅と二人きりになりしんと静まり返った室内で、先ほどの荒々しい空気を払拭した、明るい声音が響いた。

「風流。リリとお話しされますか?」

意外な言葉が発せられた。二人を止めてくれとか、そう言った言葉が来るとてっきり思っていたのだ。

「いいのですか?二人止めなくて?」

「ええ。いつもの事ですし、どうせ雷光は緑水に勝てませんしフフ…リリとゆっくりお話しできるのは今しかないでしょう。どうします?」

二人の事は気になる。気になるけれど、放っておいていいと天神が言うのなら、まいいかと、もう一つの、心の取っ掛かりを排除することに決めた。

「お願いしても…いいですか?」

「では、こちらへ」

風流は天羅のいる上座へといき、天羅と並ぶように水晶の前へ立った。

「わたくしの水晶は、全域への通信が可能なのです。ここに並ぶ他の水晶は、それぞれの層へしか通信が出来ませんが、こちらは、念じればどこへでも、連絡を取ることが出来ます。では、始めますね」

天羅は水晶へ両手をかざし、水の水晶へと呼びかけた。ぼうっと光始めた水晶の向こうに人影が写り、男の人が天羅を迎えた。天羅はその男の人へ風流を紹介し、リリを呼んできてもらうように頼んだ。男の人は一度いなくなり、しばらくして

ピンク色の人影が現れた。

「風流さん!ご無事で良かったですわ…あたくし、最後に見たのが、あんなだったので、心配しておりましたの…」

「リリさんこそ…元気そうでよかった…僕を助けて頂いたみたいで…ありがとうございます。お蔭で助かりました!」

リリは涙ぐみながら、風流の言葉を聞き逃さないよう水晶にいっぱいに近づき、二つの谷間が目の前に迫った。

「リリさん…あの、ちょっと、近すぎかも…です…」

「そうですか?うーんと…これくらい?」

リリは二歩ほど、後ろへ下がってくれた。それでようやく谷間は遠のき、顔もしっかり写り込んだ。

「あ!そこジャストです!」

「良かったですわ。風流さんは今からどうされますの?あたくし…炎神様に助けて頂いたので、そちらも心配で…」

風流は天羅を見た。天羅は軽く頷き、問おうとしたことを悟ったのかニコリと微笑んだ。

「リリさん、陽火さんは無事です。今はまだ悪鬼の元にいるようだけど、僕らが必ず助けるので、心配しないで待っててください。僕、こんなだし、役に立つかは分からないけど、みんなと頑張ってみます」

「いいえ。風流さんは立派にお強いですわ。あたくしたちの為に、身を差し出そうとされたんですもの。今だって逃げ出そうとせず、真っ直ぐ事態を受け止めてますし、みなさんのお役には立っても、足を引っ張るよようなお人では、もうないですわ。自信を、無くさないで。あなたは風雲様がお認めくださった、立派なあたくしたちの長ですもの」

 傷を負い、雷光や天羅・緑水の力を、底をつきそうになるまで吸い取ってしまい、風流は罪悪感から抜け出せずにいた。もし自分が傷を負わなければ、雷光がベッドにへたり込むような事はなかった。力を補給する必要もなく、すぐに閻魔の元へ出発が出来ていたかもしれない。吸い取ってしまった雷光たちに、いくら気にするなと言われた所で気するし、その事実は消えない。力を受け継いだばかりで上手くコントロールができず、モタモタしている間に風の層は奪われ、陽火も捕らわれてしまった。リリの励ましは、重すぎる罪悪感に比べたら、舞い落ちる木の葉のように軽いが、それでも、冷たく張り付いていた心を少しだけ溶かし、安らぐキッカケにはなった。

「ありがとうございます。お蔭で、少し元気が出ました。僕は僕なりにできることからやってみようと思います」

「はい!風流さんなら出来ますわ!あたくしも自分に何が出来るか模索してみますわ」

リリの顔がだんだんと霞んでいき、ふわりと水晶の光が消え、天と水の層を繋ぐ通信は終わった。光のなくなった水晶を見つめ深呼吸をすると、リリからもらったわすかな勇気を噛み締めながら部屋の入口を見つめた。

「お顔が、先ほどまでと見違えるようですね。やっと、気持ちができましたか?」

「はい。こういった経験値はまだまだ雷光や緑水さんの足元にも及びませんが、僕は僕にしか出来ないことを見つけて、二人の役に立てるようになりたい。僕にしか出来ないこと、絶対あるはずだから、それを必ず見つけます」

横に立つ天羅へ向けて、決意を含めた視線を送った。受け取る側の天羅も優しく見つめ返し、柔らかい笑みを送った。

「おや?風流、少し凛々しくなりました?」

入口の壁にもたれ掛かり、澄ました顔で両手を組んだ緑水が立っていた。

「お帰りなさい。終わりました?」

「ええ。しっかり躾をしときました」

「あらあら手厳しいフフフ」

緑水がここにいて、雷光がここにいないということは、やはり負けたのだろうか。明らかに緑水の方が力が弱そうでとてもケンカになったら勝てそうではないのに…

「あ、風流。もしかして疑ってます?私が雷光に勝てるわけないと?」

ドキリとした。頭の中を読まれたのかと思うほど的確な思想だった。

「いや!そういうわけでは…意外だなって…思っただけで…」

「ケンカというのは、何も手と足を使うだけではないのですよ。風流も知っておくと今後の役に立つかもしれませんね」

「やめてくださいな!純粋無垢な風の者を、あなたたちの野蛮な争いに巻き込まないでください!」

「ひどい言われようですね。私、潔癖なつもりだったんですけど」

「昔からあなた、お腹の中真っ黒なのお忘れみたいですね?雷光を煽り立てるのも段々上手になってしまわれて…」

はいはいと言わんばかり肩をすくませ、風流に『おいで』と手招きをした。

 風流はぺこりと横にいる天羅に軽く会釈をすると、緑水の方へトテトテと向かった。緑水は向かってくる風流をチラと見て、くすりと笑った。

「フフフまるでワンちゃんみたいですね。あ、失礼、これ誉め言葉ですので勘違いしないでくださいね?かわいいなぁって思って」

「僕、身長、百七十あるんですけど…」

「背は関係ないですよ。人は中身です。魂が大事なのですよ風流。外見だけで見てはいけません。もちろん、外見も大事ですけどね?あなたみたいなイケてるメンズくんには必要のない事です」

まただ。自分の事とはいえ、自覚していなさすぎて、ムズムズするのだが、褒められることに慣れていないので、こういう時、どうしていいか分からない。

「僕は、別にイケてる訳では…」

「無自覚なのですねもったいない…今度、大きい鏡の前で手取り足取りお教えして差し上げましょう」

「緑水、そろそろ風流で遊ぶのはお止めになって。準備が整ったから、こちらへきたのでしょう?」

「おや、やはりバレていましたか。雷光もバチバチになってますし、こちらはいつでも。風流もよさそうですね」

ポンと肩に手を置かれ、繊細な指先が視界の隅に入った。気合を入れられた気がした。頭一つ分背が高く、整った顔をした緑水は、それだけで絵になり、長い髪の毛もマッチして、モデルのような姿だった。こんな顔の人が町中を歩いていれば、町は大騒ぎになり、きっとスカウトマンが放っておかないだろうなと思った。

「では、こちらも閻魔に伝えておきましょう。どうか、彼らをよろしくお願いします」

天羅は胸の前で手を組み、お祈りのような形を作り、二人へ告げた。緑水はそれに、執事がするみたいな胸の前に片手を置く恰好を取り、直立すると、真っ直ぐお辞儀をして返した。風流は慌てて急いで自分も深めのお辞儀をした。

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