2
悪鬼の顔は肌黒く、下から見たときには影になり黒い輪郭しか見えなかった。だから、これだけ近付いてようやく、その輪郭をはっきりと顔として拝むことができた。
風流はその顔を知っていた。昔、
「なん…で…」
「お前のせいだ!お前が溺れて死ぬから、俺は!!こうなった!」
意味が分からない。確かに彼らに、いじめの延長で荒れ狂う川に突き落とされ、溺れて風流はここへ来た。だが、その時中田はまだ生きていた。ここに鬼神として存在しているということは死んだということだ。なぜ彼が死んでしまったのか、先に逝ってしまった風流は知らない。
「お前が死んだあと!俺たちはマスコミに追われ、学校にも行けなくなって、親も仕事をなくした!お前が追い詰めたんだ!親はずっと俺らを責めるし、変な電話や手紙も毎日何十件と来るし、俺は耐えきれなくなって、腹いせに夜の校舎から飛び降りてやった!お前が!お前さえいなければ!」
自殺をすると地獄に行くのは知っていた。でもまさか自分がいなくなってから、地上でそんな事が起こり、見知った顔が前任の鬼神を倒してまで、鬼神として自分の前に立ち塞がるとは思っていなかった。鬼神となり、堕ちてしまったかつての同級生は、肌をどす黒く染め腐臭を放ち、目は血走ったように赤黒くなり、声は何人かが一緒にしゃべっているような重複音で発せられ、怒りに満ちた表情をしていた。
怖くなった風流は、槍を持つ力を少し弱めて狼狽えてしまった。悪鬼はその瞬間を見逃さず、そのままぐいっと槍を押し込み、鋭く伸びた人差し指の爪が風流の胸元へ一本だけ食い込んだ。
「うわあああああああ!」
熱い熱い熱い!燃えるような、爛れるような暑さが爪が食い込んだ箇所を襲った。風流はなんとか槍に力をこめ、更に爪を手を、押し込もうとする悪鬼を必死で押し返そうともがいた。
「くそっ!離れろ悪鬼!!!」
風流のピンチを下から流れるように来た刃が救った。飛んできた風の刃は、悪鬼と風流の間へ割り込むように吹き抜け、二人を引き離した。風流は胸元を押さえ、そのまま下へ落下していった。燃え続ける炎のように刺された箇所が熱く、その熱は爪が離れても去ることはなかった。
「風流!」
気を失ったように落下してくる風流を祐樹が飛び上がり、空中で受け止めた。ゆっくりと下へ向かって下ろし、痛みにうずくまり、必死でこらえている風流を見て、悪鬼への怒りが込みあげる。祐樹は上で頬笑んでいる悪魔に視線を向けると、怒りのまま飛び上がろうとした。だがそれを阻止する手があった。
「ダメ…だ。行っちゃだめだ。祐樹は、ここにいて…僕は…大丈夫だから…うっっ…」
「何が大丈夫だ!毒気にやられたんだぞ!浄化しないと全身に回る!風神だか何だか知らねぇけど、お前が大丈夫じゃないことぐらい俺にだってわかる!」
「祐樹、風神になるとね、少しだけ、浄化能力が備わるんだ。だから…心配しないで?全身に回ることはないから。祐樹は行かないで、ここにいてよ…お願い…」
まだ、刺された痛みは引いていない。けれど、祐樹を上の戦いへ巻き込む訳にはいかなかった。巻き込みたくなかった。
「風流!戻れるか!?そろそろ俺一人じゃキツイ!!」
上で雷撃を鎖のようにして、雷光がずっと悪鬼を留めておいてくれていた。悪鬼の片手と片足を鎖に巻き取り、綱引きの様に力を込めて、風流が落下する寸前から、持ち直すまで、悪鬼が追い打ちをかけないようにしていてくれたのだ。
「あいつ何言ってんだ!こいつケガしたんだぞ…それに、悪鬼はお前の知り合いなんだろ。なら尚更お前はここにいた方がいい」
「聞こえて…たの?」
悪鬼である中田の声は怒鳴るように大きかった。けれど、祐樹がいる位置までは距離が開いていた為、ちゃんと聞き取れているとは思っていなかった。
「風の民なめんな。これだけ近距離な範囲にいれば、聞こうと思えばため息まで聞こえる。風流だって知ってるだろ。隠し事はなしだ。友達だったんだろ?」
「友達…なんかじゃない。あんなやつ」
風流は痛む胸元を押さえながら、その手を強く握り込んだ。
「ちがう…のか?」
「なか…悪鬼は、僕を…川へ…」
「最初言ってた、風流をいじめてたヤツ?」
こくりと頷いた。あまり知られたくはなかったけど、悪鬼との会話はどうせここでは駄々洩れなので、隠しても仕方がないと思った。昔もいじめる側といじめられる側で、交わることは決してなかったけれど、こちらへ来たらはっきりと、敵・味方という勢力に分かれてしまった。それが何よりも怖かった。昔の辛かった出来事がいろいろとフラッシュバックしてきて、嘔吐してしまいそうな程、気持ちが悪かった。
「でも、大丈夫だよ。今は、僕を心配してくれる祐樹もいるし、雷光も、出会ったばかりだけどとってもイイヤツなんだ。僕らがあいつを止めるから…祐樹は、下にいるみんなを守って」
風流は勢いに任せて飛んだ。まだ疼く胸元から手を放し「大丈夫。耐えられない程じゃない」と自分に言い聞かせ、両手に風刃を巻き起こしながら、悪鬼を一人で引き受け、踏ん張っている雷光の元へその身を走らせた。
「おっせぇぞ風流!危うくこいつを解き放っちまうところだったぜヘヘッ」
余裕を装う言動で、額に大量の汗と青筋を走らせながら、筋の浮かび上がった腕で雷撃の鎖を握り込み、雷光は笑いかけた。
悪鬼は、下から飛んで向かってくる風流を鬼のような形相で睨みつけ、巻き付いていた雷撃の鎖を引きちぎった。
「なっ!?」
突然緩んだ鎖に驚き、後ろへ引っ張っていた力の反動で、雷光は後ろに転げ落ちた。
乗っていた雲の位置を調整し、なんとか落下を防ぐ。
「そっち行ったぞ!気をつけろ!」
雷光は態勢を立て直しながら、上へと飛ぶ風流へ注意を促した。
雷光の鎖から解き放たれた悪鬼は、鎖が巻き付いていた部分から煙を放ち、向かってくる風流の元へ不敵な笑みを投げ、一直線に飛んだ。
自分へ向けられた気持ちの悪い笑みに、悪寒が走り、上へと向かう気力を失いそうになるが、下で竜巻を発生させ、中に巻き込んだ邪鬼を倒し続け、頑張ってくれている祐樹たちのことを想い、感情を押し殺して、両手に発生させた風刃を思いっきり投げつけた。ところが、こちらへ向かってくる悪鬼は勢いを一切緩めず、放たれた風刃を気に留めずにその身で受け止め、黒い血を流しながら、風流の元へ勢いを維持したまま突進し、無防備な首元に手を回すと、その手に力を込めて首を絞めた。
「あぐぁっ…!」
「お前が!!お前は俺が!この手でもう一度消し去ってやる!」
風流は必死でもがき、すっかり姿が変わってしまったかつての同級生へ、何度も蹴りを打ち込んだ。だが、彼はそんなことなどないかのように怒りに血走らせた眼光を向け、一切力を緩めなかった。風流は意識が飛びそうになるのをギリギリで堪え、なんとか腕を引きはがそうと、黒く淀んだ腕を掴み押し返す。がビクともしない。
「風流!少しだけガマンしろよ!」
声と同時に、上から眩い光がもつれ合う二人を包み込んだ。光は雷光が発生させた雷の集合体で、ビリビリとしびれるような突き刺す痛みが全身に襲う。それは悪鬼も同じようで、首に込められていた力が緩み、掴んでいた腕が少しだけ離れた。風流はそれを見逃さず、身を
しばらくは咳が止まらず、呼吸が落ち着くまでその場に静止し、動くのを止めた。その間も、悪鬼を囲いこむ、投げ込まれた雷の集合体から目を逸らさないように注意し、いつ襲ってきてもいいように槍を構えた。
「生きてるか!相棒!」
「相棒って…ゴホッゴホッ…お蔭で目が覚めたよ」
「俺の雷は最強だからな!当たり前だ!お前には大してダメージはないと思うが、鬼神には効果抜群みたいだぞ」
「大してって…ゴホッ」
充分ビリビリしたし、わりとまだ痺れてるんだけど…と思いながらそれを飲み込み、雷の中で苦しそうにもがいている悪鬼を見た。体をくの字に折り曲げたり伸ばしたりしている。明らかに効いていた。効きまくっていた。
「きぃたぁじぃまぁぁぁぁぁぁ!!許さない…お前を…絶対にころぉぉぉぉぉす!!!」
雷に四方八方から打たれながら、悪鬼の瞳は風流を見つめ逃がさなかった。ひたすら叫び続け、ここから逃げ出そうとのたうち回っている。
「どんだけ風流に未練たらたらなんだよコイツ…」
「ごめん雷光…彼は…」
「知ってるよ。お前の仇だろ。会話からなんとなく掴んだ…けど、それは過去の話だ。今のこいつはただの侵入者。不可侵の禁忌を犯した罪人だ。お前が後ろめたいとか、
邪鬼に食われるか、襲われるかして死んでしまった魂は、永久に消滅する。それは文字通り死を意味し、再び生を得ることも、天界へ舞い戻ることもなく、消えてなくなってしまうのだ。邪鬼が五層全てに侵入して、それに気付いて対処するまでに、何人かの魂は傷を負い、食われ、去ってしまった。もちろんすぐに戦士たちが駆け付け、その邪鬼は浄化され、消されていったが、こっちの被害もわりと甚大だった。既にこちらへと入り込む侵入口は、緑水により閉ざされつつあり、邪鬼が極端に増えることはないと思われるが、まだまだ各層では、邪鬼との戦闘は続いていた。そしてここ風の層は、最も厄介で、邪悪の根源である鬼神が入り込んでしまい予断を許さない状況だった。
「僕は、あいつのことがまだ怖い…けど、それよりも守りたいものの方が大きいし大切だから、僕も戦う。戦ってあいつを楽にしてあげるんだ」
「よく言った風流。上出来だっ!」
雷光はもう一発、雷の塊を悪鬼へぶち込んだ。それによりますます雷撃が悪鬼へ乱れ打つように降り注ぎ、威力を増して襲い狂った。悪鬼の体からは煙が立ち、爛れるような悪臭が周辺に満ちたが、雷は止まらない。悶え苦しみ、雷に包まれた悪鬼は、段々と声を発しなくなり、次第に風流へ向けていた怒りの視線も、閉じられた瞳の奥に隠れてしまった。
「やったか!?」
雷光は状態を確かめようと、悪鬼の元へ雲ごと近づいた。
悪鬼は瞳を閉じ、抗うことをやめ、なすがままに雷に打たれまくっていた。雷光は雷の囲いの周りをぐるりと一周し、悪鬼の顔がある位置で停止し、意識の有無を確認しようと一歩近づいた。
「雷光!」
一瞬だった。近付いた雷光に、カッと急に見開かれた赤黒い瞳が向けられ、手から放たれた毒気が、弾丸のように雷光へ放たれた。毒気は近くにいた雷光の腹に至近距離でぶち当たり、乗っていた雲から弾き飛ばされ、翼を持たない雷光は真っ逆さまに落下を開始した。
風流は必死で手を伸ばし掴もうとしたが、間に合わない。翼を畳み、加速をつけようとしていると、ふわっと雷光の体が浮きあがった。
「ったく、雷神様は世話が焼ける」
祐樹だった。落ちてくる雷光を見て、竜巻を起こす手を止め仲間に後を任せ、下から助けに向かってきてくれたのだ。祐樹はそっと雷光を地面まで下ろすと、無事を確かめるように声をかけた。
「雷神様、ご無事ですか?立てます?」
さっき、風流がケガをしているのに無理やり「こっちにこい」と言った雷光を祐樹は快く思っていない。けれど、雷光は誇り高き雷神である。それなりの敬意は払わねばならない。が、まだムカツキがあるので、動けるかの確認のみをした。
「全く…風流の友人は優しくないな…ハハッ…」
「雷神様は丈夫そうなので、あれくらい平気かと思いまして」
「っるせー…よ…黙って俺を支えてろ…」
「そんなこと言われたら、支える気なくしちゃいますよ?俺」
「んなことしてみろ…後で風流に怒られっぞ、お前」
「風流はそれくらいのことでは怒りません」
「ほう?なら離してみるか?俺も…後でお礼してやるよ…」
風流が下へ辿り着く頃には、こんなどうでもいい会話が、二人の間でヒートアップしていた。
「全く!何してんのさ二人とも!そんなことで争わないでよ!雷光、傷は?」
「大したことない…半分は雷撃で防いだ…咄嗟だったから全部は無理だったがな」
祐樹に支えられた雷光のお腹部分は、黒く変色し、白い煙があがっていた。
「ちょ!全然僕よりやばいじゃん!手当!手当しないと!」
「大丈夫だ。こいつの言った通り、これくらいじゃ俺は死なねぇ。雷神だからな…俺は四神で最強の神だ!こんな毒気になんか負けてたまるか!行くぞ!さっきので雷の檻が消えた。ヤツは自由だ」
雷光は祐樹の支えを振り払うと、もう一度雲に飛び乗った。
「雷神様、ほんとに大丈夫です?フラフラしてますケド…」
「うるせー…守るのは俺の役目だ。黙ってそこで指くわえて守られてろ!」
雲に乗った雷光はスピードをあげ、雄叫びをあげながら上へ向かった。
「風流、あの人やばいよ」
「あー。でもガラ悪いけどいい人だよ」
「そっちじゃなくて、傷。わりと深かった…強がりすぎだよ…あれじゃあ魂がいくつあっても足りない」
「うん、知ってる。でもそれが雷神なんだ。強い者が雷神になれる。そうやって雷神は決まるらしい…だから負けられないんだよ、絶対…」
傷の痛みを全く感じさせない凄みをまとい、雷光は突撃していった。風流も負けまいと翼を広げ、
「祐樹、聖水の予備って持ってる?」
「持ってる…けど、雷神さんに渡すの?風流の傷だって…」
「僕のはそんなに深くないんだ。龍神がくるまでの応急処置ってことで渡しとかないと。雷光がいないと僕らだけじゃアイツを抑えきれない」
祐樹は渋ったが、風流が引かず、顔をじっと見据えて視線を離さなかった為、とうとう折れてため息をつくと、ポケットから小さなフラスコのような小瓶を取り出し、手渡した。風流はにっこりと笑いかけ「ありがとう」とそれを受け取ると、猛スピードで上へ向かって羽ばたいて行った。
「行ってきなよ」
祐樹の側には、竜巻を発生させ、風刃を中へ投げ込み、邪鬼の数を着々と減らす。という祐樹と同じ任についている者が何人かいた。その内の一人が上を見上げる祐樹へ声をかけたのだ。その輪はだんだんと大きく膨らみ、そこにいる者全員が祐樹の背中を押した。
「俺達だけでここは大丈夫だ」
「お前がいなくても竜巻は衰えてないの、わかる?」
「あなたと風流の連携プレーを、あの雷神様に見せてあげなさい」
「邪鬼はもう数少ないし、行ってきなよ祐樹の兄ちゃん」
行けという声がたくさん届いた。
祐樹は、飛んだ。
背中越しに「行けーーー」とか「うおーーー」とかたくさんの声援を受けながら、風流の元へ飛んだ。
「祐樹!?なんでここに!」
「俺も戦う。下はあいつらだけで大丈夫だ。それに槍の扱い方は俺の方が上だ」
「それは、そうだけど…」
「俺が、時間を稼ぐから、その間に聖水を雷神様にかけてやれ。ないよりはマシだろ」
祐樹の優しさと気遣いに感謝した。
二人は一緒に先に着いていた雷光の元まで一気に飛び、風流が雷光の元へ、祐樹がその二人の前に、悪鬼から守るように立ち塞がった。
悪鬼は、肩を上下に動かし荒く息を吐き、体中から煙を立たせ、鼻が曲がりそうな腐臭を放ちながら、血走った目をかっぴらいて、怒りを露わにしていた。鬼神に縄や普通の鎖を投げても意味がない。捉えるには霊的な力。大量の聖水か、莫大な力で押さえつけるしか方法がなく、大量の聖水を放つことの出来る龍神を待つか、ひたすら力を削いでいき、鬼神を超える力で抑え込むかのどちらかだった。
「雷光、聖水だよ。応急処置だけど、これで少し和らぐと思うから」
「サンキュ」
雷光は受け取った聖水をトプトプと傷口にかけた。傷口から少し煙があがり、若干黒い範囲が縮まったように見えた。
「行けそう?」
「少し…楽んなった」
「よかった。聖水、祐樹が分けてくれたんだよ。僕たちのこと手伝ってくれるって」
こちらに背を向けて前で槍を構え、悪鬼へと恐れることなく視線を向け、祐樹は後ろへと言葉を発した。
「雷神様がいないと倒せないって、風流が懇願してくるもので…少しでも元気になって頂かないと」
「へっ!感謝するぞ!風流の友!」
「祐樹です」
「行くぞ!祐樹!攻めて攻めて攻めまくる!!」
「あんまり、無理しないでよ雷光…」
少しだけ痛みが引き、勢いを取り戻した雷光は、前へ出て祐樹の横に並び、弓を構え、そこに雷の矢を番えた。
風流もため息を吐きながら雷光の横へ行き、槍を構えた。
悪鬼は未だに肩で息をし、腕をだらんと垂らしながら辛そうな吐息を漏らしており、全員へ睨み付けるような視線を投げかけ、雄叫びをあげた。雄叫びと同時に、雷光が番えていた矢を解き放ち、両側で風刃が悪鬼へと放たれた。
全ての攻撃が悪鬼へと直撃し、それを確認した祐樹と風流は槍を構え、お互いを確認することもなく、同時に悪鬼の懐へ飛び込み、息のあった突きを加えようとした。
槍は、悪鬼の懐へ突き刺さる寸前で二本共受け止められ、槍の矛先は悪鬼へと届かなかった。
「貴様ら…」
悪鬼は怒りを込めて槍を掴み、押し戻そうと躍起になった。二人も負けじと槍を握る手に一層力を込めて押し込んだ。
「そのまま抑えてろよ二人とも!」
後ろで雷光が太めの雷を鎖状に形成し、こちらへ投げ込もうと気を伺っていた。悪鬼はそれに気づき、獣のようなうなり声を響かせ、槍を抑え込む手に力を籠めると、下へ槍を押し込み、その力を利用して斜め上へ跳躍した。
悪鬼が空中で着地するのとほぼ同時に、鎖状の雷撃が放たれ、生き物のように悪鬼に絡みついた。
「離せ!凡人共!俺は鬼神だぞ!貴様らなんかにやられはしない!!」
「強がってんなよ!いじめっ子!なんでそこまで恨みまくってんだか知んねぇけど、逆恨みもいいとこだぜ。そろそろお前も世代交代だ!」
雷光が握る鎖は、まだ悪鬼に巻き付いているものと繋がっている。電撃を更に強くし、そのまま流し込む。悪鬼の天地が割れるような悲鳴が響き渡り、この騒ぎの終焉を迎えるのも時間の問題かと思われた。
「おいお前ら!コイツを囲い込むもんを作れ!頑丈にな!」
「うん分かった!」
「雷神様に指図されるのはあまり好ましくないけど、りょーかい」
周りを包んでいた竜巻はいつの間にかなくなり、残った数人の邪鬼たちは、地面に這いつくばり、下にいる風の戦士たちに浄化されて数を減らしていった。
木の洞からの侵入もいつの間にか止まっている。この層に残る敵は、ほぼ悪鬼のみになって、手の空いた戦士たちが、続々と空中の親玉線へ参戦しようと飛び込んできていた。
風の民は風流と共に全員で風壁を作り、分厚めに悪鬼の周りへ一辺ずつ固定させていった。悪鬼はもがき、もがきながら抜け出せない鎖を更に己に食い込ませ、牙をむき出しに怒り狂っていた。翼をもぎ取ることは出来なかったが、その翼も巻き込んで縛っている為、力はほぼ削いだに等しかった。
「ほう。やるね。お二人さん。流石だわ」
そこへ不意に、天と風を繋ぐ場所で守りをしていたはずの陽火が現れた。赤い炎の翼をはためかせ、一つだけ色の違う翼が、白い翼の群れの中に一輪の花のように鮮やかに咲いた。
「陽火さん!なぜここへ!?」
「何故って、ここの邪鬼は大方消えちまったようだし、他の層も心配でね、こっちの情勢が優勢ならじっとしてるのも勿体ないし、我も動こうかと思ってね」
陽火は悪びれるでも、質問するでもなく、自分はこうするから。と一方的に告げた。
「いいぜ、陽火。行け。俺たちはもう大丈夫だ。邪鬼も粗方片付けた。他の層のことは俺も気になってたし、出来れば助けてやってくれ。雷の層の今も知りたい。状況を伝えてくれると助かる。頼めるか?」
緩んでしまわないよう、鎖に力を込めたまま、陽火へ一度だけチラと視線を向け、それっきり悪鬼を見つめる視線は外さず、雷光は己の願いを告げた。
「お安い御用だわ。そなたの層も回ってきましょう。では、ごきげんよう」
ふらっとやってきた陽火は、またふらっと翼をはためかせ、下へ向かう入口へ向かって飛び去って行った。
「ほんとによかったの?陽火さんに頼めば、もうちょっと追い込めるのに」
「ここにいたんじゃ、残りの三層の様子が掴めない。それに俺は、俺の層が心配なんだ。心配の目は早めに摘み取るに限る」
悪鬼の拘束を一切緩めることもなく、ギリギリと更に強く縛り上げる。風の囲いは四方を包み、悪鬼へと伸びている鎖を残して、全てを風壁内へ囲い込んだ。
「雷光。こっちは完了したよ。もう離してもいいんじゃない?」
「いや、ダメだ。もうすぐ緑水さんが来るはずだから、それまではコレを放せない」
もうすぐっていつなんだよ。と思っていると、陽火と入れ替わりのように待ちわびていた、澄んだ声の主が現れた。
「雷光、風流。二人ともよく頑張りましたね。まさか本当に二人だけで抑え込むなんて、さすがです」
声の主は二人よりも遥か頭上にいた。翼や乗り物を持たない水の層の民は、空気中の水分を固めて、それを足場に宙を移動する。だが、龍神・緑水が乗っているモノはそれとは大きく違っていた。
龍神だけが許された、龍神になれる者だけがその身に宿し、この地に生まれ落ちたその瞬間から必然的に次期龍神として大切にされる。
緑龍。
緑水は龍に乗って現れた。龍神となるものだけが宿す最大の力。とてつもない浄化能力を有し、宙を舞う姿は美しく、幸運の証として、地上ではいろいろな装飾や開運グッズとなり崇められている。
「作業は終わったのかよ」
「ええ。滞りなく。そちらもご苦労様です」
「へっ!こっちがどんだけ苦労したと思ってんだよ」
「あなたのその黒くなったお腹を見れば、だいたい分かりますよ。あなたも風流も早く浄化しちゃってください」
乗っていた龍を操り、下方まで下りると、龍の瞳へ手をかざし、瞳から出る涙を二粒手に取り、風流と雷光へそれを放った。受け取った雷光は、そのまま龍の涙を傷口へ押し付け、風流もそれに倣おうとすると、
「風流。あなたは飲み込みなさい。雷光は傷が深いのでああやった方が治りが早いのです。あなたは飲み込んだ方がいい。そのまま押し付けると治癒過多で、皮膚がうろこ状に変化しますよ」
うろこ状になるのは嫌だ。風流は涙を飲み込んだ。すると、体の中から何かが溢れ出し、ズクズクと痛みがあった箇所は痛みが引き、ついでに黒く変色していた肌は元のすべらかな明るい色を取り戻した。
片手で鎖を持ち、残った手で涙を傷口へ押し付けていた雷光も、押さえていた手をどけ、満足そうにその箇所をなでた。黒く変色していた皮膚は元に戻り、綺麗に割れたシックスパックが肌に映えていた。
「よっしゃ!これで復活!」
「緑水さん!ありがとうございます」
「いいえ」
龍は更に高度を落とし、風の戦士たちの間をすり抜け、悪鬼の目の前で停止した。
「あなたが悪鬼ですか。見た目通り汚くて頭悪そうですね」
ニコニコの笑顔を称え、緑水は悪鬼へ言葉を投げかけた。
「貴様誰だ。嘘くさい笑顔向けやがって!」
「あなたみたいな悪魔に言われたくはありませんね。さて、さよならの会話は済みましたか風流」
「え?僕?ですか?」
「ええそうです。一応、顔見知りみたいなので、必要かと思いまして」
ニコリと笑みを向けられ、知らないはずの情報を知っていた緑水に驚きを隠せなかった。
「何故知っているのか…とそんなお顔ですね。遠隔操作時にたまたま流れ込んで来てしまいまして。何せ、木は水分の塊みたいなものですからフフ」
つまり、全て知っているぞ。ということだ。風流は頭を掻いて、龍の頭に色気ムンムンで座っている緑水を仰ぎ見た。
「何もないのならこのまま行いますがよろしいですか?」
「あ…えと…」
もう一度、悪鬼に堕ちてしまったかつての中田を見る。悪鬼は未だに捕えられ、身動きを取れずにいた。
「なか…た…あの…」
「なんだぁぁきたじまぁぁ…ようやく…俺に殺される気になったか」
「いや、それは…ない…けど…また…ね…」
「はぁ?馬鹿か?お前…またはねぇんだよ…俺に殺されるまで…そこで、大人しく、待ってろ…」
悪鬼から発せられる闘志は未だ消えていなかった。だが、そんなことはお構いなく、緑水は片手を龍に添え、優しく呟いた。
「焼き払いなさい。緑龍」
龍は大きく口を開け、照準を悪鬼へ定めると、音もなく口から光の光線を放った。光線は風の民が作っていた風壁を突き抜け、雷の鎖を引きちぎり、悪鬼を包み込んだ。
光は悪鬼の影を完全に祓い、背後にあった木の幹にぶち当たり、そこへ吸い込まれていくように次第に終息していった。光線がやんだ空間からは、悪鬼の姿は跡形もなく消えて、燃えカスのような黒いモノが、後ろの木にシミのように細長く残っていた。
「終わ…ったの?」
「一応、この辺りに散らばっていた負の空気は無くなりましたが…思ってたよりあっけなかったですね」
「あの、龍神様。鬼神は、どうなったんですか?」
側で固唾を飲みながら見守っていた祐樹が、口を開いた。
「あなたは?」
「あ、祐樹と申します」
「あなたが祐樹…風流のお友達さんですね。…鬼神は浄化され消滅しました。次期鬼神は、中立の立場である閻魔王に決めて頂きましょう」
緑水はもうそこにいる風の民にも支持を飛ばし、事態の収集に計っていた。そんな中、ほんとに終わってしまったのか、風流は疑問に思っていた。なかなか心のモヤモヤが消えない。
「おい。しけた顔してないで、も少し喜べよ。お前の仇はこれで消えたんだぞ。来世は安泰だなお前」
「う、うん。そうだね」
浮かない表情で木に浮かぶ細長く黒ずんだ部分を見つめた。何故だろう…何か胸騒ぎが止まらない。
「あの木のシミ、気になりますか?」
緑水が真面目な顔で尋ねてきた。
「鬼神が…死ぬと、あんな風に残る物なんですか?」
「分かりません。何せ、私が知っている千年の歴史の中で、地獄からこちらへ這い上がってきたという事実は初めてのものですから…」
緑水もシミを見つめ、
「ですが、先ほどいた鬼神は形を残さず、浄化の光で一掃されました。あれはその残りカスだと思いますよ。さぁ、やることはたくさんあります。あなたも長として、動いてくださいよ風流」
緑水は龍から飛び降り、左手の甲を覆うようにしてある、うろこ状の部分を上へ掲げると、龍をその身へ仕舞いこんだ。
龍が消えた位置を眺め、もう一度、風流はシミを見つめた。そしてシミが少しだけ動いたような錯覚を見た気がした。目をこすり、瞬きを数回してもう一度シミを見る。やはり少し形が変わっている…ような…さっきより…大きく…
「緑水さん!鬼神は死んでない!」
風流は叫んだが、間に合わなかった。黒いシミは一気に木の表面に広がり、瞬く間に木の色を黒で塗り替えると、止まっていた時間が動き出したかのように、
「馬鹿な!浄化の光を浴びたのに何故です!?」
「どうなってやがんだこれ!?」
「緑水様!お逃げください!」
翼を持たない緑水は、水分を固めて足場を生成し、上へ大きく飛び上がって移動した。溢れ出た邪鬼たちは先ほどより数を増し、草木を腐らせ、その場を黒く染めた。
そして風流へ向けて、黒く細長い矢のような物が放たれ、誰にも気づかれることなく左腕に突き刺さった。
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
左腕を負傷した風流を側にいた雷光が抱き止めた。
「おまっ!なんっ…!」
風流は打たれた箇所を押さえながら、攻撃が来た方向を見た。
そこにはブクブクと沸騰したような、木からあり得ないあぶくがあがっていた。そしてそれはやがてぬるりと膨れ上がり、中から、先ほど消滅したはずの悪鬼の姿が浮かび上がると、その身を滴らせ、木から生まれ落ちるように千切れた。
「あ…っき…はぁはぁ」
痛みは先ほどの非ではなく、左腕には全く力が入らなかった。
「やぁ…な・が・れクン。さっきは界が世話んなったなぁ?」
「かい?コイツ何言ってるんだ?」
雷光は意味が分からず、警戒を解くことなく、生まれ落ちた悪鬼に疑問の表情を浮かべた。だが、風流はその答えを知っていた。痛みで呼吸が乱れ、血も止まらなかったが、どうしてそうなったのか、明確にしなくてはならない。
「景…君なの?」
「わあ♪俺のことも覚えてくれてたとは嬉しいねぇ
「二人とも…死…」
考えたくはなかった。自分を恨む者が二人も鬼神だったなんて、もはや絶望でしかなかった。
「おい!風流!説明しろ!こいつはアイツじゃないのか!どうなんだ!?」
雷光の怒声が側で響く。駆け付けた緑水も、祐樹も、側にいる風の民もみな、風流を見ていた。歯を食いしばり、風流は行きついた答えを真実を述べた。
「景は…今の悪鬼は…さっきの悪鬼の…界の双子の兄で…さっき死んだ悪鬼とは、別人だ…」
「さっすが、流クン!気づいてくれて嬉しいよ」
その場にいた誰もが、さっきいた悪鬼と同じ姿で話す悪鬼を絶望の眼差しで見つめ、これから訪れるであろう悪夢を直感的に悟った。
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