起・はじまり
地上で、一つの魂が終わりを迎えた。それは唐突な、本人が望まぬうちに起きた出来事であったが、その魂は地上での役目を終え、否応なく天へと召されていった。
天界へとやってきたその魂は、閻魔王の前へ居並ぶ、様々な色をして魂の行列と成している、光り輝く丸い発行体の最後尾についた。行列は長く、閻魔王がいる
徐々に列は進み、ゆっくりと社の全体像が見えてくる。遠くで見えていた炎のような赤い屋根は、思ったよりも大きく、そのしなやかな弓なりの屋根には、よく見ると、頭頂部に菊をあしらった丸い文様が刻まれていた。社全体は、有名な寺や神社のような荘厳な成りをしており、人が横一列に五人並んで通っても余裕がありそうな入口と、その入口を囲うように張り巡らされた、龍の彫物。壁は、稲妻のように輝く金色と黄色を織り交ぜた不思議な色をして、そこにある装飾は見事な彫刻絵で彩られ、天へと舞い上がる天使と、そこへ手を差し伸べる女神。そして、天使の足元へ手を伸ばす、鬼のような顔をしたモノが描かれていた。
入口を抜け中へ入ると、そこは橋の上だった。大きな門を抜けた先は、橋だったのだ。橋の下には、黒く、墨色の闇が川のようにくすぶっていて、上にいる物を今か今かと待ち構えている風に見えた。実際、橋の数十メートル先にある、水面?より少し上に空いた穴から、光り輝く魂のような塊が闇へ吸い込まれるように落ちて、沈んで行くのが見えた。橋の上でそれに気づいた者は、それが堕ちて行く魂なのだと悟り、身を強張らせながら、ゆっくりと確実に進んでいく列に、騒ぐことなく大人しく従った。
列の先には、当然の如く閻魔王がいた。ガッチリとした体躯に、大きな牙、大きな角を頭から二本生やし、おとぎ話などで見るそれにそっくりだった。違ったのは、その横に存在感を示しまくっている五つの白みがかった大木があることだった。その大木の根元付近には、大きな穴がそれぞれ口を開けており、その穴が上へ伸びているのか、下へ落ちているのかはよく見えなかった。五つ全てが川へと落ちる穴に繋がっているとは考えにくいため、どれか一つがそこへ繋がるのだろうと魂たちは思った。しかし、七つ前の魂が、地面に突如出現した穴に吸い込まれるように逝ってしまったので、下への入口はここなのだと後で悟った。
「ほう。お主はいじめの末に突き落とされたのか。そうか…幼少期から…可哀そうに。名は…北島…
閻魔の前へ行くなり、勝手に中身を読まれ、何も発することなくそれは告げられた。閻魔王の横に立っていた二人のうち、左側の門番ぽい人が、持っていた杖で一つの木を指し示した。早く行けと言わんばかりに、茫然ととどまっていた
流は思い切って飛び込んだ。
そして、生まれた。
木の洞から転がるようにして生まれ落ち、
川のせせらぎの音と、鳥がさえずる声、そしてー
「あらあら。新しいお子は男の子ですのね。まぁ可愛らしい!地上では十五才くらいかしら?あなたお名前は?お話しできて?」
ペタペタと体や顔を触ってくる、若い女の姿が目に飛び込んできた。背中に感じる芝の感触と触れられている指の感触を不思議に思った。
「あれ?体…がある??」
「?当然ですわ。あなたはここで風の民として、次に生まれ変わるまでの時を過ごすんですのよ。魂だけだと不憫ですもの。ちゃ~んと、
くるくるとよく動くまぁるく青い瞳、肩にギリギリ付くかつかないかの長さの、ゆるくウェーブのかかったピンク色の髪をした女の人。服装はなぜかフリフリの、
「僕は…北島…です」
「あら?そっちではなくて、下の名前を教えてくださる?」
「え?えと流って言います。あの、ここは?」
「ながれ君って言うんですのね!あたくしは
ロリータ服を着込んだリリは、流へ手を差し出した。無視するわけにもいかず、その手をつかんだ流はリリと握手をかわすと、その手をぐいと引っ張られ、促されるようにその場に立ち上がった。
「あらあら、ながれ君は思ったより大きんですのね?身長何センチですの?」
「一応…百七十はありますです…」
釣られて変な語尾になってしまった。これまでの経験から、からかわれて笑われると思った流は俯き、リリから視線を逸らした。
「まぁ!風雲様より大きいなんて、立派に成長されてたんですのね…あら、どうしたんですの?地面に何かありまして?」
恥ずかしくて下を向き、俯きながら話を聞いていた流は、侮辱されることも笑われることもなく、優しい声音で、何事もなかったかのように尋ねてきたリリを直視した。くるくるしたリリの瞳は一つもからかいの素振りがなく、ただ純粋に流を真っ直ぐ見つめていた。
「あ、いえ。何も…ない…です…ここ、どこかなって。思って…」
「あ!リリとしたことが、また説明を飛ばしてしまうところでしたわ!ですが、そろそろ次の者が降りてくるかもしれないので、ここからは歩きながらご説明致しますわね」
くるっと後ろを向いたリリの背には、見慣れない白い物が二つあった。絵本や教会等でよくみかける、天使と呼ばれるもののそれに似ている白い翼。小さくちょこんと、服にくっついているのか、生えているのかは分からなかったが、質感は鳥の羽に酷似していて、フワフワとした羽毛に覆われていた。流は服の装飾だと思い込むことに決め、何も言わずリリの後を追いかけた。
説明を受けながら森を抜け、着いた先には、コンクリートで覆われた、無機質で四角い建物があった。階段を十段ほど登り、扉を押し開ける。中は広く、協会のようなアーチを描いた天井と、ステンドグラスが埋め込まれた窓、中央にイスがちょこんと置いてあるだけの空間だった。
「ながれ君、あそこに座って待っててくださる?」
言われるがまま、ちょこんと真ん中に証言台のように置かれたイスに腰掛ける。奥に引っ込んでいったリリを待っている間に、辺りを見回し、それも終えると、ここに来てようやく自分の姿をまじまじと見つめることが出来た。イスの置かれた正面の壁に、天井まで届くほどの大きさの鏡が埋め込まれていたのだ。
流は鏡を見つめた。顔や髪型、背格好は、死んだときのそのままだった。違ったのは、黒かった瞳は、透き通るような青に染まり、着ている物は、白いシャツに白い長ズボン、そして素足だった。
「僕、やっぱり、死んだんだ…」
同級生たちに殴られ、押し付けられたタバコの跡も、長年増えることはあっても消えることのなかった擦り傷も、シャツをめくった下にはやっぱり一つもなかった。あるのは、生まれたばかりの傷一つないすべらかな肌だけだった。
死にたくはなかった。死にたかったけど、とんでもない人生だったけど、あんな形で生を終わらせたくはなかった。今更、悔いても終わったことは戻らない。涙は、出なかった。
「待たせたの。少年」
声と共に現れたのは、長いローブをまとい、白い髪をポニーテールに結わえた、青い瞳の老人だった。やはり、背中辺りにはリリみたいな翼のような大きなモノが見えた。翼を背に持つ老人は確かな足取りでゆったりと流に近づき、目の前で足を止めた。
「ようこそ、風の層へ。リリから説明は受けたかな?」
「えと、ここが死後の世界で、生まれ変わりのタイミングが来るまでここで暮らすってことと、ここより他に五つの層があることは、知ってます」
「ほぅ。リリ、毎度お前は要点をまとめすぎじゃぞ。もっとこう、詳しく、丁寧に語ってやらんと、混乱するであろう?」
「いやあエヘヘヘ…気を付けます…はい…」
リリは、しゅんと萎んでしまった風船のように小さくなって、足元を見つめていた。
「あ!…いや、その…リリの働きには感謝しておる。次は気をつけなさい」
しゅんとしたリリに焦った老人は、リリへの言葉に補足でこう告げた。すると、さっきまで萎んでしまっていた風船は一気に膨らみを取り戻し、ピンと張った笑みに変わった。嬉しそうなリリは、その笑みを称えたまま
「さて、ながれといったかな。リリが伝え切れなかったことをわしが代わりに話そう」
まだよく状況が分かっていない流は、呆然としながら老人の話に耳を傾けた。
「ここは、死後の世界『天界』にある五つの層のうちの一つだ。一番上の層には、天界をまとめる天神が治める『天』の層。その下がここ、風神が治める『風』の層。更にその下には炎神が治める『
更に閻魔の間を挟んだその下には、俗に言う地獄と呼ぶものが存在する。地獄は鬼神と呼ばれる神が統治しており、こちらに介入してくることはまずないと思うが、地獄で放たれる毒気にはくれぐれも注意するように。
そしてここ、風の層に生まれ落ちた者には等しく白き翼が与えられる。時間の概念がない天界では、ここで初めての眠りにつき、目覚めたときにそれが表れるから、決して取り乱したりしないように。
それから、時間の概念がないのと同じで、お腹が空くことも、眠気が訪れることもない。初日は力の発現の為、眠るように促されるが、後は自由だ。好きなものは好きなだけ、願えば出てくるし、生き物以外なら何でも引き寄せられる。もし会いたい人がこちら側にいれば、わしが力を貸そう」
「会いたい人は…いません」
両親はまだ生きているし、友達なんていなかったし、祖母や祖父とかいう存在とは会ったことがない。こちら側にいるのは間違いないとしても、知らないのだから会っても意味がない。だから流には、会いたいと呼べるものは一つもなかった。正直に伝えてしまった方が、追及されるのも面倒だしと思い真実を伝えた。老人は「そうか」とつぶやくと、
「そなたはまだ若い。新しい生をまた受けたければ、ここへ来なさい。未練も多かろうし、しばらくここで好きなことをするのもよかろう。リリのように好きな服を着て、好きな髪色をするのもいい。名を変えたければ、変えるのもいいじゃろう」
「名前、変えれるんですか?」
「リリも本名は思いっきり違うからの、変えたいか?」
「はい…いろいろ…忘れたいし…よかったら…適当でいいんでつけてくれませんか?」
「ながれって字はどう書く?」
「普通に、流れるって書いて、流って読みます」
「ふむ。…では、風に流れると書いて
「ふう…りゅう?」
「風の名だ。大切にするといい」
「ありがとう…ございます」
「…さぁ。そろそろ次の者がくる。外に世話をしてくれる者がいるから、後のことはそいつに聞いておくれ」
「あの!あなたは?」
「わしは、風神・風雲だ」
それが初めての、彼との出会い、ここでのはじまりだった。その後、世話役として同じくらいの背格好をした、祐樹という少年と一緒に行動をし、生まれて初めて?の友達として仲良くなった。ちょこっと睡眠をとっただけで、風流の背にも一対の翼が表れた。動かすのに少しコツがいるようで、それも徐々に祐樹に教えてもらいながら覚え、特にやりたいこともなかった風流は、強くなりたいと思い、護衛隊に所属。槍の扱い方を学んだ。本当は剣の方がよかったけれど、ここの層は槍専門らしいので武術とともにそれを習った。有意義な日々を、とても楽しく笑いに溢れた日々を送った。
*****
十年後。
「風流!今日も稽古行くだろ?」
「ごめん。今日、風雲様に呼ばれてて、僕は後から行くよ」
「お?なんだ?なんかやらかしたのか?」
「祐樹じゃないんだし、何もしてないよ」
「お前~!初めて会った時はあんっなに大人しくて、かっわいい~弟みたいだったのに…育て方間違えたかな俺」
「しょーがないでしょ。金髪で槍抱えてて、おまけにどっかの軍みたいな制服着崩して着てたら、誰だって怖いよ!それに、祐樹に育てられた覚えもないしね」
「お前!それそろそろ忘れろよ!あんときは軍服が俺の中でブームかましてたんだ!今はほら、ゲームの主役みたいなちょいごつめの甲冑が素敵だろ?」
祐樹はここへ来たとき、いろいろと教えてくれた大切な友達だ。始めは不良みたいな姿だったから、またいじめられるのかと身構えてビクついていたけど、見かけによらずとてもいいヤツで、身構えてた自分が恥ずかしく感じるほどの、ただの金髪なお調子者だった。
祐樹は歩きながら自分がここへ来た経緯は、病気だと語ってくれていた。生まれてからずっと病院で過ごし、ベッドから出ることもなく、生を終えたという話を風流に向け話した。
十二才。祐樹の短い人生はそこで幕を下ろしていた。ここへ来てからは、好きな服を着て、好きなものを食べ、やりたかった金髪にし、ヒーローに憧れる少年のままに過ごして、見た目を成長した自分として二十歳に設定した。なので身長は風流より少し高めだが、中身はまだ無邪気な子供のままだった。でっかい弟がいる感覚で接してはいるが、祐樹は後からこっちに来た風流の方を弟だと言い張っていて、風流は祐樹の方が弟であると譲らず、二人だけの密かな対立として、出会ってからずっと言い争っていた。
「その鎧、動きづらくない?僕は
「そんなぺらっぺらなどっかのガキンチョみたいな格好してるから、いつまでも俺に勝てないんだよ。風流も着てみ?鎧、かっけぇぞ!そうだ!俺が赤だから、お前青着ろよ!
「ヤバイってなんだよ…てか、そろそろ行くよ。風雲様待たせちゃうし」
「ほら、行くならこれマネして!青!な!いいだろ!折角行くんだし、かっこよくしとかないと!鎧着てけよ!な!な!」
祐樹はこの日、ものすごくしつこくて、なかなか離してくれず、結局、短パンにタンクトップのラフな服装から、祐樹が着ている、肩と胸元、ふくらはぎと太もも部分を鎧に包んだ、色違いの青い鎧へと変化させられた。そして謎のポーズを取らされ、写真として場に二枚の紙切れを出現させると、一枚を風流へ手渡した。
「なんだよこれ」
「今の俺たちの写真。こっちの世界では思うままに何でも出来るんだ。便利だろ」
差し出された写真には、赤と青二つの似た鎧をまとった、やる気のない顔をした黒髪の少年と、希望に満ち溢れた弾けるような笑みを称えた、金髪の青年がいた。写真だけ見ると、ちょこっとだけ背の高い祐樹の姿は大人っぽく、それでいて無邪気さを忘れないおちゃらけた兄のようで、風流は兄に振り回される弟のように見えた。写真を仕方なく受け取り、懐へ仕舞うという仕草をした風流だったが、内心は飛び上がるほどに嬉しくて、ハイタッチしたい気分に駆られていた。しかし、それをしてしまうと祐樹を調子に乗らせてしまうので、飛び上がるほどの喜びは内心に仕舞いこみ、仕方ないなという態度は崩さなかった。後から思えば、この時ちゃんと喜んで、ハイタッチでも何でもしておくんだったと悔やんでも悔やみきれなかった。
写真を懐の奥の方に大事に仕舞い直し、今ではもう慣れて自由自在な翼をはためかせ、風神の社まで一息に飛んだ。社を離れてから十年、何度か新しく来た魂を迎えに来たが、何の理由も告げられることのない呼び出しは、今回が初めてだった。社の中へ入るのもここへ初めてきた時以来だ。
社の入口へ到着すると、軽くコンコンと扉を叩いた。返事はなかったが、だいたいいつもないので、この日も特に気には留めておらず、いつも通り中から扉が開くのを待った。だが、いくら待っても開く気配がないので、仕方なく扉を押し開けた。
誰もいなかった。
一瞬、今日じゃなかったかな?とか場所間違えた?という思考が頭を泳ぎ回り、しーんと静まり返った室内を見回すうちに、帰ろうかな。と一番ダメな考えを抱いてしまった。
「あ!」
この声がしなければ、間違いなく帰っていた。
声がした方向は、初日に風神・風雲が出てきた一番奥にある扉からだった。風流は声がした方をじっと見つめ、三歩ほど歩みを進めた。閉まっていると勝手に思っていた扉はわずかに開いており、中から久しぶりの、予想外な人物の顔が現れた。
「あ~!なが…じゃなかった風流君!こっちですわ!中へ入ってきてくださいな!」
ピンクの頭は髪が長く伸びており、相変わらずフリフリな服装で、リリは手招きをして風流を中へ呼び込んだ。
中では、風雲が掌サイズくらいの水晶玉の前で、何かと会話をしているようだった。ちらりとこちらを見た風雲は話を止め、光り輝いている水晶玉を背にして、語りかけてきた。
「久方ぶりだの、風流。元気にしておったか?」
「お陰様で。最近はずっと祐樹と槍の稽古ばかりしています」
「そうか。二人の気が合ったのようでわしも安心だ」
「あの、今日は何か?僕の転生の準備のこととかでしょうか?」
「半分は当たっておるが、半分はハズレだな。と、その前に風流、お前に紹介しておかねばならない人物がいる。直接ではないが、こちらへ来てもらえるかな」
風流は言われるままに風雲の、水晶玉の元へと進み出た。光り輝く水晶の向こうには、人影があった。ゆらゆらと水面のようにうねる綺麗な長いブロンドの髪、金色の瞳、白いドレスのような物を着たその人物は、幼い少女のようだった。
「天羅、彼がその候補、風流だ」
「あなたが、次の風神候補…」
「え?次のって?え?風神?え?」
「あら、風雲、まだ何もお話ししてあげてないの?」
「先に天羅に会わせてやろうと思っての。サプライズだ」
「まぁ!わたくしにお披露目する前に話しておいてくださらないと、これからの話がしにくいではありませんか」
「拒否られないようにせんとな、何せ風神だからの、気が弱いから、先に言ってしまうとここまで来てくれぬ」
「最も気が弱い者が継ぐその継承、やめてはいかが?」
「気が弱いとは優しいということだ。風の長は最も優しい者がなる。その
「あの…すみません…話がよく…」
「ほら、風雲お話ししてさしあげて」
横にいた風雲はゴホンと咳ばらいをすると、ずっと後ろで待機していたリリに、下がってよいと告げ、ようやく成り行きを話し始めた。
「わしは、生まれ変わりの儀を受ける。よって、次の風神が空席になり、選ばれたのが風流、お主だ」
「ちょっと簡潔にしすぎです。わたくしが代わります」
混乱で頭が回りきらない風流へ向けて、金色の瞳が、水晶玉の向こうから真っ直ぐに視線を向けた。
「風雲が言った通り、彼は生まれ変わる為、次の新しい風神が必要になります。そこで、新しい風神として、風神となる条件を満たしていたあなたが、風の民の中で一番心の弱い者が選ばれました。これは決定事項であり、あなたに拒否権はありません。ですが、風神になったからといって、今までの生活を捧げる必要もありません。多少、業務が増えるかもしれませんが、今まで通り友と鍛練を交わして頂いても大丈夫です。ここまでで何か質問はございますか?」
「心…弱いんですね…一番…僕」
何よりもそれがショックだった。自分では槍の、武器のスキルを磨き、それなりに武術も身につけ、強くなったつもりでいたのだが、そうではなかったのだ。ここで一番弱い。それはいじめられていた時と何も変わっていないということだ。
「そうです。あなたは弱い。ですが、それはつまり優しいと言うことです。心が最も弱い者。誰よりも他人のことを考え、気を配れる優しさ、それを兼ね備えた者こそが、風の長には必要なのです。そうでなければ、風の刃は罪のない人を殺めてしまうかもしれません。人を慈しむ心を持つもの、それこそが風神になる為のたった一つの条件なのです」
「僕は、それを持ってるの?」
「少なくとも、わしが知ってる中ではお主が一番だ。だから選んだ」
「祐樹は?あいつも…あいつの方が、こういうの合ってると思うんだ」
「祐樹は、恐怖がなさすぎる。あやつも心根は小さいが、弱さとは少し違う。恐怖と強さは非なるものだが、同じものだ。恐怖の無い者は、人の上に立ってはならない。人の上に立つということは、その命を預かること。恐怖も弱さも全てを受け止め理解し、守り、育んでいかなくてなならない」
「そんな大きなこと、僕には出来ないよ。無理だ。上に立つとか、責任とか、そんなのただの学生ができるわけない…」
「出来るわ。風雲が選んだ子ですもの」
「あなたは…僕のこと何も知らないじゃないですか」
「知ってるわ。全部。それがわたくし、天神としての役目ですもの」
「てん…じん…?」
「天羅は天神だ。天界で五つの層を、神をまとめる任を担った、天界での長だ」
話は知っていた。そういう存在がいること。初めに風雲から教えられてたし、あの後祐樹からもそれとなく詳しく教えてもらっていた。天神はめったにお目にかかれないし、神の名の付く役職の人としか会話をしないとかなんとか言っていた。祐樹も一度、たまたま風の層に様子を見に来ていた天神様に遭遇し、神々しさに心臓止まるかと思った。と興奮しながら語っていた。その人が今目の前に、少し形は違うけど目の前にいる。風流の混乱は頂点に達し、思考をストップ。もう何が何だかよく分からなくなって、一度、ほっぺたをベタにつねって確認した。
「いた…い?夢?じゃない…天国でもちゃんと痛いんだ…」
そういえば、槍の稽古の時も吹っ飛ばされたり、脇腹を思いっきり棒で叩かれたりしたけど、痛かったなと、今更になって思い出した。傷や痣などは不思議なほど一つも出来ることはなかったが、痛みだけは、その時に確かに存在した。
「僕が…もし、その…風神になったら、何をするんですか?」
何でこうなってしまったのかとか考えたくなくて、とりあえず、何をやらないといけなくなるのかを、具体的に聞いてみることにした。
「わしの転生の儀と同時に、風神としての力をお主に流し込む。その力で代々、層を任された神が各層で行っている、一般民の転送の儀と、新しく迎えいれる魂の案内をする。それが主な任だ。わしは千年ほど風神であったが、争いが起こったことは一度もない。だから、力といっても主な力は転生に使う事のみだ」
「風神は、なんの力が、あるんですか?」
「名の通り、風を操り物事を悟る。風を通して天界の様々な物事を知ることができる。後は知っての通り、普通の民と同じく刃にしたり盾にしたり、使い方は様々だ。翼は、風を操る感覚を無意識のうちに取得できる最初の方術なのだ。」
この二対の翼にそんな意味があったのは驚きだった。翼があるのは風の層と、形は違うが炎の層に住む人たちも持っていると祐樹が教えてくれていた。何気なく移動手段に用い、既になくてはならない体の一部となった翼は、大事な役目を担っていた。
「では、そろそろ本題に移りますわね。転生の決行は地上時間でいう三時間後。それまでにこちらへおいでください。他の神たちにも伝達済みですので、遅れないように。ではまた後程お会いいたしましょう」
そう言うが早いか、天神が映っていた水晶玉の光が、中心に向かって萎んで行くように小さくなっていき、やがて輝きをなくし、とぼけた顔をした風流と、その横で申し訳なさそうな顔をした風雲の、新旧二人の風神の顔が、ただの玉と化した水晶に映り込んだ。
「よいか、風流。これから向かう場所は上だ。一度、家に帰してやりたいが、教えることがたくさんあるでの、儀式が終わるまでは辛抱しておくれ」
「大丈夫です。帰ってきたら、祐樹に伝えればいいだけですし、それに、僕もまだ実感がないっていうか…なんて伝えればいいのか分かんないですし…」
「わしも伝えられた時は混乱して、頭が真っ白になった。だが、時期に、すぐ慣れる。肩書がつくだけで、皆とは変わらぬ同じ魂だ。威張ったり、その肩書を振り回すようなことがあってはならぬ」
「分かっています。僕にはきっと、威張るとか、そういうの無理だし…強く…ないし…」
「それでよい。弱さもまた強さだ」
それから風流は、三時間の間、ひたすら知らなかった事柄を教わった。
魂がこちらへ案内された際、水晶が光り、導木の役割を担うリリの様な者へ、風の知らせを使い伝える。そして案内された魂に、事柄を伝え、時には名を授けたり、性を望むように変えてあげたりすること。他の神との接し方は、雷神は荒く粗暴に見えるが実は根は優しいから、怖がらなくてよいこと。炎神は妖艶で美しいが、天神一筋で、強く気高い皇女のような女であること。龍神は柔らかく優しそうに見えるが、本当は一番腹黒く、賢いので敵に回すと厄介であることを教わった。天神は見た目通り優しく一番信用できるんだそうだ。
それぞれへの伝達は水晶玉を通して行われ、閻魔王が時々、水晶を通して戯言を言ってくるが、無視をしてよいことも教わった。
「もし、分からないことや困ったことがこの先あれば、天羅に聞くとよい、あれは神からの通信を楽しみにしておるから、喜んで答えてくれるであろう」
「はい…がんばり…ます」
説明の後、風流は使っている槍を取り出し、風雲が直径五センチくらいの別の水晶を掌から出現させ、槍の刃先と柄の間に押さえるようにねじ込んだ。ねじ込まれた小さな水晶は、安定すると穂先と柄の間で一度青く光り、その色を維持したまま光だけを集束させていった。色のなかった水晶はサファイヤのような透き通る水色に変わり、風流の槍を青く彩った。その宝石は青い鎧と合い間って、図らずも風神という体を体現しているかのように美しかった。
準備を済ませた二人は、上へ登る階段のある社の裏手側へ行き、白い翼を閃かせ、上へ飛んだ。
普段は上へ昇る二枚だけの翼が、四枚になっていることに気付いたのは、たまたま上を見上げて空を仰いでいた一部の者だけだった。
「あれ?二人…にしても風流遅いな…風雲様上に行っちゃったじゃん…そろそろ帰ってくっかな…」
供を引き連れて行くなんて珍しいなと、その時の祐樹はそれが風流であるとは知らず、もうすぐ帰ってくるはずの友を、青く生い茂る芝生に寝転んで待ち続けた。
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